刈り草を「可燃ゴミ」として集積所に出すという発想
私はかなり自然豊かな地域に住んでいて、家のすぐ後ろは川土手になっている。今の季節は背の高い雑草の宝庫になり、ヤブ蚊が大量発生するから、草刈り作業が結構大変だ。そんな昨今、町内のゴミ集積所に、刈ったばかりの枝と草が出されていた。真ん中辺りの紐で束ねてあるのが刈り枝で、奥の方のゴミ袋に入れてあるのが刈り草である。
私は常々、刈り枝をゴミとして出すのはしょうがないところもあるが、刈り草を市の焼却処理に任せるのはいかがなものかと思っている。水分たっぷりの草を燃やすには、他のゴミと適当にブレンドし、重油と混ぜて無理矢理燃やさなければならないと聞いている。面倒な作業である上に、かなりの環境負荷になる。
ゴミとして出さないまでも、人はなぜか刈った草をかき集めて高く積み重ねておきたがったりするが、そんなことをすると、積み重ねた草の下の方がいつまでも乾かず、虫が湧いたりする。そして刈り草を集めて剥き出しになった地面は日当たりがいいので、またすぐに雑草が生える。これからの季節は、雑草が伸びるのと刈り取るのとの競争になってしまう。
土手付近の刈り草は、芝できれいにした庭とは違うのだから、そのまま地面に寝かせて敷いておくに限る。そうすれば適当なグランドカバーになって日当たりを抑制するので、新たな雑草が少しは生えにくくなる。これは土手際に住む者としての経験知から、自信を持って言える。
ウソだと思うなら、今日の私の「和歌ログ」の写真を見てもらいたい(参照)。刈り草をそのまま地面に寝かせておいても、すこしも目障りじゃない。晴れて 3日もすれば草は乾燥して地面と同化するプロセスが本格化し、ますます自然な景観になる。積んでおく方がよほど目障りな上に、ジメジメして面倒なことになる。
ところが休日に町内の共同草刈り作業などをすると、実際の草刈りという重労働には手を出さないのに、刈った草を鋤で集めて積み重ねるという、楽だが無意味な作業をして、「私も一応働いてるんですよ」という免罪符にしたがる人がいる。
私は「そういう余計なことはしないでくれ」と言うのだが、いくら言ってもわからないようだ。せっかくのグランドカバーをどかされたら、またすぐに雑草が生えるから、私は共同作業が終わった後に積み重ねられた雑草の山を崩して、再び平らにならしたりしている。
というわけで、土手際の刈り草を積み上げるのは無意味以上に、後でさらに面倒になる作業なのだが、あまつさえ、ゴミ袋にパンパンにつめてゴミ集積所に出したりされると、「この人、一体何を考えてるのか」と暗澹としてしまう。刈り草は「ゴミ」なんかじゃなく、元々自然のものなのだから、刈ったらそのまま自然にしておけば別に目障りなわけでもなんでもないのに。
それどころか、家庭菜園をしている人の中には、落ち葉や枯れ草を堆肥にして貴重なバイオ肥料にしている人もいるというのに、ムダに油をかけて燃やすという発想が私にはどうにも理解できない。しかし世の中ではこうしたエコロジカルな考えの方が、まだまだ理解してもらえないようなのだ。
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コメント
刈り草を一か所に集めて…。
プラッチックの波トタンを上から被せて、重石を乗せて腐葉土もどきを作ってます。
そうなんですよ。雑草の見た目で高ささえなければ、「整備してある」地面になりますものね。
よっぽど道路や側溝に散らかってなければ、そのまま放置が一番です。
草刈り&草集めでわざわざ地表を太陽にさらすことは、出遅れて育成不良だった2番手の雑草を元気にしてしまいますもの。
投稿: 乙痴庵 | 2018年6月 9日 10:48
乙痴庵 さん:
>刈り草を一か所に集めて…。
>プラッチックの波トタンを上から被せて、重石を乗せて腐葉土もどきを作ってます。
それはいい考えですね。
それにしても、世の中には自然の摂理と仲良くできない人が多すぎて、驚きます。
投稿: tak | 2018年6月 9日 12:49