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2018年9月18日

「LGBT には生産性がない」 という、懲りない感情論

『新潮 45』 が、本日発売の 10月号で、「そんなにおかしいか 『杉田水脈』 論文」という企画を組んでいるらしい。あの時に受けた批判は、「見当外れの大バッシング」だと言っているようなのである。私としてはそれよりも、あんなものを「論文」と言うセンスに驚いているのだが。(参照

180918

同誌 8月号に掲載された彼女の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という寄稿記事について、私は「礼儀として、読んでから批判すべきだろう」と思い、一応書店で買って読んでみた。その時の記事が、どういう巡り合わせか、私の誕生日、7月 26日付の "「LGBT には『生産性』がない」という発言について" という記事である。

せっかく買ったのに、その感想は「買って読むほどのレベルのものじゃない」というものだったが、ただ、せっかく買ったのだからと、彼女の「LGBT には『生産性』 がない」という見当違いの決めつけについて、ごくフツーに(だよね?)批判し、さらに、次のようなことを付け加えた。

頭の硬い保守派は子どもを産む能力に関して「生産性」という言葉を好んで使いたがる。私自身も彼らの口からこうした言葉が発せられるのを度々聞いていて、その度に不愉快になる。この言い方は、実は保守政治の世界の「ステロタイプで悪趣味な決まり文句」になっているのだ。

フツーに考えれば、彼女の発言は「トンデモ」に違いないのだが、彼女の仲間内は「一体何が間違ってるんだ。当たり前の話じゃないか」と擁護する雰囲気に満ち満ちている。それは間違いない。ということは、いくら批判しても彼女は絶対に反省なんかしないということである。

というわけで、今回の「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集が出ることについては、「ほぉら、やっぱりね」 と言うしかない。「いくら批判しても彼女は絶対に反省なんかしない」 と書いたが、正確に言えば 「彼女を含む勢力は、絶対に反省なんかしない」 ってことである。

彼らの偏見は「だって、LGBT、おかしいじゃん!」というプリミティブな「感情論」から発するものでしかない。そして「生産性」という言葉は、感情論をもっともらしく印象づけるために使われているに過ぎないのである。(それに関しては、上述の 7月 26日付で書いているので、くどくど繰り返さない)

「私は LGBT、嫌いだ!」というなら、「まあ、それは好き好きだからしょうがないね」と言うしかないが、無理な理窟とも言えない理屈をまぶして、「客観的意見」みたいな形で主張されても、そもそもが「感情論」に立脚したものなので、まともな議論をするには出発点からかみ合わない。だから先々月の時点でどっと出た批判も、結果として「暖簾に腕押し」気味になってしまった。

というわけでそこでやめておけばよかったのに、反撃に出てきたということのようである。ただ私としては、今回の 10月号は買うつもりがない。そんなもの買って読むほど暇じゃないから。

どうせ、まともな議論は期待できないし。

 

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