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2018年10月 3日

「左上右下」と 舞台の「上手/下手」

昨日の 「トイレの上座/下座」の件で、「左上右下(さじょううげ)」 という伝統文化について触れた。東アジア地域では、左が上座で、右が下座であるというコンセプトである。これと舞台の「上手/下手」について、昨日の記事の中で詳しく触れようと思ったのだが、長くなりそうなので分割して今日の記事として書く。

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左が上座で右が下座なら、どうして舞台では右側が上手で左側が下手なのだと問う人がいるが、舞台に関しては見る主体が違うのである。観客の側からは確かに上手が右側に見えるが、実は日本の民俗芸能の考え方では、主体は観客ではなく舞台に立っている役者なのである。

これに関連したことは、10年も前に「黒森歌舞伎による観客論」として書いていて、さらにその 4年前にも「清水の舞台」というタイトルで書いている。私の田舎で真冬に奉納される「黒森歌舞伎」でも、清水の舞台でも、ちゃんとした観客席がない。それは芸能というのは本来、神に奉納されるもので、人間の観客はそのご相伴にあずかって見ている「余計者」だからだ。

それ故に、神と役者の視点により、左側が上手、右側が下手になるのである。観客からの視点では逆になってしまうが、観客は本来的には想定外の存在なので、この際問題にならないのだ。

日本の伝統芸能では、舞台上の立ち位置も原則的に「上手/下手」のコンセプトで決定されていて、上に掲げた役者絵でも、上手に関守の富樫がいて、中央に弁慶、下手に判官(源義経)が配置される。おもしろいのは判官の位置で、安宅の関を通過するために身をやつしている間は、徹底して下手にいる。

しかし関所を通り過ぎてしまうと、弁慶の上手という本来の立ち位置に移る。そうでないと「判官、御手を取り給ひ〜」で、判官が弁慶の機転を誉めるというくだりが成立しないのだ。

これは歌舞伎ばかりでなく、落語の世界でも同様だ。長屋の大家さんが八っつぁん熊さんの店子と会話するシチュエーションなどでは、咄家が大家さんを演じる時には顔を下手を向け、店子を演じる時には上手をに向ける。つまり一人で演じてはいるが、大家さんは上手、店子は下手にいるというココロでやっているわけだ。

ただ、上座とか下座とかいうのは今の世の中では、伝統芸能や茶の湯などの古典的な世界か、よほど格式張った場以外では、ことさらこだわってもしょうがないというのが、私の考えである。ましてやトイレの序列なんて滑稽ですらある。問題があるとすれば、いい年したオッサンがぞろぞろ連れだって一緒にトイレに行くという妙なメンタリティの方だ。

 

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コメント

これって『天子南面』と根っこは同じなのでしょうかね。帝から見て左側に左大臣・左京区という配置ですが、大衆から見ると右側に左大臣がいて、地図では右側に左京区があるというアレと。
ちなみに左が上位なのは天子南面時の左側=東側から太陽が昇るからなんですね。今日調べて初めて知りました。

投稿: らむね | 2018年10月 4日 00:08

らむね さん:

私の理解する限りでは、まさにおっしゃる通りです。

投稿: tak | 2018年10月 4日 14:46

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