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2019年1月13日

「固有の文化」 と、クジラと改憲

古い友人が正月 7日を過ぎてから思い出したようにくれた年賀状に、「今年こそ憲法改正を実現させましょう」とか「これからはまた鯨が食えるのが嬉しいですね」 とかいう文言が添えてあった。彼は私のこのブログの存在を知っているはずなのだが、最近はとんと読んでくれていないらしい。

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憲法に関しては昨年の正月に書いた "当分の間「本籍・改憲派、現住所・護憲派」で行きたい" という記事へのリンクを、上の画像のように本宅サイトのトップ・バナーのすぐ横に置いているし、クジラに関しては "日本政府は IWC 脱退を決めたようだが" という昨年末の記事で疑問を呈している。つまりこの 2つのイシューに関しては、昨年のうちに態度を明らかにしているのだ。

というわけで、彼とはここ数年顔を合わせていないが、今後はますます距離が開いてしまいそうな気がしている。風の噂では日本会議系の団体に入っちゃってるというし、何だか話が合いそうな気がしない。

既に何度か書いていることだが、私は牛肉と豚肉はここ数年避けているし、鶏肉も止めて 2年近く経つ。ましてやクジラに至ってはここ何十年も食べていないのに、IWC を脱退するからといって思い出したように食う気には到底なれない。

捕鯨推進派は「鯨肉食は日本固有の文化」とことさらに主張していて、日本政府は、社説で日本の IWC 脱退を批判したニューヨーク・タイムズに、そうした論拠での反論を掲載したらしい(参照)。確かに「固有の文化」は尊重されなければならないが、それを錦の御旗のごとく掲げて突っ走るのも、何だかビミョーなところがある。

そもそも、日本人の多くが昔から連綿とクジラを食うことに親しんでいて、それなくしては食生活が淋しくてしょうがないというわけでもない。MAG2NEWS は、「約 7割が売れ残る。それでも日本が捕鯨を続けざるを得ない裏事情」 という記事で、次のように報じている。

調査捕鯨の名目で捕獲された鯨の肉は市場でセリにかけても 3分の1しか落札されず、残りは売れ残ってしまうそうです。それが地元の小学校で給食として提供されているそうですが、鯨の肉には大量の水銀が含まれており (参照:鯨由来食品のPCB・水銀の汚染実態調査結果について)、それを成長期の小学生の(ママ)食べさせるのは非常に危険です。

さらに、私も一昨年に "そろそろ捕鯨を止めようじゃないか" という記事で引用した 「日本とクジラ なぜ日本は捕鯨をするのか」(原文は "Japan and the whale")という BBC の記事を紹介し、日本の捕鯨に関する方針は、捕鯨関係者が多い選挙区から選出された数人の国会議員と、予算を失いたくない数百人の官僚たちの意向が大きいとして、次のように書いている。

(行き詰まっている) 原子力発電や(時代遅れの)スパコン事業にも言えると思います。一旦、「国家プロジェクト」としてスタートしてしまうと、作られた特殊法人(=天下り法人)やそのプロジェクトに強く依存する事業者が出来てしまうため、霞が関の担当役人や特殊法人そのものが「辞めましょう」とは言えない空気が出来てしまうのです。

まあ、クジラをどうしても食いたいという人に「絶対に食うな!」とは言わないが、このあたりの事情も理解した上で、自分の食うものを決めても遅くはないだろうと思う。「固有の文化」の尊重という点に関しても、日本は「切腹」や吉原などの「遊郭文化」を、即物的な観点からはとうの昔に捨ててしまっていることだしね。

しかしこれらは、廃止された今でも歌舞伎など(『仮名手本忠臣蔵』 四段目、六段目や、『助六所縁江戸桜』、『曽根崎心中』を見よ) のフィクションの中で脈々と生き延びているし、クジラを実際に生々しく食わなくても、語り継ぐことは十分に可能だろう。文化というのは 「リアルでやめたらすぐに廃れる」 というような、そんなにも即物的で脆弱なものじゃないってことだ。

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