私は「シャルリー」でも「一本気な子ども」でもない
Newsweak にフローラン・ダバディというフランス人が、「ブラック・ユーモアを忘れた日本は付き合いにくい」というコラムを書いている。日仏関係はゴーン問題もあって揺れているが、フランス文学界の鬼才、ウェルベックの新しい小説に、日本人をバカにしたような登場人物が描かれているいることに関連し、彼は「今の日本人は、こんな 『侮辱』 を受け流せるのだろうか......」と危惧している。
このダバディという人、「どこかで見たことのある顔」 と思ってしまったが、サッカーで日本代表監督を務めたトルシエの通訳兼アシスタントをしていたと紹介されているので、「道理で」と得心した。今は Newsweek なんかにコラムを書いたりしてるのだね。
ミシェル・ウェルベックという作家の最新作『セロトニン』に関しては、私はまったく読んでいないのでなんとも論評のしようがないが、ダバディ氏によると全体的にはこの作家らしいブラック・コメディ的なタッチであるらしい。そして登場する日本女性を小馬鹿にしたような描写が多々あるのだそうだ。
で、彼は「この本が日仏関係にとって危険なのは、最近の日仏関係がよくないせいだけではなく、そもそも日本人が風刺の心を忘れてしまったせいです。そしてそれは、フランス人との関係に限らず、国際社会から孤立する原因にもなりうるのです。危機感を抱いたほうがいいと思います」と述べている。へえ、日本人は今、フランス人にこんな心配をされるほどしゃっちょこばった存在と思われているらしい。
彼は学生時代、日本の「スネークマン・ショー」のファンだったそうで、英国の「モンティ・パイソン」を連想したりして、「日本とヨーロッパは笑いのツボが一緒」と思っていたという。しかし残念なことに、「今ではもう日本では通じない斬新過ぎるユーモアになってしまったのかもしれません」なんて言っている。
彼はまた、2014年の 「シャルリー・エプド」 事件を持ち出している。IS に関して風刺的に描いたフランスの週刊誌、シャルリーの編集者が、襲撃され殺されてしまった事件だ。あの時、西欧社会は ""Je suis Charlie" (私はシャルリーだ) というスローガンのもとに、案外単純に 「報道の自由の侵害」 と捉えたのだった。
しかしこれについて私は 2015年 1月 11日 と 12日の記事で少々疑問を呈している。12日の記事なんかは 「"Je ne suis pas Charlie" (私はシャルリーではない) と言う自由」 というタイトルだ。11日の記事では、次のように書いている(参照)。
風刺やパロディが単純に「報道の自由の範疇」と思っているのは、ある意味、西欧的傲慢である。喩えは悪いかもしれないが、すれっからしの大人が妙に一本気な子どもをブラックジョークで挑発しても、それは洒落にならないのだ。
ダバディ氏は「昔の日本人はもっと洒落が通じたのに、最近は通じなくなってきていて、ちょっとヤバいんじゃないの」と言いたいみたいなのだが、今だろうが昔だろうが、日本には洒落の通じるやつもいれば、まったく通じないやつもいる。ある意味、今は通じないやつがかなり大きな顔をしているわけだが。
ただいくらなんでもフランスの現代文学を読むような日本人は、多少は洒落が通じるから、ダバディ氏の心配するほどのことはないだろう。もしいきり立つようなやつがいたとしても、日本人同士でちゃんとなだめてしまうから心配ないと思っていていい。
とはいえ、もっと大衆的なメディアで日本人がブラックジョークの対象にされたりしたら、かなりエラソーな顔をして真剣に憤慨し出す 「一本気な子ども」 みたいなのが出てくるだろう。面倒な話だが、それは確実だ。
取りあえず今日のところは、「私は『シャルリー』でも『一本気な子ども』でもない」と宣言しておこうと思う。
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コメント
こうやって大真面目に論評しているうちは『一本気な子ども』 のうちだと思いますよ。おそらくこの記事自体がブラックジョークで、「私はシャルリー」をパロったコメディアンや学生さんが逮捕される国を礼賛する文脈でコレを言っているのが笑いどころなのでしょうから。
さすがジョークの本場だけあって所謂「釣り」にも切れ味があります( ̄▽ ̄)
投稿: 柘榴 | 2019年2月18日 04:29
柘榴 さん:
今回の記事の要旨は「タイトル通り」 のことですので、「大真面目に論評」 したと思われたのは、私の文章の至らなさかもしれませんね。
至らなさのおかげで 「大真面目な論評」と 思われたというのは、喜んでいいのか、悲しんでいいのか、戸惑ってしまいます ^^;)
投稿: tak | 2019年2月18日 15:34