紀州田辺、来てよかった!
昨日は "「紀州のドンファン」 の地元に出張する" なんて、さもつまらなそうに書いてしまったが、南紀白浜空港から 1時間ほどバスに揺られて和歌山県田辺市に着いた途端に、忽然と気付いた。「そうか、ここは植芝盛平先生の出身地で、南方熊楠が終の棲家とした土地で、そしてなんと、武蔵坊弁慶の出身地でもあったのか!」
駅前の観光案内所に立ち寄ると、このことが大々的に書かれている。そうか、忘れてたよ。恐縮だが「紀州のドンファン」なんてこの際どうでもいい。私のアイドル 3人のゆかりの地だったのだ。たまたま出張だから経費で来ることができたわけで、なんとまあ、ありがたいことである。
植芝盛平先生は合気道の開祖であり、恥ずかしながら私もその合気道の有段者に名を連ねる一人だから、大恩人である。田辺に来るまでその繋がりを忘れていたなんて、まことに申し訳ないことであった。
というわけで、さっそく弘法大師の創建によると伝えられる高山寺というお寺を訪ねて、お墓参りさせていただいたよ。行ってみると、墓参に訪れる人が多いらしく、案内版がきちんと完備されていて、すぐにわかった。
そして嬉しいことに、南方熊楠のお墓も同じ高山寺にある。こちらもすぐにわかった。とても質素なお墓で、案内版がなかったら見過ごしてしまいそうだ。いずれにしても、この 2人の偉大なる存在のお墓参りできたのは、望外の幸せというものである。
もう 1人の弁慶の方は、どこにお墓があるのか知らない。仕方がないから、駅前の銅像の写真を載せておくにとどめることにする。私は歌舞伎の『勧進帳』を 何十回も見たせいか、義経より弁慶の方がずっと贔屓なのだ。
最後の写真は、南方熊楠の住居跡の書斎である。奥の机は、手前の 2本の脚が少し短く切ってあって、やや傾斜がある。長時間机に向かっていても疲れないように、カスタマイズしちゃったものらしい。さすが南方熊楠らしいこだわりである。私も真似したくなったが、私のデスクは脚が金属製だから、無理だろうな。
さて、明日は本来の目的である仕事をして帰ることになる。晴れ男の私としてはチョー珍しく、雨になってしまうようだが、今日が天気に恵まれた(恵まれすぎてムチャクチャ暑かったが)から、よしとしておこう。
【7月 4日 追記】
天気に関しては、4日も大した雨にはならず、時々小糠雨程度のが降る程度で晴れ間の方がずっと長く、「大雨になる」との予報は外れた。私の晴れ男伝説は、辛うじて守られたようだ。
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コメント
熊楠と合気道の植芝さんが同じお墓とは知りませんでした。一度行ってみたいです。判官びいきではなく、弁慶贔屓とは(笑)。
投稿: taro | 2018年7月 4日 09:40
taro さん:
>熊楠と合気道の植芝さんが同じお墓とは知りませんでした。
私は 「植芝さん」 とは畏れ多くて言えませんが ^^;)、同じ高山寺にあります。一粒で二度おいしいお寺さんでした (^o^)
投稿: tak | 2018年7月 4日 16:51