『東京節』 を巡る冒険
今日の記事は、やたらと動画が多くなることを、予めおことわりしておく。そして元号が改まらないうちに、大正と昭和の話をしておく。
『東京節』 という歌をご存じだろうか。『東京音頭』ではなく『東京節』である。こう言われてわからなくても、「♫ ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ〜」というリフレインの歌と言えば、「ああ、それなら知ってる!」という人もいるだろう。
演歌師の添田知道作詞で、大正時代に流行した俗謡である。上に最もベーシックなバージョンで謡われた動画を貼り付けておいた。「パイノパイノパイ」と「フライフライフライ」で韻を踏んでいるのが、ある意味画期的だ。
この歌の原曲は "Marching Through Georgia" (ジョージア行進曲) という米国のマーチで、『東京節』 はそれを換骨奪胎したものだ。下に原曲の動画を埋め込んでおく。途中で 「スワニー河」 のメロディが入るのがおもしろい。
『東京節』 には、微妙に趣の違うバージョンもある。それも下に貼り付けておく。「最後の演歌師」 と言われた桜井敏雄となぎら健壱の、今では 「貴重な」 と言うほかない共演版である。
一番上に貼り付けておいた土取利行バージョンとの微妙なメロディの違いにお気づきだろうか。実は「ラメチャンタラギッチョンチョンデ」の 「ラメチャン」の部分、土取バージョンは平板メロディで、桜井敏雄となぎら健壱バージョンでは「ラ」の部分が高く歌われている。
実は私もつい最近までは、桜井敏雄となぎら健壱バージョンで、つまり「ラ」を高く歌っていた。しかし原曲を子細に聴いてみれば、明らかに土取利行バージョンの方が近いのである。ただいずれにしても「換骨奪胎」なのだから、「オリジナルに近いから正しい」とも言い切れない。
で、いろいろ調べてみたところ、Wikipedia の 「パイノパイノパイ」 の項に、次のような記述が見つかった。
唖蝉坊にはどうせ浮世は出鱈目だという人生感(ママ)があり、口癖になっていてその場でも出た。そうして「デタラメ」が「ラメ」となり「ラメチャン」となって囃子言葉はスラスラと決まり、全体は宿直の一晩で書き上げた。
「唖蝉坊」 というのは作詞者の添田知道の父で、あの演歌師の草分けとして名高い添田唖蝉坊である。『ラッパ節』『ああわからない』などの曲が今に残る。今は亡き高田渡は、『ああわからない』をアメリカン・フォークソングのメロディに乗せ、『新わからない節』として歌った。
その唖蝉坊が「デタラメ」の「ラメ」を「ラメチャン」として囃子詞に取り込んだというのである。ということは、「デタラメ」という言葉が平板アクセントである以上、これはやはり平板で歌うべきだろう。
そして、エノケンはわかっている。ちゃんと平板で歌っている。
というわけで、本日の結論。「エノケンは偉大だ!」
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コメント
ごきげんよう~
あはは
やあだぁ~~全部とは言いませんが
私ったらほとんど歌える~~
あはは
何故なのかしら・・・ほんとうに・・・
子供の頃
戦中に田舎で聞いたのかしら・・・
いえいえ、エノケンさんは戦後も
長くスターだったから聞いていますよね?
しかし、戦後はすぐ、ジャズが流行。
新しい歌しか無かったような気がしますが・・・
でも、takさまがご存じとは・・・
ずいぶんおもしろい子供さんでしたのね?
懐かしい昭和のこと書いて残して下さい。
ありがとうございます。
投稿: tokiko | 2019年3月24日 14:39
tokiko さん:
このあたりまでだったら、ほとんどリアルタイムに近いです。これ、なかなかいいですよね (^o^)
投稿: tak | 2019年3月24日 20:07