60年で 「還暦」 になるわけが、ようやくわかった
来年は戌年で、もっと詳しく言うと「戊戌(つちのえいぬ)」という年なんだそうだ。この「戊(つちのえ)」という部分が「十干(じっかん)」というやつで、「戌」というのが いわゆる「十二支」だ。「戊」と「戌」という字はよく似ているが、別ものである。
十干というのは「木、火、土、金、水」の 「五行」というのが元になっていて、それぞれに「兄(え)」と 「弟(と)」があり、例えば「木」 なら「甲(きのえ)」と「乙(きのと)」の 2つに分かれる。それで昔は成績を「甲、乙、丙、丁」 なんて順位にしていた。
ちなみに干支はいろいろなモノやコトの名称ともなっていて、例えば戊辰戦争というのは、この戦いの起こった慶応 4年〜明治元年が「戊辰(つちのえたつ)」の年だったため、この名が付いた。甲子園球場は大正 13年の「甲子(きのえね)」の年に建てられたが、この「甲(きのえ)」は十干の始まり、「子(ね)」は十二支の始まりで、2つの要素の始まり同士の組み合わせは縁起が良いというのでこの名になったと伝えられる。
で、「還暦」というのはこの「十二支」と 「十干」の組み合わせが 60年で一巡して元に戻るのでこのように称されるわけだが、数字に弱い私は、これに関して実はよくわかっていなかった。「12 と 10 の組み合わせが一巡するなら、120年かかるはずじゃん」 なんて思っていたのである。
ところが、私の生まれ年の 1952年(昭和 27年)は「壬辰 (みずのえたつ」の年だが、その 60年後の 2012年(平成 24年)に再び「壬辰」に戻り、めでたく還暦を迎えてしまったのである。よく考えてみれば、そりゃそうだ。
12 と 10 には共通の約数 「2」 があるから、辰年というのは「みずのえ」とか「きのえ」とか、「え」の付く年ばかりになり、「〜と」にはならない。一方、私の妻は翌年の 「癸巳 (みずのとみ)」の年の生まれだが、巳年というのはそんなわけで、 「〜と」ばかりで「みずのえみ」には永遠にならない。だから半分の 60年で一巡するわけだ。要するに、十二支と五行の最小公倍数と考えればいいわけね。
いやはや、こんな当たり前のことが、還暦を過ぎて 5年も経ってから理解できたのだから、私の数字弱さって相当なものである。
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コメント
takさんの文章はわかりやすくて良いですね。
この通りなので、「干支は何ですか?」「辰年です」のような会話は実は正しくないんです。
干支、は十干十二支のことなので「きのえのたつです」が本来の答え方になります。
だいぶさびれました。
最初の元号である「大化」(大化の改新で有名)以前は、歴史年代を記すのに十干十二支法を使っていたので、60年単位で正確な年号がわからないこともあるそうです。
(この○○が作られたのは辛亥の年とあるが、471年か531年かわからない、など)
1500年使われてきたこの習慣、ただ消滅してしまうのは惜しい気もします。
積極的に使っていきたいですね。
では早速。
私は、かのえのさる、の生まれです。
なので、37歳か97歳かわかりません(笑)。
投稿: らむね | 2017年12月29日 01:04
らむね さん:
ありがとうございます。
97歳とは考えづらいので、多分 37歳ってことですね (^o^)
投稿: tak | 2017年12月29日 11:17