自分の声を相手にすとんと届かせることのできない人
昨日、京都から帰ってくる時の新幹線の話である。通路を挟んで向い側に座った若い女性の二人組の話し声が、やたらうるさかった。いや、本当にうるさいのは二人組のうちの片方だけなのだが、とにかく周囲に憚りのない甲高いアニメ声が、やたら頭に響くのである。
世の中には、隣に座った相手だけに聞こえれば充分なのに、なぜか半径 30メートルぐらいにギンギン響くような声で話したがるタイプの人間がいる。自分の声の届き方に関して、完全に無神経なタイプだ。これは神経的な欠陥と言ってもいいと思っている。
SCOT (旧・早稲田小劇場) を主催する鈴木忠志氏は、演劇的シチュエーションを心理的のみならず身体的感覚で裏付けることを強調されていた。そのトレーニング・メソッドで、自分の声を相手に届かせる際に、その声があたかも放物線を描くように届くのを見るという訓練がある。目の前の相手に届かせる時は短い放物線に、遠くまで届かせる時は長い放物線になる。
これは大抵は訓練すれば身につくことで、この訓練で、自分のセリフを相手の腑にすとんと落ちるように話すことができるようになる。つまり、声を話しかける対象に命中させるのだ。
しかし中にはこれができないという人がいる。自分の声がどうしても放物線にならないのだ。自分の声のターゲットを明確化できないのは、自分の話を周囲に無差別に聞かせつけたいという無意識的欲求による。どうしても拡散させたい欲求があるのだ。
これに関しては前にも書いたことがあるような気がして、自分のブログを検索してみたら、7年半も前に「公共の場所での、必要以上の大声会話」というタイトルで、次のように書いていた。
「ねえ、聞いて聞いて、私たちって、こんなにオシャレな会話しちゃってるの」「俺の当意即妙の会話センスってすごいでしょ。みんなにも聞かせてあげる」 「私って、物知りでしょ。あふれ出る知性を披露しちゃおうかな」とでも言いたげな人が、周囲の迷惑も知らずに結構な声で話をしたがる。
とくに、若い女の子 2人連れで、互いに当意即妙な(とはいえ、内容はうんざりするほど薄っぺらなんだが)会話センスを競ってでもいるようにマシンガントークを繰り広げながら異常な盛り上がりを現出しているのがいる。そうなるとまさに公害だ。
要するに大きな話し声の公害は、昔からあるのである。
似たような感覚のこととして、「中国人の大声」というのがある。ご存じの通り、中国の人たちというのは、やたら大きな声で話すが。彼らの大声は、「自分は腹の中ではこんな下らないことしか考えてないよ」ということをアピールする必要があるかららしい。少なくとも無意識的にはそういうことのようなのだ。
中国社会では周囲を憚る小声で話をすると、体制転覆の相談でもしているんじゃないかと疑われかねないようなのである。
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コメント
なるほど、中国のかたが大きな声なのはそうした歴史的背景があるのですね。ちなみに私は東京人ですが、日本の女性(かなり多くの)の甲高い話し声が苦手で、そうした集団がきたら逃げてしまうほどですが、どうやらそれは私だけではないらしいですね。
「音の暴力」は本人が自覚していない場合が多いですが(女性の話し声に限らず)、もう少し「迷惑になっていないだろうか」という想像力を持ってほしいですね。まぁ人の多い都会ではなかなか難しいですが(←オマエモナ)。
投稿: こんばんは、萩原です(笑) | 2018年3月31日 21:47
こんばんは、萩原です(笑) さん:
>もう少し「迷惑になっていないだろうか」という想像力を持ってほしいですね。
まさにその通りではあるのですが、なにしろああした方々は、無意識(潜在意識) の部分で、目の前の相手以外にまで、(あるいは目の前の相手以外にこそ) 聞かせつけたいという欲求をもっているので、「迷惑になっていないだろうか」 なんて、思いもつかないんでしょうね。
そして、まさにそれこそが、こうした現象の最大の原因なわけですよ。
投稿: tak | 2018年4月 1日 01:39
中国語については、四声と言うんでしたっけ、細かいイントネーションで意味が変わってしまうので、ある程度のボリュームで話さないと伝わりにくいからだ、という話を聞いたことがあります。で、そういうイントネーションの使い分けをする言語だから、中国語ネイティブは音感が優れている、とか。ほんとかな~(笑)
以前、零細社会人劇団に参加していたとき、役者をやっている奴は、騒々しい居酒屋でも、たいして声も張り上げずに店員に「すみませーん」を届かせるのが上手かった覚えがあります。
投稿: 山辺響 | 2018年4月 2日 16:57
山辺響 さん:
確かに、四声のある言語で無声音のひそひそ話は難しいでしょうね。かと言って、あんなに大きな声である必要もないような気がしますが。
役者やってると、確実に声を届かせることが自然にできるようになります。ただし、舞台の役者に限ると思いますが。
釣りをしていて、ポイントにしっかりと針を落とすという感覚に似てると思います。キャッチボールよりも、釣りの方が近いです。
投稿: tak | 2018年4月 2日 22:23
歌舞伎役者の発声が放物線を描くような発声と理解してよいでしょうか。声を届ける相手は千人位でしょうが隅々までよく届きますね。
投稿: ハマッコー | 2018年4月 2日 22:29
ハマッコー さん:
歌舞伎役者は、さすがですよね。結構な老齢になってもしっかりと声が届きます。子どもの頃からそんな体になってるんでしょうね。
投稿: tak | 2018年4月 3日 19:13