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2018年2月 5日

名護市長選の結果は、私の予測通りだったんだよね

後出しジャンケンみたいなことになら誰でも言えると批判されてしまいそうだが、私は名護市長選では(残念ながら)保守系が勝っちゃうだろうと予想していた。ただ前もってそんなこと書いちゃったら語弊がありすぎる気がして、触れずにいた。

180205

沖縄についてはそれほど詳しいわけでもなんでもないが、何人か友人、知り合いはいる。彼らに米軍基地について聞いてみると、「そりゃ、ない方がいいさ」と言う。今回の選挙直前の世論調査でも、名護市民の 60%以上は「米軍基地移設に反対」の意向を示したという。しかし選挙結果はそれを裏切る形となった。

日本の世論で特徴的なのは、「総論賛成(あるいは反対)、各論ムニャムニャ」ということになりやすいということだ。60%以上の市民が「基地移設反対」なのに、それを最大の公約とした稲嶺氏は落選し、それについては一言も触れなかった渡具知氏が当選したのは、「各論ムニャムニャ」の構図を見事に反映した結果である。

稲嶺陣営は「基地問題をはぐらかされた」と不満を述べているらしいが、現実論で言えば、彼らの方が「基地問題にこだわりすぎた」のである。名護市民としては、「そりゃ、基地が来たら困るだろうが、生活の苦しいのはもっと困る」という本音が出たのだろう。

私は何度か「戦争がなくならないのは、『平和は総論で語られ、戦争は各論で説かれる』から」と書いているが、美しい総論は、具体的に腹の足しになる(ような気がする)各論に、いつも負けてしまうのだ。それで今回の選挙も、「経済のこと、もっと考えた政治をしようと思ってるんで、アッチの方のことは……、まあ、わかってるよね」で通してしまった渡具知陣営の勝利となってしまったわけだ。

ただ、こんなやり口が通用するというのが既成事実になりすぎたら、日本の政治はますます堕落すると思うがなあ。腹の足しになる各論が常に優先してしまったら、美しい総論は負けっ放しになる。そしてついには戦争につながるのだ。

で、そんな堕落を防ぐためにも、私としては稲嶺陣営には、保守陣営に負けない各論的戦略をもって選挙をしてもらいたかったところである。「とにかく反対!」という総論一点張りでは、腹の足しになる「各論」に負けてしまうのだ。

 

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

各論を顧みない「ぼくのかんがえたかんぺきなそうろん」が大手を振って通用する世界があったら、

フェイズ1.どこもかしこも破綻してるけど虚偽報告でごまかす。/
フェイズ2・精神論に走る。一億玉砕!逆らうやつは非国民!!(どかーん)/
フェイズ3・(省略)/


……となる未来しか見えませんけどね。戦前日本がそんなな感じだった気がしますけども。というかここ最近の大企業の不祥事群を見てると、戦後日本も大差なかった気が。

件の前市長については、二期も勤めておいていまさら「経済政策を訴えなかったから負けた」は通らないでしょう。たかが選挙期間の演説より8年間の市政のほうがずっと雄弁です。
基地否定派にとってさえかなりの数が音を上げたとしたら相当で「市長として、その域に達していなかった」というほかない。そんなのでも「基地反対」のおまじないただ一つで二期目を取れた、ということは重視すべきなんでしょうけどね。

投稿: 柘榴 | 2018年2月 6日 07:16

RSSフィードからいつも拝見しております。
沖縄県30代男。初コメントです。
(ネット上では殺伐としている場が多いので、こちらの記事で個人的意見を吐き出させてください)

今回の名護市長選挙は、50・60代の有権者を境に明確に支持が分かれた結果になりましたね。
日本への沖縄返還である1972年時点で大人であったかどうかというのが最も結果を分けた要素だという考えです。
各世代において情報を得る接点が違うということも確かにあるでしょうが、
ネット対オールドメディア、右対左、の構図で今回の選挙結果を議論するのがほとんどで(私自身が)辟易しています。

戦争を経験した世代は特にですが、沖縄に基地は無いほうがいいというのがほとんどです。
経験しなかった世代においては、基地の是非は半々というのが私の体感です。
もちろん基地は無いほうがいいけど...という理由が、経済の為というのが残念でしかたないのですが。
基地があるゆえに、交付金を含め沖縄は様々な面で恩恵を受け優遇されています。それでようやく成り立っている観光産業です。他の地方と比べ少子化問題はありません。それなのに貧困者数は増える傾向です。
優遇を受けすぎてるが為に他で産業を生み出す機会を失っているのか、行政が無能なのか。その両方なのか。

私自身は、右でも左でも、保守でも革新でもないつもりです。
現政権は支持してないですし、沖縄の現知事も支持していません。(オール沖縄に対しそれ以外をチーム沖縄とするのも滑稽です)

戦争経験者が語る「基地は要らない」という言葉は、私は強く受け止めています。
もちろん無いほうがいい。しかし、歴史の流れで今現在それが存在する。そのねじれが常に沖縄にあり、それを解きたいという革新・左派の言い分も理解できますが、庄内さんの仰るように「各論的戦略」が見えてきません。


理論が飛躍しすぎてると言われるのも承知ですが、
いま沖縄にある基地が全て自衛隊基地ならどうでしょう?
そこからようやく、日本の国防について、憲法における自衛隊の立ち位置について皆が本気で考えられるようになるのかなと思っています・・・
そうでなければ沖縄の「基地問題」は永久に存在し続けるでしょう。


個人的には、
国防という点で米国に頼るのは長期的に見て危なっかしいと考えています。政府が常に米国を気にしていかなければならないし、
かといって多くの日本国民が、米国だけでなく世界情勢を知るための情報消費をしているかというとそうでもないですから・・・
アメリカ国民の総意と日本の総意はいつ食い違うか誰にも分からない。
それゆえにアメリカが日本を守ってくれるという考えが幻想だと捉えるべきではと思います。

とはいえ、何をどう意見しても、人は見たいものを見て、信じたいものを信じますから・・・(私自身も含め。)
常に適度な距離感を持ってニュースに接したいですね。

投稿: 沖縄県30代男 | 2018年2月 6日 11:24

柘榴 さん:

いかに 「美しい総論」 と言えども、それを担保する 「現実的な各論」 がなければ無責任ということになりますが、いわゆる 「革新陣営」 というのは、その辺りの考えが不足していると、いつも思ってしまいます。

今回の結果に関しては、市民も 「こいつ、まともな各論を持ってないな」 としっかり気付いてしまったということでしょうね。

投稿: tak | 2018年2月 6日 22:19

沖縄県30代男 さん:

実に冷静でしっかりとしたコメント、ありがとうございます。テレビや新聞のニュースでは伝えられていない考えがよく伝わってきました。

50代、60代を境にした意識の変化、1972年時点で大人であったかどうかというのは、まさに重要なポイントなんでしょうね。

当時は 「左」 の中でも 「既成左翼」 と 「新左翼」 が対立し、どちらの 「総論」 がより美しいかを競ってグチャグチャになっていました。とくに団塊の世代は、今でもその後遺症を引きずっていると思います。(今回破れた稲嶺氏は、団塊の世代のちょっと上ですが)

そして現在、いわゆるネトウヨ的書き込みを見ていると、「各論偏重」 の時代になっているような気がします。70年代の 「美しさ (幻想とはいえ)」 を競っていた時代の価値感とは対照的に、「露悪趣味」 を競いすぎているという印象です。

どちらも行き過ぎというもので、きちんとバランスを取った言論というのはなかなか難しいものだと思ってしまいます。

投稿: tak | 2018年2月 6日 22:37

残念な結果ではありますが、私も、こうなるような予感はしていました。

ただ、その理由は少し違うように捉えています。

数回にわたって辺野古移設反対の民意は示されていたと思うのですが、政権側はそれに顧慮せずに移設に向けた工事を進めてきた。つまり、基地反対の民意を選挙で示すことはムダだ、という刷り込みです。どうせムダなら、多少なりとも経済にプラスになるのであれば(それが事実であるかどうかは別問題ですが)、その方がいい、と。

しかしそうやって、選挙で民意を示すことはムダだ、という理解が定着してしまえば、まぁ主要先進国としての日本は終わりでしょうね(正直なところ、すでにほぼ終わっていると思っていますが)。

投稿: 山辺響 | 2018年2月 7日 14:12

山辺響 さん:

なるほど、いくら民意を示しても無駄なのだとの刷り込みというのは、確かにあるでしょうね。これは民主主義の崩壊というものです。

投稿: tak | 2018年2月 7日 20:19

takさん

ご返信ありがとうございます。既成左翼と新左翼について勉強になりました。
私の先のコメントの最後で、幻想という言葉を都合よく使ったのを反省しています。
こちらのブログを知ることになったのは、「サンタクロースは本当にいる!」というページでした。
幻想についてですが、私自身は幻想そのものを否定してはいません。幻想という概念があるからこそ、人間は他の生物と違うのかもしれません。幻想というものは、神や正義や愛だったりと人それぞれなのかもしれませんが。
だからこそ、takさんの仰る総論の「美しさ」が何なのかが感覚的に理解しているつもりです。
ネトウヨ的なものについても「露悪趣味」という言葉で表現されたことが新鮮で、私自身は彼らに対する気持ち悪さをどう捉えてよいのかを常々考えていました。
何が正しいのかという観念を自らの意識の外に追いやれば追いやるほど答えが遠くにいくような感覚になりますが、それが知への探求そのものなのかなと思っています。
「美しさ」とはそういうものなのかもしれませんね。
サンタクロースのように、大人になって幻想とわかっていながらも、次の世代へも受け継いで欲しいというくらいの力を持つ幻想は確かに必要とされているのかもしれません。
無理くりこね回して出来上がるような幻想と、無償の愛からくる幻想は性質が違うとして、じゃあ愛とはなんぞや?ということになりますね・・・
何が正しいとかではなくて、哲学的要素が込められた思想がこれから必要になってくるのかなあと思ったりしています。

投稿: 沖縄県30代男 | 2018年2月 8日 21:26

沖縄県30代男 さん:

まさに、哲学は必要ですね。効率だの銭儲けだのは、ある意味、それっきりの話になってしまいがちなので、その中にすらも哲学を見出さなければと思っています。

「サンタクロースは本当にいる」 という記事は、書いといてよかったと、つくづく思います。

投稿: tak | 2018年2月 9日 10:39

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