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2018年7月 1日

税関での土産品押収という憂き目

神戸の朝鮮学校の生徒たちの母国北朝鮮への修学旅行で、持ち帰った土産品が税関で「不当に押収された」(参照) として、朝鮮総連が政府に抗議しているという記事が、左右両極の視点から話題を呼んでいる。(下の画像はクリックで拡大表示される)

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この問題で朝鮮総連の徐忠彦・国際統一局長は "「お土産まで取り上げたのは暴挙」と述べたうえで、米朝和解の流れが出てきた中で、「唯一、日本政府だけが敵対行為に固執し、子どもの人権を踏みにじっている」などと非難した" と報道された。

これに関して、Twitter では 日本政府の行為に関して 「怒りに震える」、「絶対に許せない」などと非難の tweet が相次ぐ一方で、「税関は法に従っただけ」、「法律的に持ち込めないものがあることを、生徒に指導しなかった学校の責任」などとの、政府擁護の tweet も相次いだ。

フツーに考えれば、朝鮮学校はしょっちゅう「里帰り」の修学旅行をしているのだから、いくら土産だろうと、北朝鮮製の品物は日本国内に持ち込めない状況になっているということは、認識していたはずだ。その上で、生徒たちが土産物として持ち込もうとしているのを「黙認」していたことになる。

こうした状況下では、少なくとも「運が悪かったら税関で見つかって、押収されるリスクがあるよ」という客観的な可能性認識を、生徒たちに了解させておくべきだったと思う。「運が悪かったら」というのは、多分これまでも、見つからずに持ち込めたケースがいくらでもあっただろうからだ。

で、総連側はそれに関してつまびらかには触れていないが、「(今回に限って)強引に押収というのは不当弾圧だ」と言いたいのだろう。しかしこういうのを、フツーは「感情論」と言う。

一方、押収した税関の側の論理は「法に従って粛々と任務を遂行しただけ」ということになるのだろうが、これまでは見逃していたケースもいくらでもあるのだろうから、見方によれば「非人間的な官僚主義」、「嫌らしい政治的な動き」ということになる。法律論として見れば、総連側に勝ち目はないが、「人間としてどうか」という視点に立てば、いろいろな見方が出てきても、そりゃあおかしくはない。

このニュースを読んで私が真っ先に思い出したのは、40年近く前の経験である。私はその頃、年に一度はドイツに出張していて、帰りにはいつも 1メートルぐらいあるドイツのソーセージを数本、お土産に買っていた。私は今は肉は食わないが、その頃は、ソーセージは好物だったのである。

ところがある時、税関でそのソーセージが見つかり、押収された。肉製品は国内持ち込みできないというのである。「ありゃ、これまで何度も持ち込んでたんだけど」と言うと、税関担当者は「まあ、それは聞かなかったことにしておきましょう」なんて言う。まあ、妥当な反応だろうね。

で、仕方なく「承諾書」みたいなのにサインさせられて 巨大ソーセージ数本を差し出した。「持ち込みせずに、この場で食っちゃってもダメ?」と聞くと、「それも聞かなかったことにしておきます」なんて言う。まあ、ユーモアだけはある職員だった。

まあ、フツーに考えればプラスチック・フィルムで密封カバーされたソーセージが、ドイツ国内では安全に食えても、日本に持ち込んだ途端に害になるなんてはずはない。だからそれまでも、持ち込んだものをおいしく食っていたのである。ただ、私は遵法主義の立場から「不当な押収だ」なんて抗議はしなかった。

というわけで、税関で残念な目に遭ったことがあるのは、何も朝鮮学校の生徒だけじゃない。私だって、相当に残念な思いをしていて、その時の気持ちは今でもありありと思い出すのだよね。

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