「平成最後の何とか」 というもの
天皇の譲位が来年の 4月 30日に行われ、5月 1日から新しい元号に変わる。これは既定路線である。というわけで、最近はいろいろな分野で 「平成最後の〇〇」 というのがもてはやされている。
上の写真は、電車の中で見かけた 「平成最後の新春バイキング」 という広告だ。毎年正月に恒例のバイキング料理というイベントをしているのだろうが、「平成最後」 というフレーズにどういう差別化的な意味があるのかよくわからない。
「要するに、いつもの新春バイキングなんでしょ」 というだけの話である。メニューの中に 「なるほど、これは確かに平成でなければあり得ない料理だね!」 というのがあって、元号が変わってしまったら提供不可能になるとでもいうなら話は別だが、そんなものがあるはずもないし。
そういえば、「平成最後の紅白歌合戦」 なんていうのもあるようだ。「昭和最後の紅白歌合戦」 というのも確かにあったわけなのだが、それは後になってから知れたことで、今回は初めから 「今の元号では最後の開催」 とわかっているという意味で初めてのケースである。
初めてのケースであるだけに、「いつものやり方」 というのがない。日本人は長い間 「元号」 という制度に親しんできたわけだが、今回ばかりはそれをどう扱っていいかわかっていない。世間はこういうのにとんと弱いのだね。
言ってしまえば、4月 30日のラジオ体操は 「平成最後のラジオ体操」 だし、朝メシは 「平成最後の朝メシ」、出勤は 「平成最後の出勤」 である。とはいえ、それらはいつも繰り返されているルーティーンに過ぎず、何が特別なのかはわからない。
何だか特別のような気がしないでもないし、特別の意味を込めたいというのも人情ではある。しかしその 「特別の意味」 というのをどう捉えたらいいのか、さっぱりわからない。いわば 「大いなる幻想」 なのである。
ということは、あまり深く考えずに 「雰囲気のもの」 としておけばいいのかもしれない。
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コメント
こう言っちゃ何ですけど、元号なんてあたしには「日本神話」の世界みたいな事象なので、否定もできないし肯定もできないし「どうぞお好きに」としか言えないわ。現実問題としては、文章中に「西暦ほにゃらら年(昭和ほにゃらら年)」とか出てくると合っているか調べなくちゃならないので、ま、ちょっとめんどいな、と。そのくらいですかね(適当)
投稿: あほうさぎ | 2018年12月20日 01:34
そうか、今日は平成最後の12月20日か。感慨深いなぁ。いや、そうでもないか。
投稿: 山辺響 | 2018年12月20日 09:47
平成最後のクリスマスってのがいちばん良いかもしれません(笑)
投稿: 山辺響 | 2018年12月20日 10:12
ほんの18年ほど前には「二十世紀最後の~」で大騒ぎしてましたね。どんなだったか今となっては全然思い出せないぐらいですけど。
投稿: 柘榴 | 2018年12月20日 10:32
あほうさぎ さん:
元号も、「明暦の大火」(いわゆる「振袖火事」)とか (古すぎるかな?) 「明治維新」 とか 「大正デモクラシー」 とか、エポックメイキングな出来事を表現するのに便利なところがあって、捨てられません (^o^)
最近はレトロというか、古くさくなっちゃった感覚を 「モロ昭和だねえ!」 なんて言ったりしますしね。
投稿: tak | 2018年12月20日 22:50
山辺響 さん:
「平成最後の大晦日」 「平成最後の正月」 「平成最後の節分」 とか、まだまだ続きそうです。
極めつけは 「平成最後の昭和の日」 かも (^o^)
投稿: tak | 2018年12月20日 22:52
柘榴 さん:
「20世紀最後の〇〇」 というのは、確かに全然印象にないですね。
そういえば、同窓会の二次会でカラオケに繰り出し、「平成の歌シバリな!」 というと誰も歌えないし、「21世紀の歌シバリ」 なんていうと、どんな歌があるかすら、誰も知りません (^o^)
投稿: tak | 2018年12月20日 22:56