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2018年3月に作成された投稿

2018年3月31日

善光寺のゴタゴタ

天台宗務庁、善光寺の貫主を解任 辞任撤回の意向認めず」という記事が目にとまった。長野の善光寺と言えば、どこの宗派にも属さない独立したお寺さんとばかり思っていたので、「へえ、善光寺って、天台宗だったのか」と驚いたのである。

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Wikipedia で調べてみると、次のようにある。

山号は 「定額山」(じょうがくさん)で、山内にある天台宗の 「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって護持・運営されている。「大勧進」の住職は「貫主」(かんす)と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が務めている。「大本願」は、大寺院としては珍しい尼寺である。住職は「善光寺上人」(しょうにん) と呼ばれ、門跡寺院ではないが代々公家出身者から住職を迎えている (浄土宗では大本山善光寺大本願の法主)。

へえ、知らなかった。仏教が諸宗派に分かれる前からあるので、宗派の別なく誰でも気軽にお参りできるお寺さんと一般には思われているが、そこはそれ、やはりいろいろと系統があるみたいなのである。仏教の世界もいろいろ大変なのだね。

で、これまでの小松貫主という人がが解任通告を受けたのは、セクハラ疑惑によるものだというのである。上記で触れた尼寺の方の大勧進の女性職員に、差別的な発言をしたなどとして、一昨年からお寺には顔を見せれない状態になっていたらしい。

実は 10年前に仕事がらみの 2泊 3日のドライブで信州に行った際に、善光寺にも参拝していて、その時のことは「信州旅日記 1」としてこのブログにも書いている。上の写真はその記事の写真をそのまま使った。ちょっとボケ気味だが、10年前のカメラの性能って、この程度のものだったのかなあ。

ともあれ 10年前はなかなかいい印象の寺だったのだが、一昨年からはゴチャゴチャしていたのだね。いやはや、お寺さんの世界もいろいろ大変みたいなのである。

 

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2018年3月30日

自分の声を相手にすとんと届かせることのできない人

昨日、京都から帰ってくる時の新幹線の話である。通路を挟んで向い側に座った若い女性の二人組の話し声が、やたらうるさかった。いや、本当にうるさいのは二人組のうちの片方だけなのだが、とにかく周囲に憚りのない甲高いアニメ声が、やたら頭に響くのである。

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世の中には、隣に座った相手だけに聞こえれば充分なのに、なぜか半径 30メートルぐらいにギンギン響くような声で話したがるタイプの人間がいる。自分の声の届き方に関して、完全に無神経なタイプだ。これは神経的な欠陥と言ってもいいと思っている。

SCOT (旧・早稲田小劇場) を主催する鈴木忠志氏は、演劇的シチュエーションを心理的のみならず身体的感覚で裏付けることを強調されていた。そのトレーニング・メソッドで、自分の声を相手に届かせる際に、その声があたかも放物線を描くように届くのを見るという訓練がある。目の前の相手に届かせる時は短い放物線に、遠くまで届かせる時は長い放物線になる。

これは大抵は訓練すれば身につくことで、この訓練で、自分のセリフを相手の腑にすとんと落ちるように話すことができるようになる。つまり、声を話しかける対象に命中させるのだ。

しかし中にはこれができないという人がいる。自分の声がどうしても放物線にならないのだ。自分の声のターゲットを明確化できないのは、自分の話を周囲に無差別に聞かせつけたいという無意識的欲求による。どうしても拡散させたい欲求があるのだ。

これに関しては前にも書いたことがあるような気がして、自分のブログを検索してみたら、7年半も前に「公共の場所での、必要以上の大声会話」というタイトルで、次のように書いていた。

「ねえ、聞いて聞いて、私たちって、こんなにオシャレな会話しちゃってるの」「俺の当意即妙の会話センスってすごいでしょ。みんなにも聞かせてあげる」 「私って、物知りでしょ。あふれ出る知性を披露しちゃおうかな」とでも言いたげな人が、周囲の迷惑も知らずに結構な声で話をしたがる。

とくに、若い女の子 2人連れで、互いに当意即妙な(とはいえ、内容はうんざりするほど薄っぺらなんだが)会話センスを競ってでもいるようにマシンガントークを繰り広げながら異常な盛り上がりを現出しているのがいる。そうなるとまさに公害だ。

要するに大きな話し声の公害は、昔からあるのである。

似たような感覚のこととして、「中国人の大声」というのがある。ご存じの通り、中国の人たちというのは、やたら大きな声で話すが。彼らの大声は、「自分は腹の中ではこんな下らないことしか考えてないよ」ということをアピールする必要があるかららしい。少なくとも無意識的にはそういうことのようなのだ。

中国社会では周囲を憚る小声で話をすると、体制転覆の相談でもしているんじゃないかと疑われかねないようなのである。

 

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2018年3月29日

日本列島は桜だらけ

3月 20日から 29日までの 10日間のうち、8日間を九州、関西の旅で過ごして、自宅にいたのはたったの 2日間だった。この 10日間は、関東から西の東海、関西、山陽、四国、九州で桜が咲き始めて満開になる時期だったので、行く先々できれいな桜を眺めることができた。

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改めて思うが、日本人は桜好きである。旅の目的地でも桜の満開を間近で楽しめたし、新幹線で移動中も、車窓のあちこちに桜が咲き乱れているのが見える。来月初めは仙台に日帰りで行くので、東北の桜の咲き始めが眺められるだろう。

なんでまた、こんなにも日本中桜だらけになったのかというと、それは明治からこの方、日本人があちこちにせっせと桜を植樹したからにほかならない。吉野の山などの山桜は、そのずっと前から生えていたわけだが、あちこちの公共施設や公園などの、「町の中で花見のできる場所」の桜は、人間がわざわざ植えたものだ。

なんでまた、そんなに桜を植えたのかと言えば、「桜がないと淋しいね」といった感覚から、学校や会社の正門から正面玄関に続く道とか、庭の一番要となるところとか、とにかく目立つところに桜を植え続けてきたのだ。新たに作られた工場の敷地とか、新興住宅地の公園とかいった場所でも、とにかく桜は必ずと言っていいほど植えられる。

桜のメリットは、花の時節が短くて、一斉に楽しんだ後はまったく目立たない無骨な木になり、長々と手間がかかったりしないことである。かくして日本列島はそこら中「お花見のできる場所」になるほど、桜が増えてしまった。

それから、今回の旅で感じたことだが、奈良や京都の観光地が中国人だらけではなくなっていた。いつになく欧米人の観光客の方が、比率的にもメジャーになっていたのである。これって、欧米からの観光客の年間通じての総数が増えたというより、欧米人がこの季節に集中して訪れる傾向があるということなんだろう。

「せっかく日本に行くなら、cherry blossoms の一番きれいな時期に」ということのようなので、桜好きは別に日本人ばかりとは限らないみたいなのである。

 

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2018年3月28日

集中力と持続力

仕事は集中してやるに限る。だらだらとやったら 4〜5時間かかること作業でも、集中すれば 1時間足らずでできてしまったりする。しかし集中力の持続時間には限界があるので、それで 4〜5倍の仕事量がこなせるかというと、そんなわけにはいかない。ただ、2倍ぐらいの仕事量ならこなせてしまうと思う。

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「みんなのおかねドットコム」 というサイトに 「集中力の持続時間の限界は? 集中力を回復するのに必要な休憩時間は?」 というページがある。これによると、人間の集中力は 15分を境に低下する傾向があるとわかっているらしく、次のように説明されている。

60分連続して勉強に取り組んだグループと、15分毎に休憩を挟む勉強法を 3回繰り返す勉強法を取り入れたグループとでは、後者グループの方が日を重ねるごとに学習効果を発揮する結果が見られたそうです。

こまめに休憩を取る方が仕事がはかどるのは、私としても経験的に知っている。みっちり集中して、つい 1時間以上も根を詰めたりすると、ふと我に返った後に何もできなくなってしまうが、こまめに休憩すると、午前中の 3時間ぐらいで仕事が終わったりする。そして昼の休憩を挟んで午後の仕事にも集中できる。

集中して仕事をするとは、むやみに入れ込みすぎないということでもある。適当に息を入れないと、1日の半分以上が無駄になってしまう。

 

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2018年3月27日

佐川宣寿前国税庁長官という人

国会は佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問を終えたようだが、そんなものに付き合うほどヒマじゃないので、テレビで見ようという気にはちっともなれなかった。そもそも国会での過去の証人喚問では、まともな結果が出た例しがないので、何かを期待する方がどうかしていると思っていたし。

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それよりも、佐川宣寿というお人の顔を初めてテレビで拝見した時から、「目玉の大きな、マンガみたいな表情の人だなあ」という印象を拭いきれず、そこはかとなく誰かに似ていると思っていたのだが、今日になって西川きよし氏にそっくりなのだと気付いた。いずれにしても、なかなかエキセントリックなイメージなのである。

いろいろなニュースによると、この人、かなり優秀な人のようで、こんなことで世間でも有名になってしまうまでは、官僚の世界で出世街道をばく進していたらしいのである。そして "部下が恐れる上司「恐竜番付」 佐川氏は 「東前頭4枚目」" とあるように、「できれば付き合いたくないタイプ」でもあるようなのだ。

第一印象だけで人を判断するのは避けたいと思っている私も、何となくお付き合いしたいとは思わないタイプなのだよね。というわけで、今日のところはここまで。

 

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2018年3月26日

2分以内に眠りにつく方法

"第二次世界大戦中に米海軍が開発した 「2分以内に眠りにつく方法」 とは?" というニュースが目に付いた。本当にそんなことができたら、寝つきが悪い人にとって大いなる福音だろう。

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心理学教授にして、陸上選手のコーチでもあるバド・ウィンターという人が考案したメソッドは、肉体的にリラックスした上で、精神的にもリラックスすることを目的としており、要するに、体のどこにも緊張状態を作り出さずに、徹底的に力を抜いた状態にして、さらにリラックスした状態をイメージするということのようだ。

ただ、こうした「肉体的にも精神的にも徹底的にリラックスした状態」に自分をもっていくのは、誰でも簡単にできることではなく、ある程度の訓練が必要だろう。人によっては「リラックスしよう」とすることで、かえって自分を緊張状態に追い込んでしまうなんてこともあるかもしれない。リラックスするにもトレーニングが必要なのだ。

ちなみに、これからのうららかな季節、私にとって必要なのは、むしろ「眠っちゃわないで済むメソッド」なんじゃなかろうか。眠くてたまらなくなったり、下手すると、あっというまに気絶のごとき眠りに落ちてしまったりすることがよくあるのだ。眠っちゃうのに 2分もかからないから、油断がならないのである。

 

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2018年3月25日

ハンノキ・アレルギーってものまであるらしい

5泊 6日の九州出張から帰って来た。20日の早朝に出発して、25日の夜遅くに帰宅したので、同じ 5泊 6日でも、かなりみっちりとした 5泊 6日である。博多に滞在した前半の 3日間は極端な寒の戻りで寒かったが、長崎にいた後半の 3日間はいかにも春らしい陽気で気持ちがよかった。

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ただ、「春らしい陽気で気持ちがよかった」とは言っても、この時期、私は恒例の花粉症に悩まされてしまう。そして、九州、とくに長崎辺りは今の時期、関東のスギ花粉とはちょっと違った花粉が飛んでいたように思う。

関東ではくしゃみ、鼻水、目の痒さという症状が出ていたが、長崎では喉のムズムズと咳がひどかった。「こりゃ、きっとスギ花粉だけの症状じゃないな」と思い、ネットで調べてみると、どうやら「ハンノキ」というのが怪しい。

ハンノキというのはカバノキ科ハンノキ属の落葉高木で、1月から 6月頃までのかなり長い期間に花粉を飛ばすらしい。そしてその花粉の直径がとても小さいので、喉の奥まで入り込んで咳の原因になるというのである。(参照

出張中、初めは風邪でもひいてしまったかと思ったが、時々妙に喉がムズムズして咳が出るだけで、熱も悪寒もかったるさもない。とくに訪問先で果物を出されて食べたときに咳の症状がひどくなり、口の中が妙にはれぼったくなってしまうので、「ハンノキ・アレルギー」に間違いないと確信したのである。

そして九州から戻り、羽田からモノレールに乗ったとたんに、九州ではあまり気にならなかった目の痒みがひどくなり、ほとんど忘れかけていたくしゃみが止まらなくなってしまった。そして咳はほとんど気にならなくなったのである。関東ではスギ花粉がメジャーで、ハンノキ花粉はマイナーというのが、身を以てわかった。

それにしてもまったくもう、我ながら一体何種類のアレルギー持ちなんだろう。

 

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2018年3月24日

親の延命治療を強いるエゴイズム

半年も前の「ダイヤモンド・オンライン」の記事で恐縮だが、"「延命治療」を親に強いるのは圧倒的に 50代息子が多い理由" という記事を興味深く読んだ。親が延命治療を望まず、家族の多くも安らかな親の死を望んでいても、50代の息子は強硬に延命治療を望むケースが目立つのだそうだ。

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調査によると、生きながらえる見込みがない場合には、ほとんどの人は延命治療を臨まない。しかし、50〜60代の息子は逆の場合が多いという。記事を引用してみよう。

家族が病気で治る見込みがない場合、「延命のみを目的とした医療は行わず、自然にまかせてほしい」は 73.7%。「少しでも延命できるよう、あらゆる医療をしてほしい」は、全年齢の平均では 14.7%だが、55~59歳では 16%、60~64歳では 16.5%と高くなる。この数字は、男女合わせたものなので、男性に限れば、さらに高くなるに違いない。

本人も、家族の多くも臨まない延命治療を、どうして 50〜60代の息子は臨むのか。記事では「めぐみ在宅クリニック」小沢竹俊院長の次のようなコメントで説明されている。

「傾向としては、お嫁さん任せで、なかなか介護にコミットしなかったご長男、あるいは遠方に住んでいて、施設任せできたような家族に、そういう治療を望むケースが多いですね。

それまで親と、きちんと向き合えていないから、いざその時が来た時に、子どもとしての覚悟が全くない。だから右往左往し、本人が決して望まないことを強制する。子どもとして、今まで向き合ってこなかった分これからなんとかしたいから、最善という名の下、望まない延命治療をさせてしまう、というのがよくあるストーリーです」

なるほどね。これは私に言わせれば、子どものエゴイズムでしかない。

私の父は 7年前の震災直後から体調が悪化し、通院したところ肺がんが見つかった。父は曹洞宗の坊主の息子だけに少しも慌てず騒がず、「死ぬのは 10月になってからにしようと思う。夏の暑い時に死ぬのは、葬式に来てくれる人たちに気の毒だから」 と言った。そして見事にその言葉通り、10月のど真ん中の 16日(前後に 15日ずつある)に息を引き取った。我が父ながら、見事な最期だった。

父は当然のごとくに延命治療を望まなかったし、その頃まさに「50代の息子」だった私も望まなかった。父も私も冷静に「死」というものを受け入れていた。そして私自身も、その時が来たら余計な治療を施されることなく、さっさとあの世に行きたいと思っている。我が家は息子がいなくて子どもは 3人とも娘だから、強引に延命治療を望まれることもなかろうと、安心している。

 

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2018年3月23日

何としても飛騨に行ってみたくなった

私は 2015年に一応日本の「全都道府県制覇」というのを達成している(参照)。単に行ったことがあるとか、通り過ぎたことがあるとかいうのではなく、「その都道府県で一泊以上している」という、ハードルをちょっとだけ上げてのことで、まあ、そんなにスゴい希少価値というわけでもないだろうが、どうでもいいほどたやすいことでもない。

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ただ、全都道府県は制覇したが、「旧律令国」の全制覇には至っていない。一昨年 2月 20日に能登国の七尾市(石川県能登地方)に行った際に、次のように書いている。

まだ豊前(大分県北部)、大隅(鹿児島県東部)、但馬(兵庫県北部)、石見 (島根県西部)、飛騨(岐阜県北部)と、淡路、壱岐、対馬、隠岐、佐渡の離島が残っている。但馬、淡路は、通過したことだけはあるので、それを大目に見てもらって、「行ったことはある」とすれば、残りは 8つの国である。

そして、この 「8つの国」 は、まだ 1つも減っていないのである。そして今、飛騨国に行ってみたいという思いが強烈に強まっている。飛騨国は、岐阜県の北部に当たり、高山市、飛騨市、下呂市のほか、合掌造りの家で有名な白川村がある。どうして今まで行ったことがないのか、不思議なくらいである。

今年は、ぜひ何とかして飛騨国に行って、そしてその次は佐渡国に行ってみたいと想っている。

 

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2018年3月22日

「めくるめく」の漢字表記が 「目眩く」だったとは

恥ずかしながら、「めくるめく」という言葉の語源を初めて知った。漢字で書くと「目眩く」となるのだそうで、それだったら「めくるめく」じゃなくて「めくらめく」だろうと、つい思ってしまうが、最近は見当外れなところまで「差別用語」だと言い張る人がいるので、「めくるめく」の方が無難なんだろう。

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何しろ「目眩く」だから、形容詞じゃない。手持ちの『大辞林』で調べると、「動カ五」(動詞 カ行五段活用)となっている。昔習った国語文法風に活用を全部言えば「目眩かない — 目眩きます — 目眩く— 目眩く時 — 目眩けば — 目眩こう」となる。まるで早口言葉だ。

意味は「目がくらむ。めまいがする。また、魅力にひかれて、理性を失う」ということで、用例として「目眩くような高さ」と「目眩く快楽の日々」が挙げられている。ただし最近は「目眩くような高さ」 的な表現は減って、もっぱら官能的な方面で理性を失うというような形でのみ用いられる印象がある。

さらに動詞とはいえ、フツーは「連体形 (目眩く〇〇)」として使われるのみで、他の活用は聞いたことがない。形としては同じだが、「俺は高所恐怖症だから、高いところに行くと目眩く」なんて言い方はまずしない。だから、つい「めくるめく」は形容詞なんだと思いがちだが、元々のところから発想すればそうじゃないのだね。

で最初の、元々は「めくらめく」 なんじゃないかという疑問に戻るが、実は「眩めく」の元々の形は「くらめく」じゃなく「くるめく」のようなのである。古語辞典を引いてみればわかるが、「くらめく」という項目は見当たらず、「くるめく」があって、漢字は「転めく・眩めく」だ。意味は「くるくる回る。せわしく動き回る、騒ぎまくるとされている。

つまり「目眩く」の元々の意味は「目が回る」ということのようなのだ。「くるくる回る」から「くるめく」というわけで、「ころころさせる」から「転がす」とか、「むかむかする」から 「むかつく」とかと同様の成り立ちで、ほとんど擬態語に近い。

さらに手持ちの『例解古語辞典 (三省堂)」では「眩む(くらむ)」という項目すらも見当たらず、「暗ます」という動詞があるのみである。意味は「暗くする。見えなくする。理性を失わせる。たぶらかす」ということで、「めくるめく(眩めく・転めく)」に「理性を失わせる」との意味が加わったのは、この「暗ます」への連想ということもあるかもしれない。

で、現代では「めくるめく」という言葉から「目が回る」といった直接的な意味が薄れてしまい、もっぱら官能的な意味に用いられるのは、「目が回る」という意味の「目眩く」という語源が忘れ去られかけて、「理性を失わせる」という意味の「暗ます」的なイメージが優勢になっているからかもしれない。

いつも思うことだが、まさに言葉は生き物である。

 

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2018年3月21日

暑さ寒さも彼岸まで

今年は博多の町で春の彼岸を迎えた。彼岸とはいえ、かなり寒い。写真は夕方の博多駅前の様子。梅の花を模した照明のデコレーションがあるが、そぼ降る雨の中でなんだか場違いに見える。

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明日までは寒くて、週末は春らしい陽気になるらしい。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、そこまで律儀に昔の諺通りの天気にならなくてもいいのにと思う。しかしそう言えば、あの年の 3月も寒かった。

「あの年」というのは、今から 7年前。あの東日本大震災の年である。3月になって雪が降ったというのも、あの年と同じだ。

あの年は 3月下旬まで寒かったので、着の身着のままで避難生活を送る被災者たちには酷な天気だと思っていたが、よく考えてみると、あの冬の季節風がいつまでも続いてくれたおかげで、原発の汚染物質が内陸まで飛散するのが最小限で済んだのだと思う。無慈悲だと思っていた天気は、実は不幸中の幸いだったのだろう。

世の中、何が幸いするかわからないのである。

 

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2018年3月20日

博多に来ている

久しぶりで博多に出張している。仕事が一段落して、夕食は博多駅構内の店で海鮮丼の「特」(ふぐ・うに入り)というのを食べた。「特」なんて言ったら 2000円ぐらいしてしまうのかと思ったが、1250円で、税込みでも 1300円である。

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味噌汁も、あさりがたっぷりだ。大都会でこんなにおいしいものがこの値段で食えるのだから、博多のメシは嬉しい。

今日の博多は、というか、日本の多くの地域でもそうらしいが、午後から冷たい雨が降っている。天気は生憎だが、メシのうまさは相変わらずだ。4時起きしてつくばの里を出てきた甲斐があろうというものである。

というわけで、今日はさすがに疲れたので、これにて失礼。

 

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2018年3月19日

今の小学生は、ともだち 100人つくるのが無理らしい

知り合いの子の、二卵性双生児の男の子と女の子の兄妹が、この春めでたく小学校に入学することになったという。なかなか明るい性格の子たちで、小学校に行くのが今から楽しみでしょうがない様子だ。

「小学校に入ったら、何をしたい?」 と聞くと、揃って「友達 100人作りたい!」と、これまたなかなか可愛いことを言う。あの、まど・みちお作詞、山本直純作曲の 『いちねんせいになったら』という歌は、今でもしっかりスタンダードとして歌われているようなのだ。

ところが親は、「無理だろうなあ」なんて、ぶちこわしなことを言う。「なんで無理なの?」と聞くと、なんとまあ、「近頃はこの地域も子どもが少なくなって、生徒が 100人もいないんだよね」と言うのである。

「えっ、1学年の生徒が 100人いないわけ?」
「いや、1学年じゃなくて、全校生徒合わせても、100人にならないんだよね。何しろ、1学年が 1クラスで、しかも 15〜6人で 1クラスだから」

へえ! と驚いた。これ、山村の学校ってわけじゃない。れっきとした市政を敷く地方自治体の、しかも市の中心地に近い小学校のお話である。少子高齢化と言われて久しいが、ついにここまで来てしまったのか。

思えば私が小学校の頃は、1クラスが 50人以上で、1学年が 5クラスだった。私が小学校に入学した年の 5〜6年生なんて団塊の世代の中核だから、6クラス以上とかになっていたような記憶がある。とにかく、全校生徒が 1500人以上いたはずだ。それが、地域は違うにしても、今は 全校生徒が 100人に満たないという。私の頃の 1割以下である。

なるほどね。今の小学生って、学校でそういう育ち方をしているのか。ちゃんとした町のど真ん中の学校で、10数人のクラスメートがちまちまっと遊んでいるのでは。まあ、決めつけちゃナンだが、どこかちまちまっと育ってしまうわけだよね。

 

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2018年3月18日

公文書改ざん問題を、「まともじゃない視点」で考える

森友学園関連の公文書改ざん問題では、これまであまり書く気がしなかった。だって周辺ストーリーからして、まともに考えれば当然にも、首相と財務省は責任取って辞めるべきなのに、政治の世界というのは既に誰もが認識しているように「まともじゃない世界」なので、こんなにまでゴチャゴチャになっている。

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まともじゃない世界の出来事に関してまともな視点で論じても埒があかないので、今回は敢えて「まともじゃない」という事実を最大限許容した上で論じてみることにする。

まず「公文書改ざん」という事実に関してだが、「ゴキブリを 1匹見かけたら、100匹いると思え」という格言からすると、この程度の改ざんは過去にもごくフツーに為されてきたんじゃあるかまいか。「いやいや、今回は極めて特殊なケースで、過去には一切ありません」なんて言っても、「まともじゃない感性の持ち主」の言い訳を誰が信用するというのだ。

公文書の記載と担当大臣の答弁がちょっと辻褄が合わなくなったりしたら、官僚はこれまでも「しょうがないなあ」なんて呟きながら、公文書の方をこっそり書き換えたりしていたのだろうと、私は完全に疑っている。そうした「風土」があるからこそ、今回の森友関連の文書も、軽い気持ちで書き換えたのだろう。なにしろ「まともじゃない世界」なんだから。

しかし、「いや、そんなことは断じてない。今回が初めてみたいなものだ」と言い張るムキもあるかもしれない。それならば、仮にそういうことにしてみよう。すると、今度は新たな展開が生じる。「これまでは断じてなされなかったような『公文書改ざん』が、どうして今回のケースに限って行われたのか」という疑問が、必然的に浮かばざるを得ないではないか。

そこにはよっぽど「まともじゃないヤバい事情」があるからと見るしかない。「まともじゃないヤバい事情」というのは、既に大方が想像している通りのことだ。いずれにしても、首相、財務相の責任は免れない。とくに安倍首相周辺は、「安易なお友達関係」さえ結べば、「長州人の DNA」とやらと相まって、「まともじゃないこと」がかなり勝手次第にできてしまっていたもののようなのだ。

「まともじゃない事情」が行き過ぎてしまったら、そりゃあ、官僚としてはいつまでも付き合いきれないので、尻尾切りをしてでもこんな首相を担ぐのはそろそろ止めにしておきたいだろう。

 

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2018年3月17日

近頃ネクタイは 2本しか持っていない

一昨年の 5月下順に "ワードローブの 「戦線縮小」 が楽しい" という記事を書いている。とにかくスーツとネクタイの必要な仕事は受けないという方針を固めたので、着る物が本当に簡単になってしまった。

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ついでにネクタイも、ついに 2本にまで減らしてしまった。一昨年の段階では、慶事用と弔事用のほかに、水玉柄のものを 2本持っていると書いているが、今は上の写真の 2本だけである。右が葬式用で、左のグレーっぽいレジメンタルは、法事などをも含む汎用アイテムだ。本当に何にでも通用するから便利である。

一昨年まで持っていた白の慶事用と水玉 2本は、擦り切れたので処分した。幸か不幸か、最近は結婚式なんてものに出席する機会がまったくなくなってしまったので、慶事用は買わずに済んでいる。もし必要になったら、その時に買えばいい。

思えば葬式に出席する機会だけは、減らないどころか増えている。私自身も既に 65歳を過ぎているから、昔だったらいつ死んでもおかしくない年だが、どうにもこうにも死にそうにない。というわけで、この黒いネクタイは、擦り切れるまで (あるいは擦り切れても) 使うことになりそうだ。

 

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2018年3月16日

名古屋駅新幹線ホームのきしめん

滋賀県方面への出張から戻ってきた。春爛漫の心地良い陽気だった昨日に比べると、今日は雨も降ってかなり冷え込んだ。春先はこんなことがあるから要注意だが、今年は何度も大きな落差で繰り返される。これが最後の寒の戻りになるのか、あるいはもう 1〜2度あるのか、油断がならない。

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ところで、滋賀県から新幹線に乗って東京まで帰ろうとすると、米原から東京まで、ちょっとゆっくりめの「ひかり」1本にするか、あるいは名古屋まで「こだま」で来て「のぞみ」に乗り換えるかで悩むことになる。ただ、最近は「ひかり」の本数がかなり少なくなっているので、大方は名古屋で乗り換える方を選ぶだろう。

しかし今回の私は奇策に出た。iPhone の「乗換案内」アプリで調べると、「こだま」で名古屋に出るのと、在来線の快速電車を使うのとでは、本数の関係もあって、時間的にそんなに違わない。だったら、名古屋までの特急代を節約する方がいいんじゃないかという結論に達したのである。どうせ帰り道だから、そんなに急ぐわけじゃないし。

ことのついでに、どうせ名古屋で在来線から新幹線に乗り換えるなら、いつもの新幹線ホームの立ち食い店ではなく、ゆっくりテーブル席で食べられる店できしめんを食べて帰ろうという気になった。「きしめんは、新幹線ホームで食うのが一番おいしい」とよく言われるが、それはちょっとした雰囲気のもので、時間に余裕さえあれば、ゆっくり座って食う方がおいしいに決まってるだろうよ」 と思ったのである。

ところがあに図らんや、さっさと結論を言ってしまおう。きしめんはやっぱり新幹線ホームで食う方が、単なる雰囲気以上に、掛け値なしにうまいとわかった。上の写真は、名古屋駅構内の某きしめん専門店で食った「駅釜きしめん」というもの。海老天まで入って、930円である。

一口食ってみて、「あ、こりゃ、失敗」と思ってしまった。麺の幅がちょっとせまくて、「きしめんらしいコシ」に欠けるし、汁も単にしょっぱいだけで「コク」がない。これは「口直し」をしなければどうにも収まらない。

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というわけで、腹は満たされたのだが舌が満たされないので食い直したのが、上の写真。いつもの新幹線ホームの立ち食い店、「住よし」の「イカ天きしめん」(玉子入り、570円)である。

「うん、やっぱりコレじゃなきゃね!」 たっぷりと削り節がトッピングされた味わいは、「名古屋のきしめん」ならではである。これで、360円も安いのだから文句なしだ。これからは浮気せずに、改札口を通ってから食うことに決めた。

一説によると、名古屋駅在来線ホームの「住よし」の方が、混まないのでゆっくり食えるし、天ぷらもその場で揚げてるのでよりおいしいらしいので、それは次の機会に試してみることにする。

 

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2018年3月15日

自転車で横断歩道を渡っていてクルマにはねられたというニュース

車と衝突し10m飛ばされ…自転車の男性が重体」 という記事に、ちょっとぞっとしてしまった。私もよく自転車に乗るのでね。

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自転車の男性は、信号機のない横断歩道を、自転車で渡っていたのだという。写真をみると、衝突したクルマのフロントガラスには大きな穴が開いている。よほど激しくぶつかったのだろう。跳ねられた被害者は気の毒な限りで、クルマを運転していたのは、33歳の、名前から判断すると女性のようだ。

個人的な経験則からすると(とくに茨城県では)、歩行者が横断歩道を渡ろうとしているからといって、停まってくれる自動車は極めて少ない。男性ドライバーの場合はたまに停まってくれる場合があるが、女性ドライバーだとまず停まらない。

だから横断歩道を渡る場合は、私は歩行者の立場だったとしても最大限意識して「弱気」になる。つまり、クルマの流れが途切れるまでは横断を開始しない。こちらとしても命が惜しいからね。ましてや自転車で道路を横断する時は、さらに慎重になる。

このニュースの場合、話が複雑なのは、被害者は歩行者ではなく自転車に乗っていたためである。横断歩道は「歩行者のため」のものなので、自転車が渡ってもいいのかという議論があるのだ。これに関しては、クルマのドライバーとしては、やはり注意義務があるという解釈がなされているようだ (参照)。

とにかく、クルマを運転するにしろ、自転車に乗るにしろ、さらにまた歩行者として道路を歩くにしろ、最大限の注意をしなければならないという、まことに月並みな結論にしかならないのである。とくに中途半端な田舎道が一番危ない。

 

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2018年3月14日

政治の風向きがようやく変わりかけているようなので

自民党の自民党の村上誠一郎・元行革相が、自衛隊の南スーダン日報問題、加計学園問題、森友学園問題はすべて、「(安倍首相の)お友達というか、心の友に対する人事とか仕事を優遇するというか、それが原因でいろんな問題が起こっている」 と糺弾したという。 (参照

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この今さらながらのように思えるニュースに、まさに今さらながら注目している。首相の身内である自民党内部から、こんなに当たり前すぎる批判がようやく出てきたというのは、ある意味、風向きの変化が出てきたということなんだろうね。

私は今年初め、"当分の間「本籍・改憲派、現住所・護憲派」で行きたい" という記事を書いた。私は基本的には日本は改憲して、自衛隊の存在をきちんと認めなければならないと思っているが、安倍首相的なコンセプトで改憲なんかされた日にはとんでもないことになりそうなので、当面「護憲派」で行くことに決めたのである。

冒頭に上げた 3つの象徴的問題はすべて、国家主義的単細胞のイデオロギーから出発していると言うほかない。この単細胞さ加減については、 『「官報改正」の真実』(集英社新書) という本で、改憲派の小林説氏と、護憲派の樋口陽一氏が揃って、「自民党案では日本は先進国の資格を失う」「国家の根幹が破壊されてしまう」 批判されているので、ご一読をお薦めしておく。

付け加えておくが、「日刊スポーツ」に "田中真紀子氏「相変わらずばか」 安倍政権を痛烈批判" という、いかにもスポーツ新聞的な見出しの記事が出ている。彼女は 「次は誰かな。みんなダメ。日本の悲劇は、いい政治家を育てられない制度になったこと」だと分析しているというのだが、彼女自身を見ていると、まさにそんな気もする。

 

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2018年3月13日

川面でジャンプする魚たち

ようやく春が春らしくなってきた。ちょっと前までは春が春らしくなかったり、ちょっとだけ春らしくなったと思っても、すぐに「寒の戻り」の冷たい風に変わってしまっていた。

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我が家の裏手の川土手を夕方に散歩すると、頻繁に魚のジャンプする音が聞こえる。これは川面を飛び始める虫を、魚がジャンプして補食する行為なのだろう。ただ、ジャンプする魚の姿が確認できるのは、音が聞こえたうちの 5回に 1回ぐらいのもので、しかもほとんどは水中に戻る魚の尻尾がちらりと見える程度のことだ。

ところがたまたま水面高く飛び上がる大きな鯉だか鮒だかの姿がしっかりと確認できる時がある。それがとびきり大きな魚だったりすると、かなり心が躍る。一見して 50cm 近い大物だったりすると、さらにワクワクする。

そのくらいの大物になると、川の流れの中に舞い降りて主食の魚を漁る鷺の足元でも、平気でジャンプする。いくら体の大きな鷺でも、あんな大きな獲物は飲み込めないとわかっているからだろう。「食えるものなら食ってみろ」ってなわけだ。

鷺の首はかなり細くて長いから、水中の魚を捕まえるとちょっと上を向きながら必死に飲み込む。飲み込んでいる最中は、首が部分的に膨らんで、それがだんだん下に下がるから結構生々しく、その間はちょっと苦しそうにさえ見える。

というわけで、鷺はいくら足元で大物の魚がジャンプしても、「俺らのエサじゃじゃいもんね」と、一向に気にしない。結果として、鷺に食われるのを恐れて逃げるのは、小魚ばかりということになる。鷺としても、足元でこれ見よがしにジャンプする大物を忌まわしげに無視して、小物ばかりを追うのはさぞ切なかろう。

大物になってしまえば、何物も恐れずに済むようになるのだが、その大物に育つまでが、なかなか苦労が大きいというわけだ。小さいうちは、必死に逃げ延びて育ち、ようやく大きくなった一部の魚だけが、呑気に過ごせるのである。

あそこまで大きく育つと、釣り人に釣られないための慎重さまで自然に身に付けてしまうようで、休日に釣り糸を垂れている人の獲物を覗いても、なかなか大物はいない。つまり成長してしまった魚は大胆かつ慎重で、なかなかの強者のようなのである。

人間社会でも、昔の生き延びるのが容易ではなかった世の中で、古老が尊敬されたのは当然のことなのだとわかる。翻って今のように、何が何でも無理矢理生き延びさせられる世の中では、年を取っただけではなかなか尊敬されない。

 

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2018年3月12日

安倍さんのお守りは、そろそろ終わりにしてもいいよね

ニュースは「森友文書書き換え問題」でもちきりだが、私個人としては、「書き換えそのもの」にはあまり興味がない。財務省も書き換えを認めたし、書き換え前の文書が検察にあるというのだから、この問題の事実関係については既に決着が付いている。興味があるのは、世の中が「安倍切り捨て」に進んでいるように見えることについてだ。

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日本の官僚機構はこれまで、ずいぶん安倍首相に「ソンタク」(私は安倍がらみのお粗末な件については「ソンタク」とカタカナ表記することに決めている)してきた。そろそろ「もうこれ以上は付き合い切れん」と思い始めてもおかしくない。これ以上付き合っていたら、官僚機構そのものがおかしくなるという危機感もあるだろう。

こう言っちゃナンだが、安倍首相があまりオツムがよろしくなさそうなのは、答弁や演説の様子を見ていてもバレバレである。対照的に数段オツムがいい官僚たちとしては、「いつまでもあんなオッサンのお守りをさせられていたら、こっちの立場まで危うくなってしまう」と、思わないはずがない。

何しろ、既に辞職や自殺まで出ているんだしね。定年まで大過なく勤めて、あとはしっかり天下りしたい身としては、リスクの大きくなった政権に忠義立てしすぎるのは考え物だ。

私は昨年 7月 1日付で "「日本型ポピュリズムだった」 と過去形で総括したい安倍政権" という記事を書いている。半年以上経って、ようやく潮の変わり目に差しかかり、「過去形で総括」 できる時が近付いているのかもしれない。

 

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2018年3月11日

あれから 7年経ってしまった

東日本大震災から 7年が経った。たった 7年しか経っていないのかという思いと、7年の間にずいぶんいろいろなことが変わってしまったという感慨が交錯する。下の写真は、地震直後の私のデスク周り。本邦初公開である。いろいろなものが散らばり放題で、手が付けられない状態だった。

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本当にあっという間の 7年のような気がするが、冷静になって思い直すと、ずいぶんいろいろなことが変わった。50代後半だった私はなんと、 あっさり 65歳を過ぎて法的には晴れて「高齢者」の称号を得てしまったし、顕在だった父は震災のほぼ半年後に亡くなって、昨年七回忌法要を行った。

この写真を見ると、この頃の私は Windows PC のユーザーだったようだが、今はバリバリの Mac ユーザーである。Windows を使っていたなんて、今や「歴史の中の 1ページ」のような気がする。

私にとっては「歴史」になりかかった震災だが、福島や宮城の被災地では、まだまだ「ほんの昨日のできごと」である。原発処理は進むどころか、汚染水が貯まる一方だ。これほどリスクの高い施設を、日本政府はまだ拡大するつもりでいる。

去年の夏も余剰電力が僅かしかなく「電力危機」だなどと喧伝されたが、よく調べてみれば、震災前の原発分を上回る電力余力があったという(参照)。今後も省エネ技術が進展し、再生エネルギーの利用は進むはずだから、もはや原発は時代遅れのはずなのに、政権の裏に存在する 「利権」 というものが大きな力をもっているのは、「森友文書問題」を見るだけでわかる。

あの震災は、この国の問題を象徴的に浮き彫りにした。震災の記憶からは癒やされたいが、大きな問題は執念深く何度もほじくり出さなければならないと思っている。

 

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2018年3月10日

奈良の鹿をじらしたら、噛みつかれるのも仕方がない

読売新聞が "奈良公園で 「鹿にかまれた」 … 相談の 8割外国人" と報じている。私は 「奈良の鹿が人に噛みつくぐらいは昔から有名な話で、何を今さら......」と思ったが、外国人、とくに中国人が鹿に噛みつかれて大袈裟に騒ぐのは、狂犬病が怖いという事情があるようだ。

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記事によると、統計を始めた 13年度の全体の相談件数はわずか 50件で、そのうち外国人は 12件のみだったが、17年度(1月末現在 )は 128件と、10倍に増えたのだそうだ。8割以上が中国人で、中国からのインバウンドの急増を象徴する話である。

鹿に噛まれたぐらいでは怪我の程度は軽い。しかし「狂犬病が怖い」と言って相談に来るケースが多いので、奈良公園側では、「日本では 50年以上、狂犬病は発生していません」として安心するように呼びかけている。

道理で最近、奈良公園に行くと鹿との接し方について注意を呼びかける看板が増えた気がしていた。看板は英語、中国語など、数カ国語で書かれているが、主として中国人向けだったわけだ。中国人は 「鹿せんべい」 を与えるところを写真に収めたがるようで、シャッターチャンスを狙っているうちに、鹿の方がジレて噛みつくケースが多いという。

奈良公園の鹿は餌付けされているとはいえ、基本的に野生で、その上に人慣れしすぎて恐れないから、じらされたら怒って噛みつく。昔から「宮島の鹿は純朴だが、奈良の鹿は生意気」というのが、知る人ぞ知る定説で、日本人でもよくケツを噛まれたりしていた。日本人は狂犬病の心配に思いが至らないから、ことさら騒がないだけである。

ただ、「純朴」と思われている宮島の鹿でも、油断がならない。私の知人はちょっとよそ見をしているうちに、ガイドブックをむしゃむしゃ食われてしまったというから、気を許しすぎるのは禁物だ。

 

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2018年3月 9日

蚊は叩こうとした人を覚えて避けるらしい

ちょっと古くて、今年 1月末の National Geographic に載った記事なのだが、「蚊は叩こうとした人を覚えて避ける」んだそうだ。私は蚊を叩くのがとても苦手なんだけど、叩きつぶすことに失敗しても「叩こうとした」という事実だけで避けてくれるなら、この夏は諦めずにどんどんチャレンジしてみよう。

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相手は蚊とはいいながら、私は聖人君子でもないのに、殺生をするということにちょっとした抵抗があるようで、その意識が邪魔して、蚊を叩こうとしてもつい狙いが狂ってしまう傾向がある。結果として、叩きつぶすことの成功率がとても低く、すぐに逃げられてしまうのだ。

ところが最新の研究によると、蚊は叩きつぶそうとした人の臭いを覚えていて、以後避ける能力があるというのである。もっとも覚えていられるのはほぼ 24時間ぐらいで、死ぬまで覚えているわけではないようなのだが、まあ、それで十分だ。スプレー式の蚊避けよりずっと効果がある。

米ワシントン大学の神経生態学者、ジェフ・リッフェル氏は、これを称して「パブロフの蚊みたいなものです」と言っている。叩こうとした人を避けるのは、単純な条件反射であるらしいのだ。だったら、それを利用しない手はない。

蚊が地球上で最も危険な動物であると認識している人は案外少ない。しかし事実は、蚊によって媒介される恐ろしい病気はかなり多く、マラリアだけで年間 40万人以上が死んでいるし、最近はジカ熱というのまで注目されている。こんなに多くの人間の死亡につながる動物は、ほかにないのだそうだ。

というわけでこんなに危険な動物なら、叩きつぶすことには失敗しても、トライだけはどんどんしてみるに越したことはない。さらに言えば、とくに叩こうとする必要すらないらしく、リッフェル氏は 「踊って、活発に動いて! そうすれば、蚊は誰か他の人のところに行きますよ」 と言っている。

カロリー消費と一石二鳥になるわけだ。

 

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2018年3月 8日

新品の 「モバイル・バッテリー」 を誂えた

スマホ充電用の「モバイル・バッテリー」を新品に買い換えた。これまで使っていたの(写真左)は、6〜7年前に買ったもので、容量は 4700mAh。「スマホを 2回充電できる」という触れ込みだった。ところがこれが、最近かなりヘタッてきてしまったのである。

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出張などに出ると、地図やスケジュールの確認、頻繁な通話やメール、写真撮影などで、スマホのバッテリーの消耗が激しくなる。電車がトンネルに入ったりすると電波を探しまくったりするので、ますます消耗する。新幹線での移動中は、座席にある電源で充電可能だが、同じ新幹線でも上越新幹線などは電源がない。そして在来線特急ではますます期待できない。

先日、山形県に出張したときは、そんなこんなで昼頃にはバッテリーの残量が 40%を切ってしまった。そんな時に役立つのが「モバイル・バッテリー」というわけで、早速取り出してスマホにつないだのだが、なかなか残量の数値が回復しない。さらに、1時間ちょっとつないでいるだけで、モバイル・バッテリーの方があっさり空になってしまった。

6年以上も使いまくっているうちに、すっかりヘタってしまったようなのである。そんなわけで、最近新品(写真右)を誂えた。メーカーは同じ ELECOM で、容量はちょっと増やして 6000mAh。寸法は縦横が小さくなった分、厚みが倍以上になった。出力端子が 2つ付いていて、同時に 2台充電が可能だが、まあ、実際には 2台繋ぐことなんて滅多にないだろうね。

今月の中旬以後はやたらと旅が多くなるので、かなり重宝するだろうと思っている。ところでこれ、5年足らず使用すれば私は 70歳を越すと気付いて驚いた。バッテリーは使っているうちにヘタるが、体の方それとは対照的に使えば使うほど丈夫になるから、せいぜい忙しくしていよう。

 

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2018年3月 7日

今日はやたら寒く感じる

昨夜遅く、山形県庄内への出張の旅から戻った。到着した 5日の庄内平野は冷たい雨と風模様。仕事本番の 6日は「晴れ男」の面目躍如で晴れたものの、頬が痛くなるほどの冷たい風で、午後にはちらほら小雪まで舞った。

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というわけで、庄内への出張は決していいコンディションとは言えず、寒さに震えて過ごしていたのである。そして「つくばに帰れば、少しは体も暖まるだろう」と期待して帰ってきたが、どういうわけかこちらもやたら寒い。どうやら日本中冷えているようなのだ。

先週末はかなり春めいた陽気になって、気温も 20度近くまで上がっていたところに、この急激な「寒の戻り」である。近頃は天気が極端化しているので、少々の変動には慣れているつもりだが、ここまで極端だと、体が付いていくのがやっとだ。

明日は雨になって気温もそれほど上がらないらしいが、明後日のつくば周辺は、雨のち曇りとはいいながら、最低気温が 10度、最高気温が 17度まで上がるという。これまた極端な変わりようで、どんな格好をして過ごせばいいのかわからない。

そして来週半ばは関西に行き、20日以後は九州に行く。天候の変動要因が大きいところにもっていて、居場所もゴロゴロ変わるのだから、体にはかなり気をつけなければならない。とにかく気を確かにもって乗り切ろう。

 

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2018年3月 6日

庄内のお皿って結構な値打ちものもあるらしい

JR 東日本の新幹線内に常備されている雑誌『トランヴェール』に、「山形、骨董探訪 北前船がつないだ北前船がつないだ庄内、新潟、金沢」という特集があった。表紙はこんなのである。

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この表紙にある焼き物だが、「この手の皿なら、庄内のちょっとした古い家なら、いくらでもあるわなあ」という印象である。ごくフツーの食事で、サンマの焼いたのとかを載せて食卓に出されたりする。ところがこれ、古伊万里の伝統をひくものらしいのだ。

私は陶磁器や骨董に全然詳しくないので、深いところの話はよくわからないのだが、庄内は江戸時代の北前船によってもたらされた古伊万里の宝庫らしいのである。

まあ、フツーの家庭でサンマなんか載せて出していたのはほとんどデザインだけ真似たイミテーションなんだろうが、この手のデザインが庄内のスタンダードだったという事実は、古伊万里がたくさんあるということで裏付けられるんだろう。

で、酒田は今、「酒田雛街道」という催しの真っ最中で、街中のあちこちに雛人形が飾ってある。酒田のひな祭りは月遅れだから、来月初めまで続くのだが、博物館級の展示になると、江戸中期頃に上方で作られたみたいな、とんでもない値打ちものがあったりする。

日本中で結構古い雛人形の展示があったりするが、庄内の雛人形は他の土地のものと比べて保存状態が格段にいい。ものすごく大切にされてきたことを物語る。まあ、昔の豪商が金にあかせて買い集めたものだから、大切にもするわなあ。

というわけで、東北の片田舎ながら、結構な眼福ものにお目にかかれたりするのが、我が故郷というわけなのである。

 

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2018年3月 5日

廉価版の MacBook Air が出るなら

engadget に「アップル、低価格な 新型MacBook Air をこの春発表? ディスプレイ解像度向上に期待」という記事がある。私は今、15インチ の MacBook Pro を使っていて、出張などにも持ち歩いているが、もし新型で低価格の MacBook Air が出るなら、欲しいところである。

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私は MacBook Pro、iPad、iPhone の 3台を持っているが、フルに活用しているのは、MacBook Pro と iPhone だけで、iPad はちょっと忘れ去られた存在になりかけている。iPhone はモバイル機器として十分な機能をもっているし、それで対応できない込み入った作業を行うには、iPad ではなく MacBook を使わなければならない。つまり、iPad は私にとっては中途半端なのだ。

知り合いに、ガラケーと iPad を使い分けているのが何人かいるが、iPad で済む程度のタスクをするなら、iPhone 1台で済ませる方がずっといいと思う。ガラケーと iPad は操作体系も違えばデータ共有もしにくいので、組み合わせて使う意味はあまりない。

もし MacBook Air の廉価版が出るなら、私は将来的には、自宅で使う iMac と、外出用の MacBook Air、そして iPhone の 3台体制に移行したいと思う。

 

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2018年3月 4日

「極端化」 する気象のニュース

夜の 8時前に帰宅して Google ニュースを開いてみたら、「トップニュース」の上から 3本がいずれも気象関係で、しかも「極端な気象」のニュースである。

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"米旅客機が乱気流に遭遇、機内の「ほぼ全員が嘔吐」" というのはすごい。機内のほぼ全員が嘔吐するほどの揺れって、いったいどんなんだろう。よほど激しい上下動があったに違いない。

私は乗り物酔いには強い方だが、中学生の頃に台風が通り過ぎた直後に青函連絡船に乗り、波による激しい上下動でかなり気持ち悪くなってしまった経験がある。「こりゃ、ヤバい!」と思って船室で横になり、難を逃れたが、あのまま立っていたら嘔吐していたかもしれない。で、今回のニュースは「ほぼ全員が嘔吐」というのだから、あの時の何倍もすごかったのだろう。

"各地で気温上昇、20度超も 福島県浪江町は6月並み" というのもすごい。私は今日所用があり、クルマで約 1時間半のところまででかけたのだが、車内では Tシャツ 1枚で、しかも窓を開けて走っていた。とにかく暑かったのである。まだ 3月上旬で、東日本大震災の年は 3月下旬まで冷たい季節風に震えていた覚えがあるのに。

しかも暑いのは今日だけで、明日は最高気温が 5度下がり、明後日は最低気温が氷点下になるというのだから、体を慣らすのが大変だ。私は明日に仕事で故郷の山形県酒田市に行き、明後日は朝から出歩かなければならないのだよ。どんな格好をして行ったらいいのだろう。

"米北東部で暴風雨 6人死亡、90万世帯で停電" というのは、この季節としては異例の「爆弾サイクロン」によるもので、6人の死者のうち、5人は倒木によるものだという。死ぬのはこわくないが、倒木の下敷きになって死ぬのはいやだなあ。

最近の気象現象は「温暖化」というより「極端化」だと、何度か書いているが、本当に気持ちのいいモデレートな天気というのがめっきり少なくなった。そして「数十年に 1度」というような異常気象が毎年発生するのだから、本当に油断がならない。

 

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2018年3月 3日

「我々は既に 『ロボット』 なんだから」 という思い

NHK BS で、"最後の講義 「石黒浩教授」" という番組を見た。見たと言っても、妻が旅行に行っているので、洗濯機を回したり物干しをしたりしながら細切れに見ただけで、みっちりと付き合ったわけじゃない。ただ、それなりに思うことがあったので、ここにちょこちょこっと書いておこうと思う。

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この番組は昨年 7月に放送されたもので、今回は再放送ということになっている。検索してみたら世の中恐ろしいもので、録画の完全版が こちら にあるので、興味のある方は行ってみるといいかもしれない。私は忙しいので、敢えて完全版を見直そうとは思わないが。

番組自体は、「もし今日が人生最後の講義だとしたら、教授は学生に何を語るのか?」というコンセプトで製作されている。これ、米国で流行った試みのようで、今回は自分そっくりのロボットを作ったことで有名になった石黒教授がこのコンセプトのもとに、「すべての人間はロボットになる」というメッセージを発しているわけなのである。

彼は「人間は 1000年後に環境変化に付いていけず、滅亡」「人間は無機物から生まれ、無機物に帰ろうとしている」「進化の最終段階としての人間は、自らを無機物に置き換えて、生物の制約である 120年の寿命を越えようとしている」つまり「すべての人間はロボットになる」と、主張している。

なるほどね。これは決して無茶な極論じゃない。「ロボットの研究は人間とは何かという根本的な興味から始まった」という石黒教授の、現段階での最終回答なのかもしれない。

ところで私は元々、人間というのはロボットみたいなものだと思っている。有機物と無機物の区別さえしなければ、我々みんな、一種のロボットなのだ。ということは、石黒教授が「自分のロボット」を製作した如く、「オリジナルの自分」はどこか別の所にあるので、それを追求したいという思いはあるのだが。

石黒教授が講演依頼を受けて、「本人とロボットの講演どちらにしますか?」と聞くと、ほとんどが「ロボット」という返事なのだそうだ。「本人よりロボットが見たい」のだという。それは当然だ。ロボット研究の第一人者に講演依頼をして、「ロボットを派遣しようか?」と言われれば、そりゃ、ロボットの方を見てみたい。それが人情というものである。

で、今のところはどんなに精巧なロボットを作り、精巧なプログラミングをほどこしても、やはりどうみてもロボットじみた動きしか実現されていないから、それを見た人間はある種の安心感を抱く。それは私に言わせれば、「俺の方がロボットとしてずっとよくできてるじゃないか」という自己満足にほかならない。

そしてそのうちに作り物のロボットに飽きてきたら、より本物と区別が付きにくい新型ロボットを派遣しなければならなくなる。それでもやっぱり生身の人間との「差異」が目立ってしまうだろうから、またさらに進化したロボットを作らなければならない。

そして究極的に生身の人間との差異がわからないほどの進化を遂げたら、人間なんて贅沢な存在だから、今度は「ロボットとしての面白みがない」なんて言い出すに決まっている。自分自身が「ロボットとしての面白みがない存在そのもの」のくせに。

というわけで、まあ、現段階の「生身の人間」 に似せたロボットというのは、ロボット進化の初歩の段階なのかも知れないね。我々が「生身の肉体」から開放されたところに、新段階があるのだろう。それは「ロボットとしての面白みたっぷり」の開発をして、新しい哲学を生み出す段階なのかもしれない。

 

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2018年3月 2日

アイコンで埋め尽くされたデスクトップ依存症候群

昨日、長崎空港でかなり長時間にわたって飛行機の便待ちをしてしまったので、生まれて初めて空港ロビーで PC を広げて作業をするという経験をした。世の中には空港ロビーで PC に向かっている「有能なビジネスマン」が結構いるが、私はそんなことをする気には、ついぞなれなかったのである。

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昨日はやんごとなき事情で、空港ロビーで 4時間以上も便待ちをしたので、帰宅してからするつもりだったブログの更新や仕事上のメールの発信などを、しかたなく空港ロビーでしたのだが、普段はせいぜいスマホでちょこちょこっとメール・チェックをする程度である。そもそも、昨日のようなケースを除けば、空港ロビーでまともな仕事ができるほどの時間をすごすことなんてないし。

で、この際だからちょっと最近になって気付いたことを書いてしまおうと思うのだが、空港ロビーで PC に向かっている人の、すべてとは言わないが、少なくとも 4割以上は、単にデスクトップ画面をじっと見つめているだけという印象がある。アプリケーションを起動して仕事しまくっているってわけでは、決してないのだ。端から見れば、「一体、何してんの?」と言いたくなる光景なのである。

そしてさらに言えば、彼らの見つめているデスクトップは、ずらりと並ぶアイコンで埋め尽くされていることがとても多い。本当に、空港ロビーで開かれている PC の多くは、画面一杯にならんだアイコンを延々と表示しているだけと言っていいほどなのだ。

上の写真は昨日見かけたその典型的な例で、悪いけどちょっと盗み撮りさせてもらった。この人もご多分に漏れず、このアイコンで埋め尽くされたデスクトップを、15分以上ひたすら眺めていたのである。

ちなみに去年の 3月も、奇しくも同じ長崎空港で同様のデスクトップ画面をパパラッチしている(参照)。この時は 「彼自身、ずらりと並んだアイコンにてこずっているみたいで、この壮観なデスクトップをずいぶん長い間表示させたままで、目的のファイルを探していた」 なんて書いているが、今から思えば、あれはファイルを探していたのではなく、単に眺めているだけだったんだろう。

このタイプの人って、空港ロビーという忙しい印象の場所でも、アイコンのずらりと並んだデスクトップ画面を眺めていさえすれば、心の安らぎというか、何らかの安心感を得られるのだろうね。そしてこの安心感を得るためにも、デスクトップ画面にはありったけのアイコンが並んでいなければならないのだ。きっと。

これ、「アイコンで埋め尽くされたデスクトップ依存症候群」と、昨日名付けさせていただいたばかりである。

 

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2018年3月 1日

よっぽど 「シャコタン」 という響きがお好きのようで

"就任会見で 「色丹島」 を言い間違え… 福井・沖縄北方相が謝罪" という見出しを見ただけで、何と言い間違えたかすぐに想像が付いた。本文を読むと、案の定、つい 「シャコタン」と言っちゃったもののようで、ありがちな間違いだと思うから決して責めようとは思わないが、やっぱり吹きだしてしまうよね。

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「シャコタン」と言ったら、「族車」以外に思い浮かばない人も多いかもしれないが、北海道には「積丹半島」というのがあって、これはまさしく「しゃこたん半島」と読む。だから言い間違えるのもしょうがない。しょうがないけど、やっぱり笑われる。こればかりはしかたがない。

「色丹島」は「歯舞諸島(「歯舞群島」とも言われる)」とセットで語られることが多いので、北方領土に多少でも関心のある人なら、「はぼまい・しこたん」という発音で耳にインプットされているんじゃなかろうか。「はぼまい・シャコタン」なんて言っちゃったら自分で気持ち悪くなるだろうから、やはり「北方相」というほどの立場の人なら、つい口走ったとしても、自分で「ありゃ? 違うな」と気付いていい。

しかし実際には、「ビザなし交流」とやらで行ったことまであるという島の名前の言い間違いを、メモ書きで注意されるまで気付かなかったというのだから、よっぽど「シャコタン」という響きがお好きだったのかもしれない。このあたり、「責めようとは思わない」と繰り返し断った上での話だが、やっぱり笑われてもしょうがないよね。よくよく因果な言い間違いだ。

ちなみに北方四島は、「国後(くなしり)・択捉(えとろふ)」と 「歯舞・色丹」の 2セットで語られることが多いので、この際、きちんと耳に馴染ませておこう。

 

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