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2019年7月11日

二泊三日の出張で、関西文化に浸る

昨日の夕方、奈良から大阪に移り、今日は大阪で一仕事終えて新幹線で家路についている。二泊三日の関西道中だった。

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奈良から大阪なんばまでで近鉄線の急行で移動したのだが、後ろの席に座った大阪のオバチャン 2人がその間の 1時間ぐらいずぅっと他愛もない話題でしゃべり通しで、「さすが大阪!」と感嘆した。どういうわけか大阪のオバチャンというのは、いくらしゃべり続けてもなぜかうるさく感じない。

これが東京山の手のマダム同士のおしゃべりだったら、10分間聞かされただけで気に障って「少しは静かにしててくれんか!」と思ってしまうのだが、文化の違いというのは不思議なものだ。一節には、大阪のオバチャンのおしゃべりは「人の悪口を言わん」から気に障らないのだという。確かに大阪のオバチャンは自分のアホさ加減を笑い話にしても、人のことは悪く言わない。

というわけで、昨夜はなんばのビジネスホテルに泊まった。夕食を食うために外に出ると、かの有名な「なんばグランド花月」から千日前のアーケードにかけて、いかにも大阪の「みなみ」の雰囲気で、勤め帰りの混雑が始まっていた。

個人的印象だが、大阪人はとにかくよく肉を食う。焼き肉だのホルモンだの焼き鳥だのの店がずらりと並んでいるが、私は近頃肉を食わないと決めているので、入る店がない。しかたなく日本中でお馴染みの「丸亀製麺」でうどんを食った。そこでお目にかかったのが、「天ぷら用 だしソース」というもので、これ、関東や東北の人間にはとんと馴染みがない。

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6年前に「ソースで天ぷらを食う文化」「ソースで天ぷらを食う人たちは、鉄板系コナモンも好き」という 2本の記事を書いているが、大阪とか広島とかに出張すると、そのことをしみじみと再認識する。日本文化の「多様さ」というのは、「小さな違いが大きな違い」的なものだと思っている。

 

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コメント

天麩羅の「天一」に行くと天つゆも出てきますが、やっぱり塩が一番合いますね。カレー粉と塩を混ぜた「カレー塩」もあります。これも結構いけますよ。

「ソースで天麩羅を食う文化」に、大阪人が目の前で天麩羅にソースをかけるのにふれてびっくりした体験を私も投稿していますが、いまだにソースをかけたことはありません。頭の中にそのような選択がないのです。

大阪時代に同年代の女性と食堂(自分で好きなおかずをトレイに取る方式の食堂)に入って納豆をこねていると
「それ何なの」と言うので 
「えっ、これ納豆だよ」と答えたら 
「ふーん、これが納豆なの」と力の抜けた反応。
一口食べてもらったら
「ふーん」でお終いです。
彼女の頭には納豆を食べる文化がないのですね。
同じ日本に住んでいるのにこの多様性は面白いです。
あの日以来、彼女は納豆を食べていないという確信があります。

投稿: ハマッコー | 2019年7月11日 22:27

ハマッコー さん:

最近ではさすがに関西でもスーパーで納豆をごく普通に買えるようになりましたが、ちょっと前までは本当に、納豆を見たことのない大阪人はいくらでもいましたね。

東国の人間にとって、天ぷらにソースをかけることが想像の範囲を超えているのと同様に、関西人にとっても納豆というのは、試しに食ってみれば「死ぬほどまずい」とは思わないまでも、フツーは「食べ物」としては意識されない物のようなのですね。

投稿: tak | 2019年7月12日 13:47

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