「我々は既に 『ロボット』 なんだから」 という思い
NHK BS で、"最後の講義 「石黒浩教授」" という番組を見た。見たと言っても、妻が旅行に行っているので、洗濯機を回したり物干しをしたりしながら細切れに見ただけで、みっちりと付き合ったわけじゃない。ただ、それなりに思うことがあったので、ここにちょこちょこっと書いておこうと思う。
この番組は昨年 7月に放送されたもので、今回は再放送ということになっている。検索してみたら世の中恐ろしいもので、録画の完全版が こちら にあるので、興味のある方は行ってみるといいかもしれない。私は忙しいので、敢えて完全版を見直そうとは思わないが。
番組自体は、「もし今日が人生最後の講義だとしたら、教授は学生に何を語るのか?」というコンセプトで製作されている。これ、米国で流行った試みのようで、今回は自分そっくりのロボットを作ったことで有名になった石黒教授がこのコンセプトのもとに、「すべての人間はロボットになる」というメッセージを発しているわけなのである。
彼は「人間は 1000年後に環境変化に付いていけず、滅亡」「人間は無機物から生まれ、無機物に帰ろうとしている」「進化の最終段階としての人間は、自らを無機物に置き換えて、生物の制約である 120年の寿命を越えようとしている」つまり「すべての人間はロボットになる」と、主張している。
なるほどね。これは決して無茶な極論じゃない。「ロボットの研究は人間とは何かという根本的な興味から始まった」という石黒教授の、現段階での最終回答なのかもしれない。
ところで私は元々、人間というのはロボットみたいなものだと思っている。有機物と無機物の区別さえしなければ、我々みんな、一種のロボットなのだ。ということは、石黒教授が「自分のロボット」を製作した如く、「オリジナルの自分」はどこか別の所にあるので、それを追求したいという思いはあるのだが。
石黒教授が講演依頼を受けて、「本人とロボットの講演どちらにしますか?」と聞くと、ほとんどが「ロボット」という返事なのだそうだ。「本人よりロボットが見たい」のだという。それは当然だ。ロボット研究の第一人者に講演依頼をして、「ロボットを派遣しようか?」と言われれば、そりゃ、ロボットの方を見てみたい。それが人情というものである。
で、今のところはどんなに精巧なロボットを作り、精巧なプログラミングをほどこしても、やはりどうみてもロボットじみた動きしか実現されていないから、それを見た人間はある種の安心感を抱く。それは私に言わせれば、「俺の方がロボットとしてずっとよくできてるじゃないか」という自己満足にほかならない。
そしてそのうちに作り物のロボットに飽きてきたら、より本物と区別が付きにくい新型ロボットを派遣しなければならなくなる。それでもやっぱり生身の人間との「差異」が目立ってしまうだろうから、またさらに進化したロボットを作らなければならない。
そして究極的に生身の人間との差異がわからないほどの進化を遂げたら、人間なんて贅沢な存在だから、今度は「ロボットとしての面白みがない」なんて言い出すに決まっている。自分自身が「ロボットとしての面白みがない存在そのもの」のくせに。
というわけで、まあ、現段階の「生身の人間」 に似せたロボットというのは、ロボット進化の初歩の段階なのかも知れないね。我々が「生身の肉体」から開放されたところに、新段階があるのだろう。それは「ロボットとしての面白みたっぷり」の開発をして、新しい哲学を生み出す段階なのかもしれない。
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