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2018年3月11日

あれから 7年経ってしまった

東日本大震災から 7年が経った。たった 7年しか経っていないのかという思いと、7年の間にずいぶんいろいろなことが変わってしまったという感慨が交錯する。下の写真は、地震直後の私のデスク周り。本邦初公開である。いろいろなものが散らばり放題で、手が付けられない状態だった。

180311

本当にあっという間の 7年のような気がするが、冷静になって思い直すと、ずいぶんいろいろなことが変わった。50代後半だった私はなんと、 あっさり 65歳を過ぎて法的には晴れて「高齢者」の称号を得てしまったし、顕在だった父は震災のほぼ半年後に亡くなって、昨年七回忌法要を行った。

この写真を見ると、この頃の私は Windows PC のユーザーだったようだが、今はバリバリの Mac ユーザーである。Windows を使っていたなんて、今や「歴史の中の 1ページ」のような気がする。

私にとっては「歴史」になりかかった震災だが、福島や宮城の被災地では、まだまだ「ほんの昨日のできごと」である。原発処理は進むどころか、汚染水が貯まる一方だ。これほどリスクの高い施設を、日本政府はまだ拡大するつもりでいる。

去年の夏も余剰電力が僅かしかなく「電力危機」だなどと喧伝されたが、よく調べてみれば、震災前の原発分を上回る電力余力があったという(参照)。今後も省エネ技術が進展し、再生エネルギーの利用は進むはずだから、もはや原発は時代遅れのはずなのに、政権の裏に存在する 「利権」 というものが大きな力をもっているのは、「森友文書問題」を見るだけでわかる。

あの震災は、この国の問題を象徴的に浮き彫りにした。震災の記憶からは癒やされたいが、大きな問題は執念深く何度もほじくり出さなければならないと思っている。

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