土俵と女性
京都府舞鶴市で行われた大相撲の春巡業で、土俵上で倒れた多々見良三・舞鶴市長に心臓マッサージを行っていた女性に、「土俵から降りてください」 と呼びかけたというニュースが結構な問題になっている。これに関して、専門医師が女性の取った措置は完璧と太鼓判を押したことが HUFFPOST に報じられている。(参照)
私はこれに関するビデオを今日初めて見たのだが (上の写真にリンクする HUFFPOST の記事で見ることができる)、土俵に上がった男性がほとんどおろおろしている中で、女性 2人がとても冷静に必要な措置を講じているのが確認できる。舞鶴市長は、倒れた現場にこうした女性が居合わせたことを、「不幸中の幸い」として天に感謝すべきだろう。
この問題に関して私は、4月 5日に次のように tweet している。(参照)
心臓マッサージしてる女性に「土俵から降りろ」は言語道断だが、それとは別の次元の話として、土俵には命を落としても本望という覚悟で上がらねばならないのだ。たとえ単なる挨拶のためとはいえ、あくまでも「覚悟」としてはね。
この tweet は、その 2日前の「東京駅のゴミ箱、ぼってる」より多少はわかりやすかったようで、「リツィート」と「いいね」が 1件ずつあった。
私は「慣習」というのか「伝統」というのか定かではないが、「女性は土俵に上げない」という不文律に関しては、大相撲関係者には恐縮だが、「本質的にはどうでもいいこと」と思っている。あまり語られないことだが、昔は「女相撲」という色物的興業もあったことだし、それほどしゃっちょこばって語っても仕方がなかろう。
ただ、宝塚市の中川智子市長が「土俵上で挨拶したい」と申し入れて断られた(参照)という件に関しては、上の tweet で述べたように「『土俵上で命を落としても本望』 という覚悟があるならどうぞ」と言うほかないと思っている。極端な話ではあるが、狂信的な男性至上主義者が土俵に駆け上って襲いかかり、結果的に命を落としたしても後悔しないほどの覚悟だけはもって上がるべきだということだ。
一方東京都の小池知事は「東京・両国国技館で自身が土俵に上がり、優勝力士に都知事杯を授与することに関しては、『手渡すことにチャレンジするエネルギーを費やすつもりはあまりない』と答えた」と報じられている(参照)。これはこれで賢明な考えだと思う。
こんなことを言いすぎると「お前は土俵に上がった女性は殺してもいいというのか」とか 「女性が土俵に上がることについて、不等なプレッシャーを与えるのか」なんて短絡的な批判が出かねないので、実はあまり直接的には言いたくなかった。しかし冷静に読んでもらえば、そんな馬鹿なことを言っているわけではないと理解してもらえるだろう。「土俵で命を落としても本望」という覚悟が求められるのは、男女共通のことだし。
この「覚悟」というのは、昨日の記事(参照)で 「私なんか『伝統』というのはかなりラジカルな側面をもつと信じているのでね」と書いた一つの要因でもある。
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コメント
倒れたのが相撲協会の偉いさんなら救命拒否も「どうぞ好きにして」ってなもんですが、外部の人間までその論理で殺そうとするのはどんなもんかなぁと思いますけどね。
市長さんに「こんなくだらないことに生命賭けるなんて無責任なことは出来ない。下で挨拶します」なんて炎上必至の発言を強要するわけにもいかないでしょうに。
もっとも、実際に協会の偉い人が倒れて同じことがあったら行事さんには厳罰が下るんだろうなぁ、とか、そもそもそんなアナウンス自体怖くてできないだろうなぁ、というのは容易に想像できてしまうのですが。
投稿: 柘榴 | 2018年4月 8日 06:34
柘榴 さん:
>倒れたのが相撲協会の偉いさんなら救命拒否も「どうぞ好きにして」ってなもんですが、
まさにその通りですね (^o^)
投稿: tak | 2018年4月 8日 21:09