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2019年6月に作成された投稿

2019/06/30

"Windows" が 「ういんどーず」と発音されることについて

今月初め、「企業名の表記と発音(キヤノン、キユーピーなど)」という記事を書いた。「キヤノン」と書いて「キャノン」、「キユーピー」と書いて「キューピー」、「シヤチハタ」と書いて「シャチハタ」と読ませるなど、表記(「ヤ、ユ、ヨ」が大きい文字)と発音の異なる企業がかなり多い。

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一方、この記事でも触れているが、「富士フイルム」は表記も発音も「フイルム」で、「ある意味潔いことである」と書いたところ、「富士フイルム地元民」のらむねさんから、「フイルム」で既に固有名詞化しているとのコメントをいただいた。日常会話でも「フイルムに勤めています」「フイルムが無くなると市の財政がヤバイ」なんて言うそうだ。

表記も発音も「フイルム」なのは、「昔の人は 『フィ(fi)』の発音ができなかったから」などと言う説もある。確かに昔は、「ファン心理」と「不安心理」の区別のつかない人はいくらでもいた。なるほど、「それならいっそ『フイルム』と書いてしまえ」と決めたのは、さらに潔いことである。

ただ、「キヤノン」や「キユーピー」「シヤチハタ」などは、いくら昔の人でもちゃんと発音できただろう。「お客様」を「お規約さま」に聞こえる言い方をする人はいないし、「急病人」が「杞憂病人」に聞こえたら(「死やれ」じゃなく)洒落にならない。

ただ、「ウィ」や「ウェ」の発音だけは、今でも「うい」「うえ」になることが多いようなのだ。例えばマイクロソフトの OS、"Windows" は、IT 系の仕事の人ほど「ういんどーず」と平板アクセントで発音しているような気がする。このあたりは「富士フイルム」を「フイルム」で固有名詞化してしまった「地元民」とも共通する意識を感じる。

新しめの言葉でも、"Windsurfing" はウェブで調べるとほとんどが「ウインドサーフィン」(「ウィンド」の「イ」が大きい)という表示だ。何しろ「日本ウインドサーフィン協会」というのがあるぐらいのものである。「サーフィン」は「サーフイン」じゃないのだから、ビミョーにダブルスタンダードである。

そういえば、「ウイークデー」「ウイスキー」「ウインタースポーツ」などと言うのは老いも若きも変わらない。「ウェ」となるとさらに顕著で、「weight(重量)」は 体重別競技の場合、平板で「ウエート制」と言わないと通じない。ピーターパンに出てくる "Wendy" も「ウエンディ」で定着している。「ハードウエア/ソフトウエア」や「レディスウエア/カジュアルウエア」なども同様である。

そうかと思うと、ジーンズの "Edwin" は社名表示が「エドウイン」だが、みんな「エドウィン」と読んでいる。ドラッグストア・チェーンの「ウエルシア」もフツーは「ウェルシア」と呼ばれている。

なかなか一筋縄ではいかない奇々怪々さである。

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2019/06/29

「コーヒー好き」の裾野の広大さ

私は一応「コーヒー好き」のつもりでいるのだが、一応自分で豆から挽いてドリップしたコーヒーを 1日に何杯も飲むというだけで、世の中の「こだわりのコーヒー党」みたいに豆の選び方からネルドリップの仕方まで細心のこだわり方をしているわけではない。だから、「コーヒー好き」としてはお恥ずかしいほど大雑把な方だと思っている。

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ところで先日、仲間内でコーヒーの話題になったのだが、そこに居合わせた全員が「自分はコーヒー好き」と任じているのだった。しかしその中身はピンからキリまでで、私のような「豆から挽いて飲む」というのは、その場では「最高レベルのコーヒー好き」ということにされてしまった。

なんと世間では「インスタント・コーヒーを 1日に 2〜3杯飲む」という程度でも、平気で「コーヒーが好き」と言い放って構わないようなのである。それどころか「自分はコーヒー好きだから、缶コーヒーが欠かせない」と言うオジさんまでいる。

申し訳ないが私の個人的な認識としては、「インスタント・コーヒーを飲む程度で『コーヒーが好き』とは、ちょっとお恥ずかしくて言えない」と思っている。さらに缶コーヒーとなると「ただ甘いだけで、コーヒーとはいえない」という認識だから、本当に心の底から驚いてしまった。まあ、好き好きだから批判するつもりは毛頭ないのだが。

そこに居合わせた「自称コーヒー好き」の、コーヒーの飲み方のバリエーションは、ざっと次のようなものだった。

  • 一応豆から挽いて淹れて砂糖なしで飲むが、それ以上こだわるつもりは毛頭ない(これ、私)。
  • 普段はインスタント・コーヒーだが、たまには贈答品としてもらったレギュラー・コーヒーを淹れて飲む。カロリーが気になるので、砂糖は控えめ。
  • 家ではインスタント・コーヒーしか飲まない。砂糖は 2〜3杯。(これ、圧倒的多数派)
  • 家ではインスタント・コーヒーで、外に出たら缶コーヒー。店では「アメリカン」。砂糖はたっぷり。
  • インスタント・コーヒーと缶コーヒーがほとんど。
  • とにかく甘ければいい。

「とにかく甘ければいい」ということでも「コーヒーは好き」と言えるのだから、「コーヒー好きの裾野」の広大さは驚くべきものがある。

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2019/06/28

「七五調感覚」さえ不確かな日本人

一昨日の「日本人のアクセント感覚の不確かさ」という記事で、かなり多くの日本人のアクセント感覚がはなはだアテにならないことについて触れ、「アクセント感覚を磨くには、結構訓練が必要」と結論づけた。

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それと同様に「七五調感覚」というか、日本語のリズム感みたいなものも、きちんと身に付けるには訓練が必要ということに最近気がついた。日本語を使いながら日本で暮らしている日本人は、物心つけばいやでも自然に七五調感覚が身につくものと思っていたが、あながちそうとばかりは言えないようなのだ。

上の画像の左 2つは駅名を左から読むと「五七五七七」の短歌調になり、右は上から読むと「五七五」の俳句調になる。これに自然に気付く人はよほど「七五調感覚」が身体化された人で、フツーの人はほとんど無意識のようなのだ。

ちょっと前に、まったくの初心者を対象とした「俳句教室」というのを覗いてみたことがある。私は「五七五七七」の短歌は毎日詠んでいる(参照)が、「五七五」の俳句にはちょっと苦手意識があるので、改めて基礎から学んでみようと思ったのだ。しかしこの講座、こう言っちゃナンだがレベルが低すぎてちっとも勉強にならなかった。

講師の話が一通り終わってから参加者が 1人 1句作って提出し、講師の評を仰ぐ。ところが提出された作品のかなり多くが、習ったばかりの「基本のキホン」から外れまくっている。「季重なり」が多いのは予想できたことだが、そもそもお約束の「五七五」でさえなく「五七七」になっちゃってるのが、どういうわけかメチャクチャ多い。

例えば「花見の日春風吹いてコーヒーを飲む」なんてのがやたら目立つのである。講師に「五七五になっていなくて、季重なりでもありますから、言葉の順序を変えて『花見の日コーヒーを飲む風の中』にすれば解決しますね」なんて添削され、指折り数えて初めて「あ、そうか!」なんて言い出す。小学生ぐらいなら、それもありだろうけどね。

「五七五」のリズム感覚ぐらい、まともな大人になれば自然にカラダに入っているものと思っていたのだが、どうもそうじゃない。聞いて瞬時に「五七五」と「五七七」を識別できる人というのは、案外少ないみたいなのである。ちなみにこの人、どこが季重なりなんだかまではわかっていない様子だった。

言葉に関する意味や感覚がきちんと身体化されている人って、実は驚くほど少ない。勘違いしていたり無意識だったりすることがかなり多いというのが、近頃よくよくわかってきた。

言葉を問題なく使っても、必ずしもその真意が伝わらないというのも、むべなるかなである。プレゼンなどで「あ、これってまともに通じない人や勘違いして逆に受け取る人がいるな」というのが経験則としてわかってきたので、そんな場合にはちょっとクドいほど言い方を変えて説明しなければならないのだよね。

 

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2019/06/27

令和初の台風が既に「台風 3号」だなんて

夕方前に外出先から帰宅してニュースを聞くと、日本の南岸を進んできた熱帯低気圧が台風に変わったと言っていた。「令和初の台風」なんていうから「台風 1号」なのかと思ったら、既に「台風 3号」なのだという。じゃあ、1,2号は 5月になる前に発生していたのか。

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驚いて早速 Wikipedia にあたってみたら、台風 1号(パプーク)はなんと、今年の 1月 1日に発生している。前年の 12月 30日に発生した熱帯低気圧が、年をまたいで台風 1号になっていたのだ。

1月 1日に台風が発生したのは、1951年の統計開始以来初めてのことなんだそうだ。そうだろうね。1952年生まれの私も、そんなのは初めて聞いた。「温暖化もここまできたか」と思うばかりである。Wikipedia によると、この台風のその後はこんな具合だ。

やや発達しながら西に進み、タイランド湾を通過したのち、4日 21時頃にタイ南部のクラ地峡に上陸した。その後、5日 0時前に東経 100度線を通過して気象庁の観測範囲外となったため、台風からサイクロンとなった。台風が東経 100度線を通過してサイクロンになるのは 1997年の台風 26号以来約 21年ぶりである。

統計 100度線より西に行っちゃうと気象庁の管轄外になって、呼称も「台風 (typhoon)」ではなく「サイクロン(cyclone)」になるというのも、今日初めて知った。というわけで、今年の台風 1号は、日本への影響がなかったので大きなニュースにはならなかったが、実は異例ずくめの台風だったようである。

そして 2月 19日にマーシャル諸島近海で発生した熱帯低気圧が発達して、20日に台風 2号となった。23日には「非常に強い」勢力となり、マリアナ諸島近海で中心気圧 925hPa・最大風速 50m/sと、2月としては中心気圧が最も低い台風となった。

その後 24日には台風は一旦勢力を落としたものの、25日に再発達し、中心気圧 915hPa・最大風速 55m/sの「猛烈な」勢力となった。とにかく、観測開始以来、2月の台風としては最も強い台風だったらしい。

こうして見ると、平成最後の 2つの台風は、かなり異例な動きを示していたようなのである。「令和初の台風」となった 3号も、その延長にあるのだろうから油断できない。夜になって、つくばの地でも風の音がかなり大きくなった。

とにかく最近の天気は極端から極端に振れがちだから、警戒が必要である。ちなみに今回の台風 3号のアジア名は、セーパット(Sapet)と名付けられたそうだ。

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2019/06/26

日本人のアクセント感覚の不確かさ

今朝、このブログの「人気記事ランキング」という項目 (右のサイドバーの下の方にある)をふと見ると、"「サギ = 鷺」 のアクセントに関する 「まともな」 レポート" という昨年 8月の記事がトップに挙げられている。これまではこの記事が注目されたことがあまりないので、ちょっとびっくりしてしまった。

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NHK のアナウンサーが鳥の「鷺 (サギ)」を平板型アクセントで読んでいたことに驚いて、『NHK 日本語発音 アクセント新辞典』というので調べてみると、なるほど、平板型アクセントなのだった。「鷺 ≪×鷺≫(鳥) サギ」の右上に平らな線がついているので、上げも下げもせず、平板に発音することとなっている。

ところがこの記事を書いた昨年 8月に「鷺 アクセント」のキーワードでググってみたところ、その時点でトップに表示されていたのが「鷺のアクセント」というページで、そこには次のように記されていた。(昨年 8月の記事でも触れたが、敢えて再度触れておく。画像はクリックすると別画面で拡大表示される)

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今ではありがたいことに、同じキーワードでググると、私の 8月の記事がトップに表示されて、当時トップだったこの記事は 3番目までランクダウンしている。現在 2番目の「サギのアクセント 」という記事も、「平板型」と、正しく書かれていて、ホッとしている。

上の画像のように書かれたページについて、私は次のように批判している。

この人、日本語のアクセント (イントネーションというべきという議論もあるが) ということがわかっていない。まず NHK のアナウンサーの 「鷺」 が、「ぎ」 の字をわざわざ大きく書くように聞こえたという点で、完全に耳がおかしいし、重ねて 「平坦アクセントだったかな? 」 というのだから混乱が深まっている (「平板型」 という用語を知らないようだし)。

さらに「早速調べてみた」 結果の解釈が滅茶苦茶だ。おそらく冒頭の写真で紹介した NHK の辞典を見たのだろうが、右上に平らな線が付いているのを見て、「ギ」を高く発音するものと誤解したのだろう。上げ下げする場合は「/」「\」の印で表されるということは、そのすぐ下の「さぎ【詐欺】」の項目を見れば明らかなのに、どうしてそこに気付かんかなあ。

私が今日、改めてこの問題を蒸し返しているのは、「人間の感覚ははなはだアテにならないもの」と言いたいからだ。とくにアクセントに関する感覚がどうしようもないほどひどい。

この「どうしようもないほどひどい」のは、上述のブログの筆者だけでなく、私の周囲の多くの人も同様のようなのである。同じアクセントを聞いて、それが「頭高型」なのか「平板型」なのか「尾高型」なのか、咄嗟には聞き分けられない人が結構多いのだ。

平板型の「サギ」を聞いて「ギ」が高く聞こえちゃう人は、実はかなり多い。普段「頭高型」だと思い込んでいたせいで、平板型を聞くと「尾高型」に聞こえてしまうようなのだ。自転車で急坂を下りきって平坦路に差しかかったとたん、一瞬登り坂に錯覚してしまうようなものかもしれない。

これ、私が現在住んでいる北関東の特殊性(茨城、栃木は、アクセント感覚がメチャクチャな地域として有名)なのかと思っていたが、実は北関東がとくにひどいのはご想像の通りとしても、全国的にかなりひどいものだというのが、経験知としてわかってきた。

アクセント感覚を磨くには、結構訓練が必要みたいなのである。

 

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2019/06/25

コンデジを使わなくなって 5年になってしまった

2017年 2月 15日に、「コンパクト・デジカメ市場の縮小」という記事を書いている。この頃、私は ”COOLPIX S9700” という機種(下の写真)を使っていて、「光学 30倍という結構な望遠機能があるし、ど素人としては今でもちっとも不満がない」と書いている。

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最近はこの "Toda's Crack" でも写真をフィーチャーするようにしているが、2016年 8月頃まではよほど必要に迫られた場合以外は、基本的にテキストばかりのブログだった。しかしもう一つの「和歌ログ」というのは、そのずっと前の 2004年頃から写真入りで書いていた。もっとも、当初は今よりずっと小さなサイズでの掲載だったが。

そんなわけで私は 2004年から 2014年の秋頃までの 10年以上、ほぼ毎日コンデジ(コンパクト・デジタルカメラ)を持ち歩いたいたのである。ただひたすら「和歌ログ」のために。

しかし 2014年の 10月 9日に iPhone 6 を入手したときから、コンデジはほとんど家に置きっぱなしになった。iPhone のカメラ性能が、ブログの写真撮影程度には必要十分になってしまったからだ(参照)。

そんなわけで、最近はせっかくの「光学 30倍の望遠機能」をもったコンデジを、机の横の棚に置いたまま、手を触れることもなくなっていたのである。これを買ったのも多分、iPhone 6 と同じく 2014年頃だから、すでに 5年ぐらい経っている。そしてこの 5年のうち、まともに使ったのは最初の 1年足らずでしかないというわけだ。

まったくもう、「宝の持ち腐れ」である。いや、実際には既に「宝」ですらなくなっているようなのだが。

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2019/06/24

肉も食わないし、マグロやウナギも食わないのだ

「知識連鎖」というサイトに本日付で "ベジタリアンの肉食批判「畜産が飢餓を助長」「食糧不足」は嘘?" とい記事が発表されている。"マグロはなぜ鶏肉より10倍も高い価格なのか?"、"ベジタリアンの肉食批判「畜産が飢餓を助長」「食糧不足」は嘘?"、”肉食のせいではない…世界で飢餓が起きている本当の理由” という見出しが目を引く。

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私は肉食を止めてかなり経つ。肉を食べないのは、先月 25日付の「長生きしたくて肉食を避けてるわけじゃないので」という記事に書いてあるように、ある意味倫理的な理由からだ。

「米国人と日本人が 5回に 1回肉料理を減らすと、世界から飢餓がなくなる」という短絡的なプロパガンダがあるが、ことはそんなに単純なわけじゃない。しかし肉食の増加が世界の食糧事情を圧迫するのは確かなことだから、私は「やぁめた!」と言っているわけである。

世界の貧困国で飢餓が発生するのは食糧不足からではなく、干ばつや戦争などの理由によるものだとの指摘もある。しかしその干ばつなどの気候変動も、昨今の自然破壊との関係が深く、戦争にしても限られた資源の奪い合いから発生する側面がある。

短絡的な見方をすれば肉食と饑餓は直接的因果関係では結ばれないが、視野を拡大すれば環境問題が回り回って饑餓をもたらすことは否定できない。「肉食が饑餓の原因ではない」というテーゼ自体も、それはそれ、結構短絡的な理窟には違いないのである。

さらに肉食だけでなく、マグロなどの養殖においても、「マグロを 1キロ太らせるのに必要な餌の量が生魚換算で 15キロ程度必要」と言われていて、「牛肉 1キロに穀類が 7キロ」というのよりタチが悪い。しかしだからといって、私としては「マグロを食うより肉を食う方がマシ」とは考えない。

このブログでも何度も書いているが、私は肉を食わないだけでなく、マグロもウナギも食わないことにしているのである(参照)。二者択一というのもまた、「短絡的な理窟」にほかならなず、「ブーメラン」になってしまう。両方遠ざければいいだけの話だ。

要するに、込み入って面倒な背景のある食い物は、食わない方が気が楽だということだ。

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2019/06/23

トイレットペーパーの「使い切り」とは

最近はビジネスホテルでもエコ関連の取り組みが進んできていて、バスルームのトイレットペーパーも、使い切るまで新しいロールに交換されない場合が多い。滞在中に使い切ったら、棚の上にある新品のロールを自分で装着するというシステムが一般的になった。

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昨日までの出張で宿泊した「スーパーホテル」という全国チェーンのビジネスホテルは、かなり前から "LOHAS"(Lifestyles of Health and Sustainability)を売り物にしていて、エコ対策では先進的な企業である。バスルームのトイレットペーパー・ホルダーにも、その旨の断り書きがしてあって、私がチェックインした時には、ロールがかなり小さくなっていたが、これで苦情を言ったら野暮というものである。

ちょっと前まではほとんどのビジネスホテルで、トイレットペーパーは常に新品がホルダーに装着されていた。ということは、前の客がチェックアウトする度にロールを交換していたのだろうから、その無駄はかなりの量になっていたはずだ。

昨日、このホテルでの朝食の際に、隣のテーブルの客が誤ってコップを倒して水をこぼしてしまった。こんな場合、昔だったら従業員がティッシュボックスをわしづかみにして駆けつけて、20〜30枚ぐらいの束をごそっと引っ張りだし、それで水を拭き取っていたものである。

しかし昨日はテーブル拭きのクロスをもった従業員が来て、さりげなく拭き取って始末していた。時代は変わって、これが今のスタンダードである。

ただ惜しむらくは、上の写真のトイレットペーパーホルダーに貼られたシールの表示で、「トイレットペーパーの使い切りにご協力お願いします」という日本語の下に "Please use up the toiletpaper till the last." とあることだ。これ、トンデモ英文である。

「(滞在の)最後までにトイレットペーパーを全部使い切ってください」としか読み取れず、エコとは真逆の意味になってしまう。これ、フツーは二泊や三泊しても無理な話だから、事情を知らない外国人客は、「なんでまた、そんなに大量にトイレットペーパーを使うことを強制されるんだろう?」と思うことになるだろう。

どうしても英語で言わないと気が済まないなら、"Toiletpaper rolls are not replaced everyday due to our LOHAS operation. New one is on the rack behind you." (私どもの LOHAS 的運用に沿い、トイレットペーパーは毎日交換されません。新しいロールは後ろの棚にあります)ぐらいになっちゃうのかなあ。これならいっそ、"New roll is on the rack behind you." だけにする方がすっきりするよね。

まあ、そもそも日本語表示の方にしても文字通りに読んだら「全部使い切れ」ってことになり、言葉不足であることに違いはないのだが。

 

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2019/06/22

今回の出張は、晴れ男の本領発揮。次回はどうか

出雲への出張を終えて戻ってきた。先週半ばから週間天気予報を見ていた段階では、今日の出雲地方は曇りのち雨ということだったが、ずっと薄曇り、時には薄日がさすという天気で、傘をさすことは全然なかった。

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逆に、夜に取手駅に着いてバスに乗ると小雨が降り始め、途中では本降りになった。さしもの晴れ男の私も、「バス停からは家まで降られるしかないかな」と覚悟していたが、バスを降りると雨は止んでいて、結果、一日中傘をささずに済んだ。晴れ男は梅雨時でもしぶとい。

ネット・ニュースを見ると、「来週 梅雨前線ついに北上、活発化 大雨のおそれも」という日本気象協会発のニュースがあった。「本州から南に離れて停滞していた梅雨前線が、ついに本州付近まで北上してきます」ということで、ようやく本格的な梅雨に突入するらしい。

そんなわけで今回の出張はギリギリ雨には降られずに済んだが、再来週、7月初めに信州の山の中に出張しなければならない。さあ、次回も晴れ男のしぶとさを発揮できるか、今から楽しみである。

 

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2019/06/21

JAL と羽田空港第1ビルに関する偏見

私は国内を飛行機で移動するとき、できれば JAL ではなく ANA を使いたいと思っている。その理由は単純に、ANA に乗っている方が居心地がいいということだが、もうちょっと詳しくは、2016年の 2月 9日に次のように書いている(参照)。

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1つめの理由は、「JAL の CA のお姉さん(あるいはおばさん)の、あの己の顔面に自信たっぷりにべったりと貼り付けたような、ことさら度満点の作り笑顔と、『お客様』を鳥肌が立つような猫なで声で『うけくせめ』と発音する言い方が気持ち悪過ぎる」こと(実はこれは最近、かなり改善されてマトモになってきつつあるが)。そして 2つめは ANA の機内音楽 "Another Sky" (葉加瀬太郎 作曲)が素敵なことだ。

ところで今、出雲に出張中なのだが、羽田から出雲空港までの便は JAL のみで、ANA は選択できない。しかたなく JAL の便に乗ってやってきた。

とにかく私が JAL を敬遠したいのは上述の如くとても情緒的な話でしかないので、JAL 系の発着する羽田空港第1ビル(ANA 系は、羽田空港第2ビル)というのも、多分偏見がだいぶ混じっていると思うのだが、ちょっと苦手である。それほどごった返すほどの混雑というわけでもないのに、なぜかスムーズに歩きにくいのだ。

とにかく前をよく見ないで歩く人が多いので、こちらが常に注意して身をかわさないと、頻繁にぶつかられそうになる。あるいは狭いところをびっしり塞いで立ち話しているおばさんグループが多く、「ちょっとすみません」と小声で言ったぐらいではなかなかどいてもらえない。

「江戸しぐさ」なんてものを論じたウェブ・ページには、江戸っ子は混雑したところを通り抜ける時、「肩ひき」と言って、お互いにちょっと肩を引いて道を譲り合うなんて、ごく当たり前のことがもっともらしく書いてあったりする。そして羽田空港第1ビルの中を歩くときだけは、私までマジに江戸しぐさを説きたくなったりしてしまうのである。

さらに言えば、小さな子どもが金切り声で叫ぶのをたしなめない親が多く、いつもうるさい。待合所で自分の座った座席の隣に荷物を置いて、2人分占領するおばさんやおねえさんもやたらと多い。また保安検査場の列に並ぶと、チケットのバーコードを機械に読み取らせるのがお下手な人の比率が高く、列がなかなか前に進まない。

ANA の発着する羽田空港第2ビルだと、こうしたことはあまり多くなく、スムーズにことが運ぶような気がするのだよね。既に述べたように、多分に偏見が混じっての印象だとは思うのだけれど。

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2019/06/20

Windows 7 のサポートが来年 1月で終わるとやらで

巷では「Windows 7 のサポートが来年 1月で終了」というのがずいぶん話題になっている(参照)。周囲にもまだ Windows 7 を使い続けているのがいくらでもいて、「ということは、もう買い換えなきゃいけないのかなあ」とか「バージョンアップしろったって、Windows 10 って、ぱっと見、違いすぎちゃって ・・・」とか言いながら困惑している。

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何しろ私は、勤務先では MS-DOS 時代からの PC ユーザーで、自分で購入した最初の PC の OS も Windows 3.1 だったというほど年季が入っちゃってる。そして Windwos 95、98、2000、XP、Vista、7 と乗り換えてきた。そういえば、勤務先では Windows NT なんてのを使った時期もあったなあ。

私としても、Windows 7 は Microsoft 開発のものとしてはかなり使いやすい OS だったとの印象を持っている。そんなわけで、Windows 7 から 8 に切り替わった直後の 2014年 1月、ついに「そんなわけのわからない OS、使わされてたまるか!」とばかりに見切りを付けて、Mac に乗り換えたのだった。

実は昔から「自分は本来、Mac ユーザーであるべきだった」との忸怩たる思いを抱き続けていたので、これで自分のホームグラウンドに戻ったような気がしたものである。で、それ以来ハッピーに使い続けているというわけだ。

私としては困惑している Windows 7 ユーザーたちに 「悪いこと言わないから、Mac に乗り換えな」と薦めたい気持ちで一杯である。しかしその一方で、彼らが Mac ユーザーになることなんて、まずないだろうと確信もしている。

彼らは要するに、「自分で決断するくらいなら、困惑し続けてる方がまだ安心」というタイプなのだろう。Windows 7 をずっと使い続けて Windows 8 へのバージョンアップを意識的、あるいは無意識的にパスし、そしていきなり Windows 10 への乗り換えを強いられるというのだから、「決断することに抵抗がある」としか言いようがないではないか。

とはいえ、まあ、何だかんだ言っても多くのユーザーは「困惑しつつも長いものに巻かれていたいのだろう」と解釈することで納得している。そして彼らは Windows 10 以降もずっと困惑しつつ、晩年はスマホで暮らすことになるのだろう。

 

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2019/06/19

せっかくの秀逸な「人生論」だったのに

本日の TBS ラジオ 「伊集院光とらじおと」がなかなか面白かった。とくに例のピエール瀧の裁判の件に関する伊集院のコメントが秀逸だった。

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ピエール瀧がコカイン使用の罪で起訴され、このほど判決が出たのだが、小野裕信裁判長は判決の後の「説諭」にあたり、「人生」と毛筆で書かれた写真資料を示し、「これからの人生をどうしたいか。人生の言葉の持つ意味は。人生と書いてくれた人の期待にあなたは応えられているか」と問いかけたという。

この説諭は異例の長時間に及んだというのだが、ここで確認しておきたいのは、「説諭」の読みは「せつゆ」であるということ。その意味は大辞林では「悪い点を教え諭(さと)すこと。よく言い聞かせること」とある。まあ、難しいことはいいから、とりあえず「せつゆ」という読みをきちんと頭に入れてもらいたい。「諭」という字は「論」と似ているので、くれぐれも見間違わないように。

で、この件に関して、伊集院光は語り始める。「その昔、尾崎豊が捕まった時、三遊亭圓生師匠が弟子を集めて説教した際に、師匠が『尾崎トヨ』と連発したので、『トヨ婆さん』ばかり気になって、せっかくのいい話が耳に入りにくかった」

とまあ、かいつまんで言えば、こんな前フリだった。

で、話は裁判長の「説諭」に出てきた「人生」(ピエール瀧の所属する「電気グルーブ」の前身のバンド名)に移る。裁判長はこの「人生」というバンド名をモロマジに捉えてお説教してしまったようだが、伊集院によるとこのバンド、お説教のネタになるようなお上品な代物ではなかったらしい。

Google 検索で動画を当たってみると、こんな感じだったようだ。画像をクリックすると YouTube の動画に飛ぶが、とりあえず「閲覧注意」とのお断りだけはしておこう。(ウィルスに感染するとかいう意味じゃないので、その点はご安心を)

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伊集院は、「人生」というバンドの実態を知っていたので、「トヨ婆さん」が気になって仕方がなくて、圓生師匠の説教が耳に入りにくかったのと同様に、「右に寄っちゃったモノ」(上のビデオをご覧いただけばわかる)が気になって、裁判長の説諭(クドいようだけど、読みは「せつゆ」ね)もなかなかマジには受け取りにくかったようなのである。

ただ残念なことに、伊集院は裁判長の「説諭」を「せつろん、せつろん」と連発してしまっていたので、カーラジオを聞く私としてはこれが「トヨ婆さん」や「右に寄っちゃったモノ」以上に気になってしまって、せっかくの秀逸な「人生論」が耳に入りにくかったというわけだ。本日一番の残念なネタである。そもそもこの読み違い、スタジオの誰も気がつかなかったみたいなのだよね。

で、この話にはオチがあって、私がこの話を今日の夕方、妻に語ったとき、「ピエール瀧」をよりによって「ポール牧」と言い違えてしまい、「残念以下」のお粗末になってしまったのだった。既にあの世に行かれたポール牧さん、ゴメン。

ちなみに「人生」の曲の聴けるソノシート(!)は一番上の画像のように、ネット上のオークションで 4,300円の値段が付いているらしい。

それから、こんな tweet もあった。せっかくの指摘だが、「漢字は同じでも違う場合が多い」って意味不明(そもそも漢字、同じじゃないし)。別に法曹界の用語に限らず、一般論としても「説諭」に「せつゆ」以外の読みはない。

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【6月 20日 追記】

まったく余計な話だが、私が「ピエール瀧」を「ポール牧」と言い違えたというのは、まだ「オモムキのある間違い」のようで、世の中には「電気グルーヴ」と「電撃ネットワーク」の区別が付いていない人というのも結構多いらしいと、今日になって知った。

 

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2019/06/18

”Tandle" =「スリムでイケてる」というチョー個人的英単語

長年間違いに気付かず「これで OK」と思ってきた「ちょっとしたこと」というのが、誰にでもあると思う。「ちょっとしたこと」だけに、間違っていると意識されるようなことさらな機会もなく、ただずっとそんなものと思い込んできただけに、ひょんなことからそれが間違いと知った時のショックは、個人的には結構大きい。

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今日という今日、私が気付いた「ちょっとしたこと」の間違いというのは他でもない、ボサノバの名曲『イパネマの娘(The Girl form Ipanema)』の歌詞である。それもしょっぱなの冒頭部分だ。

Tall and tan and young and lovely
The girl from Ipanema goes walkin'

この 1行目(「背が高くて小麦色に日焼けして、若くて可愛くて」)の部分、遠い昔の 10代の頃の私の耳には "Tall and tandle, young and lovely" というように聞こえていて、それからほとんど半世紀というもの、ずっとそういう歌詞だと思い込んでいたのである。

”Tandle” なんて単語はほかで聞いたことがないが、私としては「スリムでイケてる」みたいな意味のスラングなのだろうと思い込んでしまっていて、ずっと辞書を引いてみようとも思わなかった。だって、こんなにも "and" でずらずらと続ける歌詞があろうとは思わなったのだもの。

ところが改めて "tandle" でググってみても、そんな単語は英国マンチェスターの "Tandle Hill Country Park" という景勝地以外には全然ヒットしないじゃないか。画像検索してみると、ボサノバとはマッチしないイングランド北部の清涼感のみが売り物っぽい土地である (参照)。

慌てて歌詞をググってみて初めて、私の耳に "tandle" と聞こえてしまっていたのは "tan and" の部分だったと気付いた。そしてさらに、間違いと知った後も私の耳にはややもすると、"Tall and tandle, young and lovely" と聞こえてしまうのだよね。長年の思い込みとは恐ろしいものである。

これ、上の画像をクリックして改めて聞いてもらえばわかると思うが、ビミョーに "tandle" と空耳できないこともない。まったくの見当外れというわけでもないと思っていただければ幸いである。アスラッド・ジルベルトの「つぶやくような」歌声だから、そう聞こえちゃったのかなあ。

というわけで、ふと気付けば私の脳内には ”tandle" =「スリムでイケてる」というチョー個人的英単語がしっかりと刻み込まれてしまっているのである。要するに意図しないまま、たまたまできてしまった造語でしかないのだが、結果としてはなかなかどうしてイケてる語感という気はしてしまう。

せっかくだから何とかして世界に広めたいと思うのだが、まあ、無理だろうね。

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2019/06/17

ラウンドテーブル・トークの苦行

還暦を過ぎて、もうそろそろ 7年にもなるというのに、相変わらず早食いである。人と一緒に食事をしても誰よりも早く食い終わってしまうので、手持ち無沙汰でしょうがない。だから食事会なんて時には、時間をもたせるためにできるだけ会話をしながら食べることになるが、それでもやっぱり早食いになってしまう。

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昨年の 4月に 「ゆっくりメシを食うことができないカラダなので」という記事の最後に、次のように書いた。

ただ、いくらなんでも人と一緒にメシを食っても、あっという間に食い終わってしまうので、間が持たないことがある。こればかりは何とかしたいのだが、ゆっくり食うことができない体なのでコントロールできない。

仕方なく食わずに話をすることになるので、tak はメシを食うときによくしゃべるなんて思われているようだが、そうでもしないと場が持たないのだからしかたがない。

というわけで前置きが妙に長くなったが、今回は 「食事の際の会話」というテーマで書こうと思う。

早飯しかできないカラダの私にとって、一番気の重いのが西洋式の正式なフルコースの食事である。前菜から始まって順を追っていろいろなメニューが運ばれて来るのだが、自分のペースで食うとあっという間に一皿平らげるので、よほど注意して周りのペースに合わせないといけない。仕方がないから、まあ、いかにもオシャレに「会話を楽しみながらの食事」をしているフリをしてきた。

ところがどういうわけか、日本人との「お食事会」って、こうした席での会話が弾まないのだよね。「これはおいしい」だの「これ好き」だの「嫌い」だの、「どこそこの何とかは、これよりずっとうまい」だの、目の前の食い物に関する即物的な話題に終始してしまいがちで、文化的というか、ソフィスティケイティッドな話題に進まないのだ。

乏しい経験だが、欧米人(と言っても英語以外の外国語ができないので、米国人と英国人がほとんどだが)との食事だと、英語でしゃべるのにはちょっとしたストレスがないわけじゃないが、結構いろいろな方面に話題が飛んで、「飽きない会話」が楽しめる。こういうの、"round table talk" というらしい。

それに欧米人はガツガツ食うので、こちらが意識して合わせなくてもペース的に楽だ。ところが日本人相手だと、食うスピードは遅いし、日本語だからしゃべることそのものには苦労がないが、肝心の会話の内容が食い物そのもの以外に弾んでいかないしで、ちょっとしたストレスになる。

というわけで私はますます「tak はメシを食う時に、関係のない話題でよくしゃべる」と思われてしまう結果になるようなのだ。このことに、還暦を過ぎて数年経ってから初めて気がついた。個人的には、刺身を食いながら刺身の話に終始して何が楽しいのだと思うのだが。

というわけで、最近の私はちゃんとした食事会の席では、周囲の「これはうまい」だの「どこそこの何とかは絶品」だのというどうでもいい話に、うんうんと頷きながら、ただひたすらゆっくりと食べることに集中しているのである。これは食事のスピードと話の内容の両面で退屈極まりなく、かなりの苦行なのだよね。

 

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2019/06/16

「働く= 傍 楽」「おもてなし = 裏表なし」は、洒落にとどめておこう

"「働く」は 「傍楽」が語源" とか "「おもてなし」は「裏表なし」” とか、ベタな語呂合わせにもっともらしい意味をこじつけた精神論が昨今の流行りのようだ。3日前に取り上げた(参照)「ハタコト」という妙な企画でも「”働く” という言葉に、はた(傍)を、らく(楽)にするという意味があるように」 なんて謳われていたし、これはもう、日本の慢性的風土病みたいなものかもしれない。

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試しに「働く 傍 楽」という 3つのキーワードでググってみると、出てくるわ出てくるわ、何と 219万件もヒットしてしまった。まあ、この中には 「働く = 傍 楽 は誤り」とするページも相当数含まれるのだろう (私のページもその中にあるはず)が、少なくともその 7割以上は「働くとは、傍を楽にするという意味」と高らかに礼賛する「トンデモ」なページのだろう。すごいなあ。

この「働く 傍 楽」を東の横綱とすれば、西の横綱は文句なく「おもてなし」だろう。例の「おもてなしとは裏表のない心」という主張だ。私は 三年前にこのトンデモについて連続して書いている。こんな記事だ。

おもてなし」の語源が「裏表がない」とは、乱暴すぎる (2016/04/24)
おもてなし」の「語源」 について、再び  (2016/04/28)

後篇の 4月 28日の方の記事には、次のように書いている。

誤解されないように言っておくが、私は「裏表のない心でもてなす」ことに異議を唱えているわけではない。そのように解釈してそのように実行するのは、なかなかいいことである。ただし、"「おもてなし」の「語源」は「裏表なし」" などという寝言を言うのだけはやめてもらいたい。「語源」とさえ言わなければ問題ないが、それを言った時点で、おのれの無知をさらけ出したことになり、せっかくの 「深イイ」 が台無しになる。

例えば「『働く』とは、傍(はた)を楽にすることですよ。周囲のために働くという気持ちが大切ですよ」とか言うのは素敵だ。しかし、"「働く」の「語源」は「傍を楽にする」" なんて言ってしまったら、その瞬間、アウトだ。まあ、この誤解もネット上に溢れていて、かなり気持ち悪いのだが。

というわけで、私は「傍を楽にする」や「裏表のない心」という主張に異を唱えているわけじゃない。そうした心でコトをなすのはなかなか素敵だとさえ思う。しかし真っ向から「語源」だとか「元々はそうした意味」とか言われてしまうと、「そりゃ、違うだろ!」と言うほかない。「深イイ洒落」ならいいが、それを語源と言い張られては、いくら何でも気持ち悪いじゃないか。

こうした「日本の風土病」を意識して辿ると、どうやら「江戸しぐさ」的思想に行き当たるようなのである。江戸しぐさというのは、「傘かしげ」とか「肩ひき」とかいう、「江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学」なんてことにされているが、その実、なかなかアヤシい。Wikipadeia を読むと、そのアヤシさがよくわかる (参照)。

江戸しぐさが秘密結社によって継承されたとか、江戸開城の際にその継承者の多くが新政府軍によって虐殺されたとかいう話になると、それはもうファンタジーとしか言いようがない。「働く 傍 楽」「おもてなし 裏表なし」がファンタジーであるのと同様である。

そもそも、傘をさしてすれ違う時に互いの傘をひょいと外側に傾けるという「傘かしげ」なんて、特別なことでもなんでもなく、私は誰に教わらなくても昔から自然に実行していた。ただ、「どうして皆、こうしないんだろう?」という不満は確かにあり、そうした不満がその昔、「江戸しぐさ」というファンタジーに昇華されたということはあるかもしれない。

「ちょっとした深イイ」をことさら真っ向から礼賛しすぎては、洒落にならない。元々は洒落から出た話なのだから、洒落にとどめておけばよかったのに、あまりマジに言い過ぎるので「野暮」になってしまうのである。

 

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2019/06/15

iPhone での「モバイル表示」というもの

iPhone でココログを閲覧する場合に「モバイルサイト」という形式 (下図の右側)で表示されるようになったのは、2010年 8月 3日からのようだ (参照)。ところがどういうわけか、私の iPhone ではずっと PC で閲覧した時と同様の形式 (下図の左側)で表示され続けていて、つい 1ヶ月ぐらい前から急にモバイルサイトが表示されるようになった。

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確かにモバイル表示の方が文字が大きく表示されて読みやすいが、PC 表示だって画面をチョイチョイと操作して拡大すれば読みやすくなる。そしてモバイル表示だと、サイト内検索、他の記事のコメント、人気記事ランキングなどが表示されないという制限があるし、さらにデザイン的にも絶望的に美しくない。

そんなわけで私は「うっとうしいなあ。iPhone でも PC 表示で見るには、どうしたらいいんだろう」と、ずっと思っていた。で、最近そのやり方がやっとわかったので、報告させていただくことにする。まだ気付かないでいる方も多いと思うので、好きな表示でこのブログを読んで戴きたいというわけだ。

まず、モバイル場面の右上の上向き矢印のあるアイコンをクリックする。

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すると、次のような表示が現れる。ここで、下の方の段の「PC 版サイトをリクエスト」という名前のアイコンをクリックすると、一番上の図の左側のように、パソコンで見るのと同様の表示にすることができる。字が小さいと感じられたとしても、いくらでも拡大できる。

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問題は、いちいちこんな面倒な操作をしなくても PC 版サイトが初めから表示されるように、それをデフォルト設定にしてしまいたいのだが、その方法がわからないということだ。まだその方法がないのであれば、ニフティには設定していただきたいし、あるのであれば、どなたか教えていただきたいものだ。

【追記】

iPhone 画面の一番下右側の 「・・・」というアイコンをクリックしても「PC 版サイトを見る/モバイルサイトをリクエスト」というメニュー項目が表示されるのを確認した。これでも本文で紹介した操作と同じ結果を得られるが、ほんの数日前までは、この操作ではこんな項目は表示されなかったと思うんだけどなあ。

 

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2019/06/14

不思議なまでにナイーブな「コウペンちゃん」の世界

昨日は阪急電鉄の「ハタコト」企画に関するちょっと嫌みな記事を書いてしまったが、今日は対照的な話題である。西武鉄道の「コウペンちゃん」というキャラクターが妙に好評 (参照)だというお話だ。

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「コウペンちゃん」というのは、るるてあさんというイラストレーターが創作したキャラクターだそうで、「出勤してえらい!」「電車にのってえらい!」「いつもがんばってるのみてるよー!」「きみのおうえん隊!」という、とても「肯定的」なコピーが添えられているという。これって多分、「皇帝ペンギン」の洒落なんだろうね。

昨日のネタの「ハタコト」は、もっともらしさを装った押しつけがましさが不興を買ってしまったようだが、西武鉄道のコウペンちゃんの方はもっともらしさなんてどうでもよくて、ひたすら「可愛らしさ」を前面に押し出している。日本人ってどういうわけか、こういうのにはヨワいみたいなのだよね。

しかも添えられるコピーが、まるで「ほめて育てる」みたいな感覚の内容で、「電車にのってえらい!」だの「出勤してえらい!」だのは、いくら何でも子どもだましすぎると思うのだが、これがなぜか反感を買わないみたいなのだ。不思議なまでにナイーブな世界である。

ちなみに「ナイーブ」というと、『大辞林』で引くと「純真なさま。また、物事に感じやすいさま。素朴」と説明されていて、どちらかといえば「悪くない言葉」と思われている。しかし英語になると、”Wisdom English Dictionary” では ”naive" は「世間知らずの、単純【愚直】な、だまされやすい、お人好しの、(考え方などが)浅はかな」と、散々な意味になる。

副次的な意味として「純粋な、無邪気な」という語義も申し訳程度に添えられているが、おしなべて英語の ”naive" という言葉はほとんどいいイメージでは用いられれない。「あんなナイーブな人とは、一緒に暮らせない」なんて言って、離婚の理由になるほどである。

というわけで、このコウペンちゃんというのは、英語的感性で捉えるか、日本語的感性で捉えるかによって、印象がかなり違ってくる。私は 40代の頃、英語のプレス・リリースを日本語に翻訳するという仕事を数年続けたことがあるせいか、日常生活にもかなり英語的感性が紛れ込んでしまうところがあって、「コウペンちゃん」にはずいぶんな違和感を覚えてしまうのだよね。

さらに言えば、ちょっと考えすぎかもしれないが、同じ企画を関西の電車で展開しても、関東で得られるような好評は期待できないと思う。おしなべて関西人は関東の人間より「ナイーブ」じゃないと思われるからだ。この直観、多分「当たり」だと思うが、どうだろう。

ああ、またしてもちょっとだけ「嫌み」になってしまった。

 

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2019/06/13

「ハタコト」企画のパラドキシカルな結果

阪急電鉄とパラドックスという企業のコラボによる「ハタコトレイン」と称する「広告ジャック企画」が炎上したという話に関連して、今さらのように「これはちょっと、何か書かなけりゃいかんな」という気がしてきた。例の「50万円で生き甲斐がなくて、30万円で楽しみ云々」とかいうやつだ。

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まず、阪急電鉄がどうしてまたこんな妙な企画を始めちゃったのかということだが、多分、パラドックスという企業から猛烈なアタックがあって、つい口車に乗ってしまったんだろうと想像するのだよね。この企画によって、阪急電鉄の企業ブランディングが向上するとかなんとか、わかったようなわからんようなプレゼンを受けたんだろう。

結局のところは、「そんな企画に何の意味があるのか、さっぱりわからん!」と言っておけばよかったのだが、つい「わかったような雰囲気」にもっていかれて、阪急電鉄内部でも舞い上がってしまったのだろう。こうした企画のプレゼンは、「クライアントをいかに舞い上がらせてしまうか」が重要なポイントなのだ。

で、阪急電鉄がうまい具合に舞い上がってくれたので、この「ハタコトレイン」企画は実現したわけなのだが、問題はこんな企画を最終的に押しつけられるのは阪急電鉄の乗客なのだということまでに、阪急電鉄、パラドックスの両者の思いが至っていなかったということなのだね。

朝の通勤ラッシュの電車内で、上の写真で紹介されたような言葉を読まされる身にもなってみるがいい。「よく言うわ!」ってなわけで不愉快になるのが当たり前だろう。まったくもって、フツーに考えればわかる単純な話なのだが、パラドックスという会社は最終ターゲットを見誤ったのだ。

この企画の紹介ポスターに、「”働く” という言葉に、はた(傍)を、らく(楽)にするという意味があるように」とあるが、それに対して Twitter で yasudajukucho さんという人が「そんなもんない」と一刀両断に切り捨てている(参照)。これに対するふゆひー9さんの「江戸しぐさ的な何か」という絶妙のコメントを見て笑ってしまったので、ついジョークのレスを付けてしまった (参照)。

「傘かしげ」なんていうのに代表される「江戸しぐさ」というのは、根拠のない空想、創作というのが大方の見方だが、この「ハタコト」もそれに類したものとみるのが妥当なようだ。

パラドックスという企業は、「企業ブランディング」に関するエキスパートであるらしい。簡単に言えば「企業イメージを上げるマーケティング」、とくに新規採用などにおける会社案内や会社紹介ビデオなどを、それらしく上手に作るのが得意な会社とお見受けする。

ちなみに世の中では、この新規採用時ほど企業側の論理が一方的な強さを発揮する機会はほかにない。パラドックスという会社はこうした世界で成功しすぎたせいで、より広い「世間の空気」というものを読めない体質になってしまったのだね、きっと。

というわけで、今回の企画はまさに「パラドキシカル(逆説的)な結果」に終わってしまったってことだ。

 

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2019/06/12

つくば市内で売り出されるとても「知的」なマンション

この写真、今日ポスティングされていたつくば市で売り出されるというマンションの広告の一部である。つくば市という「石を投げれば博士にあたる」といわれる「研究学園都市」の物件だけに、「√2」が「ひとよひとよにひとみごろ」であるという、物件には直接関係なさそうだがとても「知的」なコピーが、真ん中にでかでかと記されている。

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「知的」であることを売り物にするだけに、広告の上部にも「IQ」の文字がどでかく踊る。ただしこれはちょっと紛らわしいことに、 ”International Quality” ということであるらしい。「つくばの人は、やっぱりつくばの中心を選びます」とのコピーも効いていて、私をして「ああ、つくばの僻地に住んでいて悪かったな」と思わせるに十分である。

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さらによくわからないのは、このマンションの名称であるらしい "LEBEN TSUKUBA CORIS" ("CORIS" は「こありす」と読むらしい)の文字の上に "Memorial" の文字があることだ。「あれ、これって新築マンションの広告じゃなくて、何かの追悼施設の広告だったの?」と思ってしまったよ。

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販売業者としては「記念碑的なまでの意味のあるマンション」というつもりなのかもしれないが、この言葉はフツーには過去のことを思い出させるイメージだよね。例えば "memorial service" と言ったら「追悼式典」とか「(仏教の)法事」みたいな意味になってしまう。少なくとも新築マンションのキャッチ・コピーにふさわしい前向きな言葉じゃない。

このマンション、まあ、売れないことはないんだろうが、本当に知的な人は笑ってパスしちゃうんじゃなかろうか。物件は他にもいろいろあるんだし。

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2019/06/11

"NO WAR/NO ABE" を反語的に解釈すれば

Twitter を眺めていたら、ドーピングパワーズさんという人の tweet が妙に注目されていた。7,000人の人が集まって "NO WAR/NO ABE" の人文字を作ったというイベントがネタにされている。(下の画像をクリックすれば、元の tweet に飛べる)

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最近こんな人文字イベントがあったのかと思い、調べてみたところ、実は 2015年 9月 13日に広島で行われたことらしい(参照)。4年近く前の話を蒸し返されるのだから、今どき何をするにも油断ができない。

このイベントで作られた "NO WAR/NO ABE" の人文字は、余計なお世話で "," を足してあげて "NO WAR, NO ABE" として読めば「戦争しなけりゃアベじゃない」あるいは「戦争しないアベなんてあり得ない」という意味になる。"No music, no life" (音楽がなけりゃ人生じゃない、音楽のない人生なんてあり得ない)というような言い回しと同様だ。

で、tweet 元のドーピングパワーズさんは、次のように書いている。

バイリンガルいわく
「これだけ戦争推進しといて9条反対(笑)?」
このアホらはノーとつければ反対らしいです。

まあ、知り合いか何かのバイリンガルがこんな風に言ってるというのだが、この程度の英語は安易に人に頼らず、ちゃんと自分で解釈してもらいたかったところだ。というのは、"NO WAR/NO ABE" というテキストはいろいろに読み取れちゃうからである。バイリンガルだからといって、頼りにし過ぎちゃいけないのだ。

「戦争しないアベなんてあり得ない」と読み取ったとしても、その裏には「アベを指示し続けていると、そのうち戦争になっちゃうぞ」、すなわち「戦争がイヤなら、(かくまで戦争好きの)アベを指示しちゃいけない」という反語的な意味が込められているとみるのも十分に「あり」だ。

イベント主催者側としてはひたすら単純に「戦争にノー!/アベにノー!」を突きつけたかっただけなのだろうが、そのままちゃんとした英語として読んでも、素朴すぎる解釈から脱却すれば帰するところは同じになる。これは多分、たまたまだろうけど。

というわけで、表面的な解釈のみで鬼の首でも取ったようにはしゃいではいけないという教訓である。ただ、反語のスローガンなんてややこしすぎるから、あまりオススメできないのは当然だが。

 

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2019/06/10

北京がベイジンであることと、東京がトンジンであること

6月 6日の「日本人の名前のローマ字表記は、姓が先か、名が先か」という記事には思いのほかたくさんのコメントが付いたが、その中でひろゆき王子さんの、日本の固有名詞についてのコメントが気になった。

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こんなコメントである。

北京、東京、上海、大阪、が
にぽん人は
ベイジン、とうきょう、シャンハイ、おおさか
なのに、中国人は
ベイジン、トンジン、シャンハイ、ダーパン
なののほうが気になります。
とうきょう、おおさかと呼んでほしい。地名なんだから

まあ、日本人は北京のことを大抵は「ペキン」と読むだろうが、中国人は「ベイジン」と言うようだ。英語圏でも最近は "Beijing" と表記するようになっている。

ただ、1963年のアメリカ映画『北京の 55日』では、サウンドトラックを聞いても "Fifty-five days at Peking" と歌われている。ということは、この時点のアメリカ人は "Beijing" ではなく "Peking" と言っていたようなのである。これが ”Beijing” に変わったのはいつ頃だったのだろうと気になって調べてみた。

英語版の Wikipedia の Etymology (語源)の項目に、その由来が書いてある(参照)。そもそも「北京」を「ペキン」と読むのは、最初に中国に入ったヨーロッパの宣教師たちが、中国中部の発音に沿った読み方を祖国に伝えたからだとされている。つまり「ペキン」は中国中部での発音が世界に広まったものだという。

それが現代の共産中国になって、北部の発音が正式なものとされるに従って、欧米での表記も "Beijing" に変わってきたものらしい。ただ北京大学などは今でも ”Peking University" ということになっているようで、完全に一律ではない。

一方、日本では中国と同じ(完全に同じではないが)「漢字」を使っているので、「北京」の表記のまま、発音だけ当初の欧米式で「ペキン」と読むことで定着してしまったようだ。表音文字のアルファベットを専らとする欧米では "Beijing" に移行しても、日本では漢字の字面が変わらないのでそのまま慣習的に「ペキン」で来ているということのようなのである。

で、ひろゆき王子さんは「東京」「大阪」が中国では「トンジン」「ダーバン」になるのが不満で、ちゃんと「トウキョウ」「オオサカ」と言ってもらいたいようなのだが、これはなかなか困難だ。というのは、中国語にはカタカナのような純粋な表音文字がないからである。同じ漢字で「東京」「大阪」と書けば、中国式の読み方で読んでしまうのは当然だ。ローマ字で振り仮名をふるという手もあるが、まだ馴染んでいない。

このあたりは欧米でも同様で、中央アジアの「ジョージア」を、アメリカ人は自分の国のジョージア州と区別しにくくても、当然の如く「ジョージア」と呼んできた。綴りが同じなのだから別の読み方をしろという方が無理である。日本では「グルジア」と呼んでいたが、最近では同国自身の要請で「ジョージア」に変更した。ロシアの影響を感じさせる読み方を同国自身が嫌ったためであるらしい。

ちなみにスイスの首都は日本語では「チューリッヒ」と現地のドイツ語流(?)発音を尊重しているが、米国人は「ズーリック」みたいに発音する。”Zurich” と書かれたらついそう読んでしまうので、こればかりはしょうがない。「東京/大阪」が中国で「トンジン/ダーバン」になるようなものだ。

というわけで、固有名詞の国際化というのはなかなか一筋縄ではいかないのである。

 

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2019/06/09

仙台には取り立ててうまいものってないんじゃなかろうか

二泊三日の東北出張から帰ってきた。初日は青森県の八戸で、二日目は山形県山形市。どちらも食べ物のおいしいところである。八戸では魚介類、山形では蕎麦を堪能した。とくに山形県は自分が 18歳まで育った土地でもあるし、食べ物が体に馴染んでいるから、何を食べてもうまい。

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そして今日、仙台に少し寄って帰ってきたのだが、申し訳ないけど仙台というところは取り立ててうまいもののないところと思っている。いや、単なる偏見で言っているのではない。私の妻が仙台出身だから、結構何度も訪れて長く滞在したこともある。その上で言うのだが、本当にこれと言って「食べたい」と言いたくなるものがないのである。

世の人は「仙台には牛たんがあるではないか」と言うかもしれない。しかしご存じのように私は近頃肉を食わないことにしているから、当然にも牛たんだって食わない。そもそも仙台人だってそれほど牛たんなんてものを好んで食ってるようには思えない。

妻に「牛たんって、いつから仙台名物みたいなことになったの?」と聞いても、「知らない。一度も食べたことないし、食べたいとも思わない」なんて言う。観光や仕事で訪れた人間が話のタネに食うと言うだけのことのようなのだ。

仙台駅ビルの飲食街に行ってみると、「ずんだ小径」「牛たん通り」「すし通り」なんていうのがある。「ずんだ」というのは「ずんだもち」のことで、すりつぶした枝豆をあんこ代わりにした郷土菓子である。つまり、「ずんだもち」と「牛たん」と「すし」以外には別に食うもんがないよと、仙台人が自ら言っているようなものだ。最後の砦のような「すし」にしたって、周辺の漁港のある町で食う方が安くてうまいし。

そりゃあ、個別の飲食店やレストランなどを調べれば、うまいものを提供してくれる店には事欠かないのだと思う。しかし、「仙台に行ったら、何はなくともこれを食う!」と言いたくなるような絶対的な食い物って、まったく思い浮かばないのだよね。悪いけど。

 

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2019/06/08

土下座の作法があるとすれば

昨日から東北方面に出張に出ていて、ホテルで見たテレビのニュース・ショーで、田口淳之介というタレントが保釈された途端に「土下座で謝罪した」という映像がしつこいほど流されていた。こう言っちゃナンだが、違和感と滑稽さともの悲しさの入り交じった妙な映像だった。

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悪いけど、私も一応武道をやっていたので、あれを「土下座」と言うのは抵抗ありすぎだ。あんなのは四つん這いのまま前につんのめっているだけなので、いずれにしても異様なまでに無様な光景としか映らない。やるならやるで、事前に「美しい土下座」を勉強しておけばよかったのにね。

まあ、「正しい土下座の定義」なんてものがあるわけじゃないので、しゃっちょこばったことを言ってもしょうがないが、強いて言えば「通常の座礼」をさらに徹底して、地べたにひれ伏すようにしたのが土下座と思えば、あながち的外れじゃないだろう。

じゃあ、「通常の座礼」ってどんなのかというと、あんなにお尻を高く上げないし、肘を直角に張ったりもしない。正座した状態から両手を膝の前に三角形に揃え、背筋を伸ばしてお辞儀する。すると当然、肘のあたりまでは地に接するようになり、背も丸まらないから頭が地べたに突っ伏すこともない。

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上の写真は天心流兵法のページ(参照)から拝借したものだが、とても立派な座礼である。そして「土下座」となるともっと極端にひれ伏すのだろうから、さらにぺったんこになるものと思えばいいだろう。ただし、いくらひれ伏すと言っても頭だけを下げすぎると背中が丸まってしまうからよくない。ひたすら上半身をまっすぐにしてひれ伏すのが「美学」というものである。

結構筋力も必要だし、ます第一に腹に脂肪が付きすぎていてはできない。美しい土下座をするにも、節制と訓練が必要なのである。

大麻で逮捕されて釈放時にあんな妙ちくりんなパフォーマンスをするってのは、基本的になにやら勘違いしてるんじゃないかと思うほかない。そもそも勘違いしてるからこんなことになるわけなのだが。

それから、「大麻解禁」に向かう国際的潮流の中で日本の警察はことさらナーバスになって頑張っちゃうつもりかも知れないから、隠れて(いるつもりで)ヤッてる芸能人は気をつけた方がいい。「こいつ、何かヤッてるな」というのは、大概わかっちゃうからね。

 

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2019/06/07

企業名の表記と発音(キヤノン、キユーピーなど)

キヤノン、キユーピー、シヤチハタ... というと、知っている人ならすぐに「そうなんだよねぇ!」と言いたくなるところだと思うが、これらの企業、発音するときは「キャノン、キューピー、シャチハタ」なのに、正式な社名表記は 「ヤ」「ユ」が小さい表記じゃなく大きなカタカナなのだ。

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キヤノンのサイトの「会社概要」というページを見ても、「キヤノン株式会社(Canon Inc.)となっていて(参照)、決して間違いじゃないようなのである。マヨネーズのキユーピー、ハンコのシヤチハタにしても同様である。それだけじゃない。ちょっと調べてみたところ、ジーンズのエドウイン、ドラッグストア・チェーンのウエルシア薬局にしても同様というから、ちょっと啞然である。

社名の表記と実際の発音が違うというのは問題のように思えるが、商標というのは法律的にはどうでもいいらしい。極端に言えば、「武蔵野商事」と書いて「とうきょうしょうかい」と読ませても、問題ないというのである。まあ、実際にはそんな馬鹿なことはしないだろうが。

で、どうして小さな「ャ、ュ、ィ」にしないのかと各企業に聞いてみると、「字が 1つだけ小さいと余計な空白ができてデザイン的に美しくないから」という答えが多いらしい。本当に美しくないかどうかは議論の分かれるところだろうが、当人たちは「美しくないからダメ」ということにしているようなのだ。

なんだか知らないが、字の大きさが揃っていないとデザイン的に気が済まないという感覚があるようなのである。だったらどうして ”CANON” じゃなく ”Canon" にしているのか、説明がつかないと思うのだが、まあ、他人の会社のことだからどうでもいいや。

ちなみに 「富士フイルム」の場合は、発音も「フィルム」ではなく「フイルム」となるようで、ある意味潔いことである。

 

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2019/06/06

日本人の名前のローマ字表記は、姓が先か、名が先か

ちょっと旧聞気味で恐縮だが、日本政府が先月、日本人の氏名をローマ字表記する際に、従来の「名 - 姓」の順から「姓 - 名」の順にすることが望ましいと関係機関に呼びかけることになったことについて、一言書かせてもらおう。

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実は 20年ぐらい前にも国語審議会が「姓 - 名」順とするように呼びかけたことがあって、私も「なんだかなあ…」と思った記憶がある。結局のところ、定着するどころか誰もまともに意識しなかったというお粗末になったわけだが、今回改めて蒸し返されたということなんだろう。

実はこれ、冷泉彰彦氏が Newsweek 日本版に「基本的には個々人の自由であり、強制力を持つ話ではないので、賛成も反対もない」と書かれている(参照)のに全面的に同意してしまいたくなるお話で、さらに「個人的にはあまり気が進まないのは事実」という点にも賛成だ。「今さら政府にどうのこうの言われても、ちょっとなあ」ということである。

私のハンドル・ネームである「庄内拓明」にしても、ローマ字では一応 "Takumyo Shonai" だが、実際には "tak-shonai" という表記の方を意識的にフィーチャーしている。当初は "Tack Shonai" にしようかとも思ったが、「変な東洋人ぽさ」の漂う "tak-shonai" に落ち着いた。これも要するに「個々人の自由」、即ち「好みの問題」である。

野球の大谷翔平は意識的に "Otani" の方を先にして定着させたい意向らしいが、今朝 BS テレビで見たメジャーリークの実況でも、ホームランを打った途端にアナウンサーが興奮気味に「ショウヘーイ・オゥターニィ!!と絶叫しまくっていたから、結局は「名 - 姓」の方が定着してるってことなんだろう。

こればかりは理窟じゃなく、「しっくりくるか、こないか」という点に落ち着いてしまうんじゃないかなあ。

 

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2019/06/05

要するに「ウナギは食わない」ことにしちゃえばいいのだ

日経ビジネスの「オンラインゼミナール」に、"あなたも食べてる「違法ウナギ」排除 イオン新商品の画期" という記事がある。中央大学法学部准教授の海部健三が寄稿したものだ。

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ニホンウナギは国際自然保護連合(IUCN)や環境省によって絶滅危惧種に指定されており、人工飼育によって卵を産ませる商業的技術は確立されていないため、天然ウナギの子であるシラスウナギを捕獲して養殖している。しかしこのシラスウナギの多くに密漁・密売が関与しており、これら違法なウナギが通常の流通の中に多く混じっている。

海部氏は「2015年漁期に国内の養殖池に入れられたシラスウナギ 18.3トンのうち、約7割にあたる12.6トンが、密輸、密漁、無報告漁獲などの違法行為を経ていると考えられます」と書いている。要するに、まともな流通を経ているウナギは国内では 3割しかなく、しかもそれらは流通の中で混じり合ってしまうため、どれが適法なウナギかを特定することはできないというのだ。

というわけで、そこまでして絶滅危惧種を食うなんて野蛮なことをしたくないので、私は 6年前からウナギは食べないことにしている。それについて何本か書いてもいて、代表的なのは以下の 3本だ。

当面、ウナギとマグロは食わないことにする(2013.6.14)
「ウナギとマグロは食わないことにする」 ということについて(2013.8.3)
ウナギを食うのは早めに諦める方がいい(2016.9.26)

さらに昨年は 「ウナギのかば焼きが 2.7トンも廃棄されている」という怒りの記事まで書いている。違法な流通で入手した絶滅危惧種のかば焼きを、挙げ句の果てに「売れ残った」からと言って廃棄してしまうなんてやつは碌な死に様をしないと、ここで言っておく。

トレーサビリティの取れたウナギを販売するというイオンの姿勢は立派だが、それとて取扱量の一部に留まり、「違法なウナギは一切取り扱いません」というわけじゃないようなのだ。しかも「適法」というのも第三者の認定を得た上での話じゃないというのが、ちょっと中途半端な印象である。

だったら何度も言うように、「ウナギは食わない」ということにしてしまえば話は簡単なのだ。土用丑の日にウナギを食わなかったからといって死んでしまうわけじゃあるまいし。

 

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2019/06/04

「引きこもり」を一律に危険視してはいけない

中日新聞の本日付記事に "引きこもり危険視やめて 豊橋の男性「レッテル貼り怖い」" というのがある。自身も 25年間引きこもり生活を続けているという豊橋市在住の小崎(こざき)悠哉さん(39歳)が中日新聞に取材依頼のメールを送ったことで実現した記事だという。

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今、「中高年の引きこもり」というのが大きな問題になっている。「引きこもり傾向にあった」とされる 51歳の男性が小学生ら 20人を殺傷して自殺した川崎市の事件が注目された直後に東京練馬区で、元農林水産事務次官の 76歳の男性が引きこもりがちで家庭内暴力問題を起こしていたという 44歳の長男を殺害するという事件を起こした。

練馬区の事件の息子殺害の動機は、「長男が(近所の)子どもたちに危害を加えてはいけないと思った」ことだと警察に語ったという。ネットの世界ではこの行為を「英断だ」などと賞賛する書き込みまであるというが、それはかなり短絡的で危険な考えだと言わざるを得ない。

子どもの悩みをまったく理解しようとしない親に対して、子どもは時として暴力的になる。これは子どもの方が一方的に悪いのではなく、親子の関係性の中で生じた事態だ。練馬区の事件に関しては、「親の方だってずいずん短絡的ではあるよね」という印象を持ってしまったのは私だけじゃないだろう。

実は私は、結構いろいろな「引きこもりケース」に単なる「傍観者」として以上の関係で関わったことがある。その経験から言うと、彼らは確かにまともに接しようとすると本当にやりにくい。 

そして「引きこもり」と言っても実にいろいろなケースがあって、千差万別だ。 普段はおとなしいけれども時として暴れ出す子もいれば、夕方近くになって起き出して、自分の部屋に閉じこもってばかりいるという子もいる。

腹を割って話し合えば普通にコミュニケーションを取れる場合もあれば、何を話しかけても無反応に近い場合もある。しかしそんな没コミュニケーションの子 (「子」と言っても 40歳ぐらいだったりすることも多いが)でも、予断をもたずに接すれば、調子のいい時には嬉しそうな表情を見せてくれる時もある。

高校時代から15年以上引きこもっていた男が、「これではいけない」と一念発起してやり直し、周囲に理解者を得て社会復帰を遂げたというケースもある。彼は当初硬く暗い表情で話しづらい雰囲気を漂わせていたが、徐々にほぐれてきて今は明るく建設的な話をするにも無理がなくなった。人間というのは変われば変わるものである。

中日新聞の取材を受けた小崎さんは「危ないやつとレッテルを貼られるのが怖くて意見が言えなかったが、そんな自分を変えたい。もがきながらも、社会で働くことを目標に闘っている人がいることを世間に知ってほしい」と語っている。

「レッテルを貼られるのが怖くて」とおっしゃっているが、実際問題として個別の人間にレッテル貼りするなんて不可能なのだ。ただひたすら「そのままを認める」という意識で接するしかない

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2019/06/03

エベレスト山頂付近の渋滞に思う

エベレストで死者続出、何が起きているのか」というニュースの画像を見て、思わず「うひゃあ!」と声を上げてしまった。頂上へのルートが登山者の列で大渋滞を起こしている。

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上に紹介した写真は、5月 22日に、1人の登山家が公開したエベレスト山頂付近の写真であるらしい。こうした大渋滞が影響してか、今年は既に 11人の登山者が死亡しているといい、そのほとんどが高山病で亡くなっているとされている。

平地の人混みを歩くのとはわけが違うのである。標高 8,000メートル以上の登山ルートで大渋滞が発生してしまったら、苛酷な自然状況の中に長い間置かれることになる。記事では「12時間で登れるところを未熟な登山者が20時間で登れば、当然酸欠になり高山病になる」と指摘されている。

私も山登りは大好きで、若い頃は暇さえあれば山に入っていたが、人気のある北アルプスには足を向けなかった。よく行ったのは奥秩父、南アルプスの 2,000〜3,000メートル峰と、北八ヶ岳、東北の朝日連峰などで、いずれもあまり人混みにはならない山域である。

穂高や槍ヶ岳などの岩稜に象徴される北アルプスに人気があるのは、ヨーロッパ・アルプス的な雰囲気があるからだろう。しかし私はそうした人気のコースよりも鬱蒼とした森の中や誰もいない尾根ルートなどを歩くのが好きだった。何しろ人に会いに行くのではなく自然の中に浸りに行くのだから、当然そうなる。

夜を越すのも山小屋ではなく、テント泊だ。狭い山小屋の中で山談義に花を咲かせ、人と折り重なるようにして寝るのは真っ平である。そのうちテントすら余計な障壁のように感じられて、タープ 1枚を斜めにさしかけ、その下でゴアテックスの透湿防水カバーに入って寝るようになった。

夜の山の中で外界との障壁幕のない眠り方をすると、月明かりの下で結構いろいろな動物が行き来しているのがわかる。彼らの 2つの目が月明かりを反射して行き来しているのを見ると、とても懐かしい気分になるのだ。山小屋で人とばかり話をしていたら、こんな気分にはなれない。

渋滞を承知でエベレストに登るというのは、山に登るというより「数字に登る」という意識なんじゃなかろうかと思ってしまうのだよね。

 

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2019/06/02

「七段ピラミッド」とか「子どもは最低三人産め」とか

桜田議員が「子どもは最低 3人産んで」と、またしても「言わなくてもいいことを、いい気持ちで言っちゃった」ケースで炎上してしまっている。よくよく懲りない人である。

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「悪気があって言ってるわけじゃないんだから」と擁護する向きもあるようだが (参照)、この人の場合、確かに「悪気」はなさそうだが、それ以上に「深い考え」というのもなさそうなのが問題なのだ。なにしろ国会議員なんだしね。私が時々言う「知らずに犯す罪は、知って犯す罪より重い」というテーゼを想起されたい。(参照

5月 30日付の "「放言・暴言・失言の製造機」桜田議員が「子ども最低 3人産んで」発言で炎上の何が問題なのか" という記事で、在英ジャーナリストの木村正人氏は、第二次大戦の敗戦国である日本やドイツ、イタリアがいずれも少子高齢化に苦しんでいることについて、戦勝国側の人口抑制アタックがあったからではないかと、次のように指摘している。

昭和 16(1941)年 1月 22日に閣議決定された人口政策確立要綱で「昭和 35年総人口 1億(内地人)」「今後 10年間で婚姻年齢を現在より約 3年早めるとともに夫婦の出生数を平均 5児に達すること」を目標として定めました。戦争遂行と版図拡大のためでした。

(中略)

婦人参政権が認められた戦後の総選挙で39人の女性代議士が誕生し、第1号の加藤シヅエさんらの議員立法で 48年、人工中絶の違法性を阻却する優生保護法(現・母体保護法)が施行されました。米国で連邦最高裁判決が「中絶は女性のプライバシー権」と認めたのはその 25年後です。

つまり、太平洋戦争直前の日本は「超」の字を付けてもいいくらいの積極的人口増加促進策を遂行していたが、戦後は対照的なまでの人口増加抑制策に転換した。そこには戦勝国である米国の意図があったのではないかと、木村氏は指摘しているわけだ。

思えば私が中学時代の社会科の教師は、日教組そのものの左翼教師だったが、彼もまた「子どもは 3人以上産まないと、日本の人口が減ってしまう」なんてことを言っていた。昭和40年代初頭(1960年代半ば)のことである。彼のこの発言の裏には、暗に人口抑制を押しつける米国への本能的反発があったんじゃないかと思う。

そして時代はめぐり、平成から令和の時代となった今、今度は自民党の議員がやたらと「子どもは 3人以上」なんてことを言い出した。これはもう、「戦後への反発」としか言いようがない。昔は共産党を含めた左翼が「子どもはたくさん産んで楽しい家庭を」なんて言っていたが、今はモロに逆である。本当に時代は変わるものである。

昨今の保守派からの「子どもは 3人以上」というプレッシャーには、一昨日書いた "「七段ピラミッド」だの「四段タワー」だの" という記事で触れた、七段ピラミッドにこだわりたがる体育会系教師と共通した意識を感じてしまう。「個人は全体(国)のために」という妙な美意識だ。

そりゃあ私だって、公(おおやけ)ために尽くすのは尊い行為だと思う。しかしそれは自発的なものだからいいのであって、上から押しつけられるのは真っ平ご免だ。娘を 3人育てた私が言うのだから、「文句あるか!」ってなものである。

 

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2019/06/01

国民の愚民化と、マスコミの劣化の相関関係

"元テレビマンが「愚民がマスコミを劣化させている」なんて言っちゃうんだ。そんなテレビマンが視聴者を愚民だと侮ってた時代があって、視聴者にどんどん見放された結果が今なんじゃないでしょうか" という tweet があって、じゃあ、その元の tweet はどんなんだろうと思って遡ったら、画像のようなものだった。(画像をクリックすると別画面で拡大表示される)

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物議を醸しているのは toriiyoshiki というドキュメンタリー番組専門のTVディレクターだったという方の tweet で、こんなようなことを言っている。

元テレビマンとして申し上げるが、いまのテレビは本当に酷い。志の低さに吐き気がするほどだ。しかし、何かのメディアが伝えていたが、政治ネタを扱った途端に視聴率がガタ落ちという現実もある。マスコミが国民を愚民化しているのではなく、愚民がマスコミを劣化させている、という気がしなくもない。

問題は「マスコミが国民を愚民化しているのではなく、愚民がマスコミを劣化させている」というくだりで、それに対して omion さんは「そんなテレビマンが視聴者を愚民だと侮ってた時代があって、視聴者にどんどん見放された結果が今なんじゃないでしょうか」と反応しているわけだ。

私はいつも言うのだが、どちらかが一方的な原因となって相手を変えてしまうなんてことはない。物事というのはお互いに影響し合って変わっていくものなのだ。だからマスコミが一方的に国民を愚民化しているわけではなく、視聴者が傲慢なマスコミを一方的に見放したというわけでもない。

要するに時代そのものが変わっているのだ。「政治ネタを扱った途端に視聴率がガタ落ちという現実」というのも事実なのだろうが、政治ネタでもこなし方によっては面白くもなる。マスコミの政治ネタのこなし方が下手なこともあって国民が政治に関心を失い、それによってマスコミの政治の取り上げ方がますます下手くそになる。堂々巡りだ。

ジャニーズのタレントやお笑い芸人がニュース・ショーのキャスターをやっても、政治ネタの取り上げ方が変わったわけでもなんでもなく、タレントの方がテレビの世界におもねているだけなのだからしょうがない。それだったら、まだ思いっきり正攻法の政治番組を見る方が質は高い。

そんなわけで、「フツーの国民」が見ておもしろいと思える政治ネタがテレビの世界には存在しなくなり、ネットの世界の方がおもしろかったりする。ところがネットはネットでかなり無責任な言いっぱなしが多いので、功罪相半ばしてしまうというわけだ。

とまあ、世の中ってこんなふうに、いつもいつも不満を内在しながらチマチマ、あるいはドラスティックに変わっていくものなのだろう。

ちなみに我が家のテレビは今、アンテナが壊れてしまったのか地上波放送の受信ができない状態になっているが、映らなくても全然不満がない。それで金をかけて修理しようという気になれないでいる。

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