川面でジャンプする魚たち
ようやく春が春らしくなってきた。ちょっと前までは春が春らしくなかったり、ちょっとだけ春らしくなったと思っても、すぐに「寒の戻り」の冷たい風に変わってしまっていた。
我が家の裏手の川土手を夕方に散歩すると、頻繁に魚のジャンプする音が聞こえる。これは川面を飛び始める虫を、魚がジャンプして補食する行為なのだろう。ただ、ジャンプする魚の姿が確認できるのは、音が聞こえたうちの 5回に 1回ぐらいのもので、しかもほとんどは水中に戻る魚の尻尾がちらりと見える程度のことだ。
ところがたまたま水面高く飛び上がる大きな鯉だか鮒だかの姿がしっかりと確認できる時がある。それがとびきり大きな魚だったりすると、かなり心が躍る。一見して 50cm 近い大物だったりすると、さらにワクワクする。
そのくらいの大物になると、川の流れの中に舞い降りて主食の魚を漁る鷺の足元でも、平気でジャンプする。いくら体の大きな鷺でも、あんな大きな獲物は飲み込めないとわかっているからだろう。「食えるものなら食ってみろ」ってなわけだ。
鷺の首はかなり細くて長いから、水中の魚を捕まえるとちょっと上を向きながら必死に飲み込む。飲み込んでいる最中は、首が部分的に膨らんで、それがだんだん下に下がるから結構生々しく、その間はちょっと苦しそうにさえ見える。
というわけで、鷺はいくら足元で大物の魚がジャンプしても、「俺らのエサじゃじゃいもんね」と、一向に気にしない。結果として、鷺に食われるのを恐れて逃げるのは、小魚ばかりということになる。鷺としても、足元でこれ見よがしにジャンプする大物を忌まわしげに無視して、小物ばかりを追うのはさぞ切なかろう。
大物になってしまえば、何物も恐れずに済むようになるのだが、その大物に育つまでが、なかなか苦労が大きいというわけだ。小さいうちは、必死に逃げ延びて育ち、ようやく大きくなった一部の魚だけが、呑気に過ごせるのである。
あそこまで大きく育つと、釣り人に釣られないための慎重さまで自然に身に付けてしまうようで、休日に釣り糸を垂れている人の獲物を覗いても、なかなか大物はいない。つまり成長してしまった魚は大胆かつ慎重で、なかなかの強者のようなのである。
人間社会でも、昔の生き延びるのが容易ではなかった世の中で、古老が尊敬されたのは当然のことなのだとわかる。翻って今のように、何が何でも無理矢理生き延びさせられる世の中では、年を取っただけではなかなか尊敬されない。
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コメント
魚がジャンプするのは、産卵のためか、あるいは単にジャンプしたかったからなんでしょうかね?春だし( ̄ー+ ̄)ニヤリ
それはそうと、小川でジャンプする魚と鷺の仕草を見て、ここまで考察を巡らせることができるtak先生はやはり私の心の師でつ!
投稿: サイボオグ野兎弌號 初期型 | 2018年3月13日 22:21
サイボオグ野兎弌號 初期型 さん:
そりゃ、買いかぶりというものかも ^^;)
投稿: tak | 2018年3月14日 20:46