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2019年3月10日

「選択肢が多い方が幸せというのは嘘」という主張に驚く

ふゆひーさんが Naoki Takahashi さんという人の tweet を「ひとことで言うと、江戸時代に戻ろうって話ですよ」という批判的コメント付きで リツィートしている(参照)。どんなのかというと、こんな tweet だ。

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これは下に示自らの tweet の続きとして書かれたもので、本来の順序としてはこっちから読む方がいいのだろう。

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Naoki Takahashi さんは、「夫婦別姓」という問題から発して、「選択肢が多い方が幸せにつながるというのは嘘」であると主張されている。つまりごくフツーの人々にとっては、選択肢なんて少ない方が親切なのだということのようだ。その根拠として「スティーブ・ジョブスが常に同じ格好をしていたのがいい例」としている。

しかしこれに対する反論は容易だ。スティーブ・ジョブスは確かに、いつも T シャツとジーンズで登場したわけだが、これは「ビジネス・ピープルはバリッとしたスーツで登場するのが当然との「常識」に対するオルタナティブという意味があったことを、Naoki Takahashi さんは無視している。つまりジョブスは、実効的な選択肢を確実に一つ増やしたわけなのだよ。

もっと基本的なことを言えば、Windows 一辺倒の様相を呈しかけていた PC の世界に、ジョブスは Mac という別の選択肢を提供してくれたわけだ。そのおかげで私は今、Windows の呪縛から離れた世界で快適に PC を使わせてもらっている。

「Mac なんて使っているのは圧倒的少数派だから、そんなもの潰して Windows に統一してしまえばいいじゃないか」と言われても、「いやいや、そうはいかないよ」と言うほかない。Windows だけの世界なんて、考えるだにつまらない。

それから「毎日何を食べるのか自分で考えるより美味しいものが自動的に出てくる方が良い」というのも考えもので、それだと「毎日まずいものが自動的に出てくる」なんて境遇になっちゃう可能性だって当然あることも、Naoki Takahashi さんは無視している。毎日美味しいものを出してもらうことを選択できるのは、食い物選択の自由があればこそなのだがね。

人間は興味のある分野では豊富な選択肢の中から「こだわりの一品」を選びたがり、逆に興味のない分野では「あてがい扶持でも一向に構わない」と思うことが多い。問題は人間の意識は多様だから、人によって「こだわり分野」も千差万別ということだ。

私は自分では全然興味のない分野の選択肢に関しても「少ない方がいい」などとは決して言いたくない。自分にとっての 「こだわりのある分野」 の選択の幅が、誰かさんの意思によって強引に狭められたりしたら大迷惑というものだから。

【3月 18日 追記】

食い物の選択肢に関連して、14年前の 8月 8日に「夫婦間の理解不能な言葉のやりとり」という記事を書いていたことを思いだした。

妻の発する 「夕食、何が食べたい?」 という質問にどう答えたらいいか、「何でもいいよ」ではあまりに愛想なしすぎるし、滅茶苦茶悩んでしまうというお話である。人間、本当に「あてがい扶持で十分」という分野があるものだが、それは妻の料理に対する信頼感があればこその話でもある。

 

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