「練習」と「稽古」と "practice"
今日は「練習」と「稽古」、そしてその英訳の "practice" について書く。そもそも私は、「練習」という言葉が一般的な世界よりも、「稽古」 という方がぴったりくる世界で育ってしまったので、今でも「練習」という言葉を使うと、何だか軽すぎる印象をもってしまう。
上は下手な草書だが、「稽古」という字である。「稽」という字の音読みは「ケイ」だが、訓読みは「かんがえる、とどめる、とどこおる」と読むらしい。以下は「語源由来辞典」からの引用である。(参照)
漢語「稽古」の原義は 「古(いにしえ)を考える」 「昔のことを調べ、今なすべきことは何かを正しく知る」である。そこから「古い書物などを読んで学ぶ」といった意味が派生し、学問する意味で用いられるようになった。
日本では中世以降、芸能や武術を学んだり習うことも「稽古」 が用いられ、学問以外の意味で使われることが多くなった。
というわけで学問の世界からの延長で、日舞や芝居、そして武術の分野では「練習」と言わずに「稽古」という。私は学生時代の専攻が古典芸能などという変わった分野で、さらに合気道の修行なんかもしていたので、もっぱら「稽古」という言葉の方に馴染んでいた。ちょっとお嬢様系の習い事だと、「お」を付けて「お稽古事」なんて言うのだが。
演劇の分野では日本の古典芸能のみならず、西洋演劇でも日本人は「練習」ではなく「稽古」と言い、演劇の練習をする場所はもっぱら「稽古場」という。まるで相撲みたいな言い方だが、「芝居の練習」なんて言うと、詐欺師がペテンにかける練習しているみたいな印象になってしまう。
ただ、西洋系のスポーツは総じて「練習」と言う。黒柳徹子さんが『徹子の部屋』で、ゲストの野球選手に「野球のお稽古は大変なんでしょう?」なんて言うので、ちょっとコケてしまっていた。ちなみに「練習」は文字通り、「練り習う」ということだ。
で、「稽古」も「練習」も、英語ではひっくるめて "practice" と言う。昔、一緒に合気道を習っていた米国人が、「合気道の稽古」を "aikido practice" と言うのを聞いて、「まあ、そりゃ、practice と言えば practice にゃ違いないけどね」 なんて苦笑いしていたのを思い出す。
"Practice" の語源は、「語源英和辞典」には次のように説明してある。(参照
ラテン語 practico (行う) > practikos (実際の) > prasso (実行する) + -tikos (~の) >per- (運ぶ) が語源。「行う; 実際に行うこと」 がこの言葉のコアの意味。practical(実際的な)と同じ語源をもつ。
要するに「実際のようにやってみる」ということのようで、日本語の「古(いにしえ)に学ぶ」とか「練り習う」とかいうニュアンスとはかなり違う。とにかく精神性より実践が重要ということだ。発想からして別物という気がしてしまうのだよね。
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コメント
takさんブログの脱線コメント担当者として、「鍛錬」と、「鍛練」の違いも掲出いたします。
錬だと、鉄製品(鉾や刀)など、モノをより強くする行為。
練だと、身体の動きや精神力を鍛える行為。
だいたいこんな使い分けだと思いますが、個人的には「鍛錬」が好きですねぇ。
中学生のときは剣道部所属だったのですが、さすがにニワカの部員だったので、段持ち部員のやってる稽古ではなく体力づくりの練習でしたね。
投稿: 乙痴庵 | 2019年1月31日 13:41
乙痴庵 さん:
確かに 「鍛練」 と 「鍛錬」 では重みが違いますね 。
糸より金が重いのは当然かも (^o^)
投稿: tak | 2019年1月31日 22:52