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2019年4月に作成された投稿

2019/04/30

「怪獣ラドン」が "Rodan" である理由

平成最後の日という特別な日だが、へそ曲がりの私としては、あえて軽い話題でいこうと思う。怪獣映画の話だ。大好きな人にとっては全然軽くないかもしれないが、ご容赦のほどを。

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TOHO CINEMAS MAGAZINE(文法的にはちょっと引っかかるところのあるタイトルだが)の 4月 14日号の冒頭は「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」という特集で、そのしょっぱなに「4大怪獣が激突!」というページがある。4大怪獣とは、ゴジラ、キングギドラ、ラドン、モスラなんだそうだ。

私はこのこれらの中で『モスラ』だけは劇場で見たことがある。1961年公開とあるから、小学校 4年生の時だ。筋はさっぱり印象に残らず、ひたすらザ・ピーナッツの『モスラの歌』だけを覚えている(これは隠れた名曲: 参照)くらいだから、昔から怪獣映画とは親和性に欠けているのだろう。米国の『キングコング』も見てないし。

ちなみに、ゴジラのアルファベット表記が "Godzilla" というのは、1998年にハリウッド版が制作されたぐらいだから、よく知られている。"Zillion" という英語(「無数」という意味合い)の連想も働いて、まさに 「神の化身」的ニュアンスの名前にできたのはできすぎというぐらいのものだ。

そしてこの雑誌の写真で初めて知ったのが、「ラドン」の英語スペルが ”Rodan” ということだ。この名前はラドン温泉などでよく知られる放射性元素の "radon" にちなんでいるのだとばかり思っていたから、「え、そうだったの?」と驚いてしまった。念のために書き添えておくが、『考える人』でお馴染みの彫刻家ロダンは "Rodin" なので、ここでは関係ない。

「ラドン」が "Rodan" になった理由として想像されるのは、”Radon” と表記してしまうと、英語読みでは「レイダン」に近い発音になってしまうからじゃなかろうか。発音の違いのせいで、日米の怪獣映画ファン同士で話が合わなくなったらまずい。だったら ”Rodan” と表記する方が、ずっと「ラドン」に近い発音となる。

ところで明日からは「令和」という元号になるのだが、正直言って慣れるまで相当時間がかかりそうだ。

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2019/04/29

「昭和生まれのじじい」の世の中になる

平成が明日で終わり、明後日からは令和という元号になる。新しい元号が前もって知らされているというのは初めての体験だから、なんだか明日がプチ大晦日みたいな妙な感覚だ。

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ところで自分の生まれた昭和は、令和からみれば 2つ前の元号ということになる。昭和生まれの自分の子どもの頃の感覚からすると、大正生まれはオッサンで、明治生まれはじじいだった。すると令和生まれの子供たちが物心つく頃には、平成生まれはオッサンで、昭和生まれはじじいということになる。かなわんなあ。

ところで、上の画像は国立社会保証・人口問題研究所というところがつくった 2020年の日本の人口ピラミッドで、クリックで拡大表示される。ちょっと前までは日本の人口ピラミッドは「つりがね形」なんて言われていたが、今となっては下の方がすぼまった「つぼ形」となっている。

上の方で左右の広がりの大きいのは、70歳を超えたあたりのいわゆる「団塊の世代」である。そして私はその団塊の世代のすぐ下だから、自分では「団塊の世代の尻尾」なんて言っている(参照)。

さらにその下でもう一度左右に膨らんでいるのが、40代後半の「団塊の世代ジュニア」だ。こうしてみると、昭和生まれの世代というのはやたら分厚い。それ以下はどんどんすぼまる一方で、なるほど都会を別とすれば、街を歩いても年寄りばかりで若い世代が見当たらないわけだ。

20歳以下の若年層は減る一方だ。あと 20〜30年したらこの少ない日本人が、団塊の世代ジュニアより上の年寄りたちの尻拭いを必死にしなければならない。分厚い昭和生まれの重石が減って若い層の負担が軽くなる 2060年ぐらいまでは、日本は経済的には浮上できない。

私はそれよりずっと前にあの世に行って、日本は「平成生まれのじじい」の世の中に移っていく。

 

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2019/04/28

「平成最後の昭和の日」にちなんで

いよいよ平成の終わりが近付いた。世の中では昨年終わり頃から「平成最後の〇〇」というのが大流行で、昨年 12月 19日には「平成最後の新春バイキング」というのを取り上げている(参照)。いつもの新春バイキングとどこがどう違うのか、さっぱりわからないが。

190428今年に入ってからは、「平成最後のお正月」「平成最後の節分」「平成最後のひな祭り」などが連なった。ところで上述の記事で山辺響さんのコメントに、私は "極めつけは「平成最後の昭和の日」かも" なんてレスを付けている。そしてその日が明日に迫った。

意外なのは、世の中ではこのおもしろいレトリックが拍子抜けするほど注目されず、明日に迫ってようやく一部で言われ始めた程度ということだ。日本人はこんなふうな「情緒を排した純粋ロジカルな奇妙さによる面白さ」というのを、あまり好まないのだね。

そうした中で、わずかに Twitter で昨年 7月 26日(私の誕生日じゃないか)付の tweet として "2019年4月29日に「平成最後の昭和の日に大正駅で明治のお菓子食べる」とかやりたい" というのが検索された。なるほどね、ここまでクドくしないと日本では笑えないのだろう。ちなみに大正駅というのは大阪市大正区にある JR 西日本環状線の駅らしく、ちょっとローカルネタっぽい。

ここまできたら、もっと徹底的にやっちまえとなるのが人情というもので、その 4ヶ月後に "平成最後の昭和の日に大正駅の前で明治のチョコレートを食べる慶応生」というネタを思いついたので是非ともやっていただきたい" というのが投稿された。

明治までつなげた程度ではあまり心を動かされないが、それを突き抜けて「慶応」まで持ち出したというしつこさに関しては、充分評価していいと思うのだが、これでも巷ではあまり話題にならなかった。そうなるといっそ、関東在住の人間は老舗の和菓子屋のキャッチフレーズを思い出して組み込みたくなってしまう。

というわけで「平成最後の昭和の日に大阪の大正駅の前で明治のチョコレートを食べた慶応生が関東に戻ってきて、元治元年創業梅林堂のお菓子も食べる」ぐらいにしたいが、ちょっとしつこすぎるかな。

 

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2019/04/27

背広 3着でも多すぎて邪魔くさい

私はテイラード・スーツ(いわゆる「背広」)を 3着しか持っていない。下の写真で全てである。フツーのおっさんとしては、辛うじて最低必要源というレベルだろうが、個人的には多すぎて邪魔くさい。

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右端は冠婚葬祭用のいわゆる「ブラック・フォーマル」で、真ん中がフツーの春夏物、左端が秋冬物だ。一番着用機会の多いのは冠婚葬祭用で、年に 10回以上着る(最近は 100%近く葬儀や法事のため)が、春夏仕立てなので寒い季節にはヒートテック下着を重ねて凍えないようにしている。

残る 2着は、年に 2〜3度着るか着ないかというところ。冠婚葬祭用が春夏物だけで済んでいるのだから、普通の背広も秋冬物を処分して春夏物 1着で済ませたいが、いかんせん着る機会が少なくていつまでも新品同様なので捨てるに捨てられず、なかなか身軽になれない。

背広がこんな具合だから、白いドレスシャツ(いわゆる「ワイシャツ」)も 2着しかもっていない。実際は 1着あれば充分なので、どちらかが擦り切れても買い足さずに済むのだが、これまた滅多に着ないのでいつまでも新品同様だ。背広もワイシャツも、確実に死ぬまでもつ。

背広やワイシャツに限らず、他の種類の洋服の数も最低限である。私はクローゼットの中がスカスカでないと、イライラしてしまう類いの人間のようなのだ。

こう書くといかにもファッションに無縁の人間みたいだが、実はこう見えても、昔はアパレル・ファッション関連でメシを食っていた時期が長かった。パリ、ミラノ、ニューヨーク発のファッション情報を翻訳してプレスリリースとして主要メディアに流したり、東京コレクションが一番元気のあった 1980年代は、プレス席という特等席で飽きるほど取材した。

今でもファッションに関しては、その辺のギャルなんかにひれ伏されちゃうほどのプロフェッショナルな知識をもっているのだが、自分自身がファッション人間になろうとは露ほども思わないのだよね。こういうのを「紺屋の白袴」と言うのだろう。

ファッションに現場として関わっていた頃は、ファッション・ショーなどで使ったメンズウェアのサンプルを毎シーズン安く(1着 700円とかで)払い下げてもらった。私は身長が 180センチ近くあり、昔はもうちょっと痩せてもいたので、自慢じゃないがモデルサイズの服を着こなせたのだよ。

ただ、そうした服はおいそれとは着るチャンスがない。そして下手にトレンディなものだから、翌年にはダサダサになってしまう。2度や 3度の着用機会のために 700〜800円払うというのは、実はコストパフォーマンスとしては 100回着る服に 3万円払うのとそれほど変わらない。

これが業界関係者だから 700〜800円というタダみたいな値段で済むが、フツーに買えば 10万円以上はザラだ。かくの如くハイ・ファッションとは客観的にはかなりの無駄遣いであり、オシャレをして人に見せつけたい、あるいはナルシシズムに浸りたいと心の底から願うのでなければ、立ち入る価値のある世界ではない。

または社会的に結構な地位に就いてしまったりすると、それなりの高級品を身に付けなければならなかったりするので、かなり窮屈なことである。私なんか一介のフリーランスだから、ユニクロの服で充分という気楽さがありがたい。

 

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2019/04/26

テロ対策が完成しない場合は原発運転停止

原子力規制委員会が原子力発電所のテロ対策施設が期限までに完成しなかった場合は、運転中の原発の停止を命じる方針を決めたと報じられている(参照)。当然の話で、さらに言えばそのままずっと停止してもらいたいぐらいのものだ。

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世界は原発停止の方向に進んでいる。「いや、そうじゃない」という見方も結構あるが、最新の状況をみれば脱原発で新たな電力供給源を確保するという流れにあるとみるのが自然だ(参照)。それでも日本の原子力業界は過去の流れに固執し、原発輸出さえ行いたい意向のようだが、それは失敗し始めている。諦めるなら今のうちだ。

世界の潮流を見定められず、自社の技術や製品に固執して大きな失敗をしてしまった例は最近の日本ではかなり多く、その最大のものはシャープの液晶技術だろう。一時は「世界の亀山モデル」などともてはやされたが、今ではテレビ画面の主流は有機ELにとって代わり、シャープは凋落してしまった。

その他、IT 業界でも日本の技術的立ち後れが目立つ。その原因の中でも大きなものが、日本のもの作り業界のエコに関する理解不足だ(参照)。

低コスト製品の供給で「追いつき追い越せ」を旗印に無理矢理の生産を行う途上国を別とすれば、今や先進国のもの作りは環境対策と無縁には語れない。この面において、日本では経営トップの意識の遅れが目立つ。原発輸出の相手国となる途上国でさえ、環境の観点から原発を見直す動きとなりつつあるのに、それが見極められていない。

このまま原発に固執し続けたら将来に大きなツケを残すことが確実で、それを考慮すれば「原発は低コスト」などということは決して言えない。むしろ永遠に処理費用が計上されてしまう「割高な発電」ということになる。

某巨大原発関連企業や東海村なんてもののある茨城県在住の私は、大きな声じゃ言えないが、知り合いにも原発関係者がいたりする。彼らはちょっと前までは意気軒昂だったが、最近、とくに東日本大震災以後はあまり大きなことは言わなくなってしまっている。

各地の原発でトラブルが発生する度に、彼らが何週間も緊急出張して現場に張り付かざるを得なかったなんてことを知っているだけに、私は実感としても「原発は安全」なんて寝言みたいなものと思っている。最近は稼働原発自体が減っているので、彼らの必死の長期出張も減っているが、稼働し続けていたらますます増えているだろう。

原発というシステムが時代遅れのものとなりつつあるのは、他ならぬ原発の現場関係者自身が身を以て薄々認識し始めていることかもしれない。というわけでテロ対策という視点からのみならず、古くなった原発はできるだけ早く停止するに越したことはないと思っている。

 

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2019/04/25

木嶋早苗のシンクロニシティ体質

3日前の 4月 22日に「2つの交通事故と、妙なソンタクのシンクロニシティ」という記事で、シンクロニシティ(共時性)の例として、10年前にほぼ同時展開で大きな話題となった木嶋早苗、上田美由紀の両死刑囚の事件を挙げた。どちらも「魔性の女事件」なんていわれて騒がれたものだ。

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当時は「東の木嶋早苗、西の上田美由紀」なんて言われるほど不思議な共通性があったので、たまたま 22日に思い出したように軽い気持ちで取り上げたのである。ところがなんとその 2日後に「木嶋佳苗死刑囚が獄中結婚 相手は週刊新潮のデスク」なんて報じられたので、たまげてしまった。この人、よほど強い「シンクロニシティ体質」を持ち合わせているようなのである。

報道によれば彼女の獄中結婚は 3度目で、ということは、その前に 2人の男と獄中で結婚して別れていたというわけだ。こういうことにはとことんマメな人間なのだろうね。

今回の結婚相手は週刊新潮の敏腕デスクで、なんとコンペチターの週刊文春の記事に取り上げられ、しかも新潮社の社内で文春の取材に応じていたというのだから、ちょっとエキセントリックな展開になっている。当初は「踏み込んだ “取材” を行うため、編集部ぐるみで獄中結婚を画策したのではないか」なんて疑われていたようだが、どうやらそれはないようだ。

cyzo woman の記事に寄れば、文春は今回話題の週刊新潮のデスクを「Xデスク」として取り上げており、この結婚が 「Xデスクの独断」であると報じているらしい(参照)。「独断」と言っても、フツーは結婚するのに勤務先の同意なんて必要ないわけだが、今回ばかりは新潮幹部が激怒しているというのだからおもしろい。

この件のために彼は「出世コースを外れた」なんて言われているらしいから、もしそれがあからさまだったりしたら「結婚を理由に社内で不利益を蒙った」なんてことで訴訟を起こすと面白いことになるかもしれない。そうなったら文春以外のメディアもこぞって取り上げるだろうし。

 

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2019/04/24

長崎大学が喫煙者の採用見送りを発表

長崎大学が今年度からの教職員採用で、喫煙者の採用を見送ると発表した。こうした基準は国立大学としては全国初らしい(参照)。

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これについて、「差別、人権侵害、憲法違反」と批判する声も上がっているというが、私としては意に反してタバコの煙や臭いを吸わされる方がよほど人権侵害だと思っているので、「その決定、遅すぎるぐらいじゃないの?」という気がしている。

日本では既に「受動喫煙対策法」が成立しており、来年 4月から事務所や飲食店など多くの人が集まる施設は原則として屋内禁煙とし、違反者には罰則が適用される。ということは、長崎大学でも来年からは原則的に喫煙できなくなるわけだが、今回の措置は「大学内での禁煙」だけでなく、「喫煙者そのものの採用を行わない」というのだから、より徹底している。個人的には高く評価したい。

これに関しては「差別であり、人権侵害、憲法違反だ」という批判の声が上がっているという。予想された反応だ。しかし「タバコは嗜好ではなく依存症」「医療従事者を養成する大学として当然」という賛同の声もあり、 さらに大学側には健康なキャンパス生活を保障する責任(大学の安全配慮義務)があるので、今回の措置が個人の幸福追求権を保障する憲法 13条に違反するとは言えないという見方が強い。

「大学内で喫煙しなければ、自分の家などでは喫煙してもいいじゃないか」という声もあるだろうが、服などに残留した有害物質を周囲の者が吸い込む「三次喫煙(サードハンドスモーク)」の問題まで考慮すれば、徹底した措置には意味がある。実感的にも、ヤニ臭さを発散する喫煙者には近付きたくないし。

一方、来年 4月から実施される「受動喫煙対策法」にはあからさまな抜け道があり、飲食店のうち個人や中小企業が経営する客席面積が 100平方メートル以下の既存店では例外的に「喫煙可能」などと表示すれば喫煙が認められる。これは「たばこ産業や飲食業への影響に配慮する自民党内から反対論」が出たためとされている(参照)。

世の中には、そしてとくに自民党内には飲食店でタバコを吸いたい人がよほど多いと見えるが、実際には喫煙可能な飲食店は敬遠される傾向が強まると思う。例えば、喫煙者が 2人含まれる 5人グループが「飲みに行こう」となった時には、当然ながら禁煙の店を選ぶことになるからだ。

ちなみに最近の喫煙率は 30%を切っているから、5人中 2人が喫煙者ということでも多すぎるぐらいである。こうして喫煙可能な店はますますヤニ臭く雰囲気が悪くなり、喫煙者でも敬遠したくなってしまうだろう。

 

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2019/04/23

天気はすっかり春モードのようだが

天気はずいぶん暖かくなった。3月半ばに妙に暖かくなった時期があり、そのまま本格的な春になってしまうのかと思っていたら、その後に何度も「寒の戻り」というのがあった。4月初めにようやく天気が安定して、「お天気キャスター」の女性が「もう寒の戻りはありません」と自信たっぷりに言い切っていたが、8日頃にダメ押し的な寒の戻りがきた。

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そんなこんなで春と冬の間を何度も行きつ戻りつして、ようやく「これでもう、寒さは戻らないんじゃなかろうか」と実感できる暖かさになった。今週末から世間一般は 10日間の連休に突入するわけだが、フリーランスの身の上としてはそんなのはあまり関係ない。それどころか「長期連休になるので、納品を急いでください」なんてことになり、エラい忙しさだ。

さらに、そんなこんなでバタバタしているうちに元号が「令和」に変わってしまうので、まったくもって気ぜわしい。ストレスが重なったせいか、数年ぶりで風邪を引いてしまったような気がする。

天気図を見ると、高気圧は東に抜けつつあり、代わりに西から前線が近付いている。明日は関東でも時々雨になるらしい。さて、連休中はどんなことになるか。個人的には連休後に母の十三回忌で帰郷するので、そっちの方が晴れてくれるとありがたい。それまでにしっかりと風邪を治そう。

 

 

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2019/04/22

2つの交通事故と、妙なソンタクのシンクロニシティ

今月 19日に東池袋で暴走事故が起きたと思ったら、21日は神戸でバスの暴走事故である。2人の当事者は、東池袋の方は 「アクセルが戻らなかった」と言い、神戸の方は「ブレーキを踏んだ状態で発車作業をしていたら、急発進し、人をはねた」と言っている。どちらも「俺は悪くない、悪いのはクルマの方だ」と主張している(参照)。

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どういうわけか、昔から事件というのはよく似たものが連続的に発生するような気がする。こういうの「シンクロニシティ」といって、前にこの関連で「詐欺女の教訓」という記事を書いたのを思い出した。これ、もっと最近の話だと思っていたが、もう 9年も前の話なのだね。忘れてしまった方のために、自分の記事からちょこっと引用しておく。

 2つの事件というのは、あまり魅力的とも見えないような女が、男を手玉にとって詐欺を働き、さらに複数の殺人を犯したのかもしれないという、例のアレである。一つは埼玉の木嶋佳苗容疑者の件、もう一つは、鳥取の上田美由紀容疑者の件だ。

容疑者の名前がうっすらと記憶に残っているという人もいるだろう。とにかく男をたぶらかして金品を貢がせ、挙げ句の果てに殺してしまったという事件である。あまりよく似た事件なので私は当初、同じ女が埼玉と鳥取で同様の手口で犯行に及んだのだと思っていたのだが、よく聞いてみれば別の女だったのだ。

シンクロニシティというのは心理学者ユングの造語で、日本語では「共時性」などと訳されており、「因果律」とは別の概念だ。早く言えば「朱に交われば赤くなる」 というのは因果律 (law of causality) で、「類は友を呼ぶ」 というのが共時性 (synchronicity) である。朱に交わって赤く染まるのは合理的に説明できるが、本当に類が友を呼んだのかどうかは、単なる偶然と区別がつかない。

というわけで、今回の東池袋と神戸の暴走事故は、まさにシンクロニシティというほかない。

この 2つの事件は、当事者が 2人とも「クルマの方が勝手に暴走した」みたいな言い訳をしているのだが、フツーに考えればそれは想定しにくい。「実はあんたが思いっきりアクセル踏んでたんでしょ」と言いたくなってしまうところだ。

ところが、当人としてはそんな意識はないのだろう。それで 2人とも妙に他人事みたいな言い方をしている。そしてこれは多くのブロガーが指摘していることだが、元高級官僚のじいさんは逮捕されず、バス運転手の方はソッコー逮捕されているというのが、どうもしっくりこないよね。

これなんか、エラい人に対しては妙な「ソンタク」が働いてしまうという、もっとずっと大きなシンクロニシティを感じさせるところだ。あるいはこれ、シンクロニシティというよりは仏教的な意味での「業」という話になるのかもしれないが。

 

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2019/04/21

高齢者の運転について考える

ニュースは例の東池袋の暴走事故でもちきりだ。運転していた 87歳の男は、ハンドル操作を全然しないままで一直線に事故現場に突っ込んだという(参照)。そしてこの男は旧通産省工業技術院の院長を務めた高級官僚で、4年前には叙勲までされていたというので、当初はマスコミも氏名を伏せるなどしていたため、いろいろ面倒な要素まで取り沙汰されている。

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というわけだが、既に氏名が公表されたのだからフツーに「飯塚容疑者」と言っておく。その飯塚容疑者は「アクセルが戻らなくなった」と言っているらしいが、その可能性はないと確認されている。ブレーキを踏んだ形跡がないのだから、要するにアクセルから足を離さなかったわけで、だったら戻るわけがない。

こう言っちゃナンだけど、自分の過失を「アクセルが戻らなくなった」なんて一見客観的に言い換えるところに、ちょっと役人気質みたいなものを感じる。現役時代はさぞかし優秀な官僚だったのだろう。

いずれにしてもこんな感じでパニクってしまったのは、事故の直前にガードレールに接触する事故を起こしたのがきっかけだったと推測されている。これまでの人生であまり失敗したことのない人だろうから、高齢であることも重なって、この程度のことで頭に血が昇ったのかも知れない。

飯塚容疑者は 2年前の免許更新時の認知機能検査で、「問題ない」と判断されていたらしい。とはいえ 2年前といったら 85歳の時になるから、そろそろ免許更新なんてしなくてもいいと考えてもいい年だし、それから 2年も経てば、認知機能が少しは衰えても全然不思議じゃない。

私の住む茨城県つくばの地は「クルマがないとどこにも行けない」不便な所だが、彼は東京板橋区住まいというのだから、87歳にもなってわざわざ交通量の多い都内を運転しなければならないという必要性は薄いだろう。要するに一般庶民の乗る公共交通機関には乗りたくない人なんだろうね。何しろ高級官僚上がりだから。

翻って自分のことを考えてみると、「一体、何歳までクルマを運転しなければならないんだろう?」なんて思ってしまう。既に前期高齢者の称号を得てはいるが、今のところは危なげなく運転できている。あと 10年は大丈夫だろうが、80歳を過ぎてまでクルマで遠出しようとは思わない。できることなら、その頃にはコロリとあの世に召されたい。

周囲の高齢者の様子を見ると、女性は 80歳を過ぎてもピンピン元気な人が多いが、男は 70代後半からめっきり爺くさくなる傾向がある。飯塚容疑者の老化がどの程度だったかは知らないが、一般的には 「そろそろハンドル握らない方がいいよ」と言われていい頃だ。

「高齢になったら運転は控える」という常識的な判断ができる人だけならいいが、世の中はそうとばかりも言えない。とくに公共交通機関の整備されていない地域では、いくつになっても自分で運転しなければならないという事情もある。そしてそうした地域ほど高齢者の比率が高いのが問題だ。

私の住む町内でも、引っ越してきた 40年前は周り中がみんな壮年期で元気だったが、今となっては多くが 70代後半から 80代となり、めっきりよぼよぼになって、毎年何人かの葬式に出なければならない。そんな高齢になっても運転だけはするのだから、心配と言えば心配だ。

昨今は「自動運転」という技術が開発中であるらしい。私は「目的地をセットしさえすれば、ハンドルを握らなくても行ける」という未来には魅力を感じないが、「危険が察知されたら自動でブレーキがかかる」という機能は必要になるかもしれないなんて考える。

フールプルーフ」というか、「痴呆プルーフ」機能である。

 

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2019/04/20

北関東は取り立てておいしいものがない

北関東にはうまいものが少ないような気がする。ここ茨城県はわずかに 「常陸蕎麦」というものがあり、残る栃木県、群馬県でも、やれ餃子だのこんにゃくだのと言われるが、正直言ってあまりぱっとしない。

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東京や横浜に出れば、かなり洗練されたおいしいものを食ってグルメを気取ることができる。逆に北方向に脚を伸ばして東北に行くと、各県の気候や風土に即した特産品と称するものがあり、それぞれに素朴だったり趣向を凝らしたりした料理となっている。

そこへ行くと北関東というのは、どうも「中途半端な田舎」という気がするのである。洗練された料理を提供するというイメージではないし、かといって高級な特産品を売り物にしたり素朴な田舎料理に特化するほどの地域でもない。なかなか難しいところがある。それにどうも味付けが無闇に濃すぎるようで、繊細さに欠けるところがある。

先日も群馬県まで用事ででかけ、高速道路のサービスエリアで名物っぽいお土産をいくつか買って帰ったのだが、取り立てておいしいと感じさせるものがない。「上州って、うまいものがないね」と言いたくなってしまうが、「栃木はもっとおいしくないよ」というのがもっぱらの評判だ。申し訳ないけど。

なにしろこの 2つの県は海がないので、おいしい海産物を提供できない。どうしても山のものだけになってしまう。一方茨城県は、海はあるのだが、おいしい魚を食おうと思ったら利根川を超えて銚子まで行きたくなってしまう。どうも北関東文化圏は食い物に関するこだわりが薄いような気がするのだ。

こればかりは風土の問題でもあるから、諦めるほかないのかもしれない。

 

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2019/04/19

「4」と「9」の付く部屋番号を避けたがる心理

一昨日、伊予松山の某ビジネスホテルに一泊した際の部屋は「305号室」だった。エレベーターで 3階に昇ると、手前右側から 301号室、302号室と並んでいる。303号室まで確認し、軽い気持ちでその 2つ先の部屋のドアを開けようとすると、キーの形状が合わなくて差し込めない。

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「ありゃ、おかしいな」と思って部屋番号を確認すると、そこは 306号室だった。305号室のキーを使っても開けられるはずがなく、右側の部屋番号を見ると、そこが 305号室だった。つまり、303号室から 304号室を飛ばしていきなり 305号室という並びになっていたのである。幸いにも 306号室は不在だったようだが、もし中に泊まり客がいたら、いきなりドアをガチャガチャやられて何事かと思っただろう。

最近はそういうことをあまり気にしないホテルも増えてきたが、古くからあるようなところでは、「4」と「9」の付く部屋番号を避けることがあり、このホテルがまさにそうだったわけだ。廊下の案内版を見ると、304号室だけでなく、309号室、314号室もないことがわかる。

3階フロアには 301号室から 316号室まであるのだが、部屋数としては 13しかない。「死」と「苦」を連想させる数字を避けるということなのだろうが、3階の上はちゃんと「4階」になっているのだからおもしろい。さらに、せっかく 「4」と「9」を避けているのに、部屋数が「13」というのもなかなかいい。

欧米のホテルでは、「13階」がスキップされて、12階の上がいきなり 14階になるところが少なくない。これも「13」という数字を忌む文化だからなのだろう。私なんかは「そんなことをすると勘違いが発生して、かえって面倒」と思う性分なのだが、人によっては「409号室なんて寝覚めが悪い」とか「13階というフロアには泊まりたくない」なんてこともあるから仕方ないのだろう。

数字で縁起を担ぎたがるのは、洋の東西を問わないようだ。

 

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2019/04/18

オッサンたちのゴルフ談義は、はっきり言ってうるさい

一泊二日で四国の松山に出張し、羽田空港に戻ると既に夜の 7時を過ぎていた。四国は西国だから日没が関東より 1時間近く遅いので、7時でも薄明るかったが、羽田は完全に日が暮れている。

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モノレールで浜松町に戻り、上野で夕食を食べ、常磐線の快速電車に乗ったのが、8時半近く。完全に夜になっていてそれほど混んではおらず、運良く座席に座れた。近くにちょっと高級そうなスーツを着たオッサンの 4人組が座り、ゴルフ談義で盛り上がっている。それも、タイガー・ウッズがどうのこうのじゃなく、完全にチマチマした付き合いゴルフの話だ。

やれ、どこそこのゴルフ場まで行くと帰りの道路が混んで大変だとか、どこそこは房総半島の南過ぎて疲れるとか、あそこのコースは設計が気に入らないとか、どこそこの会員権は割高だとか、そんな話ばかりである。決してゴルフが好きというわけじゃなく、付き合いゴルフをせざるを得ない身の上に自家撞着しているだけの話題である。よくそんなので 30分以上も盛り上がれるものだ。

ゴルフ談義が一段落すると、今度は仕事関連の人脈の話題に移る。誰それは東大卒だが、あまり世渡りが上手じゃなくて出世できなかったとか、誰それは慶応卒だが、息子が京大に入ったとか、誰それは青学出身だが運だけで支店長まで出世したとか、誰それは晩年が不運だったとか、そんな話ばかりである。決して仕事が好きなのではなく、学歴とか出世とか人脈とかが好きということのようだ。

私は 3年前に 「本当にムッとくるほど無神経なのは、オバサンよりオッサンである」 という記事を書いたことを思いだした。この記事も電車の中で声高にゴルフ談義をするオッサンたちについて書いたものである。電車の中では、大阪のオバチャンたちもやはり賑やかではあるが、とくに気に障るほどうるさいというわけじゃない。気に障るのはオッサンたちの周囲を気にしないゴルフ談義の方である。

それは、当人たちにとってだけ重要な意味をもっているようだが、周囲にしてみれば面白くもなんともない話だからである。その面白くもなんともない話を、ちょっと自慢げに大声で語り合うので、さらに気に障るというわけだ。

 

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2019/04/17

「首かしげポーズ」というのがあるらしい

下の写真は、スマホの無料アプリと抱き合わせで無理矢理送られてくる広告の写真で、多分、女の子に人気のあるアイドル・グループか何かなんだろうが、なんというグループなのかすら知らない。

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なんでこんな写真を保存したのかというと、あまりにも「イラッとくる」写真なので、「何がこんなにもイラッとさせるのか」を分析してみたくなったのだ。そしてわかったのは、全員が首をかしげたポーズを取っていることが、この「イラッと感」の源泉ということである。

右端と真ん中と左端の 3人はビミョーに、そして残る 2人はさらにイラッとくるほどのかしげ方である。とくに左から 2人目のやつなんて、「イラッとくる以上」のものだ。

私だったら、隣の男がこんなふざけたポーズでこちらの肩に肘を乗せてきてくださったりなんかしやがったら、悪いけど次の瞬間には振り向きざまに顔面パンチでぶっ飛ばさせていただくほかないと思う。

あまりの違和感にちょっとインターネットで検索してみたら、世の中には「首かしげポーズ」というものがあるらしいのである。その中で「まあ、これなら確かに可愛いかもね」と思えるのは、人間ではなく、子猫や小犬の「首かしげポーズ」だ。

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子猫というのは、多分本能的に相手の「保護してやりたくなる本能」みたいなものをくすぐってしまうのだろう。その決めポーズが、この「首かしげ」だ。そして子猫なら許せるが、子どもというわけでもない若い女子にこれをやられると、私としては気持ち悪くなって、「可愛いぶってんじゃねえよ!」と言いたくなってしまうのである。

ただでさえイラッとくるのに、「女性の決めポーズは、顔の近くでサイン。首は8度にかしげる!」なんてウェブページまで作られてしまうと、「勝手に死ぬまでやってな!」と放り出すほかない。できることなら、私の視界内でそんなポーズをしないでもらいたい。

で、若い女子の「首かしげポーズ」でイラッとくるのだから、男が、しかも 5人並んで揃いもそろって首かしげてる写真なんか見せられたら、もう、「俺の目の前に現れるな!」と言うほかないではないか。このポーズが飽きられて、「その手にゃ乗らないよ」と言われる時代に早くなってもらいたいものである。

 

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2019/04/16

雪平鍋? 行平鍋?

唐突だが、鍋の話題である。鍋と言っても「鍋物」ではなく、さらにそれに使う土鍋のことでもなく、いわゆる「雪平鍋」、あの周りにボコボコした打ち出しみたいな凹凸のある小さめの片手鍋の話だ。

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実は私はこの鍋のことをずっと「行平鍋」と書くのだと思っていた。百人一首で「立ち別れいなばの山のみねにおふるまつとし聞かば今帰り来む」の歌で知られる、あの在原行平である。ところが ATOK で変換させると「雪平鍋」となり、「行平鍋」というのもないではないが、順位がずっと低い。いやはや、私は今日の今日まで「雪平鍋」なんて表記はちっとも知らなかった。

で、どっちが正統的表記なんだろうと調べてみると、どうやらどちらも正しいらしい。2通りの表記があるということのようなのだ。

しつこく調べてみると、「由来・語源辞典」というサイトでは「雪平鍋の由来・語源」として「平安時代の歌人、在原業平の兄である行平が、須磨で海女に海水を汲ませて塩を焼いたという故事にちなんでの名で、もとは塩を焼くのに用いた」とあるだけ(参照)で、「雪平鍋」と書かれる理由はちっとも説明されていない。これを書いた人は自分で気持ち悪くならなかったのかなあ。

この点に関して、「釜浅商店」という店のサイトでは、在原行平が須磨に流された時に「その島で塩を鍋で作り、そのできた塩が雪のようであった」とし、「それにより、その在原行平から『行平鍋』、また雪の様な塩が出来た事から『雪平鍋』とも言われるようになった」とある (参照)。うん、これはもっともらしい。

また Daily House Chore というサイトには、「在原行平説」のほかに 「鍋の強度を上げるために周囲に付けられた打ち出しの模様が雪に見えたことから『雪平鍋』という名が付いたという説もあります」と書かれている(参照)。ふうむ、いずれにしても日本人はどうしても「行平」を風流に「雪平」と表記したかったようなのだね。

さらにこのサイトには、雪平鍋はもとは厚手の土鍋だったという記述があり、蓋がないのは、今の雪平鍋は熱伝導のいいアルミ製が多いので火の通りがよく、蓋が要らないからだとある。さらに、アルミは柔らかく凹みやすいので、周囲に打ち出しの凹凸を淹れて強度を上げているとしている。なるほど。

それにしても、ごく普通の日用品の名前というだけでも、いくつになっても知らないことって結構あるものだ。

 

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2019/04/15

「50代の男」がアセったりブチ切れたりすると

昨日の当欄で、のぞみドア開け線路に降りた男、車掌ら連れ戻す」というニュースについて、「まさに『はあ?』としか言いようのない事件」、「『なんでそうなるの?』と言うほかなく、コメントのしようがない」というわけで、「謎の男」と書いた。

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そして今日になって、初めてこの事件の種明かしが報道された。「のぞみ、新神戸駅前で緊急停止 線路に飛び降りた 54歳男逮捕 反対方向の切符所持」というのである。要するに、上りと下りを間違えて乗ってしまい、駅でもないところで降りようとして非常開閉用コックのふたを開いてしまったらしい。

ニュースによると、コックは停車しなければ作動しない仕組みとなっており、男は停車後に開いた扉から線路内に飛び降りたとみられる。とはいいながら、非常開閉用コックのふたを開いたのは列車が走行中のことであり、この男はとにかく何でもいいから、ドアを開けて飛び降りようとしたとしか思われない。

この事件の前日に起きた「容疑者の妻『止めたけど…』 遮断機の棒切断」という事件は、開かずの踏切でブチ切れた男が、ノコギリで遮断機の棒を切断して踏切に進入したというのだが、これも 50代の男である。この世代の男って、短絡的な行動に走りやすいんだろうか。

50代の多くは 1960年代の生まれで、「バブル世代」と言われることがある。彼らの多くは、初任給で高級ブランド物が買えるという贅沢を味わった。なるほど、こうした短絡的な行動を起こす男というのは、バブル期を過ごすうちに心の導火線が短くなっちゃったのかもしれない。

遮断機の棒を堂々とノコギリで切ったら、いくら何でもすぐにつかまるだろうし、新幹線から飛び降りても、反対方向の列車に乗り移ることができるわけでもない。それでも、「えーい、やっちまえ!」になるのだから、こうしたメンタリティの 50代が高齢者になったら、かなり突拍子もないボケ方をしないとも限らない。心してもらいたいものである。

 

 

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2019/04/14

「ボケちゃった人」「キレちゃった人」そして「謎の人」

今月になってから鉄道に関して、中年以上の年齢の男性起こした 「はあ?」と言いたくなるような事件が 3件相次いだ。「女心はわからない」なんて言う男が多いが、男心というのもよくよくわからないことが多い。

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まず 4月 5日の夜に起きたのが、「北陸新幹線線路内を 10キロ歩いた 77歳逮捕 新幹線特例法違反の疑い」という事件である。毎日新聞の記事から引用しておく。

5日午後 8時 10分ごろ、長野県佐久市の北陸新幹線佐久平駅で、男がホームドアを乗り越えて線路内に立ち入ったのを駅員が目撃した。約 3時間 20分後、約 10キロ離れた線路上で、新幹線の乗務員が男を見つけ、長野県警上田署が新幹線特例法違反(線路内への立ち入り)の疑いで現行犯逮捕した。

逮捕されたのは 77歳の男性で、警察によると「容疑を認めているものの意思疎通がはっきりしない時がある」ということらしい。老人性の痴呆症が入って、自分でやってることが「わからなくなっちゃう」人なんじゃあるまいかと思う。老人人口がどんどん増えているので、これに類似した事件が今後増えるかもしれない。

そして 13日に起きたのが、「容疑者の妻『止めたけど…』 遮断機の棒切断」という事件だ。これは「開かずの踏切」状態になったことにブチ切れた男が、ノコギリで遮断機の棒を切っちゃったということのようだ。容疑者の妻のコメントが笑える。

「急いでて、(踏切が)もう絶対開かないんじゃないかなって。これ以上、絶対開かない。人身事故だなって感じだったので。あーもうだめだっていうか、(止めたけど)行っちゃって、(遮断機の棒が)切れちゃうとも思わなかったし。これはもうまずいなぁって。絶対に警察に捕まることはわかりますよね」

ニュースでは堂々とノコギリで遮断棒を切断している夫の様子が動画で流されるのだが、それと対照的なのが妻のコメントの呑気さ加減である。あまりの対照的イメージに、「変わった夫婦だなあ」と思うばかりである。まあ、いずれにしても中年男がブチ切れると結構アブない。

そして本日流れたのが、「のぞみドア開け線路に降りた男、車掌ら連れ戻す」というニュースだ。「山陽新幹線『のぞみ17号』の運転士が、ドアの緊急開閉用コックの異常に気付き、緊急停車した。乗務員が確認したところ、9号車のドアの一つが開き、乗客の 50歳代の男が線路に降りているのを見つけた」という、まさに「はあ?」としか言いようのない事件である。警察に引き渡された男は、容疑を認めているという。

最初の事件は「ボケて、わかんなくなっちゃったんだろうね」としか言いようがなく、2番目は頭の中の回路が短すぎて、「相当ブチ切れちゃったんだろうね」ってなことなのだろう。ところが 3番目の事件となると、「なんでそうなるの?」と言うほかなく、コメントのしようがない。

3件のうち、2件は容疑者が 「50代の男」というのも、コメントに困る事実である。本当に「男心もわかなない」ものである。

それから、ちょっと付け足し。「遮断機の棒切断」に使われた動画は、一飯の人が撮影したものなのだろうけど、この類いの動画は、「縦位置」じゃなく、どうか「横位置」で撮影してくれないかなあ。縦位置だとテレビ画面でこなすのが大変だ。

 

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2019/04/13

「いい人要素」と「デキる人要素」

昨日の記事、「下手に大臣なんかになっちゃったから」の、ちょっとした続き。コメント欄にハマッコーさんが 「蓮舫さんは『辞任した理由を教えて欲しい』とまだ鞭を振っている。この人も困ったもんだ」 と書かれていることに刺激されて、ここまで書きたくなってしまった。190413

私は蓮舫さんの桜田さんに対しての姿勢に関しては、自分のブログで次のように書いている。(参照

鞭を手にした女王様の如き鋭い眼光で、哀れな子羊を一片の容赦もなく責めに責める。まさに 「ドS 体質」 丸出しだ。この役者っぷりが鼻につきすぎて、田舎の小芝居を見ているような、もの悲しい感覚に襲われる。

私は桜田さんに関しては、決して「悪い人じゃない」と思っている。昨日の記事でも書いたように、「結構お馬鹿だけど、お膳立てさえしてやれば逆らわずに汗だけはかくから、実害は少ない人」である。ただ大臣の職だけは「荷が重すぎる」ということだ。ハマッコーさんのコメントに対するレスの中で、このことをもうちょっと具体的に次のように書いている。

周囲にもいますね。おとなしくニコニコしてる役どころに徹してくれていればいい人なんだけど、だんだん妙に調子に乗ってしまって、当人は無意識なんだけど、イラッとくる言動が増えちゃったような人。

こうしたタイプの人は、本当に「汗をかく」ことに徹してくれていれば、「あの人は、本当にいい人だね」で済む。しかし「いい人」と持ち上げられすぎて当人が勘違いしてしまうと、困ったことに「エラい人」になりたがってしまうことがある。すると周囲も「いい人」と持ち上げてしまった手前、「なんだかなあ」と思いつつもある程度まではお付き合いしてしまう。

そして幸か不幸か、実際に「エラい人」になりすぎて「いい人要素」だけでは完全に荷が重いというところまできちゃうと、これはもう、悲劇としか言いようがない。桜田さんの場合は、その典型例である。

「ただの人」だった頃は笑って済まされるようなご愛敬でも、 「エラい人」の発言としてはことごとく「イラッとくる」ものになってしまう。基本的に自分と周囲の数々の「勘違い」が重なった、「瓢箪から駒」的結果としての「エラい人」というポジションでしかないのだからどうしようもない。

一方、蓮舫さんは「デキる人」というタイプである。当人にしても、「私はデキる女」と思っているだろう。ただ、ちっとも「いい人」じゃないから、桜田さんみたいなタイプにはことさらに「イラッとくる」ということになる。それで「鞭を手にした女王様」という本性をさらけ出す。

つまり、「いい人要素」だけでも「できる人要素」だけでも、「エラい人」というポジションはなかなか務まらないのである。頃合いのいいブレンドが必要なのだね。

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2019/04/12

下手に大臣なんかになっちゃったから

桜田さんがようやくオリンピック・パラリンピック担当大臣を辞任した。辞任したといっても自分で判断して辞表を書いたってわけじゃなく、「書かされた」ってことのようだけどね。ただ、この人に関しては蓮舫さんみたいに鞭を手にした女王様のごとき責め方をしてもしょうがないから、政治家たちの世界にあまり期待しすぎないように冷静に総括・解釈しておこう。

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桜田さんの迷言、失言は枚挙に暇がないが、今回の辞任の直接の引き金になったのは、あの震災の被災地、岩手県で「復興以上に大事なのは高橋比奈子さん」なんて発言しちゃったことだ。先月 31日の記事で書いたようにこの人は、話の流れの中で自分が発する言葉の前後の脈絡がぶっ飛んでしまうので、アドリブ発言はアブなくてさせられない。

さらに今回の発言で確認できたのは、「前後の脈絡」だけでなく、その時まさにリアルタイムで口走っている短いセンテンスについても、ほとんど自覚的でないということである。だから後になって「そんなことを言ったつもりはないが、言ってしまったようだ」なんて、こっ恥ずかしいコメントを発することになる。「当人の意識」がボンヤリなのだから、「結果」のコントロールなんて不可能だ。

こんな風だから、「決して自分で判断しない」「責任の生じることをしない」「周囲の用意したミコシに乗る」という生き方に徹しなければならない。あまり表に出過ぎなければ 「結構お馬鹿だけど、お膳立てさえしてやれば逆らわずに汗だけはかくから、実害は少ない人」で済むが、下手に大臣なんかになってしまうと、それまでは「知る人ぞ知る」程度だった「自分で言ってることを自分で理解していないお粗末さ」が、満天下に知られてしまう。

安倍首相としては、このような人を大臣になんか任命しちゃいけなかったのだ。任命しても務まらないというのは、結果が雄弁に物語っている。ということは、安倍首相、あるいはその取り巻き連中はよくよく「人を見る目」がなかったのだ。自らの歴史観にはこだわるが、大臣の能力には必ずしもこだわらないということなのだろう。なんだかなあ。

要するに、政治家の世界には期待しちゃいけないってことで、これは元々わかっていたことがよりはっきり確認できたということに過ぎない。当たり前すぎる結論でごめん。

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2019/04/11

「ふるさと納税」の返礼品って、食い物ばっかり!

私は仲間内でも結構な「物知り」と思われていて、「あいつに聞けば、大抵のことはよくわかるように説明してくれる」なんてことになっているが、その実、知らないことは徹底して知らない。とくに工学系や経済系のことは、「社会常識」と言われているようなことでも知らないし、より卑近な例で言えば、カタカナ名前の食い物についても「カレーとラーメンとハンバーグしか知らないんじゃないか」と言われるほど知らない。

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とにかく、興味のないことは全然覚えようとしない傾向があることは、子どもの頃から自覚していた。おかげで、小学校の頃の成績は常にクラスで断トツだったのに、かけ算の「九九」を覚えるのはクラスで三番目ぐらいに遅かった。「そんな呪文みたいなもの、馬鹿馬鹿しい」と思っていたのである。決まり切ったものを覚えるだけというタスクには、まったく興味がなかった。

ただ、基本的な計算への必要性を理解してからは、「それならそれで、仕方がない」と、あっという間に覚えた。九九を覚えるのがいくら早くてもそれは「単純記憶」に過ぎないから、論理思考ができるわけじゃない。「単なる呪文」を覚えることには興味がなかったが、それを論理思考に応用するのはクラスで一番得意だった。

というわけで、私はこれまで「ふるさと納税」についてまったく知らなかった。最近になって「ふるさと納税新制度云々」というニュースが流れても、基本的な理解がないから全然わからなかった。「どこか関係のない地方に税金納めて、その金額の何割か分の特産品なんかもらうより、そんなに欲しかったら初めからその特産品を直接買っちゃう方が手っ取り早いし、得じゃん」と口走って、妻に「あなた、大丈夫、年のせいで社会常識がなくなってきたんじゃないの?」なんて心配されたほどだ。

「私だって完全にわかってるわけじゃないけど、好きな自治体に納税すると、その分だけ自分の地元に納税した金額から控除されて戻るらしいのよ。だからどうせ同じ額の税金として取られるんなら、返礼品をもらえる方がいいということで、ふるさと納税がはやってるわけよ」と、妻が説明してくれた。社会常識を妻からレクされるなんて、3年に 1度あるかないかのレアなことである。

「へえ、知らなかった。要するに、『好きな自治体の発展を願って』なんてことじゃなくて、何も戻らない税金より、少しは品物の姿で戻ってくる税金の方がいいってことでしかないのか!」私は純粋に驚いてしまったのである。地元への税金は目に見えるカタチでは何も戻らないが、多少は地域の役に立ってるのだから、気持ちよく払っとけばいいのに。

で、人気のある返礼品ってどんなものなのかをネットで調べたところ、とことん食い物ばかり多い。まず、断然「肉」。しかも高級牛肉。そして「ブランド米」「高級果物」「うに」「かに」「明太子」その他モロモロ、とにかく高級食材のオンパレードである。

個人的には、たまたまもらっちゃえば食うけど、自分で求めてまで食わなくてもいいと思うものばかりで、とくに「肉」に至っては、ここ数年は肉食を避けているからもらいたくもない。高級牛肉の返礼品欲しさで牛肉産地を選んで納税するなんて、日本人、どんだけ食い物に執着があるんだ。

返礼品をもらうならもらうで、ほかにももっとおもしろいものがあるだろうに。和紙とか、粋な柄の手ぬぐいとか、切れ味のいい鋏とか、塗り物の箱とか引き出しとか、世の中には魅力的な特産品がいくらでもあるじゃないか。

ただ、そんなものをアピールしても全国から「ふるさと納税」が集まらないんだろうか? 食い物の圧倒的なパワーには歯が立たないのか?これだけ食い物に執着が深いようだと、国全体が餓鬼道に落ちてしまうんじゃないかと、はかなんでしまうよね。

【4月 12日 追記】

食い物以外では、福岡県直方市の バルミューダ製トースター、Apple Watch、iPad などを返礼品とするプロジェクトがあるらしいが、これは製品がまともに仕入れられず、トラブっているらしい。そもそも地元の特産品じゃないという点が「人の褌で相撲を取る」みたいなものだし、ふるさと納税の返礼品として iPad をもらおうなんていう発想も「はあ?」って気がする。多分、もらってもあまり活用しないことになりそうだ。

 

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2019/04/10

「男もすなる」と「してみむとてするなり」の違い

「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」というのは、紀貫之の『土佐日記』の有名な書き出しである。今さらのようだが、貫之の時代は男は文章を漢文で書くものという常識があったため、漢字仮名交じりの日記を書こうとした彼は便宜上、自分を女と仮想したものと言われている。

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(クリックで拡大表示されます。草書体じゃないから、結構読みやすい)

で、高校の時(だったと思う)、教科書に載っていた『土佐日記』の序文を見て私は、「ありゃりゃ?」と思ってしまったことを思い出す。

というのは、「男もすなる」という句は「す」+「なる」(助動詞「なり」の連体形)なのに、「してみむとてするなり」は 「する」(「す」の連体形)+「なり」になっているからだ。同じ「す」という古語の動詞が、「なり」という助動詞が付くと「すなる」と「するなり」の 2通りになっている。これって、ちょっとした違和感ではないか。

この件に関して、高校の古文教師はテキトーに流してしまって、詳しい解説はしてくれなかったと記憶している。それで私としては、「昔の人って、文法には案外テキトーだったんだなあ!」と思い込んでしまったのだ。

大学入試では運良くこれについての問題が出ることもなかったため、そのまま何ということもなく数年経った頃、やっぱりどうにも腑に落ちなくて、自分で調べてみたところ、「さすが、古今和歌集の選者をつとめたほどの人物だもの、決して文法にテキトーってわけじゃなかった」と再認識したのだった。「紀貫之先生、今まで不埒な考え違いをしていてごめんなさい!」である。

日本語の助動詞「なり」には、意味的に 2種類あるというのである。伝聞推定の「なり」と、断定の「なり」だ。前者は動詞の終止形に付き、後者は連体形に付く。

だから「男もする(書く)らしい日記というものなんだけどさぁ」という「伝聞推定」の文脈では終止形の「す」について「すなる」となり、「女(の自分も)やっちゃえってんで、する(書く)んだわよ」という「断定」の文脈では、連体形の「する」に付いて「するなり」となる。これ、日本語文法の常識なんだそうだよ。

現代の日本語だと、伝聞推定の「なり」は「〜という」あるいは 「〜らしい」に、断定の「なり」は「〜だ」に相当するだろう。「行く」という動詞を例に取れば、伝聞推定は素直に終止形そのままを使って「行くという」になるが、断定の場合は単純に「だ」を付けて「行くだ」では吉幾三の歌になっちゃうから、フツーは「行くのだ」と、連体形に近いニュアンスにしてから「だ」が付くものと思えば理解しやすい。

いやはや、地域で一番の進学校とはいえ、やはり半世紀近く昔の田舎の高校である。そんなところまで詳しくは教えてくれなかった。いや、もしかしたら私が授業中にぼんやりしていて聞き漏らしただけかもしれないが、いずれにしても「これ、大事なポイントだから、しっかり理解しておくようにね」みたいな教え方はしてもらえなかったのである。

で、時を経た今、私ってば高校時代には思いもしなかった「ネット歌人」(めちゃくちゃ粗製濫造だけどね)として「和歌ログ」なんてブログを持ち、なんと毎日のように文語で歌を詠むようになっちゃったのである。ああ、人生の途中で「すなり」と「するなり」の違いに気付いておいて、本当によかったよ。

というわけで、このブログはかなりカジュアルな文体で書いているとはいえ、意識の根底の部分では古典的な日本語にもずいぶんこだわっていないわけじゃないのである。その流れとして、「バイト敬語」なるものにずいぶんな違和感を覚えてしまうのもご理解いただきたいってなものなのだ。

【追記】

この土佐日記の冒頭、「男もすなる日記といふもの」を「おとこもすなるにきというもの」と読み下す向きも多いが、上の画像をクリックして拡大して見ると、「男」には「ヲノコ」と仮名が振られ、「日記」の「日」の横にも「ニツ」と仮名が振られている。

ということは、現代の我々としても「おのこもすなるにっきというもの」と読み下す方がいいのかもしれない。ちなみに、上の画像は二松学舎大学附属図書館所蔵の写本で、筆写者不明、年代は承平五年(935年)以降とされている。(参照

「にき」か「にっき」かという議論に関しては、"『土佐日記』の冒頭、「日記」の読みー「促音無表記」とは" の記述に賛成するので、参照されたい。この記事では、平安時代には「促音無表記」の原則があるとされているので、写本の振り仮名も後から加えられた可能性も否定できないが、書き加えられたにしてもその時代には「にっき」の読みが少なくとも間違いじゃなかったということだ。

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2019/04/09

不具合続出のココログだが、改善点がないわけじゃない

先月 19日の「大規模メンテナンス」以来、ココログは惨憺たる有様で(参照)、Twitter などを見ると、19日以後の 3〜4日間は「ココログにログインできない」という最悪の不具合に関する tweet がやたら多かった。

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今ではさすがにそれは解消されたようだが、ログインに時間がかかるという現象は改善されていないし、さんざん待ってログインできても、それ以後の操作に対する反応もやたら遅い。さらに今月 6日の記事でも書いたように(参照)、iframe に対応しなくなったので、こちらとしては本宅サイトの基本デザインまで滅茶苦茶になってしまった。

まさに "ココログの「大規模メンテナンス」はまともに済んだ試しがない" のだよ。14年以上も毎日更新し続けているヘビー・ユーザーの私が言うのだから、間違いない。この会社、運営には日頃からまともなスタッフを使っていないんじゃないかと思ってしまうほどである。

で、ココログのサイトには「障害情報」というページがあり、ちょっと覗いてみると、今年 3月 19日(「大規模メンテナンス」当日)以後の障害が上下スクロールするだけでうんざりするほど報告されている。「おいおい、こんなに障害だらけにしちゃう行為を『メンテナンス』なんて言っていいのかい?」と驚くほどだ。

さらに不安を煽るのは 19日の障害状況レポートで、「ココログが閲覧できない」という不具合の対応について、「ログインしづらい状況は解消中になります」なんて寝言が書いてある(上の画像)ことだ。これにはかなりイラッと来た。

ココログにログインできないという最悪の状況については、もとより自分の身にも降りかかってわかっていたことだが、この場合は最悪よりさらにひどい「閲覧できない」という障害へのクレームである。それに対して「ログイン」の問題は解消中なんて言うのは、完全にアサッテの方向を向いた対応だ。「ココログ、大丈夫なのかなあ?」と不安になってしまうよね。

さらにその状況説明に「バイト敬語」と言われる日本語が多いので、つい「ココログのメンテって、バイトでまかなってる?」なんて思っちゃうのだよ。あるいは、ココログのスタッフはコンビニでバイトしながらやってるのか?

上記で触れた 6日の記事でも、iframe 不対応について「理由はクリックジャッキング攻撃などでココログが悪用されてしまうことを防ぐためになります」なんて書いてあってイラッときてしまったが、「ログインしづらい状況は解消中になります」に至っては、相当理解のある人間でも「はあ?」と言いたくなってしまうではないか。

「モノを指し示す」場合に「〜になります」という言い方をするのは、まあ、この際認めよう。しかし「時系列」を表す「解消中」に「〜になります」という言葉をつなげたら、論理が混乱してしまう。こいつ、自分で書いた一文に自分で気持ち悪くならなかったのかなあ。

というわけで、ココログの「大規模メンテナンス」は問題ありすぎだったと言っておく。ただ、改善された点もないわけではないので、とりあえずこれまで気付いた点を挙げておくのが、フェアな態度というものだろう。

  1. 「記事作成」画面で、全角/半角文字の区別が付きやすくなった。
    これまでは、記事作成画面では英数字の半角文字の方が全角より大きく表示されてしまっていて、例えば 「2019年 3月 20日」と半角数字で書いたつもりでも、実際のブログ画面では「2019年 3月 20日」なんて、間の抜けた全角表示になってしまうことがあったのである。これが今回のリニューアルで解消された。

  2. 括弧やカギ括弧の前後が寸詰まりになる現象が解消された。
    これまでは、括弧やカギ括弧の前後が不細工なほど寸詰まりになっていた。あるいは上述の不具合の関連で、括弧はすべて半角表示というのがデフォルトだったのかなあ。私はわざわざ半角スペースを入力することで不細工な寸詰まりを回避していたのだが、リニューアル後はその手間が不要になった。

これらは続出する不具合に比して少なすぎる改善点で、「これまでがおかしすぎたんだ」と言ってしまえばそれまでだが、まあ、とりあえず評価しておくべきだろう。ココログのスタッフにはこうした改善点をもっと広範囲に拡げて、使いやすく見やすいブログにしてもらいたいものである。

 

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2019/04/08

歯の経年劣化

ここ 4日間ほど歯医者通いをした。またしてもモノを食っていて歯が欠けてしまったのである。しかもご丁寧なことに、右下と左上の、2本欠けてしまったので、「クラウン・ブリッジ維持管理説明書」というお約束の書類を 2枚ももらってしまった。

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体のどこにも(花粉アレルギーを除いて)悪いところはなくてピンピンしているのに、歯科医だけは毎年頼りにしてしまう。で、今回歯が欠けた原因は、干し芋を囓っていたことである。還暦過ぎて干し芋をワシワシと噛みちぎるのは、結構アブないと思い知った。

もっとも歯が欠けたのは初めてのことではなく、一昨年の 8月は 65歳の前期高齢者になったとたんに桃を食っていて下の前歯が欠け(参照)、今年の 2月は「大麦ダグワース」という洋菓子で欠けてしまった(参照)。桃と洋菓子ごときで欠けるのだから、みっちりとした歯ごたえの干し芋で欠けるのももっともだと自分を慰めているが、その慰めの前提が「桃と洋菓子で欠ける」というのだからちょっと泣けてしまう。

「やっぱり年なんでしょうかね」と歯科医の先生に聞くと、「元々ヒビが入ってたんでしょう。そうなったら、どんな柔らかいものを食べても、欠けるときは欠けます」と、一昨年に桃で欠けた時と同じ言葉で慰めてくれた。しかし短期間のうちに 3回目(しかも 4本)ともなると、それだけでは慰めにならない。

「その、ヒビが入るってのは、やっぱり年のせいなんじゃないんですか?」としつこく聞くと、「歯の質にもよるんです。歯の柔らかい人はどんどんすり減ってものが食べにくくなる傾向があるし、硬い人は減らない代わりにヒビが入りやすいんですよ」と言う。この先生、「年のせい」とは決して言わない。いい人である。というわけで、どうやら私の歯は、硬くてヒビが入りやすいらしい

ただしかし、すり減ったりヒビが入ったりするというのも、いわば「経年劣化」のようなものだろうから、やっぱり「年のせい」ってことになるんじゃないかなあ。やっぱり近頃は自転車でヒルクライムしても前ほどスピードが出せないし、細かい仕事が長く続くと目がショボショボする。

年は争えないものだが、まあ、同年代の他の連中に比べれば呆れられるほど(そもそも同年代の連中は自転車で山登りなんかしない)元気なので、気を取り直してやっていこう。最近、2歳年下と同年齢の親しい友人 2人が相次いでガンで死んでしまったので、供養のためにも彼らの分まで生きてやらなければ。

 

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2019/04/07

私が「忖度」を「ソンタク」とカタカナで書く理由

「ソンタク発言」の塚田副大臣が辞任を表明したそうだ。下の写真をクリックすると、彼の発言の録音が聞けるニュース動画に飛べる。ここまではっきりと録音が残されているのだから、辞任は当然の流れだ。 190407一昨年 3月 17日の「立場が上のオッサンに対して 「ソンタク」 なんてしたがるから」という記事で私は、次のように書いている。

『大辞林』 によれば 「忖度」 とは、次のようなことになる。

( 名 ) スル
〔「忖」 も 「度」 もはかる意〕
他人の気持ちをおしはかること。推察。 「相手の心中を-する」

とくに会社や役人の世界なんかでは、ついつい 「上に対してのソンタク」 ばっかり横行しちゃうのが問題だ。今や 「ソンタク」 という言葉は 「他人の気持ちをおしはかること」 というより 「上の意向をおしはかること」 という意味に堕落しちゃってる。

とくに中堅からやや上ぐらいの役人になると、上からの見えない圧力なんか、加えられる前から敏感に感じてしまって前もって準備したりしている。一般の人たちの苦労なんて、どうでもいいと思ってるくせにね。私が 「忖度」 というもっともらしい漢字で書くより、茶化して 「ソンタク」 と書きたくなる所以である。

というわけで私はこの時以来、この種の問題では一貫して「ソンタク」とカタカナ表記している。今の世の中、「そんたく」と入力してスペース・キーを叩けばすぐに「忖度」と変換されるのだから、「ソンタク」と標記する方が手間なのだが、あえてそうしているわけだ。

そもそも「忖度」とは本来、さりげなく目立たない形でするもので、大っぴらにアピールするものではない。ところが最近の政治や役人の世界では、これが点数稼ぎの手段となっているので、自分のした「ソンタク」を妙に強調したがる向きがある。

今回の塚田副大臣の場合も、山口県と北九州という安倍首相と麻生副総理の地元を結ぶ道路の建設に関する北九州市の集まりで、「そりゃ、総理とかですね、副総理とかがそんなこと言えません」「でも私はソンタクします」とはっきり言っている。どう聞いても「我を忘れて事実と異なる発言をした」ようには思われず、「ここまでソンタクする私にご褒美ください」とのアピールとしか聞こえない。

というわけで、これこそが「ソンタク」とカタカナで書いてしまいたい理由である。本来の「忖度」ではなく、小物の政治家や役人の保身や出世のための道具と化しているのだ。こんな次元の「ソンタク」は、すればするだけ害になる。

 

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2019/04/06

ココログは iframe に対応しなくなったらしい

相変わらず不具合が続いているココログの「サポート/ヘルプ」ページに、「(仕様変更) ココログはIFRAMEを使って表示できなくなりました」という通知があるのを発見した。「理由はクリックジャッキング攻撃などでココログが悪用されてしまうことを防ぐためになります」とある。「〜になります」調の言い方(「バイト敬語」というらしい)がちょっと癪に障り、「それって、いつなるの?」と意地悪質問したくなる(参照)。

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というのは、この仕様変更が本宅サイトの基本コンセプトに関わるからである。私の本宅サイトは、ココログが「大規模メンテナンス」とやらをする前の 3月下旬までは、下図のように、本宅サイトのトップページにココログの記事が表示されていた。ココログ部分は別サイトではあるが、”iframe" というタグを用いて、フレーム内に表示させていたのである。

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ところが突然それができなくなってしまったので、下図のように「恐れ入ります。現在、ココログのサーバ不調につき、ブログ "Today's Crack" が このフレーム内に表示されなくなっています」として、"Today's Crack" のトップ画像をクリックして、別ウィンドウ、あるいは別タブで飛んでもらうようにした。これ、ココログとしてはあくまでも「仕様変更」なのかもしれないが、私にとっては「サーバ不調」以外の何ものでもない。

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私としてはこの不調は一時的なもので、いずれ改善されるものと期待していたのだが、「仕様変更」でパーマネントなものになったと判明したからには、こちらとしてもそれに対応するために、暫定デザインに変更しておいた(参照)。ただでさえ忙しいのに、うっとうしいことだなあ。

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2019/04/05

昨年の新車販売台数の上位 5位までが軽自動車

日経ビジネスによると、昨年の新車販売台数では、2年連続首位のホンダ「N-BOX」を筆頭に、軽自動車が初めてトップ 5を独占したという (参照)。街を走る車を見ていても、軽自動車が本当に多い。

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かく言う私も、最近は 3台続けて軽自動車に乗っている。最近の軽自動車は性能がアップしているので、乗っていて不満がほとんどない。それどころか狭い道でもどんどん入って行けるし、取り回しも楽だし、文句の付けようがない。

私が本格的にクルマを運転するようになったのは 20代後半の 1980年頃からで、この頃の軽自動車と言ったら小さすぎるし、パワーがないし、華奢すぎて安心感がないしで、若者やオバさんの街乗りにしか使えないというイメージだった。私も初めて所有したのはトヨタのスプリンターで、それ以後もマツダファミリア、三菱のシャリオ(4WD)、トヨタのエスティマ・ルシーダ(4WD)と、家族が増えるにつれてサイズがどんどん大きくなった。

この頃は頻繁に山形県庄内の実家との間を、家族全員を乗せて行き来していたので、軽自動車では到底用を為さなかった。しかもファミリー・キャンプのテントなども積み込んでいたので、最後にはワンボックスでなければ足りなくなってしまったのである。

ところが最近は子供たちは全員独立してしまったし、実家に帰るにも妻と 2人だけのことが多いので、大きなクルマは要らなくなった。そして軽自動車の性能が大幅にアップしたので、どんなに長距離でもそれほどしんどくなくなったのである。今や軽自動車以外のクルマを所有しようなんて思わなくなってしまった。

そして運転していての実感からしても、今乗っているスズキ・アルトは、私が最初に所有したスプリンター(1200CC)なんかよりずっとパワフルで性能がいいと感じる。自動車にステイタスなんか求める気はさらさらないので、これで十分満足しているのである。

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2019/04/04

下手に金を持ちすぎるとろくなことにならない

カルロス・ゴーン氏がまたまた逮捕されたそうで、これで 4回目だそうである。「保釈中なんだから逮捕なんてしないで追起訴にしておけばいいのに」との指摘もあるが、この人、よくよく日本の警察や検察と相性が悪いようだ。

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報道によると、彼は Twitter アカウントを開設して、「11日に記者会見して真実を述べる」なんて言っていたらしいので、そんなことも今回の逮捕の要因の一つにもなったのだろう。日本の警察はこんな感じの「跳ねっ返り」には、見せしめ的なまでの対応を取りがちだ。要するに「さっさと自白して、後はおとなしくしてろ」ということなのだろう。これもまた、アブナいやり方だけどね。

彼が有罪か無罪かというのは司法の判断に委ねるとして、それとは別の次元の話で、少なくともこの人は「金に関してとてもマメな人」という印象が強く、そしてこの印象は間違っていないんじゃないかと思う。かなり面倒くさい手段を使ってでも、自分と身内の利益を図りたいタイプのようで、要するに「お金大好き人間」なのだろう。

翻って私なんかは、そこまで「金に関してマメ」な姿勢を貫き通すなんてことは「とてもじゃないが面倒でやってられない」と思うタイプである。いずれにしても「下手に金を持ちすぎるとろくなことにならない」と信じているので、なるべく余計な金を手にしたくない。常にピーピーしてるぐらいでちょうどいいと思っている。

先日の保釈の時など、10億円の保釈金をポンと出せるというのもすごいなと思ったものだが、視点を変えると「こんな時に高額な保釈金を払うために、あくせく金を貯めていた」ということになり、かなり馬鹿馬鹿しい話に堕してしまう。やっぱり金というのは持ちすぎると面倒なことになる。

私はお気楽な方がずっといい。

 

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2019/04/03

「舞妓はん ひぃ〜ひぃ〜」という名の唐辛子

昨年末に「最近の七味唐辛子は軟弱すぎる」という記事で、近頃の七味唐辛子の辛さがなまくらになってしまったことを嘆き、その後にネットで 「激辛」という仕様のものを見つけて購入した。これはまあ、辛いと言えば辛いには違いないのだが、ドバドバふりかけてようやくほどよい辛さになるという程度のもので、「十分満足」とは言いがたい。

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ところが先日、関西方面に出張した際に、京都駅ビル内の土産物店で 「舞妓はん ひぃ〜ひぃ〜」という衝撃的(?)な商品名の七味唐辛子を見つけた。「狂辛 世界一辛い一味、七味」というキャッチフレーズにつられ、ものは試しと七味の方を 1缶買ってみたのである。「おちゃのこさいさい」という店の商品のようだ。

帰宅して缶を開けると、ビニールの小袋に入った唐辛子が入っており、その色が普通の赤基調ではなく、妙に緑っぽい。商品説明をみると、国産ハバネロを使用しているという。道理で色が違うわけだ。試しにうどんにふりかけて食べてみると、これがなんと「ちゃんと辛い」のである。私の言う「ちゃんと辛い」というのは、普通の人には口から火を吐くほど辛いという意味である。ハバネロの威力は大したものだ。

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この商品は上の写真のように、缶の穴がちゃんとした大きさというのも高ポイントの要素である。近頃の一般的な商品の瓶や缶は穴が小さいので延々と振り続けなければならないが、これはちょっと傾けて振ればドバドバ出てくるからストレスがない。

辛モノ好きにはオススメである。ネットでも購入できるが、私は関西への出張機会が多いので、今後は京都に寄る度に買って帰ろうと思っている。

 

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2019/04/02

「令和」の単語登録は不要だった

新元号は 「令和」と決まり、ローマ字表記は "Reiwa" なんだそうだ。純粋に発音面から論じれば、日本語の第一音節に 「らりるれろ」が来る場合は ”L” に近い発音となることが多く、実際多くの人も ”Leiwa" という表記に近い発音をするだろうと思われるのだが、これをくどくど言ってもあまり理解されないだろうから、まあいいわ。

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ところで、発表直後に自分の Mac (ワープロソフトは Word だが、入力システムは ”ATOK" を使っている)で 「れいわ」と入力してみると、変換候補として「例話」と「零和」 の 2つしか表示されなかった。「こりゃ、あかん」とばかり、「令和」の単語登録作業(所要時間はほんの 10秒程度)をしようとして、最後の「登録」ボタンをクリックするだけになったとたん、「既に登録されています」という表示が現れた。

どうやら ATOK の発売元であるジャストシステムがサクサクッと既存辞書に加え、それがインターネット経由で私の Mac にも反映されたようなのである。私は「令和」が未登録の状態から登録済みの状態に移行するまでのごく短時間のタイムラグを、身をもって体験したことになる。

ちなみに昭和から平成に移った 1989年は、日本で Windows の普及が加速する以前のことで、私はその頃愛用していた富士通のワープロ専用機 ”OASYS” で、自力で「平成」を単語登録した。その際、畏れ多いことながら「へいせい」と入力するのが面倒なので「へせ」で登録してしまった。それが 30年以上経た今の世まで続き、私の Mac の ATOK の辞書には、公式の「へいせい → 平成」以外に 「へせ → 平成」という登録がある。

ただ、今回は 3音節なので「れわ → 令和」 なんていう登録はしていない。「れいわ」を「れわ」にしてみたところで、入力しやすさはほとんど変わらないのでね。

それよりも私としては、「平成」をとりあえず単語登録しなければならなかった時代から、放っておいても「令和」が辞書に反映されてしまう時代になったという変化の方に隔世の感を覚えてしまった。この変化にリアルタイムで立ち会わなかった人は、「へえ、ATOK って元々 『令和』という単語を知っていたのか!」なんて思ってしまうかもしれないね。

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2019/04/01

フィンランドの湖が森林火災を防ぐ

昨年、カリフォルニア州などの森林火災で多くの損失を蒙った米国では、「望ましい森林管理のあり方をフィンランドに学べ」 との気運が高まっている。同時にフィンランド旅行もブームになっているらしい。

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トランプ大統領は昨年フィンランドのニイニスト大統領と会談した後、「フィンランド大統領は、『我々は森林と湖の国だ。フィンランド人は森の中の湖の管理に多くの時間を費やしていて、その水分によって過度な乾燥を防いでいる。だから何の問題も抱えていない』 と語っていた」 と発言した。森林管理の鍵は、湖の保全にあるというわけだ (参照)。

フィンランドの森林管理がよほど気に入ったと見えて、トランプはその後、"LAKE AMERICA GREAT AGAIN" (アメリカを湖で再び偉大に) をベースボールキャップに掲げて、あちこちでアピールしている。

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一部では、ポピュリストで自国経済至上主義のトランプが、自然保護を重視するエコロジストに変身するきっかけになるのではないかと、彼のこの発言が不思議に歓迎されているという。世の中、何が幸いするかわからない。

いずれにしても、米国は五大湖をはじめとして、案外湖の多い国である。この国が自然保護に力を入れてくれさえすれば、地球全体のエコにもかなりプラス要因として働いてくれるだろう。

【4月 2日 追記】

ええ、毎度のことですが、エイプリルフールのネタですので、本気になさらないようにお願いいたします。

 

 

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