脚気と米あまり
下の写真が何だかおわかりだろうか。団塊の世代よりほんの少しだけ若い私の世代でも、若い頃に 1度か 2度実物を見たことがある者が多いが、若い世代では「何これ?」となってしまうだろう。
実はこれ、「脚気 (かっけ)」 の検査をするための道具である。検査の仕方は、足が床に着かないように浮かせて椅子に座り、膝のあたりをこの槌で軽くコンと叩く。膝関節が反応してピクッと動けばオーケーで、動かなかったら脚気ということだった。私の年代の人間は大抵、子どもの頃にやってみたことがある。
脚気は結核とともに日本人の国民病とまで言われた病気で、脚がむくんだりしびれたりし、最悪の場合は死に至るが、長い間原因不明とされていた。ビタミン B1(チアミン)の不足によるものと判明したのは 20世紀初頭で、国内の死者が 1000人を下回るようになるには、1950年代まで待たなければならなかった。
この脚気が大問題となったのは、明治以後の軍隊でのことで、とくに長期間の航海をする海軍では、野菜などの副食が足りずに脚気が多発した。当初は脚気の原因がチアミン不足との知見はなかったが、経験則として白米食に問題があるとされ、海軍では脚気患者の少ない西欧式のパン食に切り替えられた時代があった。
精米によってチアミンの豊富な胚芽が失われることが、脚気を引き起こすという推察は正しかったわけだ。この間の事情については、Wikipedia の「日本の脚気史」というページに詳しく載っている。ただ、海軍は英国式医学で経験則を重視したのに対し、頭の硬い陸軍はドイツ式医学で理論偏重だったため、脚気の原因が不明だった時代は、海軍式との対立があったようだ。
そして日本の医学はドイツ式が主流を占めたので、海軍の経験則によるパン食は「非科学的」と批判され、白米食との混用に移行した。その結果、一時はせっかく減っていた脚気が再び増加に転じたというのだから、困ったものである。ちなみに海軍のパン食を批判した陸軍の軍医の中には、森林太郎(文豪、森鴎外の本名)もいたが、ここではあまり触れないでおこう。
これとは別の視点で、私がより興味をもってしまうのは、「白米好きの日本人の兵隊がパンしか食えないのでは、軍艦内でストライキや暴動が起きかねず、仕方なく白米と混用することになった」と、巷間伝えられていることである。日本人の「白いおまんま」への執着を示す話だ。
しかし日本で白米食が本当に広まったのは明治期以後のことで、さらに日本の隅々まで白米が食べられるようになったのは、戦後になってからとされている。つまり明治期における白米は「憧れ」の対象でありこそすれ、決して「馴染んでいた」というわけではなかった。
実のところは、「兵隊に行けば、『白いおまんま』がたっぷり食える」という幻想の部分が大きく、それだからこそ、パンばかり食わせるわけにもいかなかったという側面もあるのだろう。それだからこそ、パワハラの極致のような軍隊式生活にも耐えられたのだ。
というわけで、戦後になって初めて「白いおまんま」がたっぷり食える時代になったわけなのだが、どういうわけか私の小学校時代の学校給食はパン食ばかりだった。それなのに子供たちの中では「白いおまんま食わせろ」という声はほとんど聞かれなかった。
せっかく白米がたっぷり食えるようになったのに、 逆に「白いおまんまへの憧れ」が薄れたので、パン食がたやすく刷り込まれた。そして「米離れ」につながり、さらに「米あまり」の時代となったのである。インスタント食品ばかり食う人間も増えて、再び脚気が増え始めたと伝えられる。
ちなみに我が家は玄米食である。
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コメント
もうちょっとで50代。
膝をコンコンされた経験あります。
正直申しまして、おかげ様で野菜不足の食生活ではない過去を過ごしております。
もう!もう!
白米大好きなんで、もしかしたら脚気に一直線なのでしょうか?
ただ家庭内炊飯作業では、七分づきと麦の混入で、食物繊維確保を実行中です。
いえいえ。
ご飯でもパンでも、おいしく召し上がってください!
投稿: 乙痴庵 | 2018年9月17日 09:31
乙痴庵 さん:
私は、納豆ご飯だけは白米で食べたい (^o^)
投稿: tak | 2018年9月17日 20:42