「自分の家から見る富士山が最高」という三島市民
昨日の「双頭峰」ネタの続きである。実は富士山も縄文以前は双頭峰だったという話なのだが、昨年の今頃(参照)、新幹線の中から三島付近で写した富士山の写真をよく見ると、なるほど、右肩のあたりに宝永火口の出っ張りがあって、双頭峰の名残がうかがえる。
実は今年 1月に三島に出張した時は、案外間近から何枚も富士山の写真を撮ったが、この日は雲がちょうど宝永火口を隠す辺りにかかっていた。これはこれでなかなか美しい。下の写真はその時の 1枚である。こうして見比べてみると、今年初めの富士山は雪が少なく、昨年の 2月の方が見事な雪化粧だった。
ところで最近聞いた話だが、三島市民の多くは 「自分の家から見る富士山が一番きれい」と信じているのだそうだ。出張先で会った人も「そりゃ、そうですよ。我が家から見る富士山はちゃんとポーズを決めてくれるし、光線の具合がいいと、スマイルだってしてくれますから」と、マジに言うのだった。
ここまで来るとすごいと感心するほかないが、その気持ちはなんとなくわかる気がする。地元から見える山は、見慣れた地点から見るのが一番しっくりくるのだ。
例えば我が故郷の鳥海山は、反対側の秋田県から望むとまったく別の印象になる。さすがに北斜面だけに、山形県から望む穏やかな姿とは異なる厳しさを感じさせるのだ。それで秋田県人は「山形側から見る鳥海山は間が抜けてる」なんてことを言う。それに対してこっちは「秋田から見るとちょっと貧相だ」なんて言うわけだ。
それは筑波山にしても同様で、「つくば市内からの角度が最高」と言う人が多いが、他から見るのも変化があってなかなかいいというのも事実である。とにかく、見慣れた角度が、その人にとっての最高なのだ。「故郷の景色」というのは、「馴染み」の度合いが大切なファクターのようだ。
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コメント
我が家からみる富士山は最高ですよ。裾野から全部見えます。
朝は朝焼けで赤く見えます。夕は夕焼けを背景に黒い富士山の山容が楽しめます。
夏期には各合目にある山木屋の明かりが山容に沿ってかすかに肉眼で見えます。
朝天候がよく、ドアを開けると眼前に富士山が見えると気持ちが引き締まります。我が家からみる富士山こそが最高なんです。
投稿: ハマッコー | 2019年2月21日 05:57
ハマッコー さん:
おお、ハマッコーさんこそ 「我が家からの富士山が最高」 主義者でしたか。
それにしても、そんなに見事な富士山がいつも見られるというのは、かなり羨ましいです。
投稿: tak | 2019年2月22日 01:57