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2019年5月に作成された投稿

2019/05/31

「七段ピラミッド」だの「四段タワー」だの

「大阪府東大阪市内の小学校運動会で「7段ピラミッド」の組体操が行われるとして、ネット上で安全面への疑問の声が上がり、論議になっている」と伝えられている。東大阪市では、今はどうだか知らないが「4段タワー」(写真右側)なんてものも実施されていたらしい。

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私はこうした組み体操の意義がさっぱりわからない。思い出してみれば私も中学校の時だったか、体育の時間でこの類いの組み体操の練習をさせられたことがある。「体育の時間で」と書いたのはほかでもない。実際の運動会の本番はサボっていたからだ。あんなもの、ばかばかしくてやってられない。

練習の経験から言わせてもらうと、こんなのはちっとも楽しくない。私は体が大きかったから一番下の段で支える担当をさせられたが、重いばかりで何がどうなっているのか、全体像はさっぱりわからない。ただ本番で端から眺める者がスペクタクルを感じて拍手喝采するだけのことだ。

四段タワーなんていうのも練習させられた覚えがある。一番上に乗るのは体の小さいやつだが、降りてきて「おっかなかったぁ!」と言っていたのを覚えている。練習の時に七段ピラミッドが崩れてしまったことがあるのは覚えているが、四段タワーが崩れたら怪我をする確率が高い。

実際にこの手のアトラクションでは過去に怪我人が何人も出ている。他のことでは神経質なまでに危険を避けたがる学校という組織が、こうしたことだけはなぜか「伝統」なんてものを振りかざして続けたがる。

職員会で体育会系の教師が力を持っていて、「止めが方がいい」という声に耳を貸さないのだろう。彼らにかかっては、こうした活動での怪我は「単なるドジ」か「名誉の負傷」のどちらかにされてしまう。

こうした「伝統」なんてものを笠に着たアトラクションの駒にされている子どもたちは、個別の表現欲を無視する圧倒的パワーの中で「単なる手駒」となる感覚を植え付けられてしまう。子どもの頃の私はそれがイヤなので運動会のアトラクションをサボってばかりいたのだよね。

こういうことってかなり大雑把に運営されていたようで、一人や二人がサボっても誰も気付かず、なぜか支障なくやってしまえるもののようなのだ。それがまた不思議である。

 

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2019/05/30

「バヤリーズ」に見る日本語の三重母音問題

ふゆひー9 さんの tweet からおもしろい話題に辿り着いた。「バヤリーズ」の発音しにくさについて、大迫力さんという方が触れている。(参照

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こんな tweet だ。

昼飯に入った店の隣の隣の席に若いカップルがいて、「バヤリース」は発音しづらいので「バリヤース」の方が絶対いいという話題で盛り上がっている。「ヤのさ、『バの次じゃない』感すごいよね」という日本語に何かとても新鮮な感覚を受ける。

"「ヤ」の「バの次じゃない」感" というのは、なんとなくわかるような気がするが、「バリヤーズ」では「障壁」になっちゃうから、採用されるはずがないだろう。これに対して、ふゆひー9 さんは 次のようにコメントしている。

しかも元々はバャリースと小さい「ャ」を使っていたはず。まぁ元の綴りを見ればバイアリースくらいの表記がよかったんだろうし、それなら特に発音しにくくもないんだよな…。

確かに、元々は「バャリーズ」だったのは、上の画像からも明らかである。ちょっと調べたところ、”Bireley's” のライセンシーであるアサヒ飲料が、1987年を機に「バャリース オレンヂ」から「バヤリース オレンジ」にブランド名表記を変更したとわかった。(参照

私としても、ふゆひー9 さん同様に元のスペルを自然に読んで「バイアリーズ」とすればいいとは思うのだが、どうも日本人というのは「三重母音」にそこはかとない抵抗を覚えるようなのだ。三重母音というのは母音が 3つ重なる発音である。確かに日本語では極端なほど少ない。

私が "「大安」、「菜園、才媛」、「梅園、煤煙」などは、最後の「ん」でカタストロフィになるから OK なのかなあ" とコメントすると、ふゆひー9 さんが次のように返してくれた。

日本語の文法(?)に「音節」という考え方があったかどうか自信がないんですが、三重母音というのは、一音節に母音が三つ入っているものだと思うんですよね。「大安」「菜園」などは(漢字の効果もあって?)、「大・安」「菜・園」という二音節になるんじゃないでしょうか。

なるほど、これには一理あって「大安」だの「菜園」だのは、純粋な意味での三重母音じゃないと考えていいだろう。ただ私としては、純粋じゃない上に「ん」で強引にキマリをつけるから、抵抗感がかなり薄れているのだろうと思いたいのだが、「それじゃ、『最悪』とかはどうなんだ」とツッコまれそうなのであまり強くは主張せずに、モニョモニョっと濁しておく。

そうなると次は外来語のこなし方で、私は次のように書いている。

英語由来の「ダイアル」は「ダイヤル」、「バイアス」は「バイヤス」、「リタイア」は「リタイヤ」に逃げてるし。

さらに言えば、クルマの「タイヤ」だって本来は「タイア」の方が近い。日本人はいかにもバタ臭い三重母音をそのまま素直に受け入れることを避けて、さりげなく、あるいは無意識的に途中に "y" 音を入れるなどして解決してきたようなのだ。

「東京タワー」の "tower" にしても、本来は 「タウア」に近いのだが、そんな発音にはものすごい違和感を覚えるらしく、"w" 音を挟んで「タワー」にしてしまっている。「酸っぱい」という意味の "sour" も、「サウア」なんてしゃらくさいとばかりに、思いっきり「サワー」だ。

さて、最後に純粋な日本語はどうなっているのかという問題だ。私の乏しい語彙力では、とっさには「潰える(ついえる)」ぐらいしか思い浮かばないのだが、これは元々は「つひえる」という言葉で古くはこの表記通りに発音していた。いつの頃からか「つひえる」を「ついえる」と発音するようになったので、発祥的には三重母音じゃないし、そもそも今ではほとんど死語に近くなっている。

さらに言えば「相生(あいおい)」なんて恐ろしいことに四重母音なのだが、これだと三重母音ほどの抵抗はないみたいなのだね。このあたり、なかなか面白い。あるいは、ふゆひー9 さんの「音節論」に添えばこれは「あい・おい」であって、二重母音を二度繰り返しただけってことになるのかもしれない。

というわけで、日本人は本当に三重母音をそのままには受け入れられないカラダなのだと思うほかないようなのである。とはいうものの、冒頭で触れた "「ヤ」の「バの次じゃない」感" というのも負けず劣らずの抵抗があるのは間違いない。

そもそも Bireley's は初めに「バャリーズ」なんて妙ちくりんな表記にしてしまった時点で袋小路に迷い込んでしまったのだと思う。「バイアリーズ」がバタ臭すぎて鬱陶しいというなら、「タイヤ」の例に倣ってごくフツーに「バイヤリーズ」にしとけばよかったのにね。

 

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2019/05/29

カモガヤのアレルギーがひどいので

昨日、ここ 1週間ほどの陽気と比べてちょっとだけ涼しかったので、意を決してエンジン式草刈機で裏の土手に生えるカモガヤを刈りまくった。カモガヤだけでなく、我が家から 200メートルぐらいまでの距離の土手草はすっかり刈ったので大分すっきりした。

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カモガヤをメイン・ターゲットとしたのは、カモガヤ・アレルギーがひどいからである。私は 2月頃から杉花粉アレルギーが出て、それが終わらないうちにヒノキ花粉アレルギーがひどくなり、それがようやく収まったかと思うと、今度はカモガヤに悩まされてしまう。2月から 7月初めまで、1年 12ヶ月のうち 6ヶ月は花粉アレルギー症状が出るという、因果なカラダなのである。

症状に関して言えば、杉やヒノキよりもカモガヤの方が確実にひどい。目は痒いし、鼻水も止まらない。それに大きなくしゃみが 20〜30連発ぐらいになってしまうので、体力も消耗する。

そんなわけで、昨日は必死に草刈りをしたのである。一人で 1時間半ぐらいかけ、土手をすっかりきれいにした。時々町内会の依頼でシルバー人材センターから派遣された人たちが 4〜5人ぐらい来て、3時間以上かけて草刈りをしているが、はっきり言って私が 1人で 1時間半の作業をする方が、ずっと広い面積の草刈りをする。

私だって立派な「前期高齢者」なのだが、どうしてまたこんなにも元気でいられるのか、さっぱりわからない。わからないが、カモガヤが劇的に減ったことはたしかなので、今日はかなり楽である。杉やヒノキなどの高木と違い、カモガヤは背が低いので、近くに生えているのを刈ってしまうと、飛んでくる花粉の量がかなり減るみたいなのだ。

やれやれ。それにしても因果なことである。

 

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2019/05/28

"Flatter" 「媚びへつらう」という言葉の意味

毎日新聞が "トランプ米大統領 来日 首相、蜜月アピール 「やり過ぎ」野党批判" という記事を載せている。この記事に使われたツーショット写真は、安倍首相が自らの Twitter にアップロードしたもの(参照)というのだが、どうみてもその辺のオッサン 2人がダハダハしてる写真にしかみえない。

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安倍首相のビジュアル・センスには、ちょっと疑問符を付けざるを得ない。この人、スーツ着てちょっと盛った感じのヘアスタイルでないと、吉本かどこかのお笑いタレントみたいな感じになってしまうのだね。女性のバッチリメイク顔とすっぴん以上の落差を感じてしまう。

ところで ワシントンポスト紙の "From the emperor to sumo wrestling, Abe harnesses Japan's Traditions to impress Trump" (天皇謁見から相撲観戦まで、安倍首相はトランプに好印象を与えようと日本の伝統を利用)という記事が、日本でも注目されている。

この記事は "Perhaps no world leader has been as assiduous in flattering President Trump’s ego as Shinzo Abe." という一文で始まる。素直に訳したら「わがままなトランプ大統領にせっせと媚びへつらうのに、安倍晋三ほど綿密に行き届いた世界首脳はおそらく誰もいない」って感じの皮肉な表現だ。

で、これをちょっと短めに "「シンゾウ・アベほどトランプに媚びへつらう国のリーダーは世界のどこにも多分いない」と" と紹介した住友陽文さんという歴史学者の tweet に、「良い事じゃないですか! 反日左翼思想の人達は、悔しいんだろねぇ~~~!」と、かなりエキセントリックな反応を見せた人がいる (参照)。

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このやり取りは、ふゆひー9 さんの "そもそも「媚びへつらう」という言葉の意味を知らないように見える" という tweet から辿って知ったのだが、なるほど、そう考えると納得がいく。ところがこの「良い事じゃないですか!」という tweet には、本日 21時時点で「5件のいいね」が付いているというから、日本はありがたい国である。

 

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2019/05/27

トランプには相撲よりプロレスがお似合い

来日中のドナルド・トランプが、大相撲の千秋楽を観戦したらしい。私はその頃、仕事先からつくばエクスプレスに乗って帰宅途中だったので、リアルタイムでは全然関知していなかった。

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今日になっていろいろなニュースをチェックしたところでは、トランプは相撲を楽しんだようには見えなかったらしい。実際のところは「退屈感ありあり」だったようなのである。

思い起こせば子どもの頃、テレビで相撲を見るにはかなりの忍耐が必要だった。意味がありそうにも思えない「仕切り直し」という退屈な所作を 4分の制限時間が尽きるまでひたすら単調に繰り返す。実際の勝負は大抵 10秒かからずに終わるのだから、その前の 4分間は単に間を持たせる時間稼ぎとしか思われない。

長じるに及んでようやく、途方もない無駄に見えた 4分間にはそれなりの意味があり、その間にいろいろ伝統的要素も散りばめられていると知った。しかし子どもにそれを理解するに足るソフィスティケーションを求めても、所詮無理というものである。

そしてトランプも、私の子どもの頃と同じように退屈してしまったのだろう。いずれにしてもそれほどのソフィスティケーションの持ち主には見えないし。それに彼はずいぶん「いらち」の要素が濃いようだから、ほとんど永遠にさえ思われる 4分間の所在なさを紛らわすのに、ずいぶん苦労したに違いない。

要するに「大相撲観戦」というイベントは、ちっとも「おもてなし」にならなかったということだ。相当な手間を掛けていろいろイレギュラーな手はずも整えたらしいのに、終わってみれば馬鹿馬鹿しさだけが残る。

トランプというのは、相撲よりプロレスの方がずっとお似合いなのだよ(参照)。これは比喩じゃなく、下の写真からリンクされる動画をご覧戴けばわかるように、単純リアルなお話だ。

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これ、9年後に米国大統領になる男の姿である。アメリカって国、奥は深いが底は浅いのかも。

 

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2019/05/26

長生きしたくて肉食を避けてるわけじゃないので

昨日の記事で、銀座の「らん月」というしゃぶしゃぶ屋で開かれた同窓会に出席したことに触れた。ご存じのように私は肉食を避けているので、会場に到着して初めてしゃぶしゃぶを食わす店と知った時は「うわぁ、こりゃかなわんなあ!」と思ってしまった。

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近頃では、チャーシューが付き物のラーメンだって避けているほどなので、しゃぶしゃぶ屋なんて正直言って「異様」な佇まいに見えてしまった。そして下世話な話で言えば、「同じ会費払って、俺の食うモノないじゃん!」ってことでもある。

ところがいくらしゃぶしゃぶ屋でも、メニューに肉しかないというわけでもないのだね。しゃぶしゃぶはメイン料理としてコースの最後に出てくるので、そのための差別化なのか、それまで肉はまったく出ない。だから初めにしっかりと食うモノ食って「俺、一丁上がりね」で OK だった。

この時に集まった 30人の中で「肉は食わない」と言っているのは私 1人だけで、「変わり者」扱いされてしまった。どこに行っても「ノーミート」の店は食事時になると長蛇の列になるのにね。これは増えつつある「ノーミート」の需要に対して供給が少なすぎるということでもあるのだが。

それだけではない。医者とか看護師とかになっている同窓生が「肉を食わないと長生きできないよ」なんてことまで言い出す。「医療業界は食肉業界と結託してるのか?」なんて思ったほどだ。上の写真で紹介している『肉を食べる人は長生きする』という本の著者、柴田博さんという人も医学博士のようだし。

生憎だが私は長生きしたくて肉を避けているわけじゃなく、ポリシーとして食わないのである。それにやたら健康なので、早死にしないための心配よりも「一体いつまで生きればいいんだ」という思いの方がストレスになるほどだから、「長生きできない」と言われると逆に「そりゃありがたい。余計な心配が減るわ」と思うばかりである。

私が肉を食わない理由は、完全に肉食を止めるちょっと前の 2006年 1月 25日の「肉を食わされるのは、かなわんね」という記事の中で紹介した「肉食は私たちをどこに導くのか?」というページに書いてある。13年以上前のエントリーだから今さら感があるが、再録しておこう。

NHK の番組によると、世界のトウモロコシ年間生産量約六億トンのうち、約四億トンまでが穀物飼料に使われています。その穀物飼料の一割でも人の食用に回せば、世界から餓えはなくなるというのです。もしそうした場合、肉の生産量は減りますが、それは米国人と日本人が五回に一回、肉料理を減らすだけでしかありません。

この記事はあちこちのニュースサイトで、「米国人と日本人が 5回に 1回肉料理を減らすと、世界から飢餓がなくなる」という短絡的なタイトルで紹介された。アクセスがムチャクチャ増えたのは嬉しいのだが、「そんなことは間違いだ」との反論があちこちでなされていたようなのである。

単純計算が世界の食糧情勢にすぐに反映されるわけがないのは元より承知の上だが、「米国人と日本人が 5回に 1回肉料理を減らすと世界から飢餓がなくなるなんて、間違いだ」という反論こそが間違いである。「それを実現するのはとても困難だ」というのと「それは間違いだ」というのは、論理として別の問題だからだ。

念のため重ねて言うが、人間の「業」というのは、それほど生やさしいものじゃないから、すぐにはできないというのは事実だ。しかしそれを、自分がやらないための理由や言い訳にはしたくない。

ちなみに肉食と長生きの因果関係なんて、上の写真の 2冊の本に代表されるように諸説あって、要するに個別の事情に依存する要素が多いに決まっている。長生きできそうだと信じて肉を食っても、それが世界のためにならないなら、仮にたかだか数年長生きできたところで夢見が悪いやね。

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2019/05/25

フィジカル・コンシャスになっちゃってる今日この頃

Apple Watch を付けていることのメリット(なんだかどうだかわからないが)の一つは、少しはフィジカル・コンシャスで暮らせるということだ。少なくとも運動不足になることに対するプレッシャーというものがある。

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写真は私の Apple Watch の画面で、赤、黄緑、水色の同心円は、それぞれその日のアクティブ・カロリー消費、運動時間、立っている時間を表す。つまり本日の午後 7時ちょっと前まで、私は 870Kcal のカロリーを運動で消費し、ある程度体に負荷のかかる運動(スタスタ歩くだけでも OK)を 79分行い、14時間にわたって 1分以上経っている時間があったというわけだ。

それぞれの目標は 600Kcal、30分、12時間と、(案外控えめに)設定してあるから、環は 3つとも 1周以上している。目標に達しないと環が完成せず、ちょっと気持ち悪くなっちゃうので、ある程度の運動をこなすためのプレッシャーがかかるという仕掛けだ。

このところ、1週間以上にわたって毎日きちんと 3つの環を完成し続けているが、ちょっとサボると、アクティブ・カロリーが 480Kcal ぐらいしか消費されず、赤い環が完成しないなんて日ができちゃったりする。そしてそんな日が 3日続くと、体は正直なもので「ちょっと重いな」という気がしてしまうのである。

人間というのはちゃんと動いている方が気持ちがいい生き物のようで、最近は天気がいいので、30Km ぐらいの距離ならクルマじゃなく自転車で行くというのがフツーになった。するとやっぱり脚の筋肉が締まって、ほかの何をするにも体が楽になる。そして楽に動けるとますます動くことが楽しくなるという好循環が生じる。

というわけで、近頃は体の調子がとてもいい。実は本日開かれた高校時代の同窓会の会場が銀座のらん月とかいう有名なしゃぶしゃぶ屋だったりしたので、同じ会費を払って肉を食わない私は「肉を食わないと長生きできないよ」なんて言われたりした。私としてはしゃぶしゃぶ屋でもその気になれば、肉以外のおいしいメニューがあるってことを知っただけ嬉しかったのだが。

この他にも「きちんと健康診断を受けてる?」と聞かれて 「全然」なんて答えたりすると、「受けた方がいいよ。当人は気がつかなくても、知らない間に体のどこかにガンができてたりするよ」とか、いろいろ還暦過ぎ集団らしいプレッシャーをかけられてしまった。同窓生の中にも、そろそろガンで死ぬ者が増えてきているようなのである。

しかし個人的には「このまま健康すぎるといつまで生きたらいいのかと途方もない気がしてしまうので、適当なところで死ねる方がかえってありがたい」と思っている。我ながらいい気なものだ。

で、そんな感じでのほほんと楽観的に暮らしていると、プレッシャーは Apple Watch からの「きちんと環を完成させましょう」というポジティブなものだけで、鬱屈したプレッシャーというものがない。それでますますヘルシーになったりしちゃうというわけだ。

 

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2019/05/24

英国のメイ首相が「イタドリ」呼ばわりされているらしい

Yahoo ニュースの ”「日本から持ち込まれたイタドリ」と呼ばれたメイ英首相が 6月 7日辞任 しかし本当のイタドリは別にいる” という記事の見出しに、「一体どういうこっちゃ?」とつられて読んでしまった。

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イタドリというのは結構おいしい山菜で、別名「スカンポ」とも呼ばれる。春先になると山の中の日当たりのいいところに生えて、節のある茎が空洞になっているので、根元から折るようにして採ると「ポンッ」と小気味のいい音がする。メイ首相がどうしてイタドリ呼ばわりされるのか、記事を読んで初めてわかった。

イタドリはシーボルトが日本から欧州に持ち込んだらしいのだが、英国の地で帰化植物として大繁殖し、コンクリートや道路の舗装に亀裂を入れながら広まってしまったのだそうだ。家の床を突き破るほどの繁殖力で、英国全体で 1億 6600万ポンド(約230億円)の被害をもたらしているという。

そんなわけで、EU との間で結んだ離脱合意が下院で 3度否決されてもなかなか辞めず、国に大損害をもたらしたとみられるメイ首相は、「イタドリ」と言われてしまっているのだそうだ。ちなみにイタドリは英語で ”Japanese knotweed" というらしい。

この記事の筆者で在英ジャーナリストの木村正人氏は、本当のイタドリは別にいると主張する。それは EU を離脱しても英国経済はこれまで以上に繁栄するという幻想を撒き散らす主権主義者の強硬離脱派たちだというのである。たしかに常識的に考えれば「合意なき離脱」は大きなリスクだが、英国では「とにかく離脱しちまえ!」という声が大きいようなのだ。

大繁殖して忌み嫌われている帰化植物といえば、英国でのイタドリ同様に、米国の「葛(クズ)」が挙げられる。ケンタッキーあたりでは、下の写真のように葛に覆われ尽くした村から、住民が逃げ出すというほどにまでなっているらしい。

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日本では「葛の葉伝説」というのまであるほど人々の心の琴線に触れる植物なのだが、所変わればこんなになってしまうのだね。こんなところからも排外主義のポピュリズムが台頭してしまうのかもしれない。

 

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2019/05/23

スマホがあれば車載型カーナビは要らないと思うのだが

FAX や音楽 CD 同様、車載型のカーナビが当たり前に普及しているという点でも、日本はガラパゴス化しているらしいと初めて知った(参照)。私のクルマにも付いてるけど、確かにあれってあまり使わない。

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先日、母の十三回忌で山形県酒田市の実家までクルマで往復した時(参照)も、スマホの Google Map を使っていた。車載型のカーナビも現在位置を表示し続けてはいたが、実際にはほとんど頼りにしなかった。

車載カーナビをまともに使わないのは、2つの理由による。1つは目的地をセットしにくいこと。2つめはデータが古くて新しい道路を知らないことだ。

自分の関係先は既にスマホに登録してあるから、どこに行くにも簡単にセットできる。ところが車載カーナビだといちいち初めから住所をインプットしなければならないから手間がかかる。この時点でどちらを選択するかの勝負が付く。

さらに車載カーナビで致命的なのは、データの古さだ。Google Map は常にデータが更新されているから、新しくできた道路が示される。最近は高速道路の延長が目覚ましいから、古いデータを頼りにしていると途中で一般道に降ろされてしまったりしてしまう。

実際にクルマを運転していると、車載カーナビの画面だと道路じゃない所を走っていることになったりすることも頻繁だ。新しくできた橋を渡ったりすると、カーナビ画面上では川や海にダイブしているみたいなことになる。

スマホをカーナビとして使用する際にあると便利なのが、スマホホルダーだ。スマホ片手に運転するのは危険だから、ぜひ備えておきたい。ところが世の中はさらに進んでいるようで、スマホ画面を車載カーナビに表示させる Apple CarPlay というアプリがあるらしい。あるいはフロントガラスに情報を投影できる Hudway Go というのもあるという。そこまでは私も知らなかったよ。

こうしてみると、スマホさえあれば車載カーナビなんて要らないと思うのだが、何しろ FAX や音楽 CD がしぶとく生き残る日本のことだから、なくなりはしないんだろうなあ。

 

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2019/05/22

丸山穂高をガス欠にするには、シカトし続ければいい

世間は丸山穂高とかいう国会議員の話題でもちきりだが、このニイチャンのことはそろそろシカトしちゃってもいいんじゃないかと思う。関わり合うだけ馬鹿馬鹿しい。

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私の感覚からすると、彼は「世の中で一番関わりを持ちたくない」タイプである。今回の問題の発端となった北方四島交流事業のいわゆる「ビザなし訪問」における問題発言にしても、私は録音を聞いた当初から「こんな酔っ払いにはまともに取り合わなければよかったのに」と思っていた。

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上の写真からリンクされる YouTube 動画中の録音を聞いても、記者の取材中に突然割り込んできた丸山に、訪問団長の大塚小弥太さんが精一杯丁寧に対応しているのがわかる。おそらくとても真面目な方なのだろう。

しかし本来なら、こんな無礼千万なやつにまともに対応する必要はなかった。無視すればよかったのである。無視しても絡んできたら、場所を変えて彼を入れなければいい。少なくとも訪問団の中で、「丸山穂高というのはちょっとエキセントリック過ぎるヤツだから、取扱注意」という情報共有をしておくべきだった。

とにかく徹底してシカトするに限る。こういうタイプにまともに対応するのは、結果として相手に燃料を注入する結果になるだけだ。この事件後の世間の騒ぎ方にしても、この男にさらに無駄な燃料を注入し続けているにすぎない。

"丸山議員の言動に臨床心理士「感情に支配されているのでは」 成功者は “失敗の検証” が少ない?" という記事がある。この中で臨床心理士で明星大学准教授の藤井靖氏は「自分の判断や思考、行動が感情に支配されているということをあまり自覚していないのではないか」と指摘している。鋭い指摘だ。

彼は子どもの頃から優秀で、注目され続けて育ったのだろう。ただ悲しいことに彼は「論理を駆使できる」という優秀な能力を、自分の感情を満足させる方向に限って使い慣れてしまったようだ。巷の人々のためとか、自分の反省のためとかには、アタマを使うことができないカラダになってしまったのである。

ユングの心理学的には、論理と感情は本来対立的なものと位置付けられる。しかし彼の場合は論理を自分の、敢えて言えば幼いままの (だって、「駄々っ子」そのものじゃないか)感情に従属させて(つまり「屁理屈」に落とし込めて)までいろいろなことを口走り、注目を集めることになる。注目されることが彼の燃料であり、存在意義なのだからどうしようもない。

彼の Twitter のジャニーズ系と見まごうようなプロフィル写真をみても、それは感じられるよね。意識しすぎのスマイルがちょっと冷や汗ものだけど。(ここ数年でちょっと酒太りしてしまったようでもある)

というわけで彼はガス欠しかかると、ついますます突飛な言動をしてでも目立ちたがるのが「業」になってしまった。なにしろ「業」だから、意識的、理性的にコントロールするのがとても難しい。それどころかさらに悪いことに、酒の力を借りてでも理性を麻痺させたがる。

こういう男は、まともに取り合わないことである。ただひたすらシカトして、「ガス欠」にしてしまえばいいのだ。気の毒(あるいは残酷?)なことだけど。

 

 

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2019/05/21

我ながら「強力な晴れ男」ではある

下関での仕事を終えて、新幹線で帰路についている。晴れ男の常として、西日本はとてもいい天気だった。ここ 20年ぐらい、私は日本各地に 500回以上出張していて、野外イベントにも200回ぐらい参加しているが、晴天率は 99.9%以上である。

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実は先週の時点では 21日の山口県は雨になるという予報だったが、私としては「翌週の予報なんて、大抵変わるものだしね」と、完全に楽観していた。果たしてその通りに、週明けになって予報はドラスティックに変わり、今朝のテレビでも「今日の中国地方は雨傘ではなく、日傘が必要です」なんて言っていた。

経過を書くと、昨日の昼前につくばの地を発つ時の地元は上天気、行き先の西日本はニュースになるほどの大雨だった。ところが新幹線で移動しているうちに雨雲は東へ東へと移動し、夕方に下関に着いた時には、昨日の「和歌ログ」にも写真を載せたようなきれいな夕焼けだった。道路はまだびしょ濡れだったが(参照)。

上の写真は今朝の NHK ニュースでの天気予報の画面で、西日本の雨雲は完全に抜けいる。対照的に東日本は大雨で、朝のテレビに映る東京は大粒の雨だった。私が不在だったせいというわけじゃないが、通勤時に大雨に見舞われた東海・関東の人には人情として「ごめんね」と言いたくなるほどである。

というわけで今日は快晴の下で仕事が終わり、帰路の新幹線の中でこの記事を書いている。そして私がつくばの地に帰り着く頃には雨雲はすっかり関東を抜け、天気が回復しているようなのである。まるで晴れ男の私の移動に合わせて天気の方が気を利かせてくれているかのようだ。

この晴れ男振りは、我ながら本当にありがたい。

 

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2019/05/20

新幹線の英語アナウンスが肉声になったようだ

今年 2月 1日に "新幹線の 「ムダに流ちょうすぎるカタカナ英語」 アナウンス" という記事を書いた。その流ちょうさとカタカナ発音のギャップに、ある意味感動してしまったためである。ところがこの時点では実は、予め録音された音声だったようなのだ。なるほど、「流ちょうすぎ」たわけだ。

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しかし最近の新幹線は、乗り合わせた車掌が肉声でアナウンスすることになったようだ(参照)。道理で乗る度に英語アナウンスのテイスト(?)がちょっとだけ多様になったわけだ。

そして本日乗った新幹線のアナウンスがあまりにも個性的だったので、つい感動して Twitter にアップしてしまったのである。こんな感じだ。

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まさに「ウィアー ストッピング アット キョート ステーション、ザ ドズオザ ライツァイ ウィル オプン」という感じだったのである。完全にカタカナ発音とはいえ。前半は "We are stopping at Kyoto station" とわかるのだが、後半がちょっとスゴかった。本当に一瞬「ドズオザ」って何だ? と思ってしまった。

既に tweet したように、これ "The doors on the right side will open." と言っているわけなのだが、何度もアナウンスしているうちに慣れ過ぎて「無駄に早口」になった結果が「ドズオザ」ということのようだ。最初の 「ザ」以後が妙に「七五調」なのも、これで身についてしまいやすい要因だろう。

ニュースのアナウンス練習の指導員は「アクセントを間違えても気にしないでください。大部分のお客様は理解しようとしてくれます」と言っているが、この「ドズオザ」に限っては結構難易度が高いと思う。まあ、何度も乗っていれば「いつもの決まり文句だな」とわかってくれるだろうが。

いずれにしても JR 東海は肉声での英語アナウンスにこだわっているようで、健気といえば健気なことである。実際の話、当初のものすごく聞きにくい「無駄に流ちょうすぎるカタカナ英語」(下のアイコンをクリックすると聞けるが、要するに異様な感じ)よりはずっとマシだと思う。

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ただ、ニュースの見出しにある「流ちょうでなくても好評」というのが本当かどうかについては、コメントを避けたい。

 

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2019/05/19

オッサンの「ガラパゴス的自尊心」が日本の情報化阻害要因

NewsPhere に「“まだFAX、CD、ガラケー!?” IT に保守的と海外が驚き…日本企業衰退の理由との指摘も」という記事がある。2016年 4月 3日、つまり 3年以上も前の記事とはいえ、まだちっとも古くなっていないのが驚きだ。いや、記事の中身そのものは充分に古色蒼然なのだが。

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BBC によると日本の情報化に関するガラパゴスぶりの要因は、早く言えば「新技術の導入に関して非常に保守的な日本企業の悪癖」ということで、もっと細かく分析すると次のようになる。

  1. 慣れ親しんだ古い技術にこだわる高齢者が多い、少子高齢化の影響
  2. 日本企業の 99.7%を新技術導入に保守的になりがちな中小企業が占める。
  3. 「データ流出やハッキングを恐れる」経営者の守りの姿勢
  4. 「手書き」を尊重する礼儀の文化

このうち 1 と 2 はかなり関連している。中小企業の幹部はオッサンが多く、この層がとにかく IT を使いたがらないのだ。「25(歳)の時から独立してやっておりますので、常に従業員あるいは秘書に指示することでやっておりますので、自分でパソコンを打つということはありません」と言い放った前サイバー・セキュリティ担当大臣の桜田義孝氏は、その代表例である。

ちょっとしたメールぐらいは部下に指示するより自分で打つ方がずっと手っ取り早いはずだが、こうしたオッサン連中はひたすら IT に距離を置きたがる。私の周囲にもメールで連絡を取れない不便なオッサンが何人かいる。

こうしたオッサンは同報連絡(複数の相手に同じ文書を送る連絡)をする場合に面倒極まりない。本来はメール送付の際に宛先を複数指定すれば済むのだが、メールのできないオッサンのために、いちいち電話や FAX という別手段に頼らなければならず、時間がない時は心ならずも無視することになる。

還暦過ぎの男性の IT リテラシーはかなり格差が大きくて、日常的にフツーに使いこなしている層とまったくダメな層に極端なほど分かれる。そして後者は「頑固なまでに」と言っていいほど、IT に関わりたがらない。

これについて私は、「今さら不慣れな IT で恥をかきたくない」というオッサンの「ガラパゴス的自尊心」が邪魔していると見ている。女性の場合は仲間内で盛り上がるために「ケータイ・メール」ぐらいは普及しているようだが、オッサンの場合はこの妙な自尊心が邪魔して、「そんな軽薄なことをするのは沽券に関わる」ぐらいに思っているようなのだ。

はっきり言おう。まさにこの構造、つまりオッサンの無意識に近い心的領域に存在する(だから理性的にはコントロールできない)「ガラパゴス的自尊心」こそが、日本の情報化を遅れさせる最大の要因であるとみて間違いない。

最後に一言。上の画像の "WHAT THE FAX" は、意味がわからない。

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2019/05/18

「温泉は熱いもんじゃ!」といわれても

朝日新聞の本日付記事に「別府温泉でお湯の温度をめぐる対立が続く。解決策は?」というのがある。"「修行のように熱い」と言う人もいれば、「熱いのが温泉」と言う人もいる" というサブタイトル付きだ。

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確かに別府には「熱湯好き」(この場合は特別に「あつゆ好き」と読んでいただきたい)が多いという印象だ。それも並みの熱さではない。記事のサブタイトルの如く、文字通り「修行のように熱い」のである。45度ぐらいでないと満足しない常連もいるらしい。

昨年末に大分県に出張した折に別府に泊まり、知人に勧められた「竹瓦温泉」というところに行ってみた。何だかアヤシい雰囲気の歓楽街を抜けて辿り着くと、ミニ歌舞伎座みたいな雰囲気のレトロな建物である。ここは別府のシンボルみたいな温泉施設ということで、「普通浴」(いわゆる浴槽に入る)と「砂湯」があり、実は砂湯というのを体験したかったのだが、この日は予約で一杯だったので「普通浴」というのに入った。

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何しろ昭和初期に建てられたというので、浴場もチョー・レトロである。で、一応体を流してから浴槽に入ろうとしたら、これがまたチョー熱い。思わず「あちちち!」と口走って水でうめようとすると、浴槽の一番奥の湧き出し口に陣取った温泉の主みたいなジイさんに「うめるな!」と一喝された。

このジイさん、「温泉は熱いもんじゃ。その辺はまだ一番ぬるいところじゃ!」と、赤鬼の如き形相でのたまうのである。しかたなくゆっくりと時間をかけて全身を浸し、心の中では「このじいさん、毎日こんな熱い湯に入ってたら絶対に長生きできないぞ」と呪いつつ耐えに耐えたが、5分ともたなかった。

こんなことがあるので、別府市営の浜脇温泉というところでは半年前に浴槽を「熱湯(あつゆ)」と「ぬる湯」に分割したというのである。この結果、熱湯好きとぬる湯好きの両方が喜ばれているようだ。めでたしめでたしである。

ただ、この措置はある程度の広さのある施設でないとできないことで、すべての市営温泉で浴槽を分割するのは不可能という。ということは、竹瓦温泉のあの赤鬼の如きじいさんは、相変わらず新参者を「うめるな!」と怒鳴り続けることになるのだろう。

それにしても、別府の湯の熱さは今どきとしては特別だと思う。上に掲げた新聞記事の写真でも、地元のジイさんらしいのは右側の浴槽(熱湯なんだろう)に集中して、左側はガラガラだ。

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2019/05/17

常総市の資材置き場廃家電火災のお粗末な事情

常総市にある資材置き場の廃家電火災は、2日経った今日の午後もまだ鎮火していないようで、黒煙が収まっていない。写真は午後 3時過ぎに我が家の近くから撮影したもので、一昨日の凄まじい黒雲のような様子と比べればだいぶ収まったが、まだかなり上空まで煙が立ち昇っているのがわかる。

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燃えているのはリサイクル用に野積みされていた廃家電で、東京新聞によると「現場にあった廃家電の保管状況が廃棄物処理法の施行規則に違反しているとして、県が昨年八月に改善指導していた」と、次のように伝えられている(参照)。

県廃棄物対策課によると、この資材置き場の場合、規則により、野積みした廃家電などの高さを五メートルより低くしなければならなかった。しかし、県が立ち入り検査したところ、実際には十メートルほどに達していた。

この資材置き場を管理しているのは「立東商事株式会社」という業者で、昨年 8月の県からの改善指導に対し、約 7カ月かけて保管量を減らすとの改善計画書を提出していたという。しかし出火当時は高さ 10〜20メートルほどに電子レンジや冷蔵庫が積まれていたというから、改善どころかますますひどい状態になっていたことになる。

2日前の「ものすごい黒煙から、列車事故まで」という私の記事に、消防団経験者のらむねさんが「こういうゴミは、電池やらバッテリーやらの化学物質の発熱・発火があるのが、木材と違って怖いところです」とコメントしてくれている。かなり危険な状態で廃家電が放置されていたわけだ。

これだけの大変な事態になったら、常識的には当事者が出てきてなんらかのお詫びコメントを発するなり事情説明を行ったりするのが当然というものだが、少なくとも 17日夜までにはそんなニュースは流れていない。東京新聞の記事には「立東商事の登記上の代表者の住所地にあるリサイクル会社は、本紙の取材に対し『担当者が不在で答えられない』と話した」とある。

要するに社員はバックレるし、肝心の責任者は雲隠れしてるというわけで、かなりお粗末な会社のようなのだ。

今のところ深刻な健康被害は報告されていないが、常総市では影響調査の結果が出るまでには時間がかかるとしている。今後は立東商事の管理責任が追及されるだろうが、きちんと責任を負えるような会社なのかどうか、さっぱりわからない話のようである。

 

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2019/05/16

世の中のイライラ感を高揚させないために

昨日から一泊二日で滞在した静岡の某ホテルは、「バイキング・スタイルの朝食」というのが売り物だった。まあ、北欧海賊スタイルの朝食ってわけじゃないというのは、2015年 11月 3日の記事で書いた通りで和製英語みたいなものなのだが、この言葉がシンガポールに輸入されて、彼の地ではフツーに通じたりするらしい。

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国際的には "buffet style" (日本的には「ビュッフェ・スタイル」と発音)というのだが、とにかくこの方式の朝食だと、ちょっと「お得感」があったりする。今日の朝食も、そういうわけで概ね満足だった。やたらベーコンだのソーセージだのという肉料理が多すぎるってわけじゃなかったし。

ただ、このスタイルにも問題はある。2018年 10月 17日の記事には次のように書いてある。

多くの人が食材を自分の皿に取るために列に並んでいるのに、4〜5人で 「まあ、サラダもいろいろあるのね、どれにしようかしら」 とか、「目移りするわねえ」 なんてキャアキャア言いながらちっとも前に進んでくれないのもオバサン連である。

そして散々迷いながら目一杯のおかずを皿に盛り付け、結局食い切れなくてどっさり残飯入れに捨てるのもまた、オバサンたちである。

まあ、私は世の「オバサン連」に対して偏見があるのかも知れないが、とにかく目の前のことで盛り上がって、後ろのことはちっとも意識してくれないのが困りものなのである。実際、オバサングループの並んだ後には大抵大渋滞が発生しがちだ。

今朝もそうした状況になってしまって、私は今月 11日に書いた記事を思い出してしまった。こんな件である。

追い越し車線をノロノロ走って、後ろに続くクルマに延々と迷惑をかけるのは、見たところ高齢の男性とフツーのオバさんが多い。バックミラーを見ることなんて 1時間に 1度もないんじゃないかと思われ、これもまた「知らずに犯す罪」の代表例だろう。

本当に、2車線道路なのに追い越し車線の方が遅いぐらいの時の感覚と、ビュッフェ・スタイルの渋滞でイライラする感覚はとても似ていて、原因にオバサンが多いというのも共通している。どちらも「後ろでイライラしている人たちことをちっとも意識していない」ことによって生じる案件だ。

というわけでオバサンたちに限らず、少しは自戒の念も込めながら、「後ろにも少しは気を使おうよ」ということを、私は声を大にして言いたいわけなのだよね。世の中のイライラ感を高揚させないためにも。

 

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2019/05/15

ものすごい黒煙から、列車事故まで

今日は珍しい光景を見てしまった。全国ニュースにもなったらしいので、テレビ画面で見た人も多いだろうが、私はなんと、火災現場からもうもうと立ち上る黒煙をナマで見てしまったのである。結構凄まじい光景だった。(参照

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我が家は現場の常総市とは隣り合わせぐらいに近い地域にある。ただ朝のうちはそれほど大騒ぎになっていない様子で、7時半頃に北に向かってクルマを運転し始めた時は、「めちゃくちゃ黒い雲が湧いてるなあ」ぐらいに思っていた。

ところが消防署の前を通りかかった時、消防車がおもむろに出動するところだったので、「どうやら、ありゃ火事だな」と思い当たった。それも並みの火事じゃない。煙がすごすぎる。何しろ湧き上がる黒雲と思ったほどだもの。

ただ、私はそのまま仕事先に向かってしまったので、詳しくはわからなかった。ところが昼過ぎに Google News で見ると、常総市の資材置き場で廃材が燃え続けているというではないか。午後 3時頃に帰途についた時もまだ煙は上がっていたから、もう呆れるばかりである。

それからまた家を出て、今夜は静岡に来ている。夕方の新幹線に乗るために上野東京ラインで東京に向かったのだが、今度はなんと電車が上野で止まってしまった。品川駅付近で人身事故が起きたため、東海道線、横須賀線、京浜東北線などが動けないという(参照)。一時はどうしようかと思ったよ。

しばらくして山手線が動いたので、なんとか新幹線には乗ることができてホッとした。何だか今日は身近でいろいろなことが起きすぎである。

 

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2019/05/14

関東ではイナゴの脚を取って佃煮にするらしい

下の写真は先日山形県に帰郷した際に買ってきたイナゴの佃煮である。子どもの頃はごくフツーのおかずで、よく食べていた。カリカリとした食感で結構おいしい。

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あまりフツーに食べていたから、小学校に入る前ぐらいまでは「イナゴって茶色の虫」だと思っていたほどである(ゴキブリじゃあるまいし)。小学校ぐらいになって、初めてイナゴは田んぼで網を振るえば獲れる緑色の虫だと知った。茶色になるのは砂糖醤油で煮付けるからである。

で、今回これを買って帰ったので(近所のスーパーでごくフツーに買える)、近所の知り合いと「イナゴの佃煮談義」になった。若い連中は「そんなの食べたことない」と言うが、私ぐらいの年配の者は大抵「ああ、昔よく食べたよね」と言って懐かしがる。

ところがその「イナゴの佃煮談義」で明らかになったのは、つくば周辺では捕獲したイナゴを袋に入れたまま一晩放置して糞を出させた後、一度熱湯に浸けて柔らかくし、一匹ずつ脚を取ってから佃煮にしたということである。まあ、脚を取ると言っても後ろの一番ゴツい脚だけのようだが。

私の故郷では糞を出させてから煮込むのは当然としても、上の写真のように脚なんか付けたまま煮込むから、「そんな面倒なこと、フツーしないでしょ」と信じられない思いである。ところがこの辺りの人はおしなべて「脚を取らないとチクチクして食べにくい」と言う。確かにチクチクすることはするが、私としてはその野趣こそがイナゴ料理の持ち味という気がするが、それは通じないようなのだ。

とはいえイナゴの佃煮如きでそんな面倒なことをするのは、にわかには信じがたいので、「イナゴの佃煮 脚を取る」の 2語でググってみると、多くの地方で脚を取ってから調理することが判明した(参照)。ざざむしさんという方のサイトの「イナゴは普通に食べ物やろ」という記事には次のようにある。

最近は脚に文句言う贅沢な人が増えたので羽と跳び脚をもぎましょう。
気にしない人ばかりの時は面倒なのでこの工程は必要なし。 

ということは、関東圏の人は(ざざむしさんがどちらにお住まいかは不明だが)、「脚に文句を言う贅沢な人」が多いということなのだろう。山形県の人間には本当に、贅沢この上ないことのように思えてしまう。

私の馴染んだイナゴの佃煮といえば、上の写真のように脚が付いたままのものだから、まさに「所変われば品変わる」である。

 

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2019/05/13

田舎を走ると、クルマのボディに虫がこびりつきまくり

クルマ好きと言われる人は、見たところしょっちゅう洗車してボディをピカピカにしているようだが、私といえば滅多に洗車なんかしない。多分 1年に 1度ぐらいしかしないと思う。

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今回は洗車ではなく、ボディ全体を雑巾で拭くというメンテを行った。というのは、先日母の法事で山形県酒田市の実家に帰ったので、ボディ、とくに前面に虫の死骸がつきまくりだったからである。フロントガラスにこびりつくとウォッシャー液ごときでは落ちないので、ガラス全面が虫だらけになってしまう。

虫というのは結構なタンパク源で、昔はイナゴの佃煮なんかがごくフツーに食されていたほどだから、クルマにぶつかって潰れると体液のタンパク質があっという間に乾燥して、本当に頑固なほどこびりつく。帰宅して改めて自分のクルマを見ると、ナンバープレートなんて虫だらけで悲惨なありさまだ。

こんな時、フツーのドライバーなら洗車するということになるのだが、私は虫の死骸がごくフツーの洗車なんかでは落ちないことを知っている。それで落ちるなら、ウォッシャー液でも落ちるはずじゃないか。

ネットなんかを見ると、世の中には虫落とし用スプレーなんてものがあるらしい。これを使うと洗車だけで簡単に虫の死骸が落ちるということなのだが、私はそんなものは使わない。ただひたすら雑巾で拭くだけである。あまり固く絞らずに拭くと、案外簡単に落ちるのだ。

あまりゴシゴシ拭くと塗装によくないという説もあるが、水分を多く含んだ雑巾で拭いて虫汚れをふやけさせてから、二度目に固く絞ったヤツで拭けばそれほど力を入れなくても落ちる。いくら何でも雑巾で虫を拭き取ったせいでサビが生じたなんてこともないだろうから、余計なことは気にしない。

それにしてもつくば周辺を走っただけではあんなに虫は付かないのだから、東北という地域はよほど虫だらけなのだね。それだけ自然が豊かということなんだろうから、まんざら悪いことじゃない。

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2019/05/12

年を取ると、疲れが遅れて出る

昨日は 10時間の運転にも体力がもったみたいなことを書いてしまったが、還暦を過ぎると疲れは遅れて出てくるもののようで、今日になってからどっと疲れたような気がしている。

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年を取ると筋肉痛が遅れて出てくるというのはよく言われる。確かに長時間運転し続けたので、腰に疲労が溜まっているような気がするが、この疲労感はそれとは別だ。

一昨日に 10時間運転して昨日はしっかり早起きできたものの、今朝はちょっと辛かった。起き上がっても、しっかりと覚醒した気がせず、いつまで経っても頭がぼんやりしている。日中も何かというと腰を下ろしたくなる。そして「ふう」とため息をつく。

起きていられないとか、仕事に集中できないとかいうほどでもないのだが、「ああ、早めに寝たいなあ」という気がいつもしている。これはもう、「寄る年波」というほかないのか。あるいは、今日は北東の冷たい風が吹き付けて急に寒い日になったことも関係しているかもしれない。

人にも 「tak さん、目が半分寝てるよ」と言われる始末である。というわけで、今日は早く寝る。おやすみなさい。

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2019/05/11

危ない運転って結構あるのだね

昨日の記事の末尾でもちょっと触れたが、ふと思い立った酔狂で、山形県酒田市から茨城県つくばの地までの約 500km の道のりを、高速道路を使わずに一般道だけを通って帰ってきた。朝の 9時半から夜の 7時半まで、ほんのわずかなトイレ休憩と給油以外はほとんど 10時間運転しっぱなしだった。

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私としても 66歳の立派な「前期高齢者」だから、初めは「一般道シバリ」なんて我ながら無茶なチャレンジだと思っていた。途中で「こりゃしんどいな」と感じたらいつでも高速道路に乗っかろうと思っていたのだが、自分の想定以上に体力が残っていて、最後までしっかり運転できたのだった。ちょっと自信をもっちゃったよ。

で、10時間も一般道を走っていると、高速道路とは別の意味で結構危ない運転や迷惑運転に遭遇する。直前に割り込まれて危うく急ブレーキをかけたのは 10時間で 5回(2時間に 1度の計算だ)もあったし、2車線道路の追い越し車線を走行車線よりノロノロ走って、後ろに延々と続くパレードを率いるクルマの影響も頻繁に受ける。

それとは対照的に 1車線の道路で、こちらとしても結構なスピードは出しているのに後ろからアオられるということも珍しくない。そんな時は、さっさと路肩に避けて先に行かせる。「危険運転で事故って死ぬなら、俺よりずっと先の方に行ってから死んでくれ」というわけだ。

道路上というのはかくまでもヤバい状態の現出するところというのを、身を以て再確認した。

ちなみに急な割り込みに関しては、危険を承知で意識的にチャレンジしてくるのはほとんど男性ドライバーで、ボウッと無意識にやってしまうのはオバさんドライバーに多いという印象だ。どちらが危ないかと言えば、無意識なオバさんの方が圧倒的に危ない。お釈迦様が「知って犯す罪と知らずに犯す罪とでは、知らずに犯す罪の方が重い」と指摘したのももっともなことだと思ってしまう(参照)。

追い越し車線をノロノロ走って、後ろに続くクルマに延々と迷惑をかけるのは、見たところ高齢の男性とフツーのオバさんが多い。バックミラーを見ることなんて 1時間に 1度もないんじゃないかと思われ、これもまた「知らずに犯す罪」の代表例だろう。

ところで、例の大津市の保育園児死傷事故のケースでは、無理な右折で事故の原因を作った容疑者(52歳の女性)が、前方不注意のまま前のクルマに続いて漫然と右折しようとした可能性が高いと報道されている(参照)。フツーは「前を見ないで右折するなんて考えられない」と思ってしまうが、昨日の 10時間の運転では、そんなようなケースにもしっかり遭遇した。日常的にも決してないことじゃないのである。

こちらは、危険運転のニュースが続いた後だけに意識して慎重な運転を心がけていたが、漫然と危険運転をするドライバーというのは、何があろうと漫然と運転するようなのである。これはもう「世の中そんなものなんだ」と諦めて、せめて自分だけでも安全運転しようと思うしかない。

 

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2019/05/10

PC データのバックアップぐらい取っておくべきでしょ

母の十三回忌で実家に戻っている間に、テレビでは高須クリニックの院長が別荘から金塊などを盗まれたというのが話題になっていた。そしてその後に、ノート・パソコンも盗まれていたことも明らかにされた。

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高須院長はさすがにセレブで、取られた金塊や現金にはあまり関心がないが、それでもパソコンが盗まれたことには悔しさ一杯だそうで、次のように語っているらしい。(参照

「今まで書いた原稿が全部入ってるんです。出版した本の原稿とか。あれはすごく痛い。データだけ返してって言いたい。買うけどいくらですかって」

この記事をネットニュースで読んで、私としてはちょっと啞然としてしまった。金を出して買い戻したいというまで大切なデータのバックアップを、彼は取っていなかったらしいのである。

私は自分の PC にセーブしてあるデータは、複数のクラウドにしっかりとバックアップを取ってある。そんなに金目のデータはないが、過去に作成したデータが仕事でどうしても必要になることがある。そんな場合に困らないようあちこちに同じデータを保存して、いつでもアクセスできるようにしているのだ。

そのくらいは、貴重なデータを取り扱う者として当然のことと思っていたが、どうやらそれほど「当然」というわけでもないみたいなのである。まだそうしたバックアップを取っていない方がいたら、さっそく 2つ以上(1つでは不安だから)のクラウドに保存しておくコトをお薦めする。

そうすれば、PC 本体を盗まれたり壊したりしても、新しく購入した PC でデータをしっかりと復活できる。

今日は酒田を朝に発ったときにふと思い立って、高速道路を使わず一般道だけを通って帰ってきた。約 500km の道のりに 9時間かかった。楽しかったがさすがに疲れたので、これにて失礼。

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2019/05/09

母の十三回忌を済ませた

今日は山形県庄内地方は一日いい天気で、鳥海山がきれいに見渡せた。下の写真は新井田川(にいだがわ)にかかる橋から見る鳥海山。まだたっぷり雪が残っている。若い頃は標高 2,230m と言われていたが、最新技術で測り直したところ、実は 2,236m あるのだそうだ。

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で、昨日の記事で書いたとおり、途中でちょっとドタバタが入ったが、予定通り母の十三回忌を済ませた。和尚さんはかなりお歳を召していたが、読経はまだまだ立派なものだ。座って読経するのが仕事だから、足は弱っても心肺機能はなかなか衰えないようなのである。

明朝に酒田を発って主に高速道路を辿り、夕方にはつくばの里に帰るつもりである。いつものことだが、天候に恵まれてよかった。ちょっと強行軍で疲れたので、今日のところはこれにて失礼。

 

 

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2019/05/08

ウチの寺が潰れちゃったのかと思ったよ

明日に母の十三回忌の法要を営むために実家に戻っている。相変わらずの晴れ男で、今日も明日も天気の心配はまったくないようだ。下の写真は、常磐道の途中、湯ノ岳パーキングで写した写真である。

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今回の道中はちょっとヒヤヒヤものだった。途中休憩したパーキングエリアから、明日に予約を入れてある旦那寺に確認の電話を入れたところ、呼び出し音すら鳴ることなく、いきなり「この電話番号はお客様の都合でつながらなくなっております」というアナウンスが聞こえる。ならばと住職のケータイに電話してみたところ、これも同様の木で鼻をくくったような応答だ。

「なんじゃ、こりゃ?」である。「寺、潰れちゃったかな?」ってなもんだ。先月の今頃に寺に電話した時には、住職自身が出て話がついていたのに、1ヶ月後に「お客様の都合で」つながらないってことは、きっと何かあったに違いない。住職も相当な年齢だから、何だか心配になってきた。

いずれにしても電話が通じないなら、今日のうちに寺に行って様子を見なければならないと思い、夕方 6時近くに寄ってみると、住職は寄る年波で動きはかなりヨレヨレになってはいたものの、一応無事でいた。「明日はちゃんと行くから、心配ない」という。

じゃあ、「お客様の都合でつながらなくなっております」というアナウンスは一体何だったんだ? 「こんな応答でしたよ」と念のため言うと、「え? そんな応答なの? そう言えば、この頃電話がかかってこないな。一体どうしたんだろう」などと呑気なことを言う。田舎とはいえ、令和の世とも思われぬ。平成をも通り越して昭和 30年代みたいな話だ。

下手すると、明日は身内だけでサクッと墓参りして帰らなければならないとまで思っていたが、まあ、予定通り法事は行えそうだ。寺もいわばサービス業なのだから、電話の管理ぐらいはきちんとしてもらいたいものだが、まあ商売上、浮世離れしているのも仕方ないといえば仕方ないかもしれない。

【5月 9日 追記】

今日になってよく確かめてみたら、銀行口座のナンチャラが変更になって、2ヶ月連続で電話代の引き落としができず、固定電話もケータイも止められてしまっていたのだそうだ。それに気付いていなかったというのだから、やれやれである。

 

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2019/05/07

Siri で遊ぶ

iPhone には Siri という機能があって、指を使わなくても言葉で話しかけて操作できる。例えば「Hey Siri、朝 7時に起こして」と言えば、アラームが 7時にセットされたりするというわけだ。

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ただ個人的には、この Siri という機能はほとんど使っていない。黙って指で操作する方が手っ取り早いという気がしているためだ。とくに屋外で操作する時は、iPhone に向かって "Hey, Siri" なんて言うのはこっぱずかしい。

ところが今朝目が覚めた時に、アップルウォッチ がどこにあるかわからなくなってしまった。夜寝る前にいつものように充電機にセットしたはずなのだが、見当たらない。そこで iPhone の Siri 機能を使って探してみようと思い立ち、”Hey Siri” と話しかけた。すると、一瞬「ご用は何でしょう?」という文字が現れる。

iPhone は日本語で応答しているのだが、そもそも ”Hey Siri” と話しかけたのがきっかけなものだから、ついその勢いで "Could you tell me where my Apple Watch is?" (私のアップルウォッチがどこにあるか教えてくれない?) と英語で聞いてしまった。ところが何と、Siri は英語を理解しないようで、こんなような表示になった。

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一体どう聞いたら「90周年は山家ポワチエ子」なんて聞こえるんだ。そして彼女は(Siri は声から判断すると女性のようなのだ)当然のように「すみません、よくわかりません」なんて言ってきたのである。米国生まれのくせに、英語が通じないのだね。

仕方がないので、「私のアップルウォッチはどこ?」と日本語で聞き直したところ、彼女は何事もなかったように「この近くにあります。tak さんの Apple Watch でサウンドを鳴らしてみます」と応えてくれ、すぐにベッドの下から 「リンリンリン」と小さな音が聞こえた。知らぬ間にベッドの下に落ちてしまっていたようなのである。

これで問題は解決したので、Siri が本当に英語がわからないのか調べるために、iPhone の「設定 - Siri と検索」の項目を調べてみたところ、「言語」というサブ項目があって「日本語」と設定されている。念のためこれをクリックしてみると、言語の候補として日本語のほかにアラビア語、イタリア語、オランダ語……とアイウエオ順にいろいろな言語が用意されているではないか。

例えば英語だけでも、アイルランド、アメリカ合衆国、イギリス、インド、オーストラリア、カナダ、シンガポール、ニュージーランド、南アフリカで話される 9種類の英語が登録されている。ふぅん、確かに経験則からして同じオセアニアでも、オーストラリア人とニュージーランド人の英語は結構違う。個人的にはニュージーランド英語の方が聞き取りにくい。

試しに言語設定を「英語(アメリカ合衆国)」にして同じように英語で聞いてみると、きちんと言ったとおりに認識してサウンドを鳴らしてくれた。なんだ、ちゃんと英語がわかるじゃないか。当たり前だが。

面白がってもう一度同じように聞いてみると、今度は "What a persistant guy!" (しつこい奴!)と思われたようで、"Allow me to direct Apple's fabulous website." (Apple の素晴らしいウェブサイトに案内するわね)と交わされてしまった。どうやら英語版の 「Apple Watch を探す」ページに案内されるらしい。

ついでに今度は敢えてモロにカタカナ英語で「クドゥユーテルミー、ホエアマイアップルウォッチイズ?」と聞いてみると、彼女には "Do you turn on me who am i" と聞こえちゃったらしく、「私は誰?」みたいなタイトルの映画を 5本提示して、”Which one?" (どれのこと?)と聞いてきた。なるほど、米国人にはカタカナ英語は通じにくいのだね。おもしろいなあ。

というわけで、最終的には Siri の言語設定は「日本語」に戻しておいた。ちなみに Siri の声も、男性と女性の 2通りから選べるようなのである。

 

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2019/05/06

遅ればせながら、フェアトレード・コーヒーに鞍替えした

私は結構なコーヒー好きだと思う。と言っても、よくいる「徹底したこだわりのコーヒー好き」というわけではなく、とにかく何杯も飲んでしまうというだけで、そこそこおいしければあとは文句は言わない。

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ただ、それなりにおいしいコーヒーを飲みたいという欲求はあるわけで、何でもいいというわけじゃない。どうせ飲むならインスタント・コーヒーは論外だし、昨年の今頃「コーヒーは豆で買うに限る」という記事を書いた程度の贅沢はしてもいいと思っている。

そして最近、遅ればせながらフェアトレード・コーヒーというものに乗り換えたので、「遅すぎだよ!」と言われるのを覚悟で報告申し上げる次第である。本当に我ながら完全に乗り遅れと思うのだが、フェアトレード・コーヒーを豆の状態で売る店が近所に見つからず、長らく購入する機会を失っていた。そしてついにしびれを切らして Amazon で探して買ったというわけだ。

今回の豆は、斎藤コーヒーという店の「メキシコ マヤビニック」というもの。200グラムで 1,289円だから、結構お高い。ただ他のコーヒーが途上国の小規模コーヒー生産農家にかなりの犠牲を強いて生産・流通していることを思えば、コーヒー好きとしてはこのくらいの負担はしても罰は当たらないと思う。(参照

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この豆はフェアトレードというだけでなく、有機栽培されたものという。缶にあけてみると、見慣れたコーヒー豆よりずいぶん艶々していて薫りもよく、それだけでかなりそそられる。

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ミルで挽いて淹れてみると、何だか赤ワインに近いような色合いだ。一口飲んでみるとかなりさっぱりしていて、苦みは少ない。とはいえ、後効きするようなコクがしっかりしている。心持ち的にも風味的にも、引っかかる感じがない。こんな類いのコーヒーは初めて飲んだ。

私としては、「こりゃ、おいしいじゃないか!」と思ったのである。こんなにおいしくて、フェアトレードであることによる潔い心持ちがするなら、今後ずっと飲み続ける価値がある。鞍替え決定だ。

 

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2019/05/05

盛大な音を立ててそばをすする「そば喰いナショナリズム」

Twitter で注目の話題をまとめて紹介してくれる Togetter に "問:観光に来たフランス人が蕎麦屋で「そばを啜る音が不快」と言った時、食文化は変容していくべきか?" というのがある。冒頭の写真のフランス人は「僕の隣でそばをすすって食べられると、音が気になってイライラする」とコメントしている。

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このテーマに関する日本人の反応は、音を立ててそばをすすることも含めて日本の文化」「人の国の文化にケチをつけるな」「そんなに気になるなら、イヤフォンでフランス国歌聞きながら食べよう」など、圧倒的に国粋主義的なものが多い。最近の日本人の右傾化と関係があるんじゃないかと思うほどで、私はこうした傾向を「そば喰いナショナリズム」と呼んでいる。

私は過去にもこのテーマで何度か書いている。代表的なのが、12年も前の「蕎麦は禅的食物かもしれないが」という記事だ。虎ノ門の近くのそば屋で、アメリカ人らしき男性グループのリーダー格の男が、そばがいかに深遠で禅ブッディズムのフィロソフィーを体現した食べ物であるかをとうとうと力説(もちろん英語で)していた。

ところが実際にテーブルにそばが供されると、そのリーダー格も含めて全員すすることができず、ただひたすら「モグモグ」と悪戦苦闘していたというお話である。幽玄なまでのそばの哲学を極めても、すするという実技まではモノにしていなかったようなのである。

個人的経験則からしても、外国人にはそもそもそばをすすることができない人が多い。「多少は音を立ててもいいんだよ」と助言しても、「本当か? からかってるんじゃないだろうな」と、信じられないほど疑い深い。

「それは西洋人だけの傾向じゃないか」という人もあるだろうが、私は昨年、その疑問への答えのような「平壌冷麺も、すすりこまずにもぐもぐ食うもののようなのだ」という記事を書いている。北朝鮮を訪問した韓国の文在寅大統領が金正恩と仲良く平壌冷麺を食べる姿は、日本人の目にはとてもぎこちなく映った。

絡み合う長い麺に絶望的に手をこまねく文在寅の静止画像(参照)は「閲覧注意」と注釈をつけたくなるほどだし、器に覆い被さるようにして妙にチマチマと麺をたぐる金正恩の動画(参照)も、ちょっと異様だ。私はこれらを見て、平壌冷麺は一生食うまいと心に決めた。

いろいろな要素を総合すると、私は「そばは盛大に音を立ててすするべし」なんて言いたいとは思わない。そばをことさらに音を立ててすするようになったのは、ラジオが普及した昭和中期以後からだという説がある。ラジオの中継では身振りが見えないので、噺家が蕎麦をすする音を大きめに演出したのが、そもそもの始まりらしい。

というわけで落語ではやたら盛大な音を立てて演じられるが、実際にはかなり控えめに「ツルツル」程度の音ですする方が差し障りがない。隣の席で傍若無人に「ズルズルッ」とやられたら、日本人の私でも「おいおい、ちょっと控えておくれよ」と言いたくなってしまう。

「日本の貴重な文化なのだから」と、あたかも免罪符を得たカソリックの如くやたらと盛大にやるのは、過剰な「そば喰いナショナリズム」と思ってしまうのだよね。

 

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2019/05/04

トイレのペーパーホルダーに新品を交換セットするか

Twitter で、猫アカデミー@調和征服さんが職場のトイレのペーパー交換について tweet しておられる(参照)。ロールが使い切られたまま、誰もホルダーに交換セットせず、新品に手が付けられた状態で放置されていることが目立つという。ちなみに猫アカデミー@調和征服さんは、週に数回交換されるそうだ。

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女性用トイレについてはあずかり知らないが、男性用トイレでは確かによくあるケースである。ホルダーにセットされたロールは芯だけになっていて、横ちょの棚の上などに新品から自分の分だけ使ったのが無造作に置いてあったりする。こんなケースで私は猫アカデミー@調和征服さん同様に、自らホルダーに交換セットする派だ。

この tweet の最後に、「女性用トイレの状況はわからない」との一文があり、それについていずれも女性かららしい 3件のコメントがある。2件は「女子トイレではあまりない」というものだが、1件は「女子トイレにもしっかりある」としている。興味深いのは、次のようなコメントだ。

紙がくっついて引っ張りにくくなる最終版の段階でホルダーの紙は新品に替えてしまい、少ない方は筒ごと手に持って貼り付いた紙をはがせるようにホルダーの上に置いておく、という別次元の進化形がたまにあったりします。 

これと関連すると思うのだが、「これが男性用トイレ固有の現象なのかどうかが知りたい」という猫アカデミー@調和征服さん自身のコメントに付けられた sino さんという方からの孫コメント(と言うのかな?)に次のようなものがある。

ありますよ、女子トイレでも。これ前に別のところで話題になったんですが、換えた方がマナーか、換えない方がマナーかって。この手の交換って手を洗う前の作業じゃないですか、人が換えた物使えるかどうかによるらしくて 

なるほど、この考え方に関連して、自分が使った後にペーパーの先端を三角に折りたたんでおくなんていうのがもてはやされたりしたことがあったが、これに関しては私も、手を洗う前にそんな余計なことをされたらかえってイヤな気分になる。ただ、トイレットロール自体を交換するのは「あり」と思うのだよね。

この tweet に付けられたコメントを見ると、女性用トイレに関して、職場のトイレでは放置はあまりみないが公共トイレ(ショッピングモールなど)ではよく見かけるというのがある。職場という狭いサークル内では周囲を気にして交換セットするが、他の公共トイレでは気にしないという女性が存在するようだ。その点、男は職場内でもあまり気にしない。これ、ちょっと興味深い現象である。

 

 

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2019/05/03

新天皇にみる新しい皇室像を歓迎

新天皇が多くの海外メディアで「近代的で語学堪能な環境保護活動家」といったトーンで紹介されているようで(参照)、あの日本会議系の期待する天皇像とはちょっとズレがあるようだ。個人的には歓迎したい風潮である。

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上に掲げた写真のリンク先の Hufinngton Post の記事では、次のように触れられている。

ドイツのTV局Deutsche Welle は「海外留学をし、キャリアウーマンと結婚し、英語を話し、ジョギングを楽しみ、ヴィオラを奏でる『近代的』な新天皇陛下」だと紹介した。

シンガポールの TV局 CNA は、皇太子時代の 59歳誕生日の会見で述べられた次の言葉を引用している。

その時代時代で新しい風が吹くように、皇室の在り方もその時代時代によって変わってくるものと思います.....古くからの伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたいと思います。

右派系の信奉する「天皇」が、自らとてもリベラルな路線を選択されているということは、歴史的にみても大きな意味を持っている。今後は右派も自ら路線を変更して時代に対応していくか、あるいはあくまでもスクゥエアな国粋主義路線を堅持してある種の自家撞着に陥るかという 2つの道の間で選択を迫られるだろう。

平成後半頃から、右派系の人間が「最近の天皇の言動はおかしい」などと呟くことが多くなっているようだ。まさに自家撞着そのもののように思える。時代と共に妥当なあり方を模索することを忘れることの方が「おかしい」のだと気付くべきだと思うのだが。

 

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2019/05/02

未だ書き慣れぬ「令和」てふ文字

令和の御代になって 2日目、デジタル・テキストとしては何度も「令和」とタイプしたが、まだ 1度も手書きしたことがないと気付いた。そのうち何かの機会に手書きで書かなければならないこともあるだろうから、試しにサクッと書いてみた。下手くそな字だが、右が筆ペン、左がボールペンで書いたものである。

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全然こなれない。どうやら難易度の高い 2文字のようで、全体のバランスがなかなかとりにくい。書き慣れるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。

それにしても、間違えて「平成」と書きかけても、「平」という字の 3画めまでに気付けば、途中から「令和」に書き直せるという話には笑わせてもらった。「そんなやつ、いないだろ」とツッコミたくなるネタではある(参照)。

思い返せば、「明治 - 大正 - 昭和 - 平成」と、3シラブルと 4シラブルの年号が交互に続いてきたので、次は 3シラブルになるのだろうと、なんとなく予想してはいた。明治の前をさらに遡れば、「慶応 - 元治(読みは「げんじ」)」 となるのだから、それが伝統なのだろうという気までしていたのである。

しかしよく調べてみると、その前は「文久 - 万延 - 安政」と 4シラブルが 3回続き、さらにその前が「嘉永 - 弘化 - 天保 - 文政 - 文化」なのだから、何も決まったシステムというわけでもない。たまたま「元治」以来そうなっているというだけなので、短絡的な思い込みは危険ということだ。

激動の時代だからいろいろなことが起こるだろうが、後世に語り継ぐのに「令和の〇〇」というのがあまり悪いことにならず、ハッピーなものになるようにと祈るばかりである。

さらに言えば、私の両親がいずれも昭和 1桁生まれで、私も妻も、そして 3人の子どもたちに至るまで 3代続けて昭和生まれ(末娘は辛うじて昭和 62年生まれ)なのだから、昭和という時代は長かったのだなあ。

 

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2019/05/01

「マツエク 60本 2000円〜」という表示のインパクト

下の写真は近所の美容院(らしい)の外観である。複合店舗の 2階にあり、店名は "CUT HOUSE" (直訳:「切られた家」!)とだけ表示してある。

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で、その隣の窓にあるのが、「マツエク 60本 2000円〜」という表示だ。意味不明ながらかなりのインパクトで、一瞬クラッときた。

冷静に想像すれば、多分 「まつげエクスなんちゃら」の略なんだろう。いくら何でも「まつげエクスポート」じゃないだろうし、「まつ毛エクササイズ」も意味不明だし、一体何だろう。

帰宅して iPhone を取り出し、「マツエク」でググってみると、検索結果はなんと 983万件にもなった(参照)。ただ、それらのタイトルをみる限りでは正体が漠然としていて、意味を了解している者にのみ意味のある検索結果である。

ただ「マツエク、まつげエクステ販売 キャンディポケット」なんてページが 2番目に表示されているので、「これって『まつげエクステンション』なのかなあ」なんて思えてしまうのだ。「まつ毛伸ばし」って、一体何なんだ?

"Extension" は基本的には周知のごとく「延長、拡張、伸張」という意味合いなのだが、英和辞書を引くと、語義のかなり後ろの方に 「《複数形で》(ファッション用の)付け毛、エクステンション」というのがある。そう言えば確かに、髪の毛の方の「付け毛」を「エクステンション」というよね。

その流れで恐ろしいことに、「付けまつ毛」(フツーの英語では "false eyelashes")が「マツエク」になってしまうのか…… と思いきや、実はそんな単純なことでもないようなのだ。

さらに調べると、「付けまつ毛」と「マツエク」は別物のようなのである。"BEAUTY PRODUCTS" というサイトの「まつげエクステンションとは」というページには次のようにある。

「つけまつげ」は、皮膚に化粧品糊を使って直接貼付けるものですが、「まつげエクステンション」は、皮膚から 1-2ミリ程度離して1本のまつげに装着します。

また、つけまつげと大きく異なるのが毎日自分で取り外すものではなく、一度に片目で約 20本~100本近い仮毛(エクステンション)を専門の技術者に装着してもらい、2週間以上装着を保ちます。

つまり、既存の「自前まつげ」1本 1本に人工のまつげを付け足すというのだ。うーむ、女子の世界にはオッサンの想像力では計り知れないエキセントリックなことがいくらでもあるようなのだ。私だったらそんな細かい装着作業には、神経が耐えられそうにない。

翻って微笑ましいのは、「マツエク 60本 2000円〜」という表示が A4 のコピー用紙に 1文字ずつプリントしたものを並べて貼ってあるとしか思われないことだ。「マツエク」なんて、オッサンには「余計なコスト」としか思われないが、その訴求には極力コストをかけないのだね。

 

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