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2018年5月に作成された投稿

2018年5月31日

Microsoft の、UI をちまちま変えるという「ビョーキ」

Mac ユーザーになって久しい私だが、Office ソフトだけは外部とのファイル共有のために仕方なく MS の Office 365 を使っている。Word, Excel, PowerPoint, Outlook のセット(ただし、Outlook は性に合わないから使ってない) を、年間 6,000円ちょっとの費用で使用し続けることができるサービスである。

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年間費用を払えば常に最新バージョンにアップデートしながら使い続けることができるという点で便利には便利なのだが、困った点もある。最も困るのは、バージョンアップの度にユーザーインターフェイス(UI) が不必要にちまちま変わってしまうことだ。それまで当たり前にできていた操作のボタンが消えてしまい、「ありゃ、どうしたらいいんだ」と迷う事態に頻繁に陥ってしまう。

これは別に Office セット に限らず、Windows という OS に関しても同様で、Windows 7 から Windows 8 に変わった時点で、その滅茶苦茶な変わりように世界中が戸惑ったのは記憶に新しい。私が Mac ユーザーになったのは、直接には Windows 8 なんてできそこないの OS を使うのはご免こうむりたいと思ったからだ。

Office の話に戻るが、つい最近も Word を使っていて、テキストボックスのリンク(テキストボックス間のテキストを連続させる)の操作で迷いに迷ってしまった。この操作は、「〇〇会報」みたいな形の、見出し、段組みされた記事テキスト、画像、表などを割り付けた文書の編集には不可欠の機能である。

ちょっと前のバージョンだと、テキストボックスの輪郭の左下あたりにあるマークをクリックすると、簡単にリンクが設定できたのだが、新バージョンではあの便利だったマークが消え失せてしまっている。それどころか、どこをどう探してもその機能を呼び出すメニューが見当たらないのである。テキストボックスのリンクという単純な操作をするのに、もろに初心者レベルに突き落とされてしまった。

堪りかねてウェブで検索する(純正の「ヘルプ」は死ぬほど使いにくいので)と、上の図で紹介したページが見つかった(参照)。メニューバーの「図形の書式設定」 を選択すると、表示されたリボンの中に「テキスト」というアイコンがあり、それをクリックすると 3つのメニューが表示されて、その中から「リンク」を選択すればいいとある。

ところが、メニューバーを見ても「図形の書式設定」なんて項目は見当たらない。よく説明を読むと、該当するテキストボックスをクリックして選択することで、初めてこのメニューが表示されるというのである。逆に言えば、それをしないと永遠に目指すメニューは表示されない。

呆れるほどわかりにくく面倒な UI で、前は一目瞭然に 2アクションでできていたテキストボックスのリンクに、やたら意表を突いてわかりにくい 4アクションの操作が必要になってしまった。これが改悪でなくてなんだというのだ。

私は 2015年 11月 8日の当欄で、「スーパー・オタクは、別のマーケットを形成してくれ」というタイトルの記事を書いて、MS がバージョンアップする度に意味もなく UI を変えてユーザーを混乱させることについて、次のように書いている。

例えば、クルマを「楽しみ」ではなく「移動のための道具」として使っているドライバーは、アクセル・ペダルやブレーキ・ペダルの位置を変更されたり、方向指示器の使い方を「画期的なもの」なんかにされたら、「大迷惑」と感じるどころか、命の問題になってしまうだろう

PC の場合は多少戸惑っても命の危険はないのでまだマシだが、それでもいっぱしベテランの PC ユーザーを自認していたのに、いきなり初心者レベルにまでたたき落とされたような気がして、大変なストレスになる。

同じ憤りを感じているユーザーは少なくないようで、IT Media エンタープライズに「Microsoftは “UI 音痴” なのか? 」という怒りの記事がある。私としては、Microsoft は「UI 音痴なのか?」ではなく、「UI 音痴そのものだ!」と断定したい気持ちである。本当にこれ、ほとんど「ビョーキ」の域に入っていると思う。

 

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2018年5月30日

「せわしない」と「しょわしね」

Twitter で カワチ さんという方が「忙しない」(せわしない)という言葉について次のように書いている。(参照

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前に「忙しない」という表現をした時に 「誤字ですよ。『忙しい』 ですよね?」 と言われて 「いや、『せわしない』 と読むんですよ」 って答えたんですが、「そんな言葉は知りません。方言を使わないで」 と反論されまして……。

え? これって、標準語……だよね?? 「忙しない (せわしない)」 て言うよね?

結論、ちょっと古い言い回しかもしれないが、十分に標準語である。Weblio 辞書にも次のようにある。

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要するに「せわしい」にちょっと強調気味の接尾語「ない」が付いたもの(参照)だから、「そんな言葉は知らない」とか「方言」とか言うのは、単に「言葉知らず」というだけの話である。

ちなみに私の生まれた庄内では「しょわしね」と訛ったりする。「しょわしい」とも言うが、それをさらに強調すると「しょわしね」になる。そしてニュアンスとしては「せわしい」というより「ごちゃごちゃと落ち着きがない」「やかましい」という意味が強調される。

試しにネットで検索してみると、同様の言葉が隣の秋田県のみならず、大分県でも使われているようだ。柳田国男の『蝸牛考』を想起させる。古いカタチは周辺に残るのである。

 

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2018年5月29日

90歳女性の信号無視による事故で思う

3年近く前に「クルマの運転があぶないのは、高齢者ばかりではない」という記事を書いた。当時、高齢者の運転が危ないという声が高まっていたのだが、私は運転が危ないのは高齢者ばかりではなく、オバサンの運転もかなり危ないという内容の記事を、「女性への偏見」と非難されるのを覚悟で書いたのである。

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実際にはこの記事は非難されるどころか、共感を示すコメントが 2件付いたのだった。どうやら世の中では、「オバサンはかなり自分勝手な運転をする」という認識が強いようなのである。このことに関しては、「わずか 20分の間に 2度唖然とした交通事情」という記事で具体的に触れているので、よろしければご一読いただきたい。

念のために断っておくが、当然のことながら「すべてのオバサン」が自分勝手な運転をするわけではない。しかし自分勝手運転の比率がかなり高いので、残念なことにオバサン全体に対する偏見にまでなりかかっている。

で、今回の「90歳女性、赤信号無視で暴走」というニュースでは、「高齢者」「オバサン(オバアサン)」というダブル・ファクターに、ちょっとぞっとしてしまったのである。こんなことで死んでしまうのではたまったものじゃないが、決して特殊なケースではなく、身近にだって十分に起こりうることだ。

この条件に当てはまるドライバーと遭遇したら、よほど気をつけなければならない。上述の私の 2番目の記事でも書いたように、オバサンというのはたとえ十分な余裕とアイコンタクトがあっても、無理矢理突っ込んできたりするので、それが高齢による判断力低下と相まってしまったら、相当にヤバい。

冒頭で紹介した 3年前の記事は、「あの類いのオバサンたちが年をとったら、一体どんな運転になってしまうのだろうと、心の底から心配になる」の一文で結んでいるが、なるほど、わかった。要するに今回の事故みたいなことになってしまうのだよ。

ことは女性ばかりではない。自分自身の運転についても、若い頃に比べたら反射神経や瞬間的判断力などが微妙に落ちていないはずがないのだから、慎重に行かなければならない。というわけでこの記事は、自戒の念もかなり込めて書いている。

 

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2018年5月28日

いよいよ梅雨の季節になる

気象庁が九州、四国地方が梅雨に入ったらしいと発表した。「5月の梅雨入りとはずいぶん早いな」と思い、ちょっと調べたら、九州南部は梅雨入りの平年値が 5月 31日頃で、今年は早いには早いが、驚くほどではないらしい。そういえば、沖縄は 5月初めにとっくに梅雨入りしちゃってるしね。

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私のイメージでは、梅雨というのは 6月半ばから 7月の終わり頃と思っていたのだが、それは私の生まれた東北南部のことで、関東の平年値は 6月 8日頃から 7月 21日頃ということらしい。それほど大差はなく微妙な違いだが、それだけに関東暮らしになってから既に半世紀近いというのに、頭の中がずっと修正されずに来てしまったようだ。

それにしても改めて考えてみると、梅雨の期間って 1ヶ月半ぐらいあるのだね。まあ、その間ずっと雨が降っているわけでもないから、もう少しだけ短いような気がしていたのも道理だが、いずれにしても日本の夏は、湿っぽいスタート期間がかなり長く続くのだ。これが日本人のメンタリティに影響しないはずがないだろう。

ちなみに関東甲信越は、明日から 2〜3日雨が続くのをきっかけに梅雨入りの発表がされてしまうのか、あるいはもう少し慎重に待つことになるのか、微妙なところなのだそうだ。近頃は気象庁が梅雨入りを発表したとたんに、翌日から上天気が続くという傾向があるから、今年は少し慎重を期すかもしれないね。

 

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2018年5月27日

米原駅と古川駅

Daily Portal に "知っているけど降りたことない駅「米原駅」周辺を観光する" という記事がある。

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東海道新幹線で東京から大阪に向かう時、名古屋の先、京都の手前に「米原」という駅がある。「まいばら」と読むことぐらいはかなり知られていて、もはや「よねはら」なんて読む人は少ないだろう。今は「のぞみ」に乗ってしまうと、名古屋の次は京都だが、「ひかり」と「こだま」しかなかった時代は、この米原駅に停車する便が結構あった。

ただし、この Daily Portal の記事が指摘するように、乗り換えのためにこの米原駅で降りる人はいても、改札口から出る人というのはあまりいない。そうなると、私は「米原駅の改札口から出たことが 2回だけだけどあるよ!」と自慢してもいいかも知れない。

最初に米原駅で下車したのは 15年前、2003年 2月のことである。福井に出張した際に永平寺に寄った時のことが、Today's Crack がこのココログに移転する前の記事として出ている(参照)。その際に、米原で降りて何とかいうホテルに前泊したのだが、この時のホテルが、これまで泊まった中でのワースト・スリーの一つだったと記憶している。

私はホテルに関してはあまり贅沢なことは言わずに、「フツーに寝られればいい」ぐらいに思っている。しかしこの時は、禁煙ルームを予約したはずなのに喫煙ルームしか空いてないと言われ、仕方なく部屋に入るとものすごくタバコ臭く、おまけにカチカチのコンクリート床に敷かれたペラペラに薄いパンチカーペットが、どういうわけかじめじめと湿っぽくて、どえらく居心地が悪かった。

で、この時は夜に着いて朝にはすぐに出発したから、米原駅周辺に関してはほとんど記憶がない。しかし今年 3月に、ついに米原駅の近くに仕事で行き、その夜は米原駅近くの東横インに泊まった。私の中では東横インもあまり上位にランクされていないのだが、前に泊まったホテルほどひどくはなかった。

で、この時の米原駅周辺の印象は、驚くほど何にもないところで、ひたすら殺風景である。ただちょっと脚を伸ばせばいい感じの田園風景となり、昔の日本のいい雰囲気がかなり残っている。これと言って目立った名所なんてないが、時間さえあればゆっくりとした旅ができる。それは冒頭で紹介したサイトの記事に詳しい。

そして東海道新幹線の米原駅に相当するのが、東北新幹線の「古川」という駅ではないかと思う。仙台の 1つ先で、「くりこま高原駅」の手前だ。多くの人は仙台や盛岡で下車したことはあっても、古川駅で降りたことはないだろう。

私はこの古川駅に、今月 17日に行って来た。降りてみると、駅周辺にビジネスホテルがいくつもあって、なかなか便利である。少なくとも米原駅周辺よりはずっと殺風景じゃない。こんな感じである。

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宮城県方面の観光で、仙台市内のホテルが一杯だったら、古川駅周辺に泊まるのがオススメだ。ゆっくり回ると、結構いい感じの見所もある。

 

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2018年5月26日

追憶の国分寺再訪

今日は東京都の国分寺市というところのホテルに泊まっている。昼から夕方まで高校時代の同級会があり、明日は多磨方面の仕事に出かけるので、自宅には戻らず、中央線でここまで来てチェックインしたわけだ。

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実は国分寺という街は私が 20歳前後に 3年ほど住んだことがあり、かなり懐かしい思い出がある。ところが今日、何十年ぶりかで国分寺の駅で下車して驚いてしまった。私が住んでいた 40年前頃は北口と南口に分かれた小さな駅だったが、今はなんと、丸井や東急ハンズの入るステーションビルになって、ずいぶんスタイリッシュなイメージに変わっている。

試しに自分が 40年前に住んでいた東元町 4丁目あたりに足を伸ばしてみると、当時のアパートは当然の如く跡形もなく、隣にあった小さな公園も潰されて賃貸マンションらしき建物になっていた。通っていた「桃の湯」という銭湯も、煙突と建物は辛うじて残っているが、営業している様子はない。おそらく近いうちに取り壊されるのだろう。

あの村上春樹が伝説の "Peter Cat" というジャズ喫茶をやっていた頃とは、完全に時代が変わってしまったようなのである。ただ、北口界隈を歩いてみると学生たちが大勢闊歩していて、「学生の街」という当時のイメージはそのまま残っている。願わくは、このイメージだけは失われることなく続いてもらいたい。

 

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2018年5月25日

「日本人に英語をマスターされると困る人たち」 がいるらしい

Facebook に、下のような「これすごすぎる・・・」という書き込みが表示された。どうやらお金を払っていろいろな人のタイムラインに表示させる広告らしい。

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それにしても「戦後、日本人に英語をマスターされると困る人たちが隠し続けた英語の学習法が判明! 毎日 5分だけで OK なその理由とは?」というコピーがすごい。英語教育にまで「陰謀史観」が持ち込まれているとは、恐れ入った。

この関連では、こんなのも見つかった。ちなみにこの「早川千尋」というアカウントはこの書き込みのためだけのもののようで、プロフィル写真の横顔がべっぴんさんすぎるほどで、しかも実在の人物かどうかはまったくアヤシい。

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クリックすると表示されるのは「スマホ留学」というサイトで、社名は「株式会社イングリッシュライフ」ということのようだ。英語教育の会社が「英国的生活」という名前なのは、思わず笑っちゃいそうだが、ここでは敢えて「ふむふむ」とだけ書いておく。

おもしろいのは、その「スマホ留学」のサイトに飛んでも、「戦後、日本人に英語をマスターされると困る人たちが隠し続けた英語の学習法」ということにさっぱり触れられていないことである。それって、一体どんな人たちなのだろう。

とにもかくにも、この学習法を開発したという「塩原祥之」なる人物が、よくまあ「戦後、日本人に英語をマスターされると困る人たち」という闇の勢力によって抹殺されなかったと思うばかりである。それは、その学習法に大した効果がないということの証左に他ならないという理窟も成り立つだろうけれど。

「スマホ留学」 というサイトに飛んで、このシステムのおかげでペラペラしゃべれるようになったという人たちの動画を見ても(聞いても)、「今さらこの程度のかわいらしい英語をしゃべるために、20万円も使ったのか」とため息をつくばかりだが、これ以上は野暮になりそうなので、これでおしまい。

 

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2018年5月24日

「国民的悪役」 になっている内田というおっさん

先月からずっと忙しくて、日曜祭日もなく、大してお金にもならない仕事で忙殺されていた。連休以後も、5月の最初の 2日間だけは辛うじて休んだが、その他はずっとあちこち出かけてばかりで、今日、ようやく 3週間ぶりの休みである。

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昼前にちょっとテレビのスイッチを入れてみると、どこの局もワイドショーで、例の「日大アメフト問題」の推移を大々的に報じている。とくに当事者の宮川君が独自に誠意の感じられる記者会見を開いたことを受けて、昨日になって日大アメフト部サイドがお粗末な会見をしちゃったものだから、どのワイドショーも「内田ヒドい、井上苦しい」のオンパレードである。

聞くところによれば日大には「危機管理学部」という学部があるというのに、今回のケースではまったく機能していない。思うに日大首脳部はこの件について、「そこまで大袈裟な『危機』じゃない」 と高をくくっていたようなのである。実はその認識不足こそが最大の危機要因なのだが。

昨日の記者会見では「日大のブランドが落ちる」と指摘されたが、実は既に十分落ちてしまった感がある。私には日大出身の知り合いが結構いるのだが、ほとんどは芸術学部出身で、彼らは「日大」ではなくあくまでも「日芸」出身と思っているので、あまりダメージは受けていないみたいなのが幸いだ。(27日追記: 参照

ところで、アメリカン・フットボールについてほとんど知識もなかった世間が、この問題に関してどうしてこんなにも釘付けになっていきり立っているのか、ちょっと横っちょの方向から考えてみた。思うに、今回のケースは、このところ立て続けに起こった「ムカつく社会的事件」とか、あるいは「身近のムカつくおっさん」とかいうストーリーの、最も「ムカつく要素」を、あの内田というおっさんが象徴的に現出しているからなのではなかろうか。

「ムカつく事件の当事者」と言えば、「もりかけ問題」の総元締である安倍首相を筆頭に、その関連の連中、そして一連の「パワハラ、セクハラ事件」の当事者たちも、事件発覚後、一様にとぼけて責任を取ろうとしてこなかった。「会ってない、言ってない、指示してない、知らない」とか「そんなつもりじゃなかった、そんな認識はなかった、気付かなかった」など、ちょっと突っつけばボロボロ崩れるような下手な取り繕いばかりである。

さらに「チョー強力なむかつき要因」は、内田というおっさんの、あのゴーマンさである。多くの人の身近にも、あのタイプのゴーマンなおっさんがいて、そうしたおっさんの多くは妙に権力を握ったりしているので、表立っては逆らいづらい。そうした鬱憤を、「内田ってやつはひどい!」と口を極めて罵ることで、少しは発散できるのだ。

実はその昔、私の仕事関係の付き合いの中にも、あれとそっくりな「ゴーマンなおっさん」がいた。あまり具体的に書くと人物が特定されそうだが、同じ日大出身で、風貌と名前まで、兄弟か親戚じゃないかというほどそっくりというとこぐらいまでは、いいや、この際書いちゃおう。一応ネット検索してみてもひっかからなかったから、そこまで有名なおっさんじゃないってことだね。

私は幸いにも彼とは直接の利害関係がなかったから、適当に離れたポジションをキープしていたが、彼の部下たちは結構大変な思いをしていたようだ。その反動で、彼らは自社の上役にはペコペコしながら、一方で発注先には妙に尊大に振る舞うのである。まったくもう、日大アメフト部の井上某じゃあるまいし。

というわけで、あの内田というおっさんを見ていると、世間で苦労している人たちのいろいろなムカつくイメージが次々によみがえってしまうというのが、彼がここまで 「国民的悪役」 にされてしまっている要因じゃないかと気付いたのだった。

 

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2018年5月23日

パワハラとマインド・コントロールの 2点セット

元アメリカンフットボール日本代表でスポーツキャスターの近藤祐司さんという人が、23日放送の TBS 系番組に出演し、日大の宮川泰介選手件について 「そういう指導者に会ってしまった彼の不運を嘆きたい」 と、涙を流したという。(参照

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まさに彼は最悪のタイプの指導者に出会ってしまったわけだ。内田カントクという人は、「パワハラとマインド・コントロールのセット」で、1人の有望な若者の選手生命を絶ってしまったのだから。

最近、パワー・ハラスメントがようやく問題視されるようになってきた。企業や団体、学校などで昔から行われてきた悪習が、大きな問題として糺弾されるようになるのに長い時間がかかったのは、組織内での上下関係が邪魔をして、被害者がなかなか声を上げにくかったという事情があるだろう。

ただ、パワハラだけの問題なら、被害者は「嫌々ながら耐えている」という構図があるので、何かのきっかけで我慢を強いるタガが外れたら、どっと告発されることになる。ところが、大学体育会などの場合は、厄介なことにそこに、「マインド・コントロール」という要素が噛んでくることがある。

今回のケースにしても、あれだけまともな思慮分別のある若者が、理不尽に日本代表を辞退させられたり、練習から干されたりして精神的に追い詰められ、「相手選手をつぶすので、試合に出してください」と自ら言い出さなければならないほどの異常な状態に追い込まれている。これがマインド・コントロールでなくて何だというのだ。

日大のコメントでは、「相手をつぶせ」というのは厳しい姿勢を強調するために日常的に使っていた言葉だというのだが、たとえそうした側面があったとしても、なぜ今回に限って選手がエクストリームな解釈をするに至ったのかについての合理的説明がなされていない。客観的にみれば、選手が極端な解釈をするように、いつも以上に過激で異常な言葉で煽り、反則行為を行ってしまうように、マインド・コントロールで追い詰めていたわけである。

「内田カントクが直接的に反則を指示したか」という問題については、仮に裁判になった際にはかなり微妙な問題になるだろう。日大側はあくまで「反則して怪我をさせろとは、直接言っていない」と主張するだろうから、立証は困難になると思われる。

しかし裁判で有罪になるかどうか以前に、内田カントクというおっさんの卑劣さはすっかり暴露されているのだから、既に晩節を汚しまくって多くを失っている。

日大アメフト部も、退部が続出するだろう。このまま部に留まっても、就職の時に「あの日大アメフト部に最後までいたのか?」と、不利になりこそすれ有利になんか働かない。下手したら一生の汚点になってしまう。マインド・コントロールはすっかり解けてしまった。

ついでに、このケースが引き金となって安倍首相案件も、さらにいろいろ暴露されまくればいいなんて思ってしまうよ。

 

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2018年5月22日

内田カントクっておっさんに、ストレートにむかついた

例の日大アメフト部の問題で、関学の選手に怪我をさせた選手が記者会見をするというので、初めは「どうせ大学側に言い含められて、うやむやなことを言って終わりにするんだろ」と思っていた。しかし、わざわざ出てきて記者会見をするというのは、それで済まないものがあるのだろうと考え直し、その内容が気にかかっていた。

そして今日は仕事で昼前から出かけ、夕方過ぎに帰宅すると、妻が「日大の学生さん、ずいぶん核心的なことまで正直に話したみたいよ。やっぱり反則は監督の指示っていうことらしいわ」と言う。「へえ、よくそこまでしゃべったな」と、ネットで検索すると記者会見の模様を完全収録したビデオが見つかった。つい、最後まで見ちゃったよ。

で、見終えての率直な感想。宮川泰介という(元)選手は、してしまったことは悪質極まりないが、その後の反省は本物と感じた。実名と顔を出してまで謝罪したいという意思は、ある意味立派である。一昨日の記事で書いた "「あんたがそこまで誠意をみせてとことん謝ってくれるなら、こちらとしてもある程度矛を収めざるを得ないよね」と言ってしまうほどの謝り方" のお手本と言える。

一方で、内田カントクの「卑怯者体質」が浮き彫りにされた。こんなのをいつまでも「ナンバー 2」なんていわれる地位に就かせていたら、日大全体が信頼を失ってしまう。ここは自衛のためにも、とっとと去ってもらわなければならないというのが、学内の共通認識になるだろう。もしそうならないとしたら、日大全体がズブズブの体質に汚染されているということになる(その可能性も大ありだが)。

とにかく、元選手に反則をさせてしまうまでの手口が、ぞっとするほど嫌らしい。内定しかけていた日本代表の立場を理不尽にも辞退させ、学内での練習からも干して精神的に追い詰める。その上で「試合に出たかったら、関学の QB をつぶせ、怪我をさせろ」と吹き込み、仕上げとして選手自身の口から「相手の QB をつぶすので、試合に出してください」と言わせているのだ。

この会見の直後、大学側は「潰せと指示したのは事実」と認めた上で、「これは本学フットボール部においてゲーム前によく使う言葉で『最初のプレーから思い切って当たれ』という意味」などと言い訳をしているようだが、「よく使う言葉」なのに、なぜ今回に限って選手によるエクストリームな解釈につながったのか、合理的な説明が一切ない。下手な言い訳をすればするほどますます自分の首を絞めることになると、まだ気付いていないようだ。

こういうことであんまり単純に憤るのはカッコ悪いと感じてしまいがちの、ヒネた体質の私としても、今度ばかりはストレートにむかついてしまったよ。

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2018年5月21日

樹木希林と森繁久弥と「セクハラ」という三題噺

5月 18日の朝、私は宮城県の大崎市というところのビジネスホテルにいてテレビを見ていた。当初の予定では朝 9時にスタートするはずだった仕事が天候要因で 10時からに変更となり、1時間ほどヒマになったのである。

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で、テレビを点けたら NHK の「あさイチ」という番組に樹木希林がゲスト出演していたので、つい見入ってしまったのだ。この樹木希林という人、なかなか素敵である。

で、一通りのインタビューが終わると、視聴者から FAX(今どき FAX というのが、いかにも NHK らしい)で寄せられた質問に樹木希林が答えるという趣向になり、その中に「森繁久彌さんとの共演が長かった樹木希林さんですが、お尻を触られませんでしたか?」という質問があった。

あちこちで「セクハラ」が問題になっている時節柄、よくまあ、こんな質問を取り上げたものだとちょっと驚いたが、NHK という組織はこうしたことには案外無神経なのかも知れない。

森繁久弥が共演する女優のお尻を触るというのは有名な話だが、この質問に樹木希林は「森繁さんは、綺麗な女優さんだったらスッーと触るのね。美形が好きみたいで、そういう人は触ってましたね、でも私は触られません」と答えていた。先日亡くなった星由里子あたりは確実に触られてただろう。

で、森繁の場合は、時代的背景もあっただろうが、この「お尻を触る」という行為も「独特のご愛敬」として済まされていた感がある。触られた女優にしても「ホントにもう、しょうがないんだから」と笑ってスルーしていたようなのだ。まあ、それが本音からかどうかはよくわからないが。

そんなわけで、「セクハラ」というのはなかなか複雑なところがある。「相対性理論」じゃないが、する側とされる側との関係性によって「もろにセクハラ」になったり「まったくもう、しょうがないんだから」で済むご愛敬になったりするのである。つまり、「セクハラ」というのは「両者の間」にあるのであって、「する側」の方に一方的にあるわけじゃないみたいなのだ。

「鐘が鳴るのか撞木が鳴るか鐘と撞木の間(あい)が鳴る」 という禅問答みたいな都々逸(?)があるが、まさにこの辺りは結構深いところがある。

「する側」が「単なるご愛敬」とか「他愛ない挨拶代わり」のつもりでも、「される側」がシリアスに受け止めたら、それは「立派な(?) セクハラ」になるのであって、この辺りのところが無神経な人には理解できないみたいなのである。「そんなつもりじゃなかった」なんて言っても、それは一方的な弁明にしかならない。何しろセクハラは「両者の間」にあるのだから。

思えば、森繁久弥は平和な時代に生きていたのである。今の世でそんなことをしたら、「セクハラ大魔神」として炎上してしまっていただろう。

セクハラ問題を起こさないためには、「鐘と撞木の間」に余計な軋轢を作りさえしなければいいのである。要するに「セクハラと受け取られても仕方のない言動」をしなければいいだけのことなのだ。

ただ、世の中にはこの辺りのビミョーな判断が全然できない人がそこら中ごろごろいて、そんな人って、つい「鐘と撞木の間」に余計なことをグリグリ押し込んじゃうんだよね。端から見ていると、「なんでまた、ここでわざわざそんなバカなこと言うかなあ」みたいなことを、好んでポロポロ言っちゃうのだ。しかも、いかにもオッサンじみたギトギト・イメージで。

こうなると、もう「単なるご愛敬」なんて決して受け取ってもらえないから、覚悟した方がいい。

 

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2018年5月20日

謝り方を知らない人に謝らせると、火に油を注ぐことになる

今日、仕事に出かける直前、朝のテレビで日大アメフト部の内田正人カントク(辞任すると言っているが、まだ正式に辞任したわけではなさそうなので、こう書いておく)の「謝罪インタビュー」の様子をちらっと見た。

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私はこれまでアメフトにそれほど関心がなかったし、例の「悪質反則事件」以後も十分な情報収集をしたわけでもないので、今回述べるのは単なる「印象論」の域を出ないのだが、この内田カントクという人、「これまであんまり謝ったことがない人なんだろうな」と思った。だから謝ることに慣れてないだけでなく、そもそも謝り方を知らない。

今回のケースのように、誰が見ても「こりゃ、ひどいね」というのが一目瞭然の問題の場合は、とにもかくにも「迅速に、過剰なほど」の謝り方をしなければ、コトは収まらない。相手方が「あんたがそこまで誠意をみせてとことん謝ってくれるなら、こちらとしてもある程度矛を収めざるを得ないよね」と言ってしまうほどの謝り方をするのが、まあ、言い方はナンだが、こうしたケースの「常套手段」なのである。

ところがこの内田カントクは、事件直後は雲隠れしてしまい、いざ出てきて謝っても、「ポーズだけの謝罪」にしか見えないやり方をしてしまった。これでは関学側も、そして世間も、「これで矛を収めたら、バカじゃん!」と思う。要するに「逆効果」でしかない。

で、マスコミというのもこうした「世間の空気」というのをしっかり利用して視聴率を稼ごうとするから、囲みインタビューの際のカメラアングルもしっかりと下から仰ぎ気味にして、内田カントクの「尊大イメージ」を意図的に増幅していた。上に貼っておいたスポーツ新聞の写真にしても「下からアングル」で、ストロボの影が上に写っている。これって、完全に「イメージ操作」だよね。

そして内田カントクの発言は、内容も言い方も、まさにマスコミ側の「期待通り」だったわけで、私としては、「そこまで絵に描いたように期待に応えなくても」と思ったほどである。謝り方を知らない人を 1人で前面に出して謝らせると、たいてい火に油を注ぐ結果になる。

 

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2018年5月19日

「セクハラ罪という罪はない」発言のナンセンスさ

麻生氏の「セクハラ罪という罪はない」発言があちこちで顰蹙をかったが、結局この答弁書がそのまま閣議決定されて、正式の答弁書となったらしい (参照)。まあ、「2018年の日本では、こんなお馬鹿さんが財務大臣やってたんだよ」というのが動かぬ証拠となって後生に残されるという点では、それなりの意味があるだろう。

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麻生氏はもしかしたら、自分では「うまいことを言った」と思っちゃってるのかもしれないが、フツーに考えたら「セクハラ罪という罪はない」なんて、大いばりで言うようなことじゃなく、「だったら、それは法律の不備でしょ」ってことになるだけだ。大急ぎで法的整備を行わなければならない。それは政権与党の責任である。

あるいは、別の見方もできる。答弁書を正式のものとする閣議決定に関連して、政府は野党の質問主意書に次のように答えたという。

答弁書では「セクシュアルハラスメントに該当し得る行為には多様なものがあり、これらの行為をセクシュアルハラスメントとして処罰する旨を規定した刑罰法令は存在しない」と説明。そのうえで、「セクシュアルハラスメントが刑罰法令に該当する場合には、強制わいせつ等の罪であり、『セクハラ罪』ではない」とした。

かなり幼稚な内容である。直接的に「セクハラ罪」という罪はないというわけだが、セクハラを処罰するには、他の法律で十分だというなら、言い換えると、「内容的には十分に『セクハラ罪』だが、法律的には他の名称で呼ばれる罪は、いくらでもある」ということに他ならない。要するに「セクハラ罪」という名の罪はないが、セクハラは言うまでもなく、十分に罪になるのだよ。

というわけで、麻生氏はどこから見てもあまり意味のないナンセンスな発言をして悦にいっているだけで、しかもその愚かさを指摘されても、ものすごく幼稚な理窟を振りかざしてまで訂正する気がないという、救いようのない人ということになる。

私はてっきり、「あれは他愛のない冗談で、議事録に残すほどのものじゃない……」という落としどころにするものとばかり思っていたが、どうやらマジで言ったと、大マジで認めたということになるようで、安倍・麻生コンビ、レベルが低い同志で気が合うんだろうなあ。

 

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2018年5月18日

「指づめ注意」 というステッカーが廃れてしまった

今回は関西から折り返して東北に向かう 2泊 3日の強行軍出張を終えて、さっきやっと帰宅した。東北方面は大雨が心配だったが、なんとか晴れ間を縫って仕事を完了できた。自分自身のしぶといまでの晴れ男振りがありがたい。

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ところで、東海道新幹線の車両で、ドアの横に上の写真のようなステッカーが貼ってあるのに気付いた。「指はさみ注意」 という大文字の下に 「ドアのすきまに手や指を淹れないでください Watch your fingers」とある。それにしても「指はさみ注意」とは、なかなか苦しい表現だ。

JR 東日本の車両だと、「開くドアに注意」とか「ドアに指を挟まないように」などの表現になっているように思うが、大阪管内ではもっとどぎつかった。私が 20代の頃、大阪に本社のある会社に勤めていた頃は、大阪の電車に乗ると「指づめ注意」というステッカーが貼ってあって、これにはなかなか馴染めない思いがしたものだった。

「まるで極道の世界ですな!」と言うと、大阪の同僚の反応は「なんで? これでフツーやんか」と、あっさりしたもので、これはこれで当たり前の大阪弁なのだと知った。しかしその表現も今ではすっかり廃れたようで、大阪の電車に乗っても、もはや「指づめ注意」というステッカーはあまり見られない。

それはそれで、ちょっと寂しい気もするのだよね。

 

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2018年5月17日

苦手なのは「数学」じゃなく、「数字」なのだった

いつの頃からか数学というものにコンプレックスがあって、数字の連なりをみただけでぞっとする。7年近く前に "「数字数式認識障害」とでも言いたくなるほど、数字に弱いのだよ" という記事を書いているほどだ。そんなわけで、日頃から「因数分解なんて、きれいさっぱり忘れちゃったよ」なんて自嘲的に言っていたのだった。

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ところで今日、京都駅地下街の本屋にふらりと立ち寄ったら、「中学校 3年分の数学が教えられるほどよくわかる」という本が店頭に平積みにされていた。こんな本がよく売れるほど、数学の苦手な人が多いと見える。

「どんなんだろう。これ読めば、少なくとも因数分解まではしっかりわかるようになるだろうか?」と手に取ってパラパラッと立ち読みしてみた。すると意外なことに、内容があまりにも簡単すぎて読んでいるのが馬鹿馬鹿しくなるほどなのだ。途中を飛ばして「因数分解」に関するページを読んでも、「なんだ、こんなの当たり前じゃん!」と思うばかりなのである。

というわけで私は今日、「中学 3年で習った因数分解は、全然忘れてない。今でも当たり前に理解してるじゃん」と、自己認識を新たにしたのだった。私が数学が本格的に苦手になったのは、高校以後のことのようなのである。

ただ、記憶を辿ってみると、中学時代でも数学の試験の点数は、他の科目に比べてよくなかった。それは理論的にはしっかり理解していても、ちょっとしたミスが多かったからだと思い当たったのである。なにしろ「数字数式認識障害」と言うほど数字には弱いもので、実際の計算でミスしちゃうのだ。

というわけで、店頭で本のタイトルだけに惹かれて衝動買いしてしまったら、2000円以上を無駄遣いしてしまうところだったが、「自分は数字は苦手でも、中学 3年までの数学の理窟ぐらいは、『教えられるほど』しっかり理解してる」ということがわかったのが収穫だったとしておこう。

 

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2018年5月16日

東京駅のゴミ箱、「ぼってる」 状態は解消したが

先月 5日に、「JR のペットボトルは、ぼってる」という記事を書いた。東京駅の新幹線ホームのゴミ箱で、仕分け用の表示の「ペットボトル」の英語表記が、上の写真のように ”P.E.T. Bottels” になっていたのである。もちろん "Bottles" が正しいスペルなのだが "Bottels" なんてことになっていたので、まあ、冗談で「ぼってる」という見出しにしたわけだ。

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で、本日、京都への出張のために新幹線に乗ったのだが、「あのゴミ箱はどうなってるだろう?」と興味津々で確認したところ、さすがに、下の写真のようにあのラベルは剥ぎ取られていたのだった。ただ、ラベルが無造作に剥ぎ取られただけなので、元々ラベルの下に書かれていた「ペットボトル」というカタカナ表示まで剥がれてしまっている。

JR 東海としては、「やべ! 外国人乗客もたくさんいるってのに、こんなんじゃ恥ずかしすぎるじゃないか!」と、大慌てでラベルを剥がしたんだろうが、その下のかすれた文字の修復までには、まだ手が回っていないという状況のようなのだ。ペットボトル用に限らず、ほかの箱のラベルも剥ぎ取られているので、すべての文字がかすれている。

というわけで、東京駅の新幹線ホームは、ゴミ箱の分別用文字表示がよく読めない状態なのである。、まあ、客としては、その下にある絵表示を見て、大して戸惑いもせずに別投棄しているので、致命的なことにはなっていないが、それでもやっぱり、みっともない状態には変わりない。

さて、最終的にどんなような状態で完成するのか、まだしばらく様子を見なければならないようだ。

 

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2018年5月15日

車いすバスケットボールのポスターでちょっと

先日、電車内でみかけたパラリンピック関連の吊り広告で、なんだか納得いかないのがあったので、ここに掲げておく。もしかして単に私の知識足らずに過ぎないのかも知れないので、詳しい人のコメントを期待したい。

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何が納得いかないのかというと、車椅子バスケットボールに関する解説で、「ジャンプの代わりに片輪を浮かせる」 ということに関してだ。上に画像を掲げておく。これに関する説明として、次のように書いてある。

一般のバスケットボールと同様に、高さが有利に働く車いすバスケットボール。車いすではジャンプができない代わりに、片方の車輪をあげて高さを確保する「ティルティング」というテクニックがあります。絶妙なバランスで繰り出す凄技は必見です。

しかし、実際のイラストを見ると、2人の選手が競り合ってボールを奪い合っているが、2人ともボールに伸ばした腕の、反対側の車輪を上げているのである。これではボールに対する「高さ」が、ちっとも確保されていない。

一方、「ティルティング バスケットボール」のキーワードで画像検索すると、下のような写真が表示された。これなら、シュートしようとしてボールを持った方の手の「高さ」をしっかりと確保できていて、なるほど「高い打点を維持」という字幕も納得できる。

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ポスターのイラストから考察すると、競技用の車いすは車輪が前後から見て 「ハ」 の字型に付いているので、この場合は 2人の選手がお互いに伸ばした腕の側の車輪を垂直にして、ボールの真下に入ろうとした結果なのかもしれない。ただ、これは必然性はあるが、「高さを確保するため」ではなく「位置を確保するため」なので、解説文とそぐわない。

あるいは、2人の選手がボール下に勢いよく入り込んだ際に、勢い余って反対側の車輪が持ち上がってしまっているとも想像できる。いずれにしてもこのポスターは、イラストにするための写真の選択を、ちょっと誤ってしまったのではないかと思うのである。

ちなみに 「ティルティング」とは "tilt"(傾ける) という英単語から来ている。クルマの世界ではハンドルの角度を変えられるのを、誰が言い始めたのか、ダサダサに訛って 「チルト・ステアリング」 なんて言っている。

 

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2018年5月14日

「いざか族」 というのが存在するらしい

還暦をとっくに過ぎて、我ながら最近の世の中のことに疎くなり始めているなあと思ったのは、例の「居酒屋で小1女子刺され死亡、家族3人も負傷」というニュースを聞いたのがきっかけだ。

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死亡した女の子や怪我をした家族は本当に気の毒なことだが、今日の記事は、このニュースそのものについてではない。というのは、このニュースを最初にラジオで聞いた時に、「小さな子もいる家族が、居酒屋で食事? 何かの間違いだろ?」と思ってしまったのだった。すると妻が、「最近の居酒屋って、ランチ・サービスとかあるらしいわよ」と言う。

「ふぅん、そうなのか、家族で居酒屋に行ってランチねえ。違和感ありありだなあ」と思っていると、ニュースによれば事件の起きたのは午後 6時過ぎだと言う。「午後 6時過ぎといったらランチ・タイムじゃなくて、『飲みタイム』に入ってるじゃん!」と、妻もびっくりということになった。近頃は、そういうのも十分「あり」なのだね。

ネットで調べてみると、子どもを居酒屋に連れていくのを巷では「いざか族」なんて言うらしい。「居酒屋で "一家団らん"『いざか族』が増える理由 - J-WAVE」という記事があり、これが 2014年 1月 15日付である。てことは、遅くとも 2013年の終わり頃には言われ始めていたのだろう。

それから約 5年間、私ときたらそんなことはちっとも知らなかった。とにもかくにも、酒を提供するサービスを前面に出した店に子ども連れで入れるなんていうのは、欧米ではあり得ないことだ。日本って、ふとしたところで国際スタンダードから外れまくったりする国であるというのは、かくのごとく確かな事実である。だからって、口うるさいオバサンみたいにどうこう言うわけじゃないけど。

「いざか族」に関する意識調査の関連をみると、概ね 70%近くは「好ましくない」と回答している。単純に「酒の席に子どもを連れてくるなんて、おかしいだろ」というのが、代表的な意見だ。しかしその一方で、「最近の居酒屋はファミレスよりファミリー対応が進んでる」「子どもをおいてけぼりにするよりマシ」など、肯定的な意見も少なくない。

とはいえ、国際スタンダードからは常識外れに違いない概ね 30%強の意向が、「酒を飲ませる店が子ども連れを積極的に受け入れる」という「世界に類を見ない、驚くべき革新的システム」を、さりげなく、しかも堂々と実現させているわけである。これはいろいろな意味でスゴいことと言うほかない。

いずれにしても、最近の私は居酒屋には年に 5回も入ることはないし、断り切れない付き合いでもなければ、決して積極的に入りたいとは思わない。居酒屋の流儀って、正直言って個人的には今イチ馴染みきれないところがあるし、ましてや家族連れで行くなんて、想像を遙かに超えている。

タバコの煙がもうもうと漂う中で(最近は禁煙席もできて、多少マシになっているようだが)、ちまちました(あるいはギトギトした)酒肴をつまみながらぐだぐだと酒を飲み続けても、最近の私としてはトーンが落ちるばかりだ。そんな状態で、場を白けさせないために気を使うというのは、かなり疲れるものがある。

というわけで、「居酒屋文化」からはできるだけ距離を置いて生きたいと思うようになっている今日この頃である。

 

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2018年5月13日

茶色に着色してあれば、アイスクリームとは思われなかった

今月 5日の「排泄物のシンボリズム」という記事で、「外国人に巻きグソの概念はあるのか調べた」という、「オモコロ」というサイトの記事について触れた。オモコロの記事では、例の「巻きグソ」の絵を見せたところ、欧米人のほとんどが「アイスクリームだろ」と答えたという結果が紹介されていたのである。

しかしそれに関しては、「ブラウンに着色でもしてあれば、また別の反応があったのだろうが……」と書いておいた。「オモコロ」の記事で使われたのは、単なるモノクロの線画で、肝心の「ブツ」も無着色で白いままだったから、「アイスクリーム」にしか見えなかったということが考えられるのである。

そして今回、”logmi" というサイトの「人間の排泄物は肥料として使用できるか?」という記事を見て、「あの絵が茶色かったら、ちゃんと『ウンコ』と思ってもらえたはず」 と確信した。

なにしろこの記事の元ネタのプレゼンを行った Hank Green さんという方の "What Happens If You Use Your Feces as Fertilizer?"(あなたの排泄物を肥料として使ったらどうなるか?)というタイトルの YouTube 動画(上の画像をクリックすると、動画がスタートする)のしょっぱなに、ちゃんと茶色に着色された絵が、"human poop"(人間のうんち)の象徴として採用されているのである。動かぬ証拠だ。いや、動画だから動いちゃうけど。

それにしても、上述の私の記事に 山辺響さんが「人糞を肥料として使うのは東アジア地域を除くと一般的ではない、と解説されていました」とコメントしてくださっていることからもうかがわれるように、西欧では、人間のウンコを肥料とすることがものすごく「意外なこと」と思われているようなのである。東アジアの人間としては、その方がよっぽど「意外」なのだが。

ちなみに、Hank Green 氏のプレゼンでも、人糞を肥料として用いるには、「病原菌と寄生虫が死んでいることを確認する必要があります」とされている。理論上では、伝統的な堆肥化のプロセスで温度が 71℃ にまで上昇し、病原菌や寄生虫の卵も死んでしまうことになっているが、実際には昔は寄生虫が大きな問題になっていたから、完全にクリアすることは困難だったようなのだ。

とはいえ、現在の技術をもってすれば、安全なバイオ肥料として使うことは充分可能なので、変な化学肥料よりはずっといいはずなのだが、最後にクリアすべきなのは、「ウンコで育てた作物を食べるなんて、やだぁ」なんていう情緒的な問題なのだろうね。その意味でも、5日の私の記事で強調した「高度なシンボライゼーション」というプロセスが必須と痛感するのである。

 

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2018年5月12日

ATOK のアドバンテージ

このほど改めて、JustSystem の ATOK Sync というものの会員になった。これまで自分の Mac で行った ATOK の設定(単語登録など)が、Cloud 経由で複数の PC に自動で引き継がれるというのがありがたい。

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実は 2014年 1月に それまでの Windows 7 から Mac に乗り換え、そしてその年の 5月には日本語入力システムも ATOK にした。ATOK for Mac 2013というシステムである。Mac を買ってしばらくはデフォルトの「ことえり」という日本語入力システムを使っていたのだが、こればかりは Windows 時代に使っていた ATOK の心地よさが忘れられなかったためだ。

ところが、ATOK for Mac は 2017 というバージョンが発表され、そのせいなのかどうか、「ATOK Sync できちんと同期を取れ」といったような告知が、やたら画面上に表示されるようになった。で、「そんなにいうなら、同期してやろうじゃないか」とトライしてみると、確かシルバー会員であったはず(参照) の ATOK Sync の資格がいつの間にか失われてしまっている。

あれはどうやら、2013 を購入してから 2年間だったかの無料特典で、その期間が過ぎてしまったので、有料会員にならないとログインできなくなってしまったようなのだ。いやはや、これでは、Mac を新機種に買い換えたときに設定が引き継げないではないか。というわけで、月額 300円 (だったかな) で、あらたに会員資格を再取得したのである。

資格再取得に伴い、ATOK のバージョンも 2013 から 2017 にアップグレードされた。しかしこれがまた、何か設定しようとすると、「お使いの Mac 用に最適化されていません。このアプリケーションは、互換性の改善のためにデベロッパによるアップデートが必要です」 なんて警告が表示される。

Just System のサイトで調べてみると、ATOK for Mac 2017 は、OS のバージョンが High Sierra 10.12 までしかサポートされていないというではないか。私の Mac は既に 10.13 にアップデートされているのに。しかし、強引に使い続けても別に何の支障もないから、この警告は無視しておこう。

今どきは、「Google 日本語入力」というシステムがあり、これは無料で使えるのになかなか高機能なのだそうで、これを勧める向きが多いのだが、私は月額課金を受け入れてでも ATOK を使い続けようと思うのである。それは、使い慣れているということもあるが、ATOK には「文語モード」というのがあるというのが大きい。

私はこのブログとは別に 「和歌ログ」 というのをやっていて、酔狂にも毎日文語で和歌を詠んでいる。この「文語の和歌」をストレスなく入力するには、「文語モード」というのはとてもありがたいのだ。

例えば 『君が代』 の歌詞を一般モードと文語モードで入力変換すると、その違いがよくわかる。

【一般モード】 君が代は千代に八千代に細石の胃は穂となり手苔のむすまで

【文語モード】 君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔のむすまで

と、このように「巌となりて」の部分が、文語モードだと OK なのに、一般モードだと「胃は穂となり手」になってしまうのだよ。これでは大変なストレスだ。

Windows 時代のテキストなのだが、「ATOK の文語モード試しみむとて」という記事を書いたことがある。文語調の迷文なのだが、リンク先を読んでもらえばわかるように、ATOK の文語モードだといともすらすら変換できてしまっているのである。なかなかのものだ。Google では、こうはいかない。

 

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2018年5月11日

コーヒーは粉じゃなく豆で買うに限る

我が家のコーヒーメーカーは、東芝の HCD-L50M という機種である。豆を挽くミル機能が付いているのが、これを選んだ理由だ。

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ところが、せっかくミル機能が付いているのに、ここ、つくばの田舎ではコーヒー豆(粉に挽く前の、文字通りの豆)を買うのがなかなか困難なのである。あちこちの食品スーパーに行っても、粉に挽かれたものしか売られていない。

で、つい粉タイプのものばかり買ってきて、せっかくのミル機能は長らく、宝(というほどのことじゃないが)の持ち腐れ状態になっていた。ところが昨日、久しぶりに都心に出た。と言っても、高崎線に乗るために上野に出ただけだが、帰りにちょっと足を伸ばして御徒町の多慶屋に寄った。ここならお買い得のコーヒー豆があるだろうと思ったのである。

期待したとおりに、豆が見つかった。ストレート(グァテマラ)の豆が結構なお買い得で買えたのである。ちょっと「お試し」なので、十分な量は買わなかったが、おいしかったら次に行った時にしっかり買い足そうという魂胆である。

結論。言うまでもないことだが、やっぱりコーヒーは淹れる直前に豆を挽くのがうまい。

私はそんなにペダンティックな人間じゃないから、ことさらなこだわりはないが(こだわりがあったら、手でグリグリ挽くタイプのミルを使い、ネル・ドリップで淹れるだろう)、とにかく粉で買ってきて淹れるのとは、全然違うのである。なにしろ私の好きな「超粗挽き」にできるし、ガラスのサーバーにポタポタ落ちてくる時からして、香りがしっかりと漂うのだよ。

「こりゃ、もう、豆で買うしかないね」と思ったのだが、ちょっと待て。何と、スーパーで粉のタイプを買う方が、ずっと安いのである。こりゃまた、どういうことだ? どうして粉に挽くという一手間加えた方が安く売れるんだ?

これはもう、スーパーで売られてるコーヒーの粉ってのは、品質的には相当に「どーでもいい」レベルのものなんだろうと思うしかない。コーヒーは淹れる直前に豆を挽く方がおいしいに決まっているが、それだけではなく、豆そのものの品質レベルからして違っているようなのである。「どーでもいい豆」を大量生産で粉に挽いて、真空パックにし、販売時点までは辛うじて鮮度を保っているのだ。

だったら、そりゃ、豆で買ってくる方がおいしく飲めるよね。というわけで、私はいわゆる「コーヒー通」からはかなりかけ離れた、単なる「がぶ飲み派」でしかないのだが、これからはきちんと豆で買って、直前に挽くことに決めた。

 

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2018年5月10日

鳥取砂丘でクマ出没 —— 今年は 4年に 1度のクマの当たり年?

今日の仕事先はどういうわけか、「鳥取砂丘でクマが出た」という話題でもちきりだった。初めて聞いたときは「まさかぁ!」と笑っていたが、iPhone でニュース検索すると「鳥取砂丘にツキノワグマの足跡 海岸方向に50メートル」などといったニュースの見出しがバンバン飛び込んできた。どうやら本当らしい。

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「おいおい、鳥取砂丘にラクダはいるけど、クマなんてのもいたんだねえ!」ってなことで大いに盛り上がってしまったのだった。

私は 3年前の 2015年 2月に「未踏の地、鳥取県と鹿児島市」という記事を書いていて、その翌週には鹿児島市への出張が決まっていたが、鳥取県に行く予定はまったくなかった。そのため、この記事は「それにしても、鳥取砂丘を拝めるのはいつになるだろうか」という一文で結ばれている。

しかしその年の 8月 14日には出雲への出張のついでに鳥取県倉吉市で 1泊し、その翌日には鳥取砂丘を訪れている。行ける時には行けるものである。その時に撮った写真を下に載せておく。

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晴れ男の私らしく、ピーカンの晴れで、メチャクチャ暑かった。鳥取砂丘は砂丘というより「砂漠なんじゃないの?」というほどのスケールで、なかなか圧巻だった。それにしても、あんな砂漠みたいなところに、どうしてクマが出没できるんだ? と思ったが、砂丘の端っこはちゃんと山みたいな地形につながっているので、クマもその気になれば砂丘に足を伸ばせるらしい。

ちなみに「ウェザーニュース」によると今年は「4年に1度の出没多発年」ということらしく(参照)、同社の作成したグラフでも、下記に引用したように、確かに今年はクマの被害が増えそうな勢いである。

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となると、ちょっとした里山程度でも、分け入るときにはそれなりに注意するに越したことはないようなのである。クマとしても、人間の捨てたゴミで味をしめてしまうと、また食べたくなって人里近くに現れてきやすいらしい。だからこれって、ある意味「人災」でもあるようなのだ。本当に気をつけなければならない。

 

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2018年5月 9日

Mac のブラウザーの「ウィルスが見つかりました」という表示に注意

今朝、インターネットで調べ物をしていると、ブラウザー(Google Chrome) に突然下の写真のページが表示された。「10.13 ウィルスが見つかりました!」 とあるので、一瞬驚いたが、その下の日本語があまりにもアヤシ過ぎる。

1805091表示されたテキストは、いきなり 「ました」 で始まる以下のようなものだ。おそらく自動翻訳ソフトで日本語にしたものだろうが、それにしてもひどすぎる。


ました。 0分0秒 9 五月 2018  10.13は、(3) ウィルスに感染しています。では、事前 (2) マルウェア検出されたトレースと (1) フィッシング/スパイウェアのことです。システムの損傷 28.1%の即時削除が必要です。

Mac ユーザーのブラウザーにこんなのが表示されても、無視して OK である。そもそも、このページの URL をみても、Apple とは何の関係もない、アヤシ過ぎるサイトである。くれぐれも、下の「今スキャンして」(これも苦しい日本語だが)なんてボタンをクリックしてはいけない。

ちなみに、ついうっかり「今スキャンして」ボタンをクリックなんかしてしまったらどうなるのか、ちょっと調べてみた。今回私の画面に表示されたのが、以下の情報に直結するのかどうか、実際にはクリックしていないから確実にはわからないが、いろいろな情報を総合すると、どうやら "MacKeeper" なる無料ウィルス対策ソフト(と称しているらしい)をインストールさせられてしまうようなのである。

「無料ならいいじゃないか」と思うかもしれないが、このソフト、調べてみるとメチャクチャ評判が悪く、インストールしてしまうと要りもしない広告の波状攻撃がかけられて、大変なことになるらしい。それが鬱陶しいからとて、アンインストールしようにもなかなかできないということのようなのだ(参照)。

そもそも、こんな志の低いやり方で無理矢理インストールさせたがるようなアプリケーションに、まともなものがあるはずがない。くれぐれも無視するようお知らせするために、本日は早めのブログ更新とした。

 

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2018年5月 8日

旅先では、「ホテルで洗濯」に限る

私は仕事上の旅(つまり「出張」ってヤツね) が結構多い。とくに今年の 3月なんて、改めて数えてみるとビジネスホテルで 10泊していて、行ったり来たりを含め、31日間のうち 17日間は旅をしていたことになる。こんなに多いのは特別だが、平均すると 10日に 1度以上はビジネスホテルで寝ていることになる。

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旅先で問題なのは、「着替え」 である。とくに下着の替えをどうするかは、人によっていろいろなやり方があるが、大別すると次の 3通りになるようだ。

  • 日数分の着替えを持参する。
  • 1泊 2日だったら、着替えないで通す。
  • ホテルで洗濯して着替える。

私の場合は、3番目の「ホテルで洗濯」派だ。「東洋経済 Online」に、「少ない服をヘビロテ! 旅先での簡単お洗濯術  その日に着た服をその日のうちに洗うには?」という記事があって、この内容がまさに私がやっているのと同じシステムなので、「我が意を得たり!」と思ってしまった。

要するに、旅先ではさっとお湯で洗うか、バスルームのボディソープで軽く洗う程度にしておき、本格的な洗濯は自宅に帰ってからすればいいと割り切るのだ。だからホテルのコインランドリーなんか使う必要はない。そもそもあれって、たかが 1組の下着を洗うのに時間がかかりすぎる。

洗って手で絞った後はバスタオルでぐるぐる巻きにして水分を取り、ハンガーに吊して乾かす。乾かす場所はバスルームではなく、ベッドルーム。ホテルの部屋はエアコンが効いてかなり乾燥するから、一晩寝ているうちにすっかり乾いてしまう。

ちなみに、リンク先の記事は「ヘビロテ」(「ヘビー・ローテーション」ってことなのかな)としていて、つまり「こまめに洗濯して着回す」のを推奨しているのだが、私の場合「ローテーション」なんかしない。その日に着た下着とシャツを洗って乾かしている間、つまり夜は、すっぽんぽんで寝て、夜のうちに乾いたのをまた翌朝に着る。

念のため、替えの下着を 1組だけ持っていくのだが、たいてい使わずに済む。その日に着た服はその日のうちに洗って、翌朝にまた着るということなので、2泊 3日だろうが 3泊 4日だろうが、はたまた 1週間の旅だろうが、着替えは念のためにいつも 1組持って行くだけだ。そして大抵の場合、着替えは手つかずでそのまま持ち帰ることになる。

知り合いに日数分の着替えを持参するタイプがいるが、それだと 2泊 3日ぐらいならまだいいが、3泊 4日以上だと荷物が多くなる。私は「同じものを旅先に複数持っていく」ということを馬鹿馬鹿しく感じるのだよね。一方、「2泊 3日までだったら、着替えない」なんていう剛の者もいるが、それはやっぱりちょっと抵抗があって、自分のスタイルにしたいとは思わない。

というわけで、私はこれからも「予備の 1組」だけ念のためにバッグの底に押し込んで、基本は「毎晩ホテルで洗濯」というスタイルを続けようと思う。

 

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2018年5月 7日

「恐妻家」 というのは 「恐ろしい妻」 のことじゃない

このブログでは過去にもいろいろ言葉の誤用について採り上げているが、最近になって「恐妻」という言葉の誤用がかなり多いことに気付いた。

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言うまでもなく、いや、そろそろきちんと言わなければならないのかもしれないが、「恐妻」というのは、男性について使われる言葉であって、上の写真で紹介した "Girls Slism" というサイトの記事のように「恐妻になるタイプ・結婚後に夫を足蹴にする未来の鬼女  恐妻になりやすい女性の特徴」なんて用い方をするのは、完全に誤用である。「Goo 辞書」にも次のようにあるから、改めて確認してもらいたい。(参照

きょうさい 【恐妻】

夫が妻に対して頭の上がらないこと。「恐妻家」

ここに示されているように、「恐妻」というのは決して「恐ろしい妻」ではなく「妻を恐れる夫」のことなのである。ちょっと前の映画なんかで、「いやあ、彼は恐妻家だから、あんまり遅くまで酒に付き合わせちゃいけないよ」なんていうようなセリフがよくあった。ところが今や、本来の意味は褪せてしまったようで、ちょっと検索しただけで誤用がゴロゴロ見つかる。下に紹介する例はほんの一部である。

恐妻家と相性が合う旦那の特徴 | 特徴.COM

恐妻家の妻はこんなにも恐ろしい特徴を持っている! - 主婦知恵

アナタの彼女は当てはまってない!? 結婚後、恐妻になりそうな女性の特徴

恐妻家の女性と上手くいく旦那の特徴|

恐妻家になる女性の特徴や心理と恐妻家と相性がいい旦那の特徴

上から 2番目の「恐妻家の妻はこんなにも恐ろしい特徴を持っている」という文言は、「あれ、『恐妻家の妻』なんだからいいんじゃないの?」と思われるかもしれない。しかし本文の 「夫を尻に敷くタイプと言える恐妻家の女性。 旦那様から恐れられている存在ですが、このように恐妻家になる女性には性格に特徴や共通点があります」という文言を読めば、「ははあ、やっぱり誤用か」と、がっくりくるだろう。

まあ、記事の内容も一見すると心理学的な視点で書いてあるようにみえたりするが、結局は通俗心理学にも及ばないレベルだから、読んでも時間の無駄だ。それは他の 4つの記事にしても同様である。「恐妻」という言葉の意味も知らないライターの書いた記事だから、しょうがないといえばしょうがない。

とはいえ、いつも言うように言葉というのは生き物みたいなものだから、近い将来、国語辞書の「恐妻」の項の解説も「夫が妻に対して頭の上がらないこと。または、夫をそのようにさせる妻のことも言う」ってな具合に変わってしまうかもしれない。

それにしても「恐妻」を「恐ろしい妻」と解釈するのは、かなり即物的で趣味が悪いんじゃないかなあ。

それから、ついでに言ってしまうが、上の写真で紹介した "Girls Slism" というタイトルの意味がさっぱりわからない。とくに "Slism" って、一体何だろう。辞書を引いても見当たらないし、サイトの中でもちっとも解説されていない。

 

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2018年5月 6日

排泄物のシンボリズム

ゴールデンウィーク最後の記事として、「巻きグソ」なんていうテーマはいかがなものかとかなり躊躇したのだが、ちょっとした比較民俗学的考察になるとも思うので、「えーい、ままよ」と書いてしまうことにする。

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「オモコロ」 というサイトに「外国人に巻きグソの概念はあるのか調べた」という企画がある。上の写真の絵にある、ある種シンボリックな絵を日本人の多くは「巻きグソ」と理解するが、果たして外国人はどうなのかという疑問について、街行く外国人に片っ端から絵を見せて反応を調べ、解決しようとしたものだ。これ、ある意味ちょっとした「勇気」である。

結論から言うと、欧米人の圧倒的多数(と要っても、何百人にも聞いたわけじゃないが)が、「アイスクリームだろ」と答えたのだった。ブラウンに着色でもしてあれば、また別の反応があったのだろうが、とにかくこの絵を見る限りでは、断然「アイスクリーム」なのである。ただしかし、タイ人はちゃんと「ウ・ン・チ」と理解したというのだから面白い。

東洋人は着色なんかしなくてもちゃんと「巻きグソ」と理解するのに、欧米人はそうではないというのが、とても興味深い。サンプルが少なすぎるので軽々に断言はできないが、これは「日本人と欧米人の民族的差異」というよりも、「東洋と西洋の差異」と言った方がいいのかもしれない。

私が 15年近く前に書いた記事に「和式と洋式 便器の形の考察」というのがある。これは当時開設していた BBS への書き込みに端を発したものだが、ある高校の先生が、和式便器があのような形なのは、「日本人は性質上自分のしでかしたことを確認する傾向がある」からだと言ったというのである。私はこれに対して次のように異議を述べている。

和式トイレで「自分のしでかしたモノ」を確認できるようになったのは、水洗式が普及して以降のことだ。それ以前は「ボットン式」だったので、少なくとも「確認しやすい」ということはなかったはずだ。そして、和式の基本的な形は「ボットン式」の頃からほぼ確立されていたのである。

こう考えると、「自分のしでかしたこと云々」は、面白い視点ではあるが、ちょっと違うようだ。

「自分のしでかしたモノ」を容易に確認できるのは、「和式水洗トイレ」を別とすれば、「野グソ」の時である。今の日本人は相当登山者の少ない山を登るときでもなければ、野グソなんかする機会はほとんどないのに、あのアイスクリームのような「アイコン」を「巻きグソ」と理解するのは、これはもう本当に文化的、象徴的な事項としか言えないだろう。

誤解を恐れずに言ってしまえば、おそらく日本人を含む多くの東洋民族は、「ウンコ」 についてかなりシンボリックに捉えることができるのだと思う。なにしろ「アイスクリーム」にしか見えない線画を「巻きグソ」と捉える共通理解の文化をもっているのだから、これはかなり確実なことだ。

その背景には人間の排泄物を肥料として利用してきた圧倒的な歴史があるではなかろうか。自分の排泄物で育てた農産物を食ってしまうのだから、それ自体、かなり「シンボリック」なことと言うほかない。少なくとも「リアル」なものとして捉えるよりは精神衛生にもいい。

そこには「シンボリックに理解することによる浄化」という精神作用があるように思われるのである。これができずに、「いやーん、汚〜い」なんて言うのは、「中途半端で不器用なリアリスト」でしかなく、メタフィジカルな思考とは縁遠い人である。それについて語り出すと制限がなくなるので、今日のところはこれにて。

【2022年 1月 29日 追記】

今さらながらの追記で恐縮だが、この記事の 1週間後に「茶色に着色してあれば、アイスクリームとは思われなかった」という実証的な記事を書いているので、合わせてよろしく。

 

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2018年5月 5日

首相も官房長官も、老眼じゃないみたいなのだ

毎日新聞が 5月 1日付で 「公文書クライシス 政務三役、公務に LINE や私用メール」 という記事を報じている。「大臣、副大臣、政務官(政務三役)の経験者が、在任中に公用アカウントの電子メールをほとんど使わず、私用アカウントのメールや無料通信アプリ「LINE(ライン)」を業務に使っていたと毎日新聞の取材に証言した」 というのである。

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LINE というのは若いおねえちゃんが使うものとばかり思っていたのだが、なんと私の妻まで使っていて、娘たちと連絡を取り合っているらしい。それでも私は昨年 6月 20日に書いているように、LINE は嫌いである(参照)。政治家のオッサンたちは私の嫌いな LINE で、妙な「スタンプ」なんてやり取りしてるんだろうか。

毎日新聞の記事によると、政務三役経験者の 1人が、「官邸幹部は忙しくて電話がつながらないから、大事な情報はメールで伝えていた」と証言したというが、この「メール」 というのはガラケーのメールだったそうで、ちょっとコケそうになる。さらに、次のような記述もある。


取材に実名で応じた福田峰之・元副内閣相は「現場視察など庁外での仕事が多いのに、副大臣室備え付けの公用パソコンでしか使えず、副内閣相には公用スマホの貸与もなかった。そのため私用スマホで LINE を多用した」という。

米国のヒラリー・クリントンは、私用のメール・アカウントを公務に使ったことが問題になり、大統領選でドナルド・トランプに負ける一因ともなったとされている。とはいえ政治家が私用アカウントを公務に使うのは、ヒラリーに限らずかなり多いことらしい。日本では LINE が主流だが、諸外国では ”What's App" というアプリが多く使われているという。

こうした問題では、政治の世界よりも民間企業の方がずっとスマートな対処をしているように思われる。もしかしたら洋の東西を問わず、政治家のおっさんやおばさんに IT 関連でまともな対処を求めても、それは無理な相談ということなのかもしれない。

そんなことより私がちょっと驚いてしまったのは、上の写真で管官房長官が差し出すガラケーの画面を、安倍首相がちょっと眉をしかめながらとはいえ、眼鏡なしで読んでいるということだ。私は還暦前からスマホの文字を老眼鏡なしで読むなんて到底できないのだが、この写真撮影時点で 61〜62歳だった安倍首相も、さらには 67歳だった管官房長官も、眼鏡なしでガラケーの文字が読めたみたいなのである(今はどうだか知らないが)。

 

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2018年5月 4日

ショッピングセンターのトイレの不思議な貼り紙

時々買い物に行っているショッピングセンターのトイレに、前々から気になる貼り紙がある。下の写真の通り、「申し訳ありませんが」という大きな文字の下に「こちらのトイレは安全衛生点検・確認のため従業員も使用させていただいております」と書いてある。

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「安全衛生点検・確認のため」 に従業員がトイレを使用することの、一体何が「申し訳ありません」なのか、私は理解できないのである。そういう立派な理由があるなら(あるいは、そんなものなくても)、気にするこたぁないから、どんどん使ってくれってなものだ。こんな妙な貼り紙で客の頭を混乱させることの方を、ずっと申し訳なく思ってもらいたいほどである。

しかしことさらにこんな貼り紙をして、そこだけ不自然なほどの大きな文字にしてまで申し分けながってみせるのは、何かきっと深い理由があるのではなかろうかと、ちょっと深読みしてみた。

まず最初に思い当たったのが、「自分たちと同じトイレに従業員が入ってくることを不愉快がる客がいる」という仮説だ。私は従業員と客が同じトイレを使うことを別に何とも思わないが、中には「従業員は従業員用トイレを使えよ!」とイチャモンつけるとか、「お客様ご意見カード」かなんかに、そんなような苦情を書いて投書するとか、面倒な客がいたんじゃあるまいか。

そうしたことのガードのために、「私ども従業員がお客様と同じトイレを使うのは、『安全衛生点検・確認のため』なのでございます。どうぞご理解のほどを」という意味の貼り紙をして、予防線を張っているのかもしれない。もしこの推察が正しいとしたら、まったくご苦労なことだ。

実際のところは、従業員がトイレに入る度にしっかりと「安全衛生点検・確認」の作業をしているなんて、にわかには信じがたい。ということは要するに、「安全衛生点検・確認のため」なんていうのは、単に従業員が客用トイレを使うための、もっともらしい言い訳に過ぎないんじゃなかろうか。

あるいは、従業員は普段は従業員用のトイレを使っているが、たまたま本当に「安全衛生点検・確認」のために客用トイレに立ち入った従業員に、「客用トイレに従業員が入ってくるんじゃねえ!」とイチャモンを付ける客がいたのかもしれない。そんな時のために、「従業員が立ち入るのは『安全衛生点検・確認のため』に必要なことなのです」と言っているということも考えられる。しかしこれには大きな疑問がつく。

本当に「安全衛生点検・確認」のため(だけ)に立ち入るのなら、「従業員も使用させていただいております」という文言は余計な誤解を招く。単に「安全衛生点検・確認のため、従業員が立ち入る場合があります」としておけばいい。まあ、馬鹿丁寧好きの日本の小売業のことだから、「立ち入らせていただく場合がございます」ってな文言にしたがるだろうが。

いずれにしても、この貼り紙は「本当に客に申し訳ないから表示してある」というより、何らかのうっとうしい事態を避けるための予防線と解釈する方がずっと自然だろう。個人的にはこんな表示はするだけ馬鹿馬鹿しいと思うのだが、実際に貼り紙してあるってことは、この国には面倒くさい客が少なくないということの証左なのかも知れない。

 

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2018年5月 3日

アップルウォッチで、エクササイズの管理

昨年 10月末にアップルウォッチを買って、しばらくは「アクティビティ」というアプリには頓着していなかった。意識し始めたのは今年になってからで、しかも年末年始のダラダラ過ごす時期をちょっと過ぎてからである。

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このアプリは、詳しくは こちら を見て頂ければわかるが、基本的に 3つの環で示されて、外側の赤い環「ムーブ」はカロリー消費量(基礎代謝を除く)、中間の黄緑の環「エクササイズ」は、ある程度の運動をした時間、内側の水色の環「スタンド」は、立ち上がっていた時間(1時間に 1分以上立ち上がっていた時間単位の和)を表す。

上の写真で言えば、私は 17時 43分までに、505Kcal 消費し、55分間のエクササイズ(早足程度の運動でもカウントされる)をし、起きてから 1分以上立っていた時間が 10時間あったことを示す。消費カロリーのゴール(目標)は自由に設定できる(私はとりあえず 600kcal にしてある)が、残りのゴールは 30分、12時間に固定されている。

この時点で私は、あと 95Kcal 消費すれば目標に到達し、エクササイズは既に目標の 2倍近く行っている。そして「スタンド」はゴール達成確実だ。この 3つの環が閉じると、アップルウォッチが祝福してくれる。

今年の 1月 11日以降、私は 112日間連続で、全項目のゴールを達成している。一応、普通に生活してちゃんと体を動かしていさえすれば、達成可能の目標なのだが、午前と午後の両方で長いミーティングなんかが入っていたりすると、夜になっても「ムーブ」のゴールに遠かったりすることがある。

こんな時は、以前なら「今日は運動不足だったなあ」で済ませていたのだが、最近は連続達成記録が途切れるのは気分が悪いので、急にランニングなんぞを始めたりして、なんとかゴール達成を継続している。おかげで、ウェスト・サイズがやや減った。

会議で座りっぱなしの時に、アップルウォッチが「そろそろ立ち上がって動きましょう」なんてノーティスを発するのが、以前はうっとうしく感じられたが、最近は素直にコーヒー・ブレークで立ち上がって、部屋の中をウロウロしている。そうすると、座りっぱなしでいるより確かに気分がいいので。

「ムーブ」のゴール 600kcal という設定は、多いのか少ないのかわからないが、実際には普段の日は 620〜680Kcal を消費していて、ちょっと自転車で 20Km ぐらい走れば 800Kcal 以上の消費となり、それ以上の運動をすれば1,000kcal 以上になる。ただ、私も還暦を過ぎて 5年以上になるので、あまり欲張らないようにしている。

アップルウォッチで運動を意識し始めてから、体が確実に軽くなった。やはり「目標達成」という励みがあると、身が入る。

 

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2018年5月 2日

ロックが死んで、ギブソンも死にかかった?

ちょっと前からギブソンがおかしくなってるというニュースが流れていたが、ついに米国連邦破産法第11章(チャプター 11)申請ということになってしまった(参照)。チャプター 11 というのは、日本の民事再生法にあたるものらしい。

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ギブソンといえば文句なしにギターの代表的ブランドだ。エレクトリック・ギターではフェンダーと、アコースティックではマーチンと並び称され、両方の分野でトップ・ブランドというのは、ギブソンしかないと言ってもいい。私は個人的にマーチンとフェンダーの方が好きだから、今回のニュースは致命的なショックではないが、やっぱりもやっとするものはある。

何が最ももやっとするかといえば、チャプター 11 申請直前のニュースで、「ロックは死んだ」なんて言われていることである。こんな具合だ(参照)。


ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンが発行するユニバーシティ・オブザーバー紙は、経営判断の間違いはさておき、ギブソンが直面する問題は、「ロックが死んだ」 ことだと指摘する。一般大衆の音楽の聴き方は大きく変わり、ロックは 30代以上の人が聴く歴史の遺物となってしまった。(中略)音楽ファンは伝説のギタリストに遭遇することもなく、彼らのように演奏したいという夢を持つこともない。

確かに 60〜80年代にかけては、ポップミュージックの中心は常にロックであり、そのロックを音楽的に牽引する楽器はギターだった。「男たるもの、ギターを弾けて当たり前」みたいな時代が、確かにあったのである。だから最近の、「若い男の子が誰もギターを弾けない」という現実に、私は「おいおい、ギターも弾けないのかよ」と、ちょっと戸惑ってしまうのである。

エリック・クラプトンのギター・ソロは、私の世代にとってはたまらなく「クール」なもので、ちょっと腕に覚えがあればコピーして演奏してみたくもなるのだが、現代の若い子にとっては、「自分でも演奏する」ということのハードルは、かなり高いものになっているようだ。そもそも自分で演奏する必要なんかなく、iPhone のイヤフォーンで聞いている方が楽である。

今や音楽は、「自分でも演奏する」ものではなく、「それに合わせて踊ってみせる」ためのものになってしまったのかもしれない。そしてこれは、私の一世代前のジャズ・ファンがロック・ファンに対して抱いた印象の延長線上にあるような気もする。

 

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2018年5月 1日

「メシハラ」 に関する考察

「セクハラ」「パワハラ」という言葉はとっくに市民権を得たようだが、今どきは「メシハラ」というのまであるのだそうだ。

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弁護士ドットコムというサイトに、この 「メシハラ」 に関する話が載せられている。こんなのだ。(参照

「嫁は完全に私を避けていて、外出はもちろん食事も一緒にはとりません。妻らしい事は、食事だけは用意してくれるだけですが、中身も明らかに嫁と子供に出すものも違います」

別の男性は、妻の両親と同居している「マスオさん」状態。妻や義理の両親からは何か月も無視され、ご飯は別室で一人、食べさせられているといいます。

こうした問題での相談に対し、担当の弁護士は「メシハラを受けながらもそれを我慢して同居を続けている限り、夫婦関係はまだ破綻しておらず、離婚請求は認められないという判断になる可能性もあります。本当に離婚しかないと考えるのであれば、早々に別居するのが離婚への近道ではないかと思われます」と回答している。

それにしても、「夫にろくなメシを食わせない」という手段によるハラスメントが可能なのは、夫の方に「自分でメシが作れない」という弱みがあるからだろう。哀れなものである。

こんな姑息なハラスメントをはねのけるには、夫の方が妻よりうまいメシを作れるようになればいい。会社帰りにスーパーに寄って自分のためだけの食材を調達し、帰宅したら台所に立って、チャチャッと手早くうまいメシを作って独りで食う。妻のメシよりずっとおいしいが、妻には食べさせてやらない。いわば「逆メシハラ」である。

思い出してみれば、私の父は滅多に自分で料理しなかったが、たまにその気になると、結構な包丁さばきで母よりおいしいものを作った。そしてその息子の私も、こう言っちゃナンだが、妻より手早くおいしいものを作れると思っている。父はそのことについてことさら口には出さなかったし、私もそれに倣っているが、これは家庭の平和のためである。

で、これは私の思い込みかもしれないが、「やらせてみれば夫の方が料理がうまい」という夫婦の方が、問題が少ないと思う。それは、男が料理をすることによって多少なりとも「家庭的な視点」みたいなものを理解できるからだろう。メシもまともに作れないような男は妻を思いやれないから、結果的に「メシハラ」の反撃を受けてしまうというのは、論理の飛躍だろうか。

ちなみに、上述の「メシハラ」相談の引用部分、最初の方の男性は、日本語がちょっと不自由みたいなのだ。というより、この文章を書いた弁護士さんの方の日本語能力の問題かな?

 

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