「七五調感覚」さえ不確かな日本人
一昨日の「日本人のアクセント感覚の不確かさ」という記事で、かなり多くの日本人のアクセント感覚がはなはだアテにならないことについて触れ、「アクセント感覚を磨くには、結構訓練が必要」と結論づけた。
それと同様に「七五調感覚」というか、日本語のリズム感みたいなものも、きちんと身に付けるには訓練が必要ということに最近気がついた。日本語を使いながら日本で暮らしている日本人は、物心つけばいやでも自然に七五調感覚が身につくものと思っていたが、あながちそうとばかりは言えないようなのだ。
上の画像の左 2つは駅名を左から読むと「五七五七七」の短歌調になり、右は上から読むと「五七五」の俳句調になる。これに自然に気付く人はよほど「七五調感覚」が身体化された人で、フツーの人はほとんど無意識のようなのだ。
ちょっと前に、まったくの初心者を対象とした「俳句教室」というのを覗いてみたことがある。私は「五七五七七」の短歌は毎日詠んでいる(参照)が、「五七五」の俳句にはちょっと苦手意識があるので、改めて基礎から学んでみようと思ったのだ。しかしこの講座、こう言っちゃナンだがレベルが低すぎてちっとも勉強にならなかった。
講師の話が一通り終わってから参加者が 1人 1句作って提出し、講師の評を仰ぐ。ところが提出された作品のかなり多くが、習ったばかりの「基本のキホン」から外れまくっている。「季重なり」が多いのは予想できたことだが、そもそもお約束の「五七五」でさえなく「五七七」になっちゃってるのが、どういうわけかメチャクチャ多い。
例えば「花見の日春風吹いてコーヒーを飲む」なんてのがやたら目立つのである。講師に「五七五になっていなくて、季重なりでもありますから、言葉の順序を変えて『花見の日コーヒーを飲む風の中』にすれば解決しますね」なんて添削され、指折り数えて初めて「あ、そうか!」なんて言い出す。小学生ぐらいなら、それもありだろうけどね。
「五七五」のリズム感覚ぐらい、まともな大人になれば自然にカラダに入っているものと思っていたのだが、どうもそうじゃない。聞いて瞬時に「五七五」と「五七七」を識別できる人というのは、案外少ないみたいなのである。ちなみにこの人、どこが季重なりなんだかまではわかっていない様子だった。
言葉に関する意味や感覚がきちんと身体化されている人って、実は驚くほど少ない。勘違いしていたり無意識だったりすることがかなり多いというのが、近頃よくよくわかってきた。
言葉を問題なく使っても、必ずしもその真意が伝わらないというのも、むべなるかなである。プレゼンなどで「あ、これってまともに通じない人や勘違いして逆に受け取る人がいるな」というのが経験則としてわかってきたので、そんな場合にはちょっとクドいほど言い方を変えて説明しなければならないのだよね。
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コメント
下手をすりゃ「自由律なる」俳句でも、基本知らずにひねるワカモノ、それならそれでよしとするかなぁ。
ただ一つ言いたいことはあるけれど、「風流」するならキレイにまとめて。
ただすほどとは思わぬけれど、聞かす気持ちは定形外。
個人的には都都逸が好き。
(失礼いたしました)
投稿: 乙痴庵 | 2019年6月28日 21:19
乙痴庵 さん:
問題なのは、定型俳句の「五七五」のつもりで作ったのに、気付いてみると「五七七」になってたという「感覚のおかしさ」なのだと思います。
初めから「七七七五」のつもりなら OK なんですけどね (^o^)
投稿: tak | 2019年6月29日 19:14