小原庄助さんの正体
福島県の民謡『会津磐梯山』に「小原庄助」という人物が登場する。「朝寝朝酒朝湯が大好き」で「それで身上潰した」と伝えられる人物だ。郷土玩具にも「小原庄助こけし」(下図)というのがあるというほどの有名人である。
ところがこの小原庄助さんという人物、実在のほどはアヤシいらしい。いろいろ当たってみると、「コトバンク」に次のようにある(参照)。
【デジタル大辞泉】
民謡「会津磐梯山」の囃子詞(はやしことば)に登場する架空の人物。「朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上(しんしょう)つぶした」と唄われる。
【朝日新聞「キーワード」の解説】
県文化振興課によると、会津の商人説、武士説、塗り師説がある。白河市大工町の皇徳寺には「会津塗師久五郎」を本名とする「伝 小原庄助」の墓があり、墓石はとっくりの上に伏せた杯を乗せた形だ。1858年に亡くなり、戒名は「米汁呑了居士」。辞世として「朝によし昼になほよし晩によし、飯前飯後その間もよし」とある。一日中米汁(酒)を飲んでいたらしい。
【2023年 2月 13日 追記】
上述のリンク先に改めてアクセスしてみたところ、「【朝日新聞「キーワード」の解説】」というのは削除されており、替わりに「【デジタル版 日本人名大辞典+Plus「小原庄助」の解説】」というのがあった。次のように書かれている。
福島県会津(あいづ)地方の民謡「会津磐梯(ばんだい)山」に登場する人物。
朝寝・朝酒・朝湯好きで財産をつぶしたという。元禄(げんろく)時代の材木問屋、戊辰(ぼしん)戦争で戦死した会津藩士などの説もあるが、実在については不明。
さらに、「やっぱり観光」というサイトに「小原庄助の墓」というページがあり、写真をみると本当に「とっくりの上に伏せた杯を乗せた形」の墓石である。(参照)
このページには次のような記述がある。
小原庄助こと会津塗師・久五郎の墓は、羅漢山人という人物の墓所の隅に間借り(?)している。羅漢山人は有名な谷文晁の弟子で、庄助さんはこの人のもとに絵付を習いにきて亡くなったらしい。
【2023年 2月 13日 追記】
この「やっぱり観光」というサイトは、現在では消滅してしまっているようで、ネットの世界は油断がならない。いずれにしても、写真をコピーさせてもらっておいてよかったよ。
会津塗師だけに、文人に絵付を習っていたと、もっともらしく語られているらしい。この墓にある解説の札も「あるのふわっとライフ」というサイトで見つかった。(参照)こんな風である(クリックで拡大表示される)。
というわけで、実際のところは「架空の人物」とも「実在の人物」とも言い切れず、しかも「実在の人物」だったとしても、そのモデルには諸説あってややこしい。
ちなみに今に伝えられる『会津磐梯山』という歌は、Wikipedia によるとこんなようなお騒がせがあったらしい。(参照)
1934年(昭和9年)に小唄勝太郎が歌ったものが歌い出しをとって「会津磐梯山」と命名されて、ビクターレコードより発売され、全国的に広まった。三味線も付けられ、歌詞も長田幹彦によって整えられ、「エンヤー」という独特の掛け声も付けられた。
しかし、「勝太郎節」が俗謡風であったことに加え、元の歌詞と大きく異なる内容であったことから、地元では、「郷土芸術を冒涜するもの」として非難の声が上がり、山内磐水らによって、「気狂踊り」風の節回しが広まった。山内等が普及に努めたこの囃しは、本来の会津磐梯山に近い正当なものであることを示すために「正調」と冠して「正調会津磐梯山」と呼ばれている。
YouTube で聞いてみると、確かに勝太郎バージョンはやたら艶っぽすぎる。ただ残念ながら、何が「正調」で、何が「本来」なのかまでは突き詰めることができなかった。
【2023年 2月 13日 追記】
改めてググってみたところ、YouTube で『正調会津磐梯山』(歌:歌川重雄)というのが見つかった。聞いてみると、小原庄助さんのくだりは出てこない。なるほど、これが正調なのか。
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コメント
潰すほどの身上なし。
ほどほどに、朝酒と朝湯はたしなみたいなぁ。
投稿: 乙痴庵 | 2019年7月10日 16:55
乙痴庵 さん:
潰す身上もなければ、今のところ、朝湯と朝酒やってる暇もないのが痛恨です ^^;)
投稿: tak | 2019年7月10日 17:24