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2018年4月12日

JR 東労組の組合員大量脱退というニュース

東洋経済オンラインによると、JR 東日本の最大労働組合 「東日本旅客鉄道労働組合」(JR東労組)の組合員が、今年 2月中旬以降の 1カ月余りの間に約 28,000人も脱退しているという(参照)。今年 1月時点では約 46,000人(社員の約8割が加入)いた組合員が、半数以下の 18,000人まで減り、その減少にはまだ歯止めがかかっていない。

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これはどうみても異常事態だろう。なんでこんなにも脱退が相次いだのかといえば、それはもう、組合のやり方が組合員の期待するところと全然合っていないからというほかない。組合に入っている方が自分たちのためになると思えば、脱退なんかしない。「組合に入っていても、デメリットがメリットを上回る」とわかったからこそ脱退するのである。

記事によると、大量脱退の引き金になったのは、今年 2月の「スト権確立決議」だったという。従来の「格差ベア」を止めて、組合員一律の「定額ベア」にするように求めて、ストも辞さない構えを見せたというのだが、実際にはストは行われなかった。

そもそも JR 東日本は昨年まで 4年連続ベアが行われ、社員の平均給与も比較的高い。つまりそれほどまでには「飢えていない」のである。そこにもってきて、給料から高額の組合費をさっぴかれ、休日になれば政治闘争の勉強会だ、デモだと動員をかけられるのだから、「付き合いきれない」と思われてもしかたがない。

ちなみに JR 東労組の内部には、革マル派がかなり浸透していると認識されている。そしてこの「革マル派」という言葉を聞くと、私なんか、とても「いやぁな感じ」になってしまうのだ。

1971年に早稻田大学第一文学部(一文)に入学した時、早稻田は革マル派の拠点で、とくに一文キャンパスは革マル派が我が物顔でのし歩いていた。彼らは「オルグ」と称して、クラスの授業中にも頻繁に押しかけてきて政治的議論の場にしてしまう。しかし私は彼らの言い草をしばらく聞いているうちに、正直言って「この連中とまともに付き合ったら、こっちまで馬鹿になってしまう」と思うようになった。

当時の早稻田大学は、学生ストによる「ロックアウト」が続いて、まともな授業なんかほとんど行われなかった。私はアルバイトと音楽活動に明け暮れているだけだったから、よくまあ親は学費を出していてくれたと思う。あれは日本がまだ高度経済成長期にあったからこそだろう。つまり当時の学生運動は、自らの否定する資本主義経済の繁栄によって支えられていたと言ってもいい。

革マル派の連中は、「資本主義経済が究極まで行き着くとその矛盾が露呈し、共産主義に移行せざるを得ない」なんて言っていた。今どきそんなことを言っても誰も信じないが、当時はそんな寝言が共産革命理論として通用していたのだ。

さらに 1972年の秋には、革マル派による学内でのリンチ殺人事件が発生して、大学は長期休講に追い込まれた。これが世に言う「川口大三郎君事件」である。この事件を境に、キャンパスを闊歩していた革マル派活動家たちは地下に潜って姿を見せなくなった。そりゃそうだ。姿を見せればすぐに逮捕される。あの連中が今どうなっているのか、全然知らない。

こんな体験をしてきているから、私は今でも「革マル派」と聞くだけでイヤになる。まあ、革マル派だけでなく、中核派だろうが社青同だろうが、あの当時のセクトの名を聞けばすべてイヤになってしまうのだが、革マル派はなまじ物理的距離が近かっただけに、嫌悪感がより強い。

というわけで、JR 東労組がどうなろうが、知ったことじゃないのである。約 7年前の「質素の楽しみ」という記事で、我々はもっと別の方向を向かなければならないということを書いているので、興味があったら読んでいただきたい。

 

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