樹木希林と森繁久弥と「セクハラ」という三題噺
5月 18日の朝、私は宮城県の大崎市というところのビジネスホテルにいてテレビを見ていた。当初の予定では朝 9時にスタートするはずだった仕事が天候要因で 10時からに変更となり、1時間ほどヒマになったのである。
で、テレビを点けたら NHK の「あさイチ」という番組に樹木希林がゲスト出演していたので、つい見入ってしまったのだ。この樹木希林という人、なかなか素敵である。
で、一通りのインタビューが終わると、視聴者から FAX(今どき FAX というのが、いかにも NHK らしい)で寄せられた質問に樹木希林が答えるという趣向になり、その中に「森繁久彌さんとの共演が長かった樹木希林さんですが、お尻を触られませんでしたか?」という質問があった。
あちこちで「セクハラ」が問題になっている時節柄、よくまあ、こんな質問を取り上げたものだとちょっと驚いたが、NHK という組織はこうしたことには案外無神経なのかも知れない。
森繁久弥が共演する女優のお尻を触るというのは有名な話だが、この質問に樹木希林は「森繁さんは、綺麗な女優さんだったらスッーと触るのね。美形が好きみたいで、そういう人は触ってましたね、でも私は触られません」と答えていた。先日亡くなった星由里子あたりは確実に触られてただろう。
で、森繁の場合は、時代的背景もあっただろうが、この「お尻を触る」という行為も「独特のご愛敬」として済まされていた感がある。触られた女優にしても「ホントにもう、しょうがないんだから」と笑ってスルーしていたようなのだ。まあ、それが本音からかどうかはよくわからないが。
そんなわけで、「セクハラ」というのはなかなか複雑なところがある。「相対性理論」じゃないが、する側とされる側との関係性によって「もろにセクハラ」になったり「まったくもう、しょうがないんだから」で済むご愛敬になったりするのである。つまり、「セクハラ」というのは「両者の間」にあるのであって、「する側」の方に一方的にあるわけじゃないみたいなのだ。
「鐘が鳴るのか撞木が鳴るか鐘と撞木の間(あい)が鳴る」 という禅問答みたいな都々逸(?)があるが、まさにこの辺りは結構深いところがある。
「する側」が「単なるご愛敬」とか「他愛ない挨拶代わり」のつもりでも、「される側」がシリアスに受け止めたら、それは「立派な(?) セクハラ」になるのであって、この辺りのところが無神経な人には理解できないみたいなのである。「そんなつもりじゃなかった」なんて言っても、それは一方的な弁明にしかならない。何しろセクハラは「両者の間」にあるのだから。
思えば、森繁久弥は平和な時代に生きていたのである。今の世でそんなことをしたら、「セクハラ大魔神」として炎上してしまっていただろう。
セクハラ問題を起こさないためには、「鐘と撞木の間」に余計な軋轢を作りさえしなければいいのである。要するに「セクハラと受け取られても仕方のない言動」をしなければいいだけのことなのだ。
ただ、世の中にはこの辺りのビミョーな判断が全然できない人がそこら中ごろごろいて、そんな人って、つい「鐘と撞木の間」に余計なことをグリグリ押し込んじゃうんだよね。端から見ていると、「なんでまた、ここでわざわざそんなバカなこと言うかなあ」みたいなことを、好んでポロポロ言っちゃうのだ。しかも、いかにもオッサンじみたギトギト・イメージで。
こうなると、もう「単なるご愛敬」なんて決して受け取ってもらえないから、覚悟した方がいい。
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