「独立双頭峰」 を眺める暮らし
最近「双頭峰」という言葉でググってみて、その検索結果にこちらの期待ほどのものがないことに驚いてしまった(参照)。「大辞林」でも「双頭」という項目では「頭が二つ並んでついているもの。両頭」なんていう説明しかなく、子項目としても「双頭の鷲」があるだけで「双頭峰」なんて言葉はまったく無視されている。
私は高校を卒業する 18歳まで故郷の山形県酒田の地でいつも鳥海山(「ちょうかいざん」と読む) を眺めて暮らし、ここ 40年近くは茨城県つくばの地で筑波山を眺めて暮らしている。どちらも日本を代表する双頭峰で、しかも周囲の山並みとは一線を画す独立峰なので、しっかりとインスタ映えもする。
この際、「独立双頭峰」という造語を提案しておこう。思えば人生の 85パーセント以上を独立双頭峰を望む土地で生きてきたわけで、「この類いの景色によほど縁があるようだ」と思ってしまう。つくばの地に引っ越して来たときも、筑波山を見て「ミニ鳥海山かも」なんて思ったほどだし。
上の写真の、上 2枚が鳥海山(左は初夏、右は初春)、下 2枚が筑波山(左が秋、右が春)だ。どれも自分の「和歌ログ」に収めた写真である。こうしてみると鳥海山はさすがに 2200メートルを超す山だけに、あまりズームの効かないスマホのカメラで写しても裾野がはみ出し、筑波山はコンパクトに収まっている。
日本を代表する山は富士山ということに誰も異論を唱えないだろう。確かにあのほぼ左右対称の姿は美しいが、鳥海山や筑波山などの双頭峰も捨てがたい魅力がある。非対称の美しさというものも、なかなかのものなのだ。
そう思っていたところ、「富士山 NET」というサイトの「富士山の成り立ち」というページに出会った。このページによると、実は縄文時代までは富士山も「古富士」と「小御岳」で成り立っていて、つまり双頭峰だったらしいというではないか。
その後に古富士が大噴火を繰り返して噴き出した溶岩が堆積し、今の形の富士山になった。そして今も富士の山腹にある「宝永の大噴火」の火口は元の古富士山頂のあったところで、つまり「双頭峰の名残」なのだという。へえ、そんなことはちっとも知らなかった。
ということは、うちの田舎の鳥海山も「新山(酒田から見て右側の高い峰)」が大噴火なんかしちゃったら、溶岩流が山全体を覆ってとんでもなく高い山になってしまう可能性がなくもない。あくまでもそんなことにならないことを祈るが。
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