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2019年4月21日

高齢者の運転について考える

ニュースは例の東池袋の暴走事故でもちきりだ。運転していた 87歳の男は、ハンドル操作を全然しないままで一直線に事故現場に突っ込んだという(参照)。そしてこの男は旧通産省工業技術院の院長を務めた高級官僚で、4年前には叙勲までされていたというので、当初はマスコミも氏名を伏せるなどしていたため、いろいろ面倒な要素まで取り沙汰されている。

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というわけだが、既に氏名が公表されたのだからフツーに「飯塚容疑者」と言っておく。その飯塚容疑者は「アクセルが戻らなくなった」と言っているらしいが、その可能性はないと確認されている。ブレーキを踏んだ形跡がないのだから、要するにアクセルから足を離さなかったわけで、だったら戻るわけがない。

こう言っちゃナンだけど、自分の過失を「アクセルが戻らなくなった」なんて一見客観的に言い換えるところに、ちょっと役人気質みたいなものを感じる。現役時代はさぞかし優秀な官僚だったのだろう。

いずれにしてもこんな感じでパニクってしまったのは、事故の直前にガードレールに接触する事故を起こしたのがきっかけだったと推測されている。これまでの人生であまり失敗したことのない人だろうから、高齢であることも重なって、この程度のことで頭に血が昇ったのかも知れない。

飯塚容疑者は 2年前の免許更新時の認知機能検査で、「問題ない」と判断されていたらしい。とはいえ 2年前といったら 85歳の時になるから、そろそろ免許更新なんてしなくてもいいと考えてもいい年だし、それから 2年も経てば、認知機能が少しは衰えても全然不思議じゃない。

私の住む茨城県つくばの地は「クルマがないとどこにも行けない」不便な所だが、彼は東京板橋区住まいというのだから、87歳にもなってわざわざ交通量の多い都内を運転しなければならないという必要性は薄いだろう。要するに一般庶民の乗る公共交通機関には乗りたくない人なんだろうね。何しろ高級官僚上がりだから。

翻って自分のことを考えてみると、「一体、何歳までクルマを運転しなければならないんだろう?」なんて思ってしまう。既に前期高齢者の称号を得てはいるが、今のところは危なげなく運転できている。あと 10年は大丈夫だろうが、80歳を過ぎてまでクルマで遠出しようとは思わない。できることなら、その頃にはコロリとあの世に召されたい。

周囲の高齢者の様子を見ると、女性は 80歳を過ぎてもピンピン元気な人が多いが、男は 70代後半からめっきり爺くさくなる傾向がある。飯塚容疑者の老化がどの程度だったかは知らないが、一般的には 「そろそろハンドル握らない方がいいよ」と言われていい頃だ。

「高齢になったら運転は控える」という常識的な判断ができる人だけならいいが、世の中はそうとばかりも言えない。とくに公共交通機関の整備されていない地域では、いくつになっても自分で運転しなければならないという事情もある。そしてそうした地域ほど高齢者の比率が高いのが問題だ。

私の住む町内でも、引っ越してきた 40年前は周り中がみんな壮年期で元気だったが、今となっては多くが 70代後半から 80代となり、めっきりよぼよぼになって、毎年何人かの葬式に出なければならない。そんな高齢になっても運転だけはするのだから、心配と言えば心配だ。

昨今は「自動運転」という技術が開発中であるらしい。私は「目的地をセットしさえすれば、ハンドルを握らなくても行ける」という未来には魅力を感じないが、「危険が察知されたら自動でブレーキがかかる」という機能は必要になるかもしれないなんて考える。

フールプルーフ」というか、「痴呆プルーフ」機能である。

 

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