アスペルガーはアスペルガーなりに
昨日、朝早くからの仕事があり、そこで 13日に予定されているイベントに関して、「ごめんね、その日は大阪に出張だから、参加できないよ」と言うと、「新幹線で行くの?」と聞かれた。「もちろん」と答えると、相手は「気を付けてね」なんてことを言う。
その日はかなり早起きしていたので、前夜から当日朝一番のニュースをチェックしていなかった。それで、「ことさら、何に気を付けるんだろう」なんて思っていたが、ほどなく例の新幹線車内殺人事件のニュースを知って、「まあ、確かに気を付けるに越したことはないけど、一体どうやって気を付けたらいいんだ?」なんて思ってしまった。
今朝になってちょっとテレビのニュースショーを覗いてみると、小嶋容疑者の父親のコメントが報道された。「幼いころから、人の言うことを言葉通りにしか理解できなかった。変わった子だった」なんて言ってる。
結構他人事みたいな言い方で、思わず「おいおい、それって、俺のことか?」と言いたくなってしまったじゃないか。「言葉通りにしか理解できない」というのは、アスペルガー症候群の典型的な症状である。ただ、調べた限り「アスペルガー症候群」という言葉で報じているニュースは見つからなかった。そう言及することに、何か問題があるのかしらん。
私は自分のことについて、このブログで何度も「アスペルガー 1歩手前」なんて書いている。6年近く前に書いた「自閉症スペクトラム指数自己診断」というのをやってみた」という記事では、私の「社会的スキル」は結構問題ありなのだが、結構大雑把なところがあるのと気分転換の速さでなんとか救われているとわかった。
私がいつまでも細部に執拗にこだわる性格だったら、ほぼ確実に自閉症になっていただろう。まあ、そんなところも決してなくはないのだが、そうした心的傾向はいい具合にこのブログで昇華されているようで、幸いなことに社会生活に大きな問題は生じていない。
AERA の今年 3月の記事に "日本人の 20人に 1人は 「隠れアスペ」? " というのがある。この記事で紹介されているのは 『隠れアスペルガーという才能』という著書もある吉濱ツトムさんという人で、彼は著書の中で、アスペルガー的傾向はあるが症状が比較的弱い「隠れアスペルガー」は、異常な才能を発揮することがあるなんて言っているという。
私の場合は「異常な才能の発揮」なんてレベルには至らないが、幸いにも「自分はアスペルガー的傾向がある」と自覚できているので、それなりの対策ができている。ただ、この「対策」というのは結構な努力を要するもので、実は大きな声じゃ言えないが、「いわゆる『フツーの人』と付き合うのって、ほんっとに疲れる。できれば避けて通りたい」なんて思っちゃったりもしてるのである。
で、そのまま深みにはまらずに生きるためには、自分の心的傾向を客観的に知った上で、自己肯定感につながる方向に向くことなのだろう。「それが簡単にできれば苦労はない」と言われそうだが、今回の事件の容疑者に関しては、親がちゃんとした対応をしていれば、少なくともこんな陰惨な事件は起こさずに済んだかも知れないのに。
例の父親には、「自分の息子が『人の言うことを言葉通りにしか理解できない』とわかっていたなら、彼がきちんと理解できるように的確な言葉を使って育てればよかったのに」と言いたい気もするのである。あの父親はどうやら、それをせずに放り出してしまったようなのだ。
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