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2019年1月22日

カルロス・ゴーンの保釈問題に関して

昨日、「ゴーン被告、声明で保釈訴え パスポート提出や監視装置の着用提案」と報じられた。要するに保釈してもらえるなら、たいていの要求に素直に応じるという態度表明をしたもののようだが、結果として保釈は叶わなかった。

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個人的には、もう起訴しちゃったんだから保釈してもいいんじゃないか、いや、むしろ保釈すべきじゃないかとさえ思うのだが、どういうわけか日本の検察ってかなりハードライナー揃いのようなのだ。それでゴーン氏としてもさすがに消耗してしまって、「何でも言うこと聞くから、とにかく外に出してよ」ということになっていたんじゃなかろうか。

というわけで、さっさと保釈すべきだろうという考えは表明しておくが、だからと言って、私はゴーン派というわけではない。逆に「決して付き合いたくないタイプ」と思っている。

日産の資金を個人的に流用し放題だったという「汚職」事案については、裁判の過程でいろいろな釈明が出てきて、もしかしたら結果的に、彼の主張通り 「無罪」 なんてことになってしまう可能性だってある。そうなったらそうなったで、法律的観点からはきちんと「はい、無罪放免ね。一丁上がり!」と認めてしまえばいい。

しかし「法律的観点」からちょっと離れた、何と言うべきか、仮に(ちょっと大袈裟かも知れないが)「文学的観点」と称するようなポイントから言うとすれば、「こいつ、ずいぶん金に汚いオッサンだよね」という印象は拭いきれないのである。いろいろな言い訳は用意されているみたいだが、金にきれいな人間ならまずしないだろうというようなことを、うんざりするほどしている (参照この件の魚拓)。

仮にうまく釈明して裁判を切り抜けることができたとしても、日産の幹部としては「もう、あの人とのお付き合いはゴメンです」と言うほかないだろう。要するに判決がどっちに転んでも、実質的にハッピーな結果にはならないということだ。

カルロス・ゴーン的には「法的抜け道」はいくつも用意したつもりだったのだろうが、日本人の「情緒的抵抗」への対策に関しては甘く見て、調子に乗りすぎたってことなんだろうね。彼がもう少し賢明だったらその辺りまできちんと計算していたんだろうけど、残念ながらそこまで頭がいいわけじゃなかったってことだ。

 

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