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2018年2月14日

松井須磨子の歌、下手っ!

先日妻との話の中でなぜか「『カチューシャの唄』ってどんなんだっけ?」という話になり、「『リ〜ンゴ〜の花ほころ〜び、川面〜に霞み立ち』でしょ」とやったら、「それはロシア民謡の『カチューシャ』で、『カチューシャの唄』は松井須磨子の歌よ」と言う。

『カチューシャ』と『カチューシャの唄』は、明確にタイトルも違っているというのを、この年になって初めて知った。さらに 『カチューシャの唄』の方は、「カチューシャかわいや、別れのつらさ〜」以後の歌詞もメロディも知らないということに、改めて気付いたのだった。

さて、どんな歌だったんだろうと YouTube で検索したら、「復活唱歌(カチューシャの唄) ~松井須磨子~」というのが出てきた。「へえ、こんなのが残ってたんだ!」と驚いて聞いてみたのだが、思わず「下手っ!」と吐き捨ててしまったのである。

まあ、上の画像をクリックして聞いてみれば誰でもわかると思うが、単に口先でつぶやいているような発声で、モロに音痴ってわけでもないのだが、音程もかなりアヤシい。 「日本初の歌う女優」と言われる松井須磨子って、この程度のものだったのか。

あまりのことに、同時に検索された『ゴンドラの歌』の方も聞いてみると、初めの方に芝居のセリフが入っているというオマケがついていたものの、歌になってみると『カチューシャの唄』に輪をかけた下手さ加減である。その後に入っている森繁久弥版の方が何倍もいい。

「にっぽんの旧聞」というサイトに "駄作「マッサン」と「ゴンドラの歌」(1)" というページがあり、そこに 1968年 1月 12日付朝日新聞からの次のような引用がある。孫引きになってしまうが、紹介しておこう。

「ひどい声でしたね。親父の佐藤紅緑が帝劇に作品を出していた関係でお須磨さんの舞台はほとんど見ましたがね。まるで歌にもなんにもなっていない」 —— サトウハチロー氏

「まるっきり落第です。お須磨さんという人は一種のオンチじゃなかったかと思うんです」 ——時雨音羽氏。悪評さくさくである。

とまあ、こんな具合だ。当時から「松井須磨子の歌は下手」と認識されていたらしい。それでも絶大な人気だったというのだから、世に「最近のアイドルたちの歌は、下手すぎる」と嘆く御仁が多いが、アイドル(的な存在)の歌なんて、今に始まったことじゃなく、昔から下手と相場が決まっていたのかも知れない。

改めて興味が湧いて、今度は佐藤千夜子の歌を聴いてみようと探してみた。「日本初のレコード歌手」で、『東京行進曲』 の大ヒットでも知られる存在である。それもすぐに見つかった。こんなのである。

う〜む、東京音楽学校(現・東京芸術大学)に在学していたという割には、「へえ、この程度のものなの?」という印象である。音源の質の悪さを割り引いたとしても、特別うまいわけでもなんでもない。今の芸大には絶対に入れない。

いろいろ考えてみたが、昔の日本人というのは西洋音楽に馴染みがなくて、音符を読める人も稀だったのだから、この程度の歌でもずいぶんハイカラで上手に聞こえてしまったのかもしれない。うむ、きっとそうなのだ。多くの人は民謡や小唄なら歌えても、西洋音階の歌は「毛色の変わった別物」だったのだ。

それを裏付けるように、彼女の『須坂小唄』というかなり日本調の歌を聴くと、『東京行進曲』なんかよりもずっと生き生きと歌っているように聞こえてしまうのだ。まさに「日本人の血」のなせるわざである。

日本人の西洋音楽感覚がまともにこなれてきたのは、佐藤千夜子以後のことなのかもしれない。彼女が途中でイタリアに渡り、1934年に帰国してみると「日本国内での復帰を目指すが、若手の台頭などもあり、果たせず終わる」と Wikipadia にある(参照)のも、そうした事情があるのだろうと察せられる。

佐藤千夜子以上の歌をフツーに歌える人材は、短期間のうちにいくらでも出てきたのだ。老人たちが「昔の歌手は、基本ができていてうまかった」なんて繰り言を言うのも、彼らの聞く耳ができていないというだけのことという可能性も大なのである。

昔の日本人が西洋音楽をまともに歌えなかったというのは、もしかしたら、今の若い連中が和音階の歌、例えば小唄や都々逸をまともに歌えないことの裏返しなのかもしれない。

 

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コメント

こんばんは~~
ほんとうに音痴。びっくりしましたあ~~~
なんてへたなんでしょおおお????
わかりませんね??
どうしてヒットしたのでせう・・・・涙

投稿: tokiko | 2018年2月18日 22:29

tokiko さん:

お久しぶりです。

まあ、昔の日本は西洋音楽がまだ身体化されていなかったので、「下手」 と気付かれにくかったんだと思いますよ。きっと。

投稿: tak | 2018年2月18日 23:42

別に張り合うつもりはありませんが…
ちょっと解せない内容でしたので…
波浮の港と愛して頂戴などは聴きましたでしょうか?
なんだか…東京行進曲だけで決めつけられてる気がして…
思うんですけど、何をもってうまくないとおっしゃっているのですか?曲の音域で決めてる気がするのですが…
私はあのテンポであそこまで歌いこなせるって素晴らしいと思いました。波浮の港だって佐藤さんのバージョンはものすごくテンポが速いのですよ?聴いたことないですよね?
正直言って人によって感じ方はどの人に対しても違うんだなと分かりましたが…
個人的には松井さんと共に出されてびっくりしています…
松井さんの音痴さは当時の人もわかっていたと思います。売れたのは松井さんが綺麗だったり、声が良かったからでは?
ゴンドラの唄では台詞も披露しています。
お父さんも聴きましたが、すごいけど味があるねって言ってました。
だからと言ってあのひどさと佐藤さんを共に出すだなんて、何回も言うけどびっくらぽん
あなたの耳じゃ藤本二三吉さんもひどく聴こえるでしょうね…
正直ここまで昭和歌手が過小評価されていることにびっくりしました…
若い方が昭和歌謡を好きになれない…
ただ古臭いと感じるのって…
そこなんでしょうかね…
長文失礼しました。
勘違いされますので言っておきます。
17歳の性同一性障害男子高校生です。

投稿: ペニチュア | 2019年12月23日 21:43

ペニチュア さん:

私としても、別に張り合うつもりはありませんが…

私は最近の音楽も聴きますが、大学では「演劇学」なんていう変わった分野を専攻していて、日本古典芸能が専門でしたから、邦楽といわれるジャンルからずいぶん聞いています。

一応、七代目団十郎の当時の歌舞伎の研究で文学修士号も取っていますから、義太夫、長唄、常磐津、清元、義太夫、新内、その他モロモロ、ナマで聞いています。

ですから「耳」に関しては、今の音楽に毒されているというわけではないと思っています。

(『東京行進曲』に関して)
>何をもってうまくないとおっしゃっているのですか?曲の音域で決めてる気がするのですが…

「曲の音域」というのは、どういう意味でおっしゃっているのかわかりませんが、私はそういう聴き方はしません。

>波浮の港だって佐藤さんのバージョンはものすごくテンポが速いのですよ?聴いたことないですよね?

決めつけないでください。ちゃんと聞いたことあります。

>だからと言ってあのひどさと佐藤さんを共に出すだなんて、何回も言うけどびっくらぽん

松井須磨子と佐藤千夜子を同レベルだと書いているわけではないことは、ちゃんと読めばわかると思います。

>あなたの耳じゃ藤本二三吉さんもひどく聴こえるでしょうね…

これも決めつけないでください。藤本二三吉の『かっぽれ』なんかも好きですよ。初代桜川ぴん助のかっぽれを見逃しているのは、返す返すも残念ですが。

この記事で私は「昭和歌謡」そのものを過小評価しているわけではなく、個々の歌い手のパフォーマンスについて語っています。

投稿: tak | 2019年12月23日 22:36

別に決めつけているわけではありませんが…
それによく見たら…小唄のところで佐藤さんのことを褒めてくれてますね…
佐藤さんが憧れの人だったため、行きすぎた口を…申し訳ございませんでした…
それにしても面白い大学ですね…
羨ましいです…

投稿: ペニチュア | 2019年12月26日 21:00

ペニチュア さん:

佐藤千夜子といえば、わが山形県出身なんですよね。大昔に NHK の朝の連続ドラマになったことがあります。「いちばん星」というタイトルでした。

https://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=asadora19

このドラマ、初めはヒロインが 高瀬春菜さん(この人、ワセダで同級生だったはず)でしたが、すぐに病気降板しちゃって残念でした。

>それにしても面白い大学ですね…

面白いといえば面白いですね。何しろ坪内逍遙以来ですから。

投稿: tak | 2019年12月27日 00:51

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