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2018年3月24日

親の延命治療を強いるエゴイズム

半年も前の「ダイヤモンド・オンライン」の記事で恐縮だが、"「延命治療」を親に強いるのは圧倒的に 50代息子が多い理由" という記事を興味深く読んだ。親が延命治療を望まず、家族の多くも安らかな親の死を望んでいても、50代の息子は強硬に延命治療を望むケースが目立つのだそうだ。

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調査によると、生きながらえる見込みがない場合には、ほとんどの人は延命治療を臨まない。しかし、50〜60代の息子は逆の場合が多いという。記事を引用してみよう。

家族が病気で治る見込みがない場合、「延命のみを目的とした医療は行わず、自然にまかせてほしい」は 73.7%。「少しでも延命できるよう、あらゆる医療をしてほしい」は、全年齢の平均では 14.7%だが、55~59歳では 16%、60~64歳では 16.5%と高くなる。この数字は、男女合わせたものなので、男性に限れば、さらに高くなるに違いない。

本人も、家族の多くも臨まない延命治療を、どうして 50〜60代の息子は臨むのか。記事では「めぐみ在宅クリニック」小沢竹俊院長の次のようなコメントで説明されている。

「傾向としては、お嫁さん任せで、なかなか介護にコミットしなかったご長男、あるいは遠方に住んでいて、施設任せできたような家族に、そういう治療を望むケースが多いですね。

それまで親と、きちんと向き合えていないから、いざその時が来た時に、子どもとしての覚悟が全くない。だから右往左往し、本人が決して望まないことを強制する。子どもとして、今まで向き合ってこなかった分これからなんとかしたいから、最善という名の下、望まない延命治療をさせてしまう、というのがよくあるストーリーです」

なるほどね。これは私に言わせれば、子どものエゴイズムでしかない。

私の父は 7年前の震災直後から体調が悪化し、通院したところ肺がんが見つかった。父は曹洞宗の坊主の息子だけに少しも慌てず騒がず、「死ぬのは 10月になってからにしようと思う。夏の暑い時に死ぬのは、葬式に来てくれる人たちに気の毒だから」 と言った。そして見事にその言葉通り、10月のど真ん中の 16日(前後に 15日ずつある)に息を引き取った。我が父ながら、見事な最期だった。

父は当然のごとくに延命治療を望まなかったし、その頃まさに「50代の息子」だった私も望まなかった。父も私も冷静に「死」というものを受け入れていた。そして私自身も、その時が来たら余計な治療を施されることなく、さっさとあの世に行きたいと思っている。我が家は息子がいなくて子どもは 3人とも娘だから、強引に延命治療を望まれることもなかろうと、安心している。

 

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