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2019年2月 2日

東北生まれの男が広島で一人メシを食うのは大変

一泊二日の広島出張から、さっき戻ったばかりだ。一昨日夜からの雪は心配したほどには積もらなかったので、交通機関への影響はほとんどなく、帰りも順調に帰って来れたのでホッとしている。

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広島市には 10回近く出張しているが、その度に食文化の相違を感じて戸惑ってしまう。とくに広島駅周辺で晩メシを食おうとしても、お好み焼きやと寿司屋の比率がやたら高くて、二の足を踏んでしまうのだ。とにかく「飲み」とワンセットとすることが前提の飯屋が多く、1人でサクサクっと食事を済ませるのに適した店が少ない。

他の都市だと、少なくともフードコート的な飲食店の集合スペースがあって、そこで適当に軽く食事を済ませることができる。ところが広島駅周辺だと、私が知らないだけなのかもしれないが、そうしたところはない。とにかく、「広島焼き」と称するお好み焼き屋で、サラリーマンたちがご機嫌な大声で飲み食いしているのが目立つ。

6年近く前の「ソースで天ぷらを食う人たちは、鉄板系コナモンも好き」という記事中でも書いたように、私の生まれた山形県は「お好み焼き不毛の地」と言われるところだ。酒田市でも私が暮らしていた 1970年までは、数年に 1度お好み焼き屋が開店し、半年ももたずに閉店するという状態だった。

そんなわけで、私はお好み焼きを食う作法をトンと知らないのである。訳知りの人は「広島焼きは大阪流のお好み焼きと違って、店の人が焼いてくれるから問題ないですよ」なんて言うのだが、そうは言っても、あの「サラリーマンたちのご機嫌な大声充満」の店の前に立つと、どうしても一人メシを食うために暖簾を潜ろうという気にはならないのだ。

それは寿司屋を前にしても同じことで、出張先で寿司屋に入って一人メシを食おうなんて発想はない。最近は肉食を避けているので、ラーメンも食わないし、そうなると蕎麦屋かうどん屋が一番無難な線なのだが、西日本に行くと蕎麦屋というジャンルの店がやたら少ないのだよね。うどん屋はそれほど珍しくはないが、それでも多くはない。

東北生まれの人間が一人メシを食おうとして、広島ほど苦労する土地はないと、訪れる度に思うのである。

それと付け足しだが、広島の地は既にスギ花粉がずいぶん飛んでいるようだった。そしてつくばの地に帰っても花粉の飛散量は 2日前とは段違いのようで、やたらと目が痒い。今年も春は近付きつつある。

 

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