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2018年11月 5日

木の中に森を見るということ

このブログでは「フラクタル」ということについてかなり頻繁に取り上げてきたつもりだったのだが、いざこの言葉で検索してみると 2つの記事しかヒットしないという意外なことに気付いた。

181105

ヒットしたのは、次の 2つの記事である。

「へえ、この程度しか書いてなかったんだ!」というのが、正直な思いである。こうしてみると、「フラクタル」という言葉をきちんと前面に出して書いたのは、この 2本しかなかったということのようだ。

とはいえ、フラクタルのコンセプトをベースにして書いた記事はもっとたくさんあるはずである。その中の一つに "「かれ」と見える「われ」" というのがあって、これは「私ではない何者か」が書かせてくれた記事と言うほかない。

「木を見て森を見ず」という警句があり、これは部分を見るだけで全体を理解しようとしない傾向を批判的に言うものとして知られているが、実は現代の複雑系の理論に沿えば、「木を見れば森が見える」のである。全体の中に部分があり、部分の中に全体がある構造をフラクタルという。下の図は "Sierpinski zoom" という、よく知られたフラクタル図形である。(Wikipedia より拝借

File:Sierpinski zoom.gif

「木を見れば森が見える」 というテーゼで思い出したのが、昨今の「インタープリテーション」(「通訳」 という狭い意味ではなく、"nature interpretation" とも呼ばれている)というプログラムだ。これは一言では説明しにくいので、こちら のページに飛んでいただければ、その一端がおぼろげに見えてくると思う。

かなり前に、このインタープリテーションの初歩の実修に参加したことがある。最初のプログラムは、自然豊かな郊外に出て、「しばらくこの近辺を歩き回って、自然の声を聞き、何を感じたか発表してください」ということだった、

私は結構楽しみながら森の奥まで踏み込んで、写真を撮ったり和歌を作ったりしたのだが、参加者の 1人(年配のオッサンだった)は何を思ったか、近くにあった古い神社の看板に書かれた故事来歴をメモしてきて、「この地域の古い歴史を知って感動しました」なんて言っていた。

この人、よくよくインスピレーションの欠如した人である。周囲の自然の背後にある言葉を聞こうとするのではなく、たまたま手近に見つけた看板に書かれたテキストを、そのままテキストとしてメモしてくるという安易なことしかできないのでは、インタープリテーションになっていない。ちなみに、オッサンの中にはこのタイプがかなり多い。

対象の中に「未だテキストになっていない何ものか」を感じて、自分の感性でテキスト、あるいはその他のスタイルとして表現できるのでなければ、当然ながらフラクタルの醍醐味は理解できず、さらには人生の機微もわからないだろうね。

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哲学・精神世界」カテゴリの記事

コメント

お久しぶりです。
今日は、良い記事をありがとうございます。
「木の中に森を見る」ですか。
「神は細部に宿る」という言葉がありますが、同義だと思います。
私は、畑で草取りをしながら、地球が見えているという実感があります。
楽しくて仕方がありません。
俯瞰することも大切ですが、一所をじっくり観察することは、さらに大切と思っています。

投稿: Mikio | 2018年11月 6日 09:11

Mikio さん:

>「神は細部に宿る」という言葉がありますが、同義だと思います。

まさにそう思います。

畑で草取りをしながら地球が見えるというのも素敵ですね。草が単なる邪魔者じゃなく、地球との繋がりの媒介と思えてきます。

投稿: tak | 2018年11月 6日 11:21

残念な方の見解をいっちょ、偏見たっぷりで申し上げます。

その「テキストをメモって古きを知った」オッサン、典型的な会社人間の成れの果てではござらんじゃろうかの?

軽んじるつもりは毛頭ございませんが、会社に芯から(真から?)隷従していることを「是」として盲信している種族が大好きな、「エビデンスの確保」ですよねー。(誰よりも先に見つけたってことも重要)

おそらくは社会人枠をリタイアされて、新たな自分探しのために参加されたんでしょうけど、「過去の因習?礼賛?」から抜け切らず、過去を引きずったままだったことと、拝察申し上げます。残念ですね。

一昔前の言葉で言うと、「濡れ落ち葉」確定ですかねぇ。残念ですね。

本当に放言しておりますこと、ご容赦ください。(まだ言いたいことございますが止めときます)

投稿: 乙痴庵 | 2018年11月 6日 18:05

乙痴庵 さん:

その分析、多分当たってますね。

インスピレーションによる主観的な解釈 (「インスピレーション」って、「解釈」 ですから) をする方法論が自分の内面になくて、ただ外部の 「客観的」 (誰が見ても同じ) な材料に頼るほかない。

これが会社人間にとっては 「エビデンス」 という最強の道具と思われるんでしょうが、はっきり言って 「つまらない話」 に陥る最悪の落とし穴です。

投稿: tak | 2018年11月 6日 18:52

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