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2018年2月に作成された投稿

2018年2月28日

インフルエンザにはかからずに済んだようだ

一昨日、「インフルエンザが流行っているなあ」という記事で、インフルエンザにかかった仲間と 1日中付き合って仕事をしてしまったことを書いた。そして "これで無事だったら、本物中の本物の「インフルエンザにかかりにくい免疫力」を持っていると誇ってもいいだろうと思う" なんて結論にしておいた。

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で、どうだったかというと、昨日の昼過ぎになっても全然ピンピンしている。「感染せずに済んだかな」と思ったが、インフルエンザには潜伏期間というものがあるので、念のためもう少し様子をみることにした。

そして今日。何ということもない。フツーに起きてフツーにメシを食い、フツーにでかけて来た。どこに来たかというと、羽田空港である。これから九州に出張なのだ。出張直前にインフルエンザにかかったなんて言ったら、洒落にならないから、とにかく一安心である。

今夜はなんだかんだで遅くなりそうだから、飛行機に乗る前にこれを書いて、早めにアップすることにする。そして夜は仕事が済んだら早めに寝るので、よろしく。

 

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2018年2月27日

ブログで最も大切な作業は、こまめにセーブすること

ブログを始めてずいぶん長いこと経ってしまったが、何に一番気をつけるかといえば、「書いている間に、こまめに保存すること」である。中には 1センテンス書いたらセーブするという人もいる。

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私のブログで使っている @nifty の「ココログ」というのは、派手さはないが堅実な方の部類に属するサービスだと思っている。だからこそ、14年も使い続けていられるのだ。しかし決して完全というわけじゃない。

私は 1ブロック(大体 4〜5行かな 書いたらセーブするように心がけている。そうでないと、突然「保存できませんでした」などという表示が出てきて、15分か 20分ぐらいかけて書いた内容が、ぶっ飛んでしまうことがあるのだ。

そんなことになると、「おいおい勘弁してくれよ」と言いたくなるが、それ以上の泣き言は言わない。ゴチャゴチャ言っているよりも、とにかく、今書いた内容の記憶が鮮明なうちに、急いで書き直さなければならない。

そんなことにならないように、こまめにセーブするのだが、ついノって書いているときに限って、セーブを怠る。そして散々書いた後で「保存」ボタンを押した途端に「保存できませんでした」なんてことになるのだ。こればかりはまさに「マーフィの法則」に則っているというほかない。

とにかく愚直なまでに、1ブロック書いたらセーブするという習慣を身に付けて守るしかないのだ。

 

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2018年2月26日

インフルエンザが流行っているなあ

インフルエンザが大流行しているようだ。昨年末頃(だったかな)、流行の峠を越えたなんて言われていたような気がするが、勢いが戻ってきているらしい。

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1月 27日付で "私は 「インフルエンザにかかりにくい免疫力」 をもっているようだ" という記事を書いた。本当に、生まれてこの方、インフルエンザというものにかかった記憶がないのである。ところが、今日になって少し焦っている。

仕事で昨日ほぼ一日中一緒にいた仲間 2人が、今日になって出てこない。どうしたのかと思っていると、2人とも「昨日の午後から、どうも熱っぽくて体の節々が痛いと思っていたんだけど、今日医者に行ってみたら、B型インフルエンザと診断されてしまった」というのである。1週間はウィルスをまき散らさないためにも、外出できないんだそうだ。

おいおい、そんな 2人に挟まれるようにずっと仕事をして、夜まで付き合っていた私は、一体どうなるんだ。一緒にメシも食ったし、酒も飲んだし、彼らの着ていたパーカやコートを、「これ邪魔だから、こっちに置いとくよ」なんて言って抱え込んだりもしてしまったじゃないか。もう十分にウィルスをまき散らされてしまっているほずだ。

これで無事だったら、本物中の本物の「インフルエンザにかかりにくい免疫力」を持っていると誇ってもいいだろうと思う。とにかく、今日は早く寝ることにする。

 

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2018年2月25日

冬の北海道は新鮮な体験で一杯だった

旭川から帰ってきて 3日も経っているのだが、何だか新鮮な経験をさせてもらったような気がして、改めて書いてみる。

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何が新鮮といって、あの空の青と雪の白しかない景色である。とにかく雪が混じりけなく白い。除雪した道路でも、完全に雪をどけているわけじゃないのだが、北海道の自動車はその白い道路を軽快に飛ばす。関東の平均的なドライバーには信じられない光景である。

そしてその雪が、内地とは別物なのだ。私とて、雪深いとは言えないが、一応雪国の山形県庄内の生まれなのだが、あんな質の雪がフツーに都市に積もっているのを見たのは、これが初めてだ。本当のパウダースノーとは、こういうのを言うのだなと実感した。

なにしろ、空から降って地面に積もってから、一度も溶けかかったことのない雪である。最高気温でもマイナス 5〜6度というので、溶けかかったことがないから、とても乾いている。正真正銘のさらさらで、手で握っても容易には溶けない。

だから、喩えて言えば片栗粉か小麦粉のような感覚で、片栗粉をボウルにあけて掌で押さえつけるとキュッキュッと鳴るごとく、足で踏むとキュッキュッと音がするのである。まさに「固体」の粉の集合体なのだ。

試しに手にとって握ってみようとしたが、全然塊にならず、ぱらぱらと地面に落ちるだけだ。土地の人に「これじゃ雪合戦なんかできませんね」と聞くと、「いや、この辺の子たちも、雪合戦しますよ」と言う。どんな風な魔術を使って雪合戦の雪玉を作るのか、謎である。少しだけ溶かして水分を含ませるには、相当長い間丹念に握っていなければならないだろう。

郊外の森林公園に足を踏み入れると、いろいろな動物の足跡が見られる。「キタキツネの足跡はモデル歩き」というのも、初めて知った。左右の足跡がほぼ 1列に並んでいる。1本のラインのように見えるのだ。キツネより体の小さいウサギやリスの足跡の方が、2列なので太く見える。

そしてキタキツネが木の回りを 1周して Uターンしてきた足跡を見ると、幅の広い 2列に見え、ものすごく大きな動物の足跡と錯覚する。しかし、例えばヒグマだったりしたら、もっとグローブのように大きな足跡になるだろう。

寒いことはとても寒かったが、1日で帰ってくるのが惜しいような素晴らしい初体験の連続だった。いつか冬の北海道のど真ん中に、ゆっくりと滞在してみたい。

 

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2018年2月24日

清涼飲料水とお酒のメーカーのエコ意識の差なのか

写真は、先日香典返しとしてもらってきたものである。段ボール箱の中に、このペットボトル入り梅酒と、茶葉が入っていた。

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で、梅酒はその日のうちに飲んでしまったのだが、処理がちょっと面倒だった。ラベルを見ると、ボトルは "PET" で、キャップとラベルは 「プラ」 (プラスティックゴミ) として処理するように指定してある。つまりこの梅酒は飲み終わった瞬間に、ボトル本体と、キャップ、ラベルが、別の種類のゴミになってしまうのだ。

まあ、別にそれが特殊ってわけじゃない。いわゆるペットボトル入り清涼飲料水は、大抵そんな具合だ。ただ、清涼飲料水の場合はほとんど、ラベルにミシン目がほどこしてあって、簡単にペリペリっとはがすことができる。ところがこの梅酒の場合は、びっしりと隙間なくラベルが巻かれていて、ミシン目がついていない。

つまりラベルを剥がそうにも、細いナイフなどの道具がないと容易には剥がせないのである。私は家の工具箱からカッターナイフを取り出してラベルとボトルの隙間にこじ入れ、ようやく剥がすことができたのだが、これからの季節、屋外で花見酒として飲むなんてことになったら、ゴミとしての分別は無理だろう。

清涼飲料水とお酒とでは、製造メーカーのエコ意識に差があるのかもしれないと思った次第である。

 

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2018年2月23日

東京都議会の風流すぎるポスター

下の写真は、羽田空港に行くモノレールで見かけた東京都議会の告知ポスターである。「街灯りに浮かぶ江戸桜に魅せられ 花の浮き橋を渡りゆく」 なんてコピーだが、決して観光ポスターではない。

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東京都議会の「第1回定例会」という割には、ちょっと風流すぎるというか、もっと率直に言えば呑気すぎるデザインである。「議員の頭の中、大丈夫なんだろうか?」なんて言い出す人もいるだろう。やはり違和感は覚えてしまうよね。

ただ、浮かれた呑気なムードなのは決して都議会議員というわけではなく(中にはそういう議員もいるだろうが)、このポスターのデザインをした人である。政治の堅苦しいイメージを避けたということではあるのだろうが、ちょっと避けすぎなんじゃないかなあ。

で、まあ、直接の問題はデザインした人の頭の中なんだろうが、二次的な問題は、やはり「うん、これでいいんじゃないの。春らしくて」なんて、軽い気持ちで OK を出しちゃった都議会の担当者にもある。担当以外の議員には「あちゃあ、やっちまった。これじゃいろいろ言われそうだな」と思う人もいるだろうが、大方はそんなことにも無頓着だったりするのかもしれない。

少しは「都議会運営に関し、いろいろとご批判はあるでしょうが、当事者としてはちゃんとやってるつもりですので、何分よろしく」というメッセージを、感じさせた方がいいんじゃなかろうかと思うがなあ。

ただ、こんなポスターがごくフツーに流れるだけで、「はい、一丁上がり!」で終わるとしたら、本当に問題にすべきなのは、受け取る側の感性の方だと言わなければならないかもしれない。なにしろ選挙での投票率も低いし、無関心だしね。

 

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2018年2月22日

旭川から帰ってきた

今朝の早朝の飛行機に乗って旭川まで行き、最終便に乗って帰ってきた。北海道にいたのは日帰りだが、昨夜と今夜は都内に泊まっているので、2泊 3日の日帰りという、妙なパターンである。

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旭川は一面の雪景色だった。朝に着いた時の気温はマイナス 10度だったが、風が弱いので、それほどの寒さは感じなかった。一日中屋外の取材だったが、なかなか楽しかった。そして午後 5時を過ぎた頃からかなりの寒さとなり、空港に着いた頃には震えるほどだった。

写真は、空港から市内に向かうバスから前方を写したもの。とにかく青空と白雪の 2色しかない世界だった。雪の質も乾いて軽いので、握っても雪合戦に使えるような雪玉にならない。内地とは雪質が違っていて、歩くとキュッキュッと鳴る。

無事に帰って来てほっとしているが、何しろ強行軍だったので疲れた。今日はこれにて失礼。

 

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2018年2月21日

韓国カーリング女子チームのややこしい事情

HUFFPOST に「韓国カーリング女子チーム、全員同じ名字 ⇒ 混乱避けるための秘策が想像を超えていた」という記事がある。

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韓国カーリング女子チームは、全員が「金」という名字なので "Team Kim" と呼ばれているらしい。全員の名前を挙げると、「キム・ギョンエ、キム・ヨンミ、キム・ソンヨン、キム・チョフェ、キム・ウンジョン選手」ということになるという。で、あまりややこしいので、全員に「英語名」を付けて解決しているというのである。

ところがその「英語名」というのが何とも珍妙で、「マリー」や「ナタリー」とかではなく、その日に食べた朝食がもとになっている。ざっとこんな具合だ。

キム・ウンジョンは、食べていたヨーグルトの商標から名前を取って「エニ」、キム・チョヒはチョコレートから「チョチョ」、キム・ヨンミは「パンケーキ」 となった。

キム・ソニョンは、片面だけ焼いた半熟の卵・サニーサイドアップを食べたので「サニー」。お肉が好きなキム・ギョンエは「ステーキ」になった。

ちなみに「エニ」とか「チョチョ」とかというのは、果たして「英語名」と言っていいのかなあ。私の耳には韓国人の名前にしか聞こえないが。

こんなややこしいことをするより、単純に名字でなく名前で呼べばいいじゃないかと思ったが、「いや、多分ややこしい事情があって、単純に名前で呼ぶわけにはいかないんだろう」と思い直した。試しにネットで検索してみたら、「韓国語の名前の呼び方」というページが見つかった。うぅむ、やっぱりね。

まあ、とにかくややこしくて、ざっと呼んだだけではわかりにくいのだが、まとめるとこんな感じらしい。

  • 相手が親しい、または目下の場合
    相手の名前の最後にパッチムがある場合:아(ア)を付ける
    相手の名前の最後にパッチムがない場合:야(ヤ)を付ける 

  • 相手が親しい、または目下の場合はフルネームではなく下の名前で呼ぶ

  • 야(ヤ)は名前の前には付けない

  • 相手が目上の場合はフルネームに씨(シ)を付ける

  • 役職がわかっている場合は名字に役職名で呼ぶ

とにかく、単純に「〜さん」とか「〜ちゃん」とか、名前の呼び捨てとかで呼ぶわけにいかないというのである。とくにスポーツの世界は上下関係がきびしいだろうから、呼び方だけで余計な気を使っていたら、試合の戦略に集中できなくなってしまうのかもしれない。とくにカーリングは試合中のコミュニケーションが大切だし。

とにかく(やたら「とにかく」が多いが、とにかく使いたくなってしまうのだよ)、韓国人の名前の呼び方については、ちょっと間違えたら喧嘩になってしまいかねないほどの、厳しい上下関係による「決まり」があると指摘するページがいくつも検索される。というわけで、余計な気を使わずに済む「英語(?)名」を付けたということなんだろう。

それにしても、もうちょっと気の利いた名前にしてもよかったんじゃなかろうかと思うのだがね。

それから、HUFFPOST の元記事でも混乱があるようで、1人は「キム・チョヒ」と「キム・チョフェ」の 2通りの表記があって、どっちが妥当なんだかわからない。

 

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2018年2月20日

米国の金持ちも辛いのだね

一旗揚げた後は、温暖なフロリダで優雅な老後を過ごすというのが、多くの米国人の憧れる暮らしだと思っていたが、なんとそうは理想通りには運ばないことがあるようだ。自宅の敷地内に突如大穴が開くというケースが相次いでいるらしい。(参照

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記事によると、地面が陥没するメカニズムというのは、「地下にある岩や土でできた層が地下水に浸食され、地中で徐々に陥没していくことで形成される」とある。秋吉台などの鍾乳洞ができるメカニズムと共通していて、地中に空洞ができたところの上に住宅なんか建てて、足元の地層がさらに浸食されたら穴が開いても不思議はない。

これには「少しずつ進行する沈下型と、突如として崩落する崩壊型の2種類」があるというのだが、フロリダでは突如として崩落するタイプの陥没が稀ではないらしい。結構コワいよね。ニュースに添付されたビデオをみると、フロリダ半島の中央部西側に赤いドットで示されたところが多く、これはすべて陥没した土地を示している。こんなところによく住んでいられるものである。

ニュースのインタビューに応じたティナとジョンのファーロウ夫妻の自宅も、あちこちに穴が開いて、家の床や天井にも何本もの亀裂が走っている。ところが、画面に登場する夫妻はあまり深刻な表情ではなく、妻のティナさんなんて、いつも微笑を湛えている。さすが米国の金持ちで、鷹揚なものなのである。

このくらい鷹揚に構えていないと、どうしようもないのだろうね。必要以上に深刻でアンハッピーな顔をしていても、「どうせ金持ちなんだろ」ってなもんで、あまり同情なんかしてもらえないのかも知れない。米国の金持ちも、つらいのである。

私としては、陥没問題そのものより、このあたりのことに興味を覚えてしまったのであった。

 

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2018年2月19日

来週からは春の気配が感じられるらしい

ウェザーニュースのお天気キャスター、増田雅昭氏によると、冬の寒さが続くのは今週で終わりになるだろうということだ(参照)。長かった冬もようやく先が見えたということか。

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「来週は、『おっ、春が近い』という暖かさの日が出てきそう」というのだが、そりゃそうだ。そうでなければ困る。この予報、信じる。裏切られたらかなり辛いだろうが、とにかく信じないではいられない。何しろ 2月は短いから、来週の木曜日はもう 3月 1日なのだよ。梅がどんどん咲き始めてもいい頃なのだ。

関東付近の季節感としては、長らく 2月中旬過ぎれば「春っぽくなってくる」という実感があった。ところが最近は冬と夏がやたらと長く、春と秋が短い。11月から 2月までの 4ヶ月は冬で、5月から 9月までの 5ヶ月間が夏。残りの 3、4月の 2ヶ月間が辛うじて春で、秋となると、10月の 1ヶ月しかないという印象である。

いや、もしかしたら、4月の後半はもう夏で、春は 3月から 4月前半の 1ヶ月半だけかもしれない。東日本大震災のあった 平成23年 3月 11日からしばらくなんて、冬の季節風が吹きまくっていた。おかげで原発の放射能が内陸まで入り込むのが最小限で済んだと思っているのだが。

昔は春夏秋冬がきれいに 3ヶ月ずつあって、春と秋を穏やかに楽しめた。ところが最近は天気が極端化していて、モデレートな季節が短くなってしまった。今年もあっという間に春が過ぎて、夏が来るだろう。自然は帳尻合わせしたがるところがあるから、冬が寒かった分、夏は暑くなるんじゃあるまいかと、覚悟を決めている。

いずれにしても、北海道の旭川に行くのは今週のことだから、春の気配なんて期待しないで行くほかないだろう。

 

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2018年2月18日

「きれいなだけの女性」 って、退屈なんだよね

元オリンピック選手のオーストラリア人女性コメンテーターが、平昌オリンピックのテレビ実況中継で、「中国人はみな同じに見える」と差別的な発言を行なったと話題になっている。当人はパフォーマンスが皆似ているという意味で言ったのだと言い訳しているらしいが。(参照

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これ、かなりナイーブな発言である。ここでいう「ナイーブ」とは「幼稚な」という意味だ。こんなことを言ったら差別発言として問題になるに決まっているのは、過去の例からも明白ではないか。ただ、私の率直な感想を述べるとすれば、今回のオリンピックの観客席にいる韓国女性の顔の方が、よっぽど同じに見えてしまう。

毎回の「ミス・コリア」選考会でも話題になるのだが、韓国女性は整形をするのが盛んらしく、しかもその結果が本当に同じ顔に見えて区別が付かない。で、オリンピック観客席にも似たような「コリアン・ビューティ顔」がずいぶんいるのである。まあ、確かに美しい顔立ちではあるんだけどね。

韓国では「美人の基準」というのが画一的すぎるんじゃないかと言われている。ただ、「美」と「個性」というのは捉え方が難しく、下手に「個性的な顔立ち」なんて言ったら、我が国でも不興を買ってしまうことの方が多いし。

で、結局のところ何が問題なのかというと、要するに「見た目」を優先させがちというか、もっと言ってしまえば、女性にあまり「内面」を求めないという価値感がいけないんじゃないかなあ。要するに女性蔑視なのだよ、きっと。

私の感覚で言うと、「きれいなだけの女性」って、退屈なんだよね、悪いけど。まあ、これは「ハンサムなだけの男」も同様なわけだが。

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2018年2月17日

飛行機にするか、新幹線にするか、エンドレスの議論

神戸、姫路への出張から戻ったばかりである。先月は広島に行って来たし、今月初めは八戸まで行った。海外出張と比べれば全然大したことないが、それでも青森だの大阪以西だのいうのはちょっとした長距離移動である。

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遠くまで旅するとき、飛行機を使うか新幹線で行くかという選択が、かなり議論になる。人それぞれに好みやポリシーみたいなものもあって一概には言えず、エンドレスの議論になりがちだが、私の場合は案外単純で、原則的に本州内の移動だったら鉄道で、北海道、九州に行く場合は飛行機を選ぶ。

ただ、本州内でも新幹線がフルに利用できない山陰に行くときは、鳥取県までなら鉄道だが、島根県だと飛行機だったりすることもある。四国の場合は、香川県は鉄道で行くことも多いが、徳島県、愛媛県、高知県なら飛行機だ。ただし、遠方でも途中で寄り道する用があると、鉄道を乗り継いで 3日がかりで長崎に行ったりすることもあり、そんな時にはさすがに腰にきてしまう。

一番議論の分かれるのが広島あたりに行く時で、私がいつも新幹線を利用すると言うと、「暇だなあ、飛行機の方がずっと短時間で行けて、早割を利用すれば運賃だって安いのに」と言う知人が何人もいる。まあ、確かにそれはその通りだ。

しかし私はなにしろ茨城県の片田舎在住なので、羽田空港まで行くだけで結構時間がかかるのだよ。東京駅までの方がずっと気が楽だし、東北、上越新幹線なら上野から乗れる。それに飛行機は搭乗手続きもあるし、実際に乗り込むのに 1列に並んで延々と時間がかかったりする。実際に飛んでいる時間は短くても、その前後に要する時間を考えると、決して圧倒的に短時間で済むわけじゃない。

それに、飛行機の場合は地方に行くほど便数が少ないし、鉄道の方がまだフレクシブルに移動できる。さらに、急に出張が決まることも多いので、いつも早割が利用できるわけでもない。そんなこともあって私としては、北海道や九州でなければできるだけ鉄道にしたいのである。それに鉄道は飛行機と違って、落ちて死ぬこともないしね。

来週は旭川に行くし、来月は北九州に行く。旭川に行く飛行機の便は既に予約したが、北九州ぐらいだったら、関門トンネルを潜って鉄道にしたい気もするのだよね。どうしようかなあ。

 

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2018年2月16日

極寒の土地から、生きて帰りたい

神戸に出張している。今夜前泊して明日中に仕事を終え帰る予定だ。先月下旬にも大阪に出張したが、その時は米原付近は完全に雪野原だった。今回はかなり解けていて、写真にあるように北の斜面が少し白くなっている程度である。

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日が暮れても、先月ほどは寒くない。ただ、これで寒さはおしまいというわけではなく、天気予報のサイトを調べてみると、「週明け 関東で雪予想 降る時間と影響」なんてことになっている。ちょっとイヤな感じだ。

私は来週半ばに、なんと北海道の旭川に出張の予定があるのだよ。旭川といえば、1902年 1月 25日と、100年以上前の話だが、マイナス 41度という日本の最低気温を記録した土地である。富士山頂よりまだ寒い記録だ。今回は立春過ぎだからそんなにべらぼうな寒さにはならないだろうが、かなりコワい気がする。

ウェザーニュースのサイトで調べてみると、来週半ばの旭川は、最高気温がマイナス 6〜7度(最低気温ではなく、最高気温だよ)、そして最低気温はマイナス 13度になると表示されている。いやはや、一体どんな格好をして行ったらいいのだろう。

とにかく生きて帰りたいものである。

 

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2018年2月15日

「かんばしい」と「かんばせ」は別々の成り立ちの言葉

「元々からして別の言葉なんだろうな」と思いつつも、敢えてきちんと調べてみたことのない言葉に、「かんばしい」と「かんばせ」というのがあった。とくに「かんばせ」の方は死語になりつつあると思う。

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改めて辞書にあたってみると、「かんばしい」は次のように出ている。

かんばし・い 【芳しい/×馨しい/▽香しい】 の意味

[形] [文] かんば・し [シク] 《「かぐわしい」の音変化》
1  においがよい。こうばしい。「―・い花の香り」 「栴檀 (せんだん) は双葉より―・し」
2  (多く打消しの語を伴って用いる) 好ましいもの、りっぱなものと認められるさま。「成績が―・くない」
[派生] かんばしげ [形動] かんばしさ [名]
類語  香ばしい (こうばしい) かぐわしい

一方、「かんばせ」 はこうだ。

かん‐ばせ 【▽顔】 の意味

《「かおばせ」の音変化》
1 顔のようす。顔つき。容貌 (ようぼう) 。「花の顔」
2 体面。面目。「何の顔あって父母にまみえんや」

いずれも Goo 辞書からの引用だが、「かんばしい」は「芳しい」と表記するように、「においがよい」というのが元々の意味で、「香ばしい (こうばしい)」「かぐわしい」が類語になっている。「栴檀は双葉より芳し」というのは、元々の意味に沿っているが、「好ましい」という一般的な意味の場合は 「成績がかんばしくない」「かんばしい結果ではない」などと、もっぱら否定形で用いられることが多い。

そして「かんばせ」という語の漢字表記は「顔」になるというのを、今回調べてみて初めて知った。「顔つき」「体面」の意味がある。用例としては、芭蕉の『奥の細道』で、松島の様子を「その気色(けしき)、窅然(えうぜん)として美人のかんばせを粧(よそほ)ふ」 というのがよく知られているが、最近では「花のかんばせ」以外の用例を知らない。

「かんばせ」 がほとんどいい意味で用いられるので、「かんばしい」の名詞形が「かんばせ」のような気がするほどだが、実際は語源も違っていて、まったく別の言葉というのが確認された。漠然とは思っていたが、調べてみるものである。

そして近頃では「かんばしい」はどういうわけか、主に否定形の用法として生き残っているような気がする。「あまり芳しいものとは言えない」とかね。そして「かんばせ」の方はどんどん死語になっていくのだろう。

 

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2018年2月14日

松井須磨子の歌、下手っ!

先日妻との話の中でなぜか「『カチューシャの唄』ってどんなんだっけ?」という話になり、「『リ〜ンゴ〜の花ほころ〜び、川面〜に霞み立ち』でしょ」とやったら、「それはロシア民謡の『カチューシャ』で、『カチューシャの唄』は松井須磨子の歌よ」と言う。

『カチューシャ』と『カチューシャの唄』は、明確にタイトルも違っているというのを、この年になって初めて知った。さらに 『カチューシャの唄』の方は、「カチューシャかわいや、別れのつらさ〜」以後の歌詞もメロディも知らないということに、改めて気付いたのだった。

さて、どんな歌だったんだろうと YouTube で検索したら、「復活唱歌(カチューシャの唄) ~松井須磨子~」というのが出てきた。「へえ、こんなのが残ってたんだ!」と驚いて聞いてみたのだが、思わず「下手っ!」と吐き捨ててしまったのである。

まあ、上の画像をクリックして聞いてみれば誰でもわかると思うが、単に口先でつぶやいているような発声で、モロに音痴ってわけでもないのだが、音程もかなりアヤシい。 「日本初の歌う女優」と言われる松井須磨子って、この程度のものだったのか。

あまりのことに、同時に検索された『ゴンドラの歌』の方も聞いてみると、初めの方に芝居のセリフが入っているというオマケがついていたものの、歌になってみると『カチューシャの唄』に輪をかけた下手さ加減である。その後に入っている森繁久弥版の方が何倍もいい。

「にっぽんの旧聞」というサイトに "駄作「マッサン」と「ゴンドラの歌」(1)" というページがあり、そこに 1968年 1月 12日付朝日新聞からの次のような引用がある。孫引きになってしまうが、紹介しておこう。

「ひどい声でしたね。親父の佐藤紅緑が帝劇に作品を出していた関係でお須磨さんの舞台はほとんど見ましたがね。まるで歌にもなんにもなっていない」 —— サトウハチロー氏

「まるっきり落第です。お須磨さんという人は一種のオンチじゃなかったかと思うんです」 ——時雨音羽氏。悪評さくさくである。

とまあ、こんな具合だ。当時から「松井須磨子の歌は下手」と認識されていたらしい。それでも絶大な人気だったというのだから、世に「最近のアイドルたちの歌は、下手すぎる」と嘆く御仁が多いが、アイドル(的な存在)の歌なんて、今に始まったことじゃなく、昔から下手と相場が決まっていたのかも知れない。

改めて興味が湧いて、今度は佐藤千夜子の歌を聴いてみようと探してみた。「日本初のレコード歌手」で、『東京行進曲』 の大ヒットでも知られる存在である。それもすぐに見つかった。こんなのである。

う〜む、東京音楽学校(現・東京芸術大学)に在学していたという割には、「へえ、この程度のものなの?」という印象である。音源の質の悪さを割り引いたとしても、特別うまいわけでもなんでもない。今の芸大には絶対に入れない。

いろいろ考えてみたが、昔の日本人というのは西洋音楽に馴染みがなくて、音符を読める人も稀だったのだから、この程度の歌でもずいぶんハイカラで上手に聞こえてしまったのかもしれない。うむ、きっとそうなのだ。多くの人は民謡や小唄なら歌えても、西洋音階の歌は「毛色の変わった別物」だったのだ。

それを裏付けるように、彼女の『須坂小唄』というかなり日本調の歌を聴くと、『東京行進曲』なんかよりもずっと生き生きと歌っているように聞こえてしまうのだ。まさに「日本人の血」のなせるわざである。

日本人の西洋音楽感覚がまともにこなれてきたのは、佐藤千夜子以後のことなのかもしれない。彼女が途中でイタリアに渡り、1934年に帰国してみると「日本国内での復帰を目指すが、若手の台頭などもあり、果たせず終わる」と Wikipadia にある(参照)のも、そうした事情があるのだろうと察せられる。

佐藤千夜子以上の歌をフツーに歌える人材は、短期間のうちにいくらでも出てきたのだ。老人たちが「昔の歌手は、基本ができていてうまかった」なんて繰り言を言うのも、彼らの聞く耳ができていないというだけのことという可能性も大なのである。

昔の日本人が西洋音楽をまともに歌えなかったというのは、もしかしたら、今の若い連中が和音階の歌、例えば小唄や都々逸をまともに歌えないことの裏返しなのかもしれない。

 

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2018年2月13日

「雪道で滑ったら前に倒れろ」という無理難題

先日の大雪の時、自宅でシコシコ仕事をしながらラジオを聞いていると、雪道での転倒事故が相次いでいるというニュースが流れた。米国でも、滑って転ぶのは障害事故原因の多くを占めるという(参照)から、大きな問題だ。なにしろ、シロクマでも滑るときは滑るというのだから。180213

転倒事故多発のニュース受けた番組進行役の男性パーソナリティ(とくに名を秘す)は、「雪道では後ろに転ぶと、尾てい骨や後頭部を打って大怪我することがありますから、転ぶならできるだけ前に転ぶようにしてください」と、いかにももっともらしく呼びかけている。これだから、トーシロは困る。雪道で咄嗟に前に転ぶことができたら、誰も苦労しない。

一体どうやったら、雪道で滑って前につんのめることができるというのだ。雪道での転倒は、ほとんど後ろにひっくり返ってしまうものなのである。たとえ注意して歩いていたとしても、転ぶときは大抵尻餅ついてしまう。前につんのめってアイスバーンに顔面強打したなんて話は、聞いたことがない。

これはもう、物理的な道理なんだからしょうがない。前に出した足がツルンとすべり、そのベクトルを維持したまま前の方に跳ね上がるから、残された体は当然のこと、後ろにひっくり返る。前に転ぶというのは滑った場合じゃなく、何かに躓いた時である。原因としては正反対なのだ。

それだからこそ、「雪道では滑らないように、足の裏全体を着くように歩きましょう」というのである。これ、経験がないとあまりよくイメージできないかもしれないが、要するに、凍った地面に足全体を真上から着地させるようにすればいいということだ。

真上からおろせば、たとえビミョーにスリップしても大きなベクトルが働かず、少なくとも足が前に跳ね上がるなんて最悪の事態にはつながらない。いくら足の裏全体をついていても、滑らすような歩き方をしていたら、転ぶときは転ぶ。

というか、そもそもの話をすれば、都市人間は底がツルツルの靴なんか履くからいけないのだ。クルマでも「ノーマル・タイヤじゃなく、スタッドレスに換えましょう」と言われるのに、底が文字通りツルッツルの靴で雪道に出たら、そりゃ、どんな歩き方をしても滑るさ。お洒落っぽい靴を履いた女性なんか、ちょっとした雨でもタイル床で滑りまくってる。

 

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2018年2月12日

おっちょこちょい話の教訓

朝、クルマを運転しながら TBS ラジオを聞いていたら、聴取者から寄せられたいろいろな「おっちょこちょい話」というのが紹介されていた。

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思わず笑ってしまった 2つの話を紹介すると、まず最初は娘に 「〇月〇〇日、学校に早く行かなければならないから、クルマで送ってね」と頼まれたお父さんが、「いいよ、でも、〇月〇〇日までには間がありすぎて、お父さん忘れちゃうから、もう一度言ってね」と言ったというお話である。すると娘がその場で、「〇月ぅ、〇〇日にぃ、クルマでぇ、送ってね!」とダメを押しした。なるほど、文字通りの「もう一度」である。

2つめは、どこかのレストランだったかに家族でクルマで行ったとき、駐車場に止まっていた前のクルマが、車種も色も同じだったという。「お母さんそそっかしいから、帰る時、間違って前のクルマに乗っちゃいそうだよね」と言ったとたんに、見知らぬオッサンがいきなりドバッとドアを開けて乗り込んでこようとした。そそっかしいのは、前に止まっていたクルマのドライバーの方だった。

この話を聞いて、死んだ母親のことを思い出した。やはり家族で外食したとき、レジで会計を済ませている間に、母は「先にクルマに行ってるね」と出て行った。ところが、我々がクルマに行って乗り込んでも、母の姿がない。「トイレにでも行ったのかな」と思ってしばらく待ったが、なかなかやってこない。

「もしかして」と、ちょっと先に止まっていた同じ色のクルマの後部座席を見に行くと、母が澄ましてちょこんと座っていた。あまつさえ、ウィンドウをチョンチョンと突ついて合図すると、「今まで、一体何をぐずぐずしていたの!」と怒られてしまったのであった。

これは母だけではない。ウチの次女も、ちょっと前に自分のクルマと思って乗り込んだら、運転席のあまりの乱雑さに 「???」になってしまい、ようやく他人のクルマと気付いて慌てて逃げ出したことがあると言っていた。「血は水よりも濃し」とはよくぞ言ったものである。

教訓その 1、駐車場では、自分のクルマの停めた位置を、しっかり覚えておくこと。そして教訓その 2は、駐車場にクルマを止めたらちゃんとドア・ロックしておかないと、見知らぬオバサンが澄まして乗っていることがあるので、驚いてはいけないということである。

 

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2018年2月11日

"SHOO・LA・RUE" という名のブティック

最近、どこのショッピング・モールに行っても "SHOO・LA・RUE" という名のブティックが目立つなあと思って、ちょっと調べたらワールドの直営店だった。そういえば、店の看板にもワールドのロゴが付いてるし。過去にアパレル関連の仕事をしていた身としては、今まで気付かなかったのはかなり迂闊なことだった。

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で、今日の記事はワールドの宣伝をしたいというわけでは全然ない。"SHOO・LA・RUE"という店名についてである。

若い人たちはこれ、「何のおまじない?」と思うかも知れないが、1960年代のフォークソングに親しんでいた人なら、一発でわかる。Peter, Paul and Mary のヒット曲、"Gone the Rainbow"(邦題 「虹と共に消えた恋」)の有名なリフレインで、のっけから「シューシュー、シューラールー」というリフレインを聞くことができる。

ワールドにも定年ギリギリだろうが、当時のフォークソング・ファンだったスタッフがいるんだなあと、ちょっと懐かしいような気分になってしまった。自慢じゃないが、私は今でも PPM の曲なら 10曲以上は弾き語りできる。歌とギターは Peter Yarrow のパートだ。Paul Stookey と Mary Travers のパートを担当してくれる人が現れたら、一瞬にしてコピー・バンドができる。

いやいや、こんな話をしたかったわけでもない。じゃあ、何が言いたかったかというと、この "SHOO・LA・RUE" という名前は、洋服を売る店の名前にしちゃったら、もったいないじゃないかということだ。せいぜい、昔のフォークソングを知っている 60歳以上のオバサンが喜ぶだけだろうが、売ってる服はもう少し若向けみたいだし。

残念なことに、何の芸もなく洋服屋の店名にしてしまったものだから、他の店の名前としては使えなくなっちゃった。私がワールドの社員だったら、絶対にちょっとだけスペルをアレンジして、"SHOE LA RUE" という名前の靴屋を展開するところだがなあ。ああ、残念。

この洒落はなかなか通じにくいかもしれないが、同じことを思っている人は、日本中に少なくとも、もう 20〜30人はいるはずだと、自信満々で言う。

【2月12日 追記】

妻にも聞いてみたが、やはり 「そりゃあ、『シュー・ラ・ルー』 っていう名前の店だったら、靴屋さんと思うわよねぇ」 と言っていた。やっぱり、それがフツーの感覚じゃないかなあ。まあ、トータル・コーディネートのために「靴も売ってないわけじゃない」ってことのようではあるが。

それに、そもそもの話だが、"SHOO・LA・RUE" というロゴの単語の間の 「ナカグロ」 は、ありゃ一体何なんだろう?

【2022年 1月 8日 追記】

なんだかずっと気が晴れない思いがしていたのだが、その原因がわかった。PPM の "Gone the Rainbow" の歌詞は、 "Shule, shule, shule-a-roo" だった。スペルが全然違う(参照)。道理でおかしいと思ったよ。

 

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2018年2月10日

春の日射しを味わっている

立春が過ぎても日本のあちこちで寒さが続いているが、ここ関東は、日のあるうちは少しは温かい陽気になりかけている。北陸の大雪に難儀している方々には気の毒だが、ここ、筑波の里は何となくいい気持ちだ。

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上の写真は、裏の川に集まる鳥たちである。明るい日射しを反射する川に降り立ち、川底の虫を啄んでいる。この 2〜3日は、夜明け前の最低気温も零度となって、マイナスの付く気温ではなくなった。来週あたりからまた寒波が復活すると言われているが、今のところは少しはしのぎやすい。

再来週は北海道に仕事で行くことになるので、今のうちに早春の温かさを味わっておこうと思う。今日のことろはこれにて。

 

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2018年2月 9日

「反射式石油ストーブ」 というのを買った

昨日、「反射式石油ストーブ」というのを買った。前に使っていた「対流式石油ストーブ」が、40年近く経っておシャカになってしまったので、こちらに買い換えたのである。

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何でまた、こんなに旧式のものを買ったのかというと、何らかの災害などで停電にならないとも限らないので、電源につながなくても使えるタイプの暖房を、一つは確保しておく方がいいと考えたからだ。というわけで、上の写真のタイプのものを買ったというわけである。

実は、2011.3.11 の東日本大震災の後、私は 2年以上にわたって自分の仕事部屋のエアコンのコンセントをつないでいなかった。政府が「原発を維持しないと電力供給が確保できない」などとデタラメを言うので、「ああ、それなら冷房も暖房も使わないよ。文句あるか!」ということだったのだ。

3年経って、さすがに極力控えめにエアコンを使うようになったが、それでも設定温度はものすごくモデレートなレベルにしている。そして昨日、この「反射式石油ストーブ」というのを使ってみたのだが、使い勝手はかなり前時代的だ。なにしろ温度設定ができないので、アナログのダイヤルで微妙に調整しなければならない。多少の慣れが必要だ。

コストに関しては、灯油の値段が昔より上がっているとはいえ、私の部屋のエアコンは時代物なので、少しは安上がりになるだろうと思っている。ただ、CO2 排出削減のためにも、化石燃料はできるだけ控えたい(日のあるうちは、エアコンの方が屋根の太陽光発電パネルで発電した電気を使えるし)ので、目に見えるほどの違いは出ないんじゃないかと思う。

要するに、「停電になっても最低限の暖房は確保できる」というだけのことだが、それだけでも多少の安心感はあるよね。

 

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2018年2月 8日

小学校の「標準服」ってのが 8万円だそうで

"銀座・泰明小  新1年生に「アルマーニ」 保護者の反応は" という毎日新聞の記事の見出しに驚いてしまった。

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毎日新聞は次のように伝えている。

東京・銀座にある中央区立泰明小学校(334人)が、4月に入学する新 1年生の 60人から、イタリアの高級ブランド「アルマーニ」がデザインを監修した「標準服」に変更する方針を示し、保護者から疑問や批判の声が上がっている。

何しろ、「標準服は上着やシャツ、ズボンなどをそろえると計約 4万 5000円と現在の 2.5倍になり、セーターなどを加えると 8万円を超す」 というのだから、私が普段仕事で来ている服の 8倍ぐらいの金額になる。さすがに銀座の泰明小学校である。

さらに面白いのが、日刊スポーツに出ている麻生太郎氏の、「まあ、高けえちゃ、高いでしょう。あなたの背広がいくらか知らないが、8万円は高いものだと思う」というコメントだ(参照)。この記事にはさらに麻生氏の次のような「ぶっちゃけ情報」まであって、私としては高く評価しちゃいたいと思う。

その上で、泰明小学校について、自身が自民党の文教部会長時代、児童数が少なかった小学校の統合に当たった経験を持ち出し、「(泰明小を)つぶそうとしたが、銀座のすし店のオヤジから何から『おれの母校だ』とえらい勢いで言われ、これでは銀座を歩けないと思った。えらい伝統のある学校だと思った」との認識を示した。

というわけで、まあ、「フツーのジョーシキ」にはかからない小学校のようなので、私としては 10万円でも 20万円でも「勝手にしたら?」と思うばかりだが、その割に、上の写真がまるで倉庫から出してきたばかりみたい雰囲気で、 笑っちゃうのだよね。

背景などの舞台設定なんかには全然気を使わない小学校のようなのだ。さらに、敢えてこのアングルと背景で撮影したカメラマンの、「無言の主張」も感じてしまったりするし。毎日新聞のカメラマンの「隠れたヒット」だと思う。

 

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2018年2月 7日

昆虫食、ドンと来い!

今年 1月から EU で「昆虫食」の取引が自由化されることが、昨年夏に決定されていたわけだが、それを受けて、コオロギのクラッカーなどの販売が開始されているというニュースを、ラジオで聞いた。帰宅してからネットで検索してみると、Wired に "コオロギを食品にするスタートアップが描く「新しい食生活」 ── クラッカーからパスタ、デザートまで開発" というニュースがアップされている。

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商品化したのはイタリア人で、商品名は "crickelle" というらしい。ニュースに添えられた写真をみるとごくフツーのクラッカーで、コオロギを粉末にしてクラッカーにしたらしい。上に挙げた 「イナゴの佃煮(甘露煮)」みたいなものとは完全に趣きが違っている。

昨年夏の自由化発表の際の調査でも、イタリア人の 47パーセントは食用昆虫の取引自由化に賛成で、28パーセントは「実際に昆虫を食べることに関心がある」と答えている。これはそれほど驚くようなことではなく、世界では昆虫食がかなり普及していて、南米では当たり前のことと言われている。

かくいう私の育った山形県庄内地方でも、イナゴの佃煮はごくフツーのメニューだった。昔は秋の田んぼを捕虫網でざっと掬えばどっさりイナゴが捕れたのだから、これを晩秋から初冬のタンパク源としない手はなかった。

そんなわけで私は、イナゴの佃煮がなかなか手に入りにくくなった今でも、あの独特のチャリチャリした食感を懐かしく思い出すことがある。「気持ち悪くて食べられない」なんて言う人の気が知れないのである。

とくに最近は完全にビーガンというわけではないが、肉食を極力避けているので、イナゴは問題なく食えても、牛や豚の方にずっと心理的抵抗がある。外食などで間違えて牛や豚の肉を食ってしまうと、「ありゃ、口の中に変なものが入って来てしまったな!」と思ってしまう。「こんなもの、どうして昔は『美味い』なんて思ってたんだろう」と、不思議なほどで、近頃では見た目すら気持ち悪く感じる。

いずれにしても、昆虫食は牛や豚を食うよりもずっと環境負荷が少ない。カロリー当たりのエネルギーと水の消費が格段に小さくて済むので、世界を食糧問題から救うのは昆虫食だとまで言われている(参照)。

イナゴやコオロギが気持ち悪くて食えないなんて言う人には、「そんなこと言いながら、よくシュリンプが食えるね」と言いたくなってしまうのだよ。あれって、形は虫そのものだけど、やっぱり、あの赤みが心理的抵抗を消してしまうのかなあ。

 

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2018年2月 6日

杏仁豆腐って、大豆でできた豆腐と無関係だったとは

世の中に知らないことというのはいくらでもあるもので、今日、杏仁豆腐が大豆でできた「豆腐」じゃないことを知って愕然としてしまった。名称が「杏仁豆腐」というぐらいだから正真正銘、豆腐のバリエーションの一つと何十年も思っていたのだが、まったく別物だというのである。

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久しぶりに妻と 2人で中華料理店で夕食を食べた際に、「杏仁豆腐の『杏仁』って何なんだろう?」と言うと、妻が「杏の種の中の芯みたいなものらしいわよ」と言う。本当かなあと、iPhone を取り出して Wikipedia に当たってみると、確かに「アンズの種子の中にある仁(さね)を取り出したもの」とある(参照)。妻は食べ物に関しては実に博学だ。

「へえ、じゃあ、『杏仁豆腐』って、豆腐を杏の種で加工したものなのか」と言うと、彼女は呆れて、「杏仁豆腐は豆腐じゃないわよ。あなた、何度も食べてるのに、わかってなかったの? いかにもミルクっぽいじゃない」と言う。完全に意表を突かれた。

「そ、そりゃ、確かに豆腐っぽさは薄いけど、豆腐に杏仁ってものをマゼマゼして加工すると、こんな感じになるのかとばかり思ってた」と言うと、彼女は信じられないような顔をしてこちらを見る。いやはや、こっちだって信じられないよ。

ちなみに Wikipedia で「杏仁豆腐」を調べると、次のようにある(参照)。

杏仁を細かく砕き、さらにすりつぶして搾り取った白い汁を寒天で冷やし固めてから、菱形に切り、甘いシロップに浮かせて作るとあるほか、杏仁霜(杏仁の粉末)やミルク・アーモンドエッセンスなどで白い色や香りをつけた簡便な作り方の方がより一般には多く広まり、果物を混ぜ込んでフルーツポンチ風に華やかにしたものも多く、この様な香港式の物が日本人になじみ深い。

むむむ、確かに豆腐とは関係がない。じゃあいっそ「杏仁豆腐」なんて名前、付けるなよ。紛らわしいから。

ちなみに「杏仁」はフツーの食べ物に使う場合は「アンニン」というが、漢方薬として用いる場合は「キョウニン」というらしい。ふむ、確かに養命酒か何かの CM で「キョウニン」という名を聞いたことがある。それって、薬でもあったのか。いやはや、本当に世の中は知らないことばかりである。

 

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2018年2月 5日

名護市長選の結果は、私の予測通りだったんだよね

後出しジャンケンみたいなことになら誰でも言えると批判されてしまいそうだが、私は名護市長選では(残念ながら)保守系が勝っちゃうだろうと予想していた。ただ前もってそんなこと書いちゃったら語弊がありすぎる気がして、触れずにいた。

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沖縄についてはそれほど詳しいわけでもなんでもないが、何人か友人、知り合いはいる。彼らに米軍基地について聞いてみると、「そりゃ、ない方がいいさ」と言う。今回の選挙直前の世論調査でも、名護市民の 60%以上は「米軍基地移設に反対」の意向を示したという。しかし選挙結果はそれを裏切る形となった。

日本の世論で特徴的なのは、「総論賛成(あるいは反対)、各論ムニャムニャ」ということになりやすいということだ。60%以上の市民が「基地移設反対」なのに、それを最大の公約とした稲嶺氏は落選し、それについては一言も触れなかった渡具知氏が当選したのは、「各論ムニャムニャ」の構図を見事に反映した結果である。

稲嶺陣営は「基地問題をはぐらかされた」と不満を述べているらしいが、現実論で言えば、彼らの方が「基地問題にこだわりすぎた」のである。名護市民としては、「そりゃ、基地が来たら困るだろうが、生活の苦しいのはもっと困る」という本音が出たのだろう。

私は何度か「戦争がなくならないのは、『平和は総論で語られ、戦争は各論で説かれる』から」と書いているが、美しい総論は、具体的に腹の足しになる(ような気がする)各論に、いつも負けてしまうのだ。それで今回の選挙も、「経済のこと、もっと考えた政治をしようと思ってるんで、アッチの方のことは……、まあ、わかってるよね」で通してしまった渡具知陣営の勝利となってしまったわけだ。

ただ、こんなやり口が通用するというのが既成事実になりすぎたら、日本の政治はますます堕落すると思うがなあ。腹の足しになる各論が常に優先してしまったら、美しい総論は負けっ放しになる。そしてついには戦争につながるのだ。

で、そんな堕落を防ぐためにも、私としては稲嶺陣営には、保守陣営に負けない各論的戦略をもって選挙をしてもらいたかったところである。「とにかく反対!」という総論一点張りでは、腹の足しになる「各論」に負けてしまうのだ。

 

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2018年2月 4日

「寒暖差アレルギー」 というものを初めて経験した

先月末から 今月 1日にかけて、鼻水が止まらない症状に見舞われた。この間は、八戸と高崎に出張していたので、仕事しながら流れ出る鼻水と戦っていたのである。

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風邪じゃないので、熱もないし咳も出ない。かったるくも何ともないのに、とにかく鼻水だけが止まらず、ティッシュ・ペーパーを山ほど消費してしまった。「こんなに寒いのに、今年はもうスギ花粉が飛び始めてるんだろうか?」と思ったが、どうやらこれは花粉症ではなく、「寒暖差アレルギー」というものだったらしい。

『マイカラット』というサイトに "風邪じゃないのに鼻水が止まらない…。もしかして「寒暖差アレルギー」かも?" というページがあるのを見つけて、早速読んで見ると、まさに一昨日までの私の症状とほぼ一致する。昨日あたりから少しだけ寒さがゆるんだとたんに、症状がなくなったのだから、少なくとも花粉症ではなく、やはりこの「寒暖差アレルギー」だったんだろう。

件のページを読んでみると、寒暖差アレルギーは「自律神経の乱れが原因で起きる異常」で、正式には「血管運動性鼻炎」と言うのだそうだ。「アレルギー」とはいいながら、アレルゲン(アレルギーを引き起こすモト)は存在せず、急激な気温変化に自律神経がうまく対応できずに生じるものなのだそうだよ。私も結構デリケートなのだね。

この 「寒暖差アレルギー」 の症状は、次のようなものであるらしい。

    • 鼻水がサラサラ
    • 熱は出ない
    • 目の痒(かゆ)みもない
    • イライラなど、精神面に現れる
    • 急激な温度変化によって発症する
    • 採血などのアレルギー検査で異常が出ない


私の場合、上の 3つと、5番目の項目はモロに当てはまった。他の 2項目は、「イライラなど、精神面に現れる」ということはなく、「採血などのアレルギー検査で異常が出ない」ということに関しては、そんな検査はしていないので、なんとも言えない。

「精神面に現れる」 という項目の詳細を読むと、「イライラする、疲れやすい、寝付けない、食欲がないといった、精神的な症状が現れることがあります」とあり、ということは、現れないこともあるということだろうから、私は「まだマシ」というケースだったんだろう。

寒暖差アレルギーの対処方法は、「衣類などで温度調節をする」「体を暖める」「適度な運動」「規則正しい生活リズム」なのだそうだ。私の場合は、適度な運動は続けていたが、「伊達の薄着」が災いしたもののようだ。

出張から戻り、昨日あたりから多少寒さが揺るんで、とくに今日は日本全国で関東だけが立春らしい気候になったらしいので、私の「寒暖差アレルギー」の症状はすっかり消えてしまった。明日辺りから関東にも再び寒波が流れ込むらしいので、しっかり体を暖めて、あんな症状が再発しないようにしよう。

 

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2018年2月 3日

またしても 「記録的寒波」 だそうだ

先月中旬から、広島、大阪、八戸、高崎と、4カ所に相次いで出張した。広島といえば、瀬戸内に面した穏やかな気候の地と思っていたが、ちょっと中国山地の裾野に行くと、とんでもない雪景色だった (参照)。大阪も雪がちらほら舞う寒さだったし、八戸、高崎でも当然のごとく寒さに震えた。

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上の写真は、八戸からの帰り道に東北新幹線の車窓から撮った、岩手県内の雪景色である。八戸は辛うじて雪にはならなかったが、岩手県から福島県にかけては、ずっと雪景色で、しかも吹雪の様相だった。

これまでの例だと、1月に寒いと、2月には寒波が揺るんで少しは楽になるパターンが多かったと思う。しかし今回の冬は大変な寒さが続いていて、「記録的寒波」 というのが何度も訪れるのだから、始末が悪い。

日本気象協会によれば、明日の 4日以降、またしても  「記録的寒波」 に見舞われるという。今回の寒気は西日本から入り込むのだそうで、九州から山陰、北陸にかけて大雪の予想となっている。今月下旬から東北と北海道に出張しなければならないのだが、大丈夫だろうかと思ってしまう。

今日は節分で、明日は立春ということになるのだが、当面は 「名ばかりの春」 になりそうだ。

 

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2018年2月 2日

「油断」という言葉の語源はかなり厄介だ

昨日の記事で、自民党の細田博之憲法改正推進本部長が派閥会合で 「本会議や委員会での発言は十分気をつけていただきたい。油断をすると大変なことになる」 と注意したというお笑いぐさについて触れたが、ふと思いついて「油断」という言葉の語源を調べてみた。前々から気にはかかっていたが、つい調べそびれていたことなので。

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「語源由来辞典」というサイトの「油断」の項によると、語源として有力とされるものに二説あるという。下に引用してみよう。

一つは『北本涅槃経二三』の「王が臣下に油を持たせて、一滴でもこぼしたら命を絶つと命じた」という話から「油断」の語が生まれたとする説。

もう一説は「ゆったり」「のんびり」 という意味の古語「寛(ゆた)に」が音便化したとする説である。

どちらも一見もっともらしいが、古辞書には「油断」以外の漢字表記が見られるため、『語源由来辞典』の立場としては、北本涅槃経説は「考え難い」としている。さらに四国の一部の地域で「ごゆっくりしてください」の意味で「ゆだんなされ」というところがあるという例を挙げ、「やや有力な説といえる」 としている。

「油断」という言葉がそんなような経緯で生まれたというなら、漢和辞書には載っていないだろうと思って、手持ちの『三省堂携帯新漢和辞典』 を引いてみると、なんとしっかり「油断」という語が載っているではないか。またややこしいことになった。

そこでさらに調べてみると、「ウィクショナリー」というサイトの「油断」の項には「日本以外の漢字文化圏では通用しない漢熟語」とある。うむ、それなら納得だ。ただ、三省堂の漢和辞書でもその点に触れてもらいたかったなあ。

さらにこのページには、三つめの語源説として「比叡山延暦寺根本中堂に灯される法灯は、開祖最澄の頃から消さないよう油を足し続けており、この油が断たれること無いよう戒めたことに由来」というものまで載っかっている。

これを読んで、オイルショックの頃の新聞の見出しに、さかんに「油断大敵」という言葉が使われたのを思い出した。ちなみにこの比叡山の法燈は、山形県の立石寺(通称: 山寺)にも分灯されていて、過去にそのおかげで途絶えるという事態に至らずに済んだことがあるという。何事においてもリスク回避策は重要だ。

話がずれかかったが、こうして調べてみると、「寛(ゆた)に」 説が有力という気がしてくる。手持ちの古語辞書では「寛(ゆた)」という名詞が基になっていて、そこから「寛(ゆた)にたゆたに」 という連語が生まれたようだ。

この 「寛(ゆた)に」 が基になった上で、他の説との「合わせ技」で「油断」という表記も完成したというところなんじゃあるまいか。

 

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2018年2月 1日

平昌オリンピックに関する 「油断大敵」

本当に全然意識していなかったのだが、来週の金曜日に平昌オリンピックが開幕するのだそうだ。道理で近頃、首相が開会式に出るとか出ないとかですったもんだしていると思った。

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個人的にはこのイベントには全然関心がなくて、開かれるのは今年の 12月頃だとばかり思っていたし、「平昌」を「ピョンチャン」と読むことについてさえ、最近までかなりあやふやで、さっきも「平壌オリンピック」なんて言葉で Google 検索しちゃったぐらいである。

で、このオリンピックに安倍首相が出るとか出ないとかいう論議にとりわけ熱心なのは、大抵「右」の方々が多いようで、さっき間違えて「平壌オリンピック 首相欠席」というキーワードで検索しちゃった時も、出てきたのはそんなようなページばかりだった。その画像検索の結果が、上の写真である。

平昌五輪の出席問題に関して言えば、安倍首相自身の意向というより、その取り巻きの思惑が大きいようなイメージである。中にはどうしても出席させたくない人もいるらしくて、参院予算委員会で「インフルエンザに罹患する手もある」なんて発言する国会議員まで現れた(参照)。そういう話は陰でこっそりやってもらいたいものである。

そうかと思うと、細田博之憲法改正推進本部長が派閥会合で、「本会議や委員会での発言は十分気をつけていただきたい。油断をすると大変なことになる」と注意した(参照)というのだから、もはやお笑いぐさだ。自民党議員には「油断」しちゃってる人がかなり多いんだなあと思ってしまったよ。

 

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