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2019年8月に作成された投稿

2019/08/31

各地の夏休み事情

今日は 8月 31日。世間の思い込みでは小中学校の夏休み最後の日ということになっているのだが、改めて調べてみると、どうやらそう決まっているわけではないようだ。東京都の夏休みは今月 25日の日曜日までで、翌 26日から新学期が始まっている学校が多いようなのである。(参照

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私の育った山形県の夏休みは、7月 27日から 8月 20日までの 25日間しかない。これは北海道と並んで、日本で一番短い夏休みである。北隣の秋田県は 33日間あるというのに、気の毒な限りではないか。もっとも夏休みが短い分、冬休みは長いはずなので、不公平がないようになっていると聞くのだが。

クルマの運転をしながらカーラジオを聞いていたところ、「今日は夏休み最後の日なので、宿題の仕上げに追われている子が多いだろう。もしかしたら、親も手伝わされているんじゃないか」みたいなことを言う番組が多かったが、よく調べてからものを言う方がいい。少なくとも北海道、東北、関東では 8月 31日までが夏休みなんていう都県はない。

全国ベースで言うと、石川県、京都府が 8月 31日まで夏休みとしており、さらに富山県、愛知県、三重県、滋賀県、兵庫県、岡山県、山口県、徳島県、愛媛県、高知県、佐賀県、長崎県、熊本県、鹿児島県の 15府県が 9月 1日まで夏休みという大盤振る舞いをしている。

これは多分、今年は 9月 1日が日曜日という事情によるのだと思う。とすると、石川県、京都府は、9月 1日は夏休みではなく、通常の休日という扱いなのかしらん。

このあたりの事情は都道府県によって考え方に差があるのだろうが、石川県、京都府以外では 9月 1日を夏休みとする分、冬休みが 1日削られるなんてことになったら気の毒である。いずれにしても西日本では 9月 1日が実質的な「夏休み最後の日」というところが多く、さすがに、名古屋より向こうの夏は死ぬほど暑いという印象に違わない。

最近では 9月になっても「真夏日」が続くという年が多く、小中学生諸君(おっと、高校生諸君もか)も大変なことである。最近は学校にもエアコンが入っているらしいが、昔みたいに扇風機もない教室だったら、勉強どころではなかろう。

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2019/08/30

大阪人のデザイン感覚というもの

"「悪趣味」批判受け大阪メトロが駅デザイン変更" というニュースに、申し訳ないがちょっと笑ってしまった。大阪メトロが昨年末に発表していた御堂筋線と中央線の改修案は「派手」「悪趣味」などと批判されており、建築家や学者ら約2万人の反対署名が提出されていたという。

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それにしても「2万人の反対署名」というのはすごい。よほど大阪人が心の底深く抱くデザイン・コンプレックスの核心に触れてしまうものがあったのだろう。

上の画像は、左が心斎橋駅、右が堺筋本町駅のデザイン。いずれも下が当初発表されたデザインで、上が最終案だ。なるほど、とくに左の心斎橋駅の当初案は、大阪のオッちゃんが「若者の街」をイメージするとこうなっちゃうんだよねという典型例で、見ているだけで気恥ずかしくなる。

右の境筋本町のデザインは、天井の柄は見ようによっては悪くないが、白漆喰と板の壁は異様なほど写実的すぎて、夜になったら酔っ払いが小便ひっかけたくなってしまうだろう。さらに天井に書かれた言葉は「ごめんやすや かんにんしてや かんにんな」なんてもので、もう少し気の利いた大阪言葉にしとけばよかったのにと思ってしまう。

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さらに梅田駅の当初案(上図)に至っては、側壁から天井につながる斜めの面の端から端まで、ニュースだがなんだか知らないがズラリと文字が流れている。そこに文字さえあれば条件反射的に読み始めてしまう私みたいな人間は、ラッシュ時に人にぶつかりまくるだろう。「歩行中のスマホは危険ですのでご遠慮ください」と言ってる当事者がこんな案を出すのだから、さすが大阪人はシュールである。

というわけで今回は修正案が示されたわけだが、これらがまたおとなしすぎて、おもしろくもなんともないデザインなのだね。これだったら当初案の方が「いかにも大阪チック」で話になったのにと、関東在住の身としては無責任なことを言いたくなったりもしてしまう。

 

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2019/08/29

神戸の配水管工事業者からの迷惑電話

我が家の固定電話は呼び出し音が 1回なるだけで留守電応答に切り替わるようにセットされている。しかもその呼び出し音もボリューム・ゼロに設定していあるので、かかってきたことすら気付かないうちに留守電応答となる。

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こんな設定にしてあるのは、一昨年の 12月 30日の記事「固定電話には、アヤシい営業電話しかかかってこない」に書いたように、ほぼ 100% 迷惑電話しかかかってこないからだ。まともに応答するだけ馬鹿馬鹿しいのである。

この設定にしてからもしばらくは、1日に 3〜4本の受信があり、留守電応答に切り替わると向こうもすぐに切ってしまうので、再生しても何も録音されていないということが続いた。そして最近は我が家の電話番号は「かけても意味がない」ことが知られてきたためか、迷惑電話は 3日に 2本程度(つまり 1日 1本以下)に減ってきている。

このように迷惑電話は全体として減少してはいるのだが、ある特定の番号からの受信が依然としてとても多い。それは、「078-336-5349」からの受信だ。下 4桁は 5245、5246,5247、5248、5250 というバリエーションがあるが、特定の業者の契約番号なのだろう。市外番号から推定すると、兵庫県神戸市の業者であるらしい。

で、この情報を元にさらにググって見ると、「電話帳ナビ」というサイトに、この電話番号についてのいろいろな情報が載っていた(参照)。こんな具合だ。

キッチンとお風呂の排水菅を無料で掃除するので、都合の良い日を教えて下さい、と言われました
排水工事セールス
明治建築というところの排水工事の売り込みのコールセンター

というわけで、どうやら「排水管の清掃を無料で行う」ということで電話してくる業者であるらしい。無料でそんなことをしたところで何の儲けにもならないが、実際の作業をした際に「故障が見つかった」とか「壊れているところがある」とかいうガセ情報をでっち上げ、本当は必要のない「本格的修繕工事」を有料で請け負うということにもっていくのだろう。

配水管関係に限らず、屋根とか家の土台とか外壁塗装とかに至るまで、この手の業者のやり口というのは大抵そんなものだ。茨城県の我が家に神戸の業者が電話してくるというのは、訪問日だけを設定して、あとは地元の業者が行くように手配し、その間の中間マージンを取るという仕組みになっているものと思われる。

願わくは、この「明治建築」という業者が、ウチの固定電話はすぐに留守電に切り替わるのでいくらかけても無駄という情報を、社内でしっかりとフィックスしてもらいたいのである。そうすれば、迷惑電話が激減することが確実だ。

 

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2019/08/28

”Highway Walker" という名のフリーマガジン

例の「あおり運転」で一躍有名になってしまった常磐自動車道を久しぶりで走り、友部サービスエリアに立ち寄ると、茨城県内の交通要所ではお約束の「水戸黄門と助さん格さん」の飾りがあり、その横に ”Highway Walker" なる雑誌の無料配布所があった。

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近寄って見てみると、「NEXCO 東日本エリアの高速道路地図と SA・PA 情報を掲載!」と説明されている。てことは、"Highway Walker" (幹線道路を歩く人)より ”Expressway Walker" (高速道路を歩く人)という方がふさわしい内容のようで、ますますあり得ないコンセプトだ。

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手に取ってみると出版元は「株式会社 KADOKAWA」とある。いくらあの「東京ウォーカー」の出版社とわかっても、なかなか意表を突いたネーミングと思うしかない。インターネットで検索してみると、「フリーマガジン『ハイウェイウォーカー』創刊!!」というページが見つかって、実は平成 18年 4月から展開しているらしい。干支が一廻りするほど前からあるとはちっとも知らなかった。

せっかくだから 1部もらって帰ってきたが、東日本の高速道路を網羅した地図が結構便利である。これまでは、東北道、常磐道、関越道、上越道と、首都高、外環道、北関東道のつながり具合が今イチよくわかっていなかったが、大判の紙の地図で見ると一目瞭然だ。インターネットの画面ではなかなか得にくい効果である。

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この地図だけを綴じから外して、クルマの中に常備しておくことにした。その他の、どこそこのサービスエリアにこれこれのグルメがあるみたいな情報は全然必要ないから、新聞とまとめてちり紙交換に出そうと思っている。

要するに、NEXCO 東日本が自前でこうしたマップを提供してくれればいいだけの話だと思うのだが、そこはそれ、出版社を介して広告なんかを取りながらの方が、話がまとまりやすいのだろうね。世の中、テキトーに余計なことをしつつ円滑に廻っていくもののようなのだ。

それにしても、外環道が関越道と接続する大泉から、中央道の起点である高井戸を経て東名の東京 IC(世田谷区)までの区間は昔から大渋滞の環八をのろのろと行くしかない。そしてこの地図をみると、未だに高速道路がつながっていないので、山梨、長野や、神奈川、静岡にクルマで行かなければならない時はかなり気が重い。

環八で1時間のルートを12分に短縮。東名と関越道を接続する外環道の大泉JCTでシールドマシン発進式開催」というページによると、地下を通して接続させる工事が進められているようだが、完成がいつになるのかまったく見えない。

 

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2019/08/27

「おしりたんてい」というのを初めて知った

今朝方クルマを運転しながらカーラジオを聞いていると、「子どもにリクエスト曲があるか聞いてみる」という企画をやっていた。その中でおもしろかったのが「おしりたんてい」というのをラジオで聞きたいという子がいたことである。 

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さっそく帰宅してググってみると、顔がおしりの形をした探偵の絵本がポプラ社から出ているようだ。で、"おしりたんてい「ププッとフムッとかいけつダンス」" という歌まであって、ラジオで紹介された子はこの歌をリクエストしたいということらしいのである。曲は上の画像をクリックして YouTube に行くと聞ける。

この歌、英語のタイトルを 【Butt Detective "A Wind-Breaking Victory Dance"】というのも、なかなか凝っている。"Butt" というのは「おしり」の俗語で、発音としては「バット」だが、オリジナルのタイトルが「ブプッと・・・」というのでやや近い音の "butt"(厳密には決して近くはないけど)という単語を使ったのもちょっと洒落ている。

また 「おならをする」のを "break wind" ということから ”A Wind-breaking Victory Dance" としたのだろう。語呂もいいし、この作者ただ者ではない。 

とにかく子どもというのは 「おしり」だの「おなら」だの「ウンコ」だの、下ネタが大好きである。ウチの娘たちも幼い頃はラジオの交通情報で「それでは鉄道の運行状況をお知らせします」なんて言うのを聞こうものなら、「ウンコ状況!」と叫んで狂喜していたものだ。

私は子どもたちが安心して「おしりたんてい」とか「ウンコ状況」とかで大喜びできる世の中であってもらいたいと願っている。下手に抑圧すると、神経症の世の中になってしまう。

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2019/08/26

日本中の小学校に忘れ去られたタイムカプセルが埋められているんじゃあるまいか

私の居住する市の広報誌に「30年の歳月を超え集まった懐かしい顔 タイムカプセルがつないだ絆」という記事がある。市内の小学校で 30年前に埋めたタイムカプセルを掘り出して、今はいいオッサン、オバサンになった卒業生がとても懐かしい気持ちになったという話だ。

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ところがこの記事を読んでみると、おおらかというか、テキトーというか、なかなか茨城県の田舎らしいエピソードなのだ。

タイムカプセルはこの小学校の創立 30周年の記念事業として、当時の児童全員、先生、PTA が思い出の品を集め、「30年後に開封しよう」と埋設したものであるらしい。しかしこの「開封事業」に携わった人の証言によると「実は誰も覚えていなかったんです」というお笑い草になってしまっていたようなのだ。

埋設した当時も親からは「30年後にお前たちが掘り出すんだよ、とは言われなかった」とか「埋めたことはなんとなく思い出したんですけど、カプセルの大きさや材質、穴の深さとか、同級生や当時の先生に聞いても誰も覚えていなくて」等々、実にのどかな証言が報告されている。それで「まずは掘ってみよう」ということになったらしい。

地元の工事会社に応援を頼み、重機まで提供してもらって掘ったところ、白いスーツケースのようなものが見つかった。中には懐かしい作文や絵、写真などが入っていたという。この開封作業を主導した実行委員としては、「本音を言えば参加した皆さんを泣かせたかった」というのだが、あまりの呆気なさにそこまでいかず、単に「懐かしいねえ」で終わったらしい。

そういえば大分前、ラジオの番組でも似たような話が紹介されていた記憶がある。その時も、「誰もまともに覚えていなくて、半信半疑で掘ってみた」ということだった。学校の先生なんてどんどん代わるし、親も忙しさに紛れて忘れてしまう。こうした話のほとんどは、「そんなようなものを埋めたような気がするよね」程度の記憶を頼りに掘ってみたら出てきたというようなことらしい。

一時の「ノリ」で皆でやってはみるものの、継続性がないというかこだわらないというか、誰もきちんと伝えないというか、すぐに水に流したがるというか、いずれにしても平均的日本人のメンタリティをみる思いのするエピソードである。それどころか、この問題を下手に突き詰めると深刻な歴史問題にまでつながってしまいそうだ。

日本中の小学校の敷地内の地下には、忘れ去られたまま悲しく眠っているタイムカプセルがいくらでもあるような気がしてきた。

 

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2019/08/25

来週は前線が張り付いて大雨になるという

気象庁によると、台風 11号は台湾方面に進み、週明けは熱帯低気圧に変わるという予報だが、この台風の連れてきた暖かく湿った空気の影響で、日本付近には前線が発達しやすい状況になっていて、週明けはぐずついた天気になるらしい。(参照

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上の図を見ても、月曜から土曜まで、日本付近には前線がべったりと張り付いている。7月は大雨の梅雨、8月半ば過ぎまでは 40度以上を記録した猛暑、そして雨模様が続いて束の間の晴れ間が来たと思ったら、またしても大雨になりそうなのだ。とくに西日本は気をつけなければならないようで、近頃の天気は極端から極端に振れる。

今月の半ばは関西から北陸方面に連続して出張していたが、15〜18日は大変な猛暑で頭がクラクラするほどだった。そして 18日夕刻からは急に雨模様になり、19日は交通機関が動かなくなるほどの大雨で、関西から北陸までの移動にちょっと苦労した。

そして関東に帰ったらまたしても猛暑がぶり返し、「一体どうなってるんだ?」なんて言っているうちに来週はまた大雨というわけだ。本当に油断のならない天気が続く。

昔みたいに気温が 30度に達したら「暑い暑い」と言っていればよかった時代は、今から思えばかなり穏やかな天気だったと言えるだろう。夏の終わりから秋にかけての虫の声を聞く夕暮れは、今ではかなり貴重な風情である。

 

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2019/08/24

あの「ガラケー女」に、「カメラはヨコ位置で構えろ」と言いたい

例の「常磐道あおり運転」ですっかり有名になってしまったのが、宮崎容疑者の運転する BMW に同乗していた「ガラケー女」である。無関係の女性が「ガラケー女」として住所氏名までネットに晒されるという騒動まであったようで、どうしようもないお話だ。

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それはそれとして、私が興味を覚えてしまったのは、「ガラケー女」という世間での呼び方だ。それほどまでに、今やガラケーは少数派のデバイスになってしまったようなのだ。ニュースで流れた動画の右手でガラケーを構えた姿は、まさに「異様」と表現するに十分な鬼気迫る姿である。

せっかくなので敢えてそれ以上のことを言わせてもらうとすれば、なにゆえこれほどまでに「異様」な印象なのかというと、この「ガラケー女」のケータイカメラの構え方が、かなりダサい「縦位置」だからである。世の中のギャルやオバサンがよくやってしまう「不細工な姿」だ。

私は 2年半前に 「視聴者投稿のタテ位置動画に思う」という記事を書いている。写真や動画は、基本的に「ヨコ位置」で撮影してもらいたいという話だ。

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最近はテレビニュースなどでも視聴者の撮影した動画が使われる場合があるが、最初に示されるのは圧倒的に「タテ位置」の画像が多く、それが2〜3秒以内にズームで横位置になって表示されるのが「お約束」になっている。私としては、「だったら、始めから『ヨコ位置』で撮影してくれよ!」と思ってしまうのである。

上の画像で示した「富士山と新幹線」の画像なども、フツーに「ヨコ位置」で撮影してくれさえしたら、富士山のきれいな姿と、右から左に失踪する新幹線が美しいバランスで表現されていたはずなのである。撮影する時に、どうしてそれに気付かなかったのか、私は不思議でしょうがない。あまりにも無神経すぎる。

というわけで、私はこの「ガラケー女」に、「次はちゃんとヨコ位置で撮影しようよね」と諭してあげたい気持ちで一杯なのである。世間の一般的反応とは角度が違ってて、ゴメン。

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2019/08/23

「ビジネスマン」なんかじゃないんだから

日経ビジネス電子版で、"「結局、ワイシャツの下は何を着ればいいのか」の舞台裏" という記事が送られてきた。これは「あの企画の舞台裏」というシリーズで、過去に話題になった記事について執筆者本人にその舞台裏を聞くというもらしい。

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で、今回の記事は 2013年に話題となった「結局、ワイシャツの下は何を着ればいいのか」という記事を執筆した鈴木信行副編集長に聞いてまとめたものであるらしい。2013年といえば 6年も前の記事だが、そういえば当時、「ワイシャツの下には何も着ないのが本当」としてちょっと話題になっていたような記憶がある。

この記事に登場するのが松屋紳士服バイヤーの宮崎俊一という人で、その世界では「カリスマ・バイヤー」として名を馳せる人物だ。『成功する男のファッションの秘訣』(講談社の実用BOOK))という本の中で、「9割の人が間違ったスーツを着ている」と主張している。

彼は「スーツはジャストフィットのものを選べ」(そうすると日本人の目には小さすぎるように見えてしまうが)とか「Tシャツは 40才以上の男の着るものではない」とか「欧州のビジネスシーンでは、半袖ワイシャツはあり得ない」とか、いろいろなことを主張している。さすが「カリスマ・バイヤー」だけに、これがもっともらしく聞こえてしまうのだ。

この 2013年の企画で彼は 「ワイシャツの下には何も着ないのが正解」と言っている。ワイシャツ自体が下着なのだから、その下にシャツを着ては「下着の重ね着」になってしまうというのだ。暑いときは上着を脱いでワイシャツの袖をロールアップして(まくって)過ごすのが正解なのだそうだ。

ちなみに、暑いときには「ワイシャツという下着」だけになってもいいということの根拠は、何も示されない。こだわるところには徹底的にこだわっても、それ以外の部分はテキトーでいいというのが、ファッションという世界である。

私自身のことについて言えば、一応「まともな勤め人」をしていた頃、ワイシャツの下には夏場は下着を着けなかった。だって、そんなことをしたら暑すぎるから。そして半袖ワイシャツというものも 1着ももたなかった。この点については、宮崎バイヤーの主張と図らずも一致する。

ただ、30才を過ぎる頃から「営業職でもないのに、スーツなんか着てられるか!」とばかり、夏場はポロシャツ 1枚になり、冬場はウールのジャケットで過ごすようになった。そんなわけで、今ではスーツと称するアイテムは春夏用と秋冬用 1着ずつに、冠婚葬祭用の 1着、合わせて 3着しか持っていない。

そしてこの 3着も滅多に着ることがないから、当然ながらワイシャツというものもほとんど着ない。だから「ワイシャツの下は何を着ればいいか」という疑問すら存在しない。基本的に、暑かったら下着なんて着ないし、寒かったらユニクロの「ヒートテック」を着るというだけだ。

もっと言ってしまえば、秋冬用スーツというのも邪魔くさいから、寒い季節はヒートテック下着に春夏用スーツでもいいとすら思っている。つまり、冠婚葬祭用(これは前から春夏用のみだし)と合わせて 2着で乗り切れるってわけだ。

「結局のところ」という話で言えば、「ビジネスマン」なんかやってないんだから、テキトーにカジュアルな格好をしていればいいというだけのことである。ヨーロッパ流のドレスコードなんてものに忠実に生きていたら、日本の夏場は乗り切れない。

 

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2019/08/22

「ウザいカタカナ用語」という問題

「知識連鎖」というサイトに「日本語で言えよ!うざいカタカナ用語ランキング NHKを提訴する人も登場」という記事がある。「日本語で言ってくれれば意味がわかるのに…と思うカタカナ語ランキング - ビジネスランキング - goo ランキング」を紹介したものだが、残念ながら goo ランキングのサイトには該当記事が見つからなかった。とはいえ、どんな言葉なのかというと、こんなのである。

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私は 40代の頃に外資系団体に勤務していたことがあり、そこでは仕事上で交わされる言葉の少なくとも 3割ぐらいはカタカナ言葉だった。それに比べれば上に示した程度の言葉は生やさしいといってもいいぐらいで、個人的には「もう外来語として定着してるんじゃないの?」という印象がある、

しかし知識連鎖のページでは「私は見ているだけでイラッと来ますわ」とあるように、かなりアブナいところもあるので(つい「リスクがあるので」と言いたくなったりもするのだが)、実際に使う上ではそれとなく気をつけている。

このページには各カタカナ語の「言い換え」というリストもあって、それは次のように示されている。

アジェンダ: 実施すべき計画、協議事項、議事日程
オーソライズ: 公認
オルタナティブ: 代替、二者択一
エビデンス: 証拠
バジェット: 予算
パラダイム: 考え方、規範
マイルストーン: 各作業工程の節目、里程標、画期的な出来事
スキーム: 枠組みを伴った計画
バッファ: 余裕、緩衝材
コンテクスト: 文脈

これをみると、一般的には「ウザい」と思われているカタカナ用語の中には、日本語で言い換えようとするとニュアンスが違ってしまったり、かえって長ったらしくなったりしてしまうので、実際問題としてカタカナ語で言う方がスッキリするというものもある。「アジェンダ」「オルタナティブ」「パラダイム」などがそれにあたるだろう。

とくに「オルタナティブ」は、日本語でニュアンスまで伝えようとすると、少なくとも 200〜300文字ぐらい使いたくなってしまうよね。要するにきちんと対応した訳語が存在しないのだ。こんなのはカタカナで表記される外来語として定着させる方がずっとすっきりする。

また「オーソライズ」は「公認」と言い換えられているが、実際には「権威付けする」というようなニュアンスもあるので、「公認」の一言だけだとちょっと言い足りなさが残る。また「エビデンス」を「証拠」と言い換えると、なんだか固すぎるような気もするのだよね。

一方、「バジェット」は気取らずに「予算」と言ってしまっても何の問題もないだろうし、「マイルストーン」なんかは個人的には「一里塚」と言い換えたい気もしているほどで、「ウザいビジネスカタカナ用語」と言っても一概にはまとめられない。

さらに言えば、「カタカナ語」というだけで毛嫌いすることにも問題がある。「日本語で言えよ!」と声高に言いたがるオッサンでも「ガラス」とか「パンツ」とか「ティッシュペーパー」とかいう言葉には抵抗を示さないのだから、要するに「慣れ」の問題なのだ。

ちなみに前に付き合いのあったオッサンが、会話中の関係ないところでやたらと「パラダイス」という単語を連発するので、一体何のつもりなのかと怪訝に思っていたところ、よほど後になって「パラダイム」のつもりだったとわかった時には腰が砕けそうになった。

 

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2019/08/21

例の「あおり運転」の事件について

今月 14日の "「高齢化社会」を実感する" という記事で 「ところで最近、近所の道路のクルマの流れが妙に遅くなったと感じている」と書いた。一時は運転の荒いことで有名だった茨城県でも、最近は高齢化のためか運転がおとなしくなったという印象を述べたものである。

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ところで最近、私の妹が例の「常磐道でのあおり運転」のニュースを持ち出して「茨城県の運転は相当に乱暴みたいだから、気をつけて」と LINE をよこした。今回の事件は「茨城県の運転は荒い」という世間一般の思い込みの象徴になってしまったようなのである。

しかしニュースをよく吟味すればわかるように、あおり運転をしたのは「大阪在住」の男で、使われたクルマは横浜市内のディーラーから代車として貸し出されたものであるらしい(参照)。この男がたまたまコトを起こしたのが常磐自動車道というわけで、茨城県としてはいい迷惑なのである。

この事件で逮捕された宮崎文夫という男が、どうしてまた横浜のディーラーから代車を借りて茨城県まで来たのかについてはまったく情報が公開されていない。茨城県民としては「お前みたいなヤツに、用もないのに来てもらいたくないわ」と言いたいところだ。

それにしても世間というのはよくよくわからないもので、こんなひどい男が、居住地でもない横浜のディーラーから簡単に BMW の SUV を借りられるようなのである。一見羽振りがよさそうだと、クルマを売りたい一心で簡単に貸し出すのだろうか。

いずれにしても、世間にはこんな滅茶苦茶なやつが生息しているわけだから、クルマを運転する時には前だけでなくバックミラーやサイドミラーを頻繁に確認して、アブナそうなクルマが来たらさっさとやり過ごす方がいい。そして追い越し車線をノロノロ運転するクルマはこうした被害に遭いやすいかもしれないから、ゆっくり走りたいなら(3車線の真ん中ではなく)左側の走行車線を走る方が無難だろう。

 

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2019/08/20

iPhone XR に機種交換して半月以上経った

2年以上使ってきた iPhone 7Plus が、7月下旬におシャカになった。他から電話がかかってくるとそれを関知して受信音やバイブレーションで知らせてくれはするのだが、会話で応答できなくなったのである。さらにまた、発信もできない。受信記録は残るので、再起動してこちらからかけ直すと話ができるが、しばらくするとまた通話できなくなる。

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かなりハードに使い続けてきたのでこれも仕方がない気がするが、このままでは仕事にならないので、7月 24日に iPhone XR に機種交換した。最初の iPhone 3G からほぼ 2年ごとに機種交換していることになり、これはもう定期的なお約束みたいなものだ。それから 3週間以上経過したので、この辺りで使用感をレビューしておいてもいいだろう。

まず最初に戸惑ったのが、ホームボタンがないことだ。iPhone 7Plus までは画面の下に物理的なホームボタンがあり、これをプッシュすることでアプリを終了させるなどの操作ができた。またこのボタンでログインの際の指紋認証もできたのである。

それがなくなって、指紋認証の代わりに「顔認証(Face ID)」でログインするシステムとなった。顔認証は最初の認識作業でちょっとした手間がかかるが、一度認識してしまうとそれから後は動作が速い。スイッチ・オンすると一瞬の間に Face ID が機能してすぐにログインされる。かなりのスピード感だ。

さらにアプリを終了させるには、ホームボタンを押す代わりに画面の一番下にタッチし、上にスワイプする。この動作に慣れるのにちょっと手間がかかったが、翌日までには身についた。一度慣れてしまえばどうってことはない。

私は PC も Mac を使っていて、さらに腕時計も Apple Watch なので、今や iPhone、iPad と合わせて完全に 4点セットである。iCloud を介してこの 4つのデバイスを連携させていると、使用感は本当に快適だ。iPhone の良さは、単体ではなく Mac、Apple Watch などとの連携でこそ発揮されると思うし、その連携はますますスマートになってきた印象がある。

 

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2019/08/19

「スイカの種を食べるとへそから芽が出る」という話

子どもの頃、「スイカの種を食べるとへそから芽が出る」と言われた。この警句ともジョークともつかない話は私の生まれた山形県庄内地方特有のものと思っていたが、ネットで調べるとほぼ日本全国に広まっており、しかも今でも生きている話のようで、こんな風に真面目に論じたページまである。

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日本でスイカが一般的に広まったのは江戸時代後期からとされていて(参照)、こんな話が作り上げられたのはそれ以後のことだろう。ということは長く見積もっても 1950年代以前のほぼ 100年足らずの間に、テレビもインターネットもなしに山形県の田舎の片隅にまで伝播していたことになる。

ただ、考えようによってはいかにも容易に発想されそうなことでもあるので、あるいは同時多発的なものだったのかもしれない。いずれにしてもフォークロアの威力というのは大したもので、なかなか侮れない。

上で紹介したページには「スイカの種を食べるとヘソから芽が出る由来とは」という項目があって、「農家説」と「食べ過ぎ注意説」の 2つが紹介されている。

「農家説」というのは、農家で「子供達にスイカを振る舞い、 スイカの種を畑に蒔かせる作業を手伝わせたようです」とあり、「スイカの種ごと食べられてはダメなので、『スイカの種を食べるとヘソから芽が出る』と子供が怖がるようなストーリーになった」とされている。要は「種の確保」という、ある意味「合理的」な話である。

ただ、スイカの種蒔きの時期は食う時期に先立つので、スイカを振る舞って種蒔きを手伝わせたというストーリーには無理がある。それに「種確保の必要性」は何もスイカに限ったことではないので、この説は一見魅力的ではあるが、ちょっと「眉唾」かもしれない。

「食べ過ぎ注意説」は、「子供がスイカを食べ過ぎてお腹をこわすのを避けるため」とある。スイカは水分が多く(「食養」でいう「陰性食物」)、体を冷やす作用があるため、「種を取らせる行為を間に挟む事によって大量に食べるのを抑止していた」というのは、ある意味、理にかなっているが、かないすぎておもしろくもなんともない。

私としては、単なる「お笑いノリのお話」と解釈すればいいだけと思っている。全ての言い伝えにもっともらしい教訓を求めるのは、話がお堅すぎる。「単なるお笑い」にだって、十分な存在意義があるのだ。

ちなみに私は子どもの頃、「へそから芽が出る」と言われて、「それならスイカを買わずに済むからいいじゃん!」なんて「人間スイカ畑」みたいなノー天気なことを考えていた。スイカが育って重くなったら、それをぶら下げながら暮らすことになるという不具合にまでは思いが至らなかったのだから、「ユニークではあるが、考えの足りない子」だったようである。

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2019/08/18

「日本三大がっかり名所」というもの

LIMO というサイトが "「日本三大がっかり名所」ホントにがっかり? それとも意外と楽しめる?" という記事を載せている。この記事によると「日本三大がっかり名所」というのは、「札幌時計台」と土佐の高知の「はりまや橋」の 2つが衆目の一致するところで、残り 1つは「諸説ある」のだそうだ。

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このうちの「はりまや橋」については、このブログでも 15年も前の 11月に「土佐の高知のはりまや橋で」というタイトルで、当時の記事としては珍しく写真入りで書いている。この記事でも、札幌時計台とはりまや橋に続く「残る一つは諸説ある」としていて、まあ、「三大チョメチョメ」の 3つめが「諸説あり」というのは、この世界のお約束みたいなものだ。

ちなみにこの記事では「残る一つ」として取り沙汰されているものは「沖縄の守礼の門、名古屋テレビ塔、京都タワー、日光東照宮の眠り猫というあたり」としている。このうちで、当時は「沖縄の守礼の門」はまだ行っていなかったが、残りの 3つに関しては「なるほど、見事ながっかり度である」とコメントしている。

とくに「日光東照宮の眠り猫」については、「そのがっかり度でいえば圧倒的なものがある」と書いたが、東照宮自体のケバい歌舞伎趣味は嫌いじゃないので、ついでに「招き猫まで許してしまう」としちゃってる。それに「招き猫」そのものは「小作品」だから、厳密には「名所」ってわけじゃないしね。

さらに「札幌時計台」については「なんとなく雰囲気はある」として許しているし、「はりまや橋」も「ここまでくれば話題としてはおもしろいということで、賞賛したい気持ちにまでなる」と書いている。我ながら物わかりのいいことである。

それから沖縄には 13年前に初めて行って、当然首里城にも行ったが、守礼の門を見てもちっともがっかりなんかしなかった。日本の神社のスタイルの原型みたいな構造に、むしろ感動すらしている(参照)。というわけで、正味で「がっかり」というのは「名古屋テレビ塔」と「京都タワー」ぐらいのものだが、この 2つに関しては元々別に期待なんかしていないから、がっかり度は薄い。

さて、残る 1つ。私の記事では取り上げていなかったが、LIMO の記事に載っているのは、長崎の「オランダ坂」である。これが 「三大がっかり名所」の候補であるとは、ついぞ知らなかった。これ、一見「フツーの坂道」に過ぎないので、がっかりと言えばがっかりかもしれないが、まあ、さりげなく通り過ぎればいいだけのことだろう。

ここで世界に目を移すと、「世界三大がっかりスポット」というのもあるらしく、それは "行く前にチェック!世界の『3大がっかり』観光スポットって!?" というページによれば、「マーライオン」(シンガポール)、「人魚姫像」(コペンハーゲン)、「小便小僧」(ブリュッセル)ということになっているらしい。私は残念ながら、1つもナマで見たことがないし、別に見たいとも思わないなあ。

というわけで、「がっかり名所」と言われるものも、前もって勝手な期待を抱きすぎなければいいということだ。

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2019/08/17

肉食を避けるライフスタイル

佐久間裕美子さんという人が NewSphere に 「ヒップな生活革命、その先(Wear Your Values)」という連載をしていて、その中で「食をめぐる問題」というのを書かれている。そのしょっぱなでレポートされているのが、アメリカの食べ物が最近おいしく健康的になってきたということだ。

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レストランのメニューに "Locally grown and sourced"(地元で栽培・調達された)との文言を見ることが当たり前になって、有機栽培の野菜も増えているというのだから、かなりうらやましい話だ。一時はジャンクフードばっかりみたいな印象のあったアメリカの食べ物だが、近頃かなり進化しているようなのである。

地元で農薬を使わずにオーガニックな育て方をされた野菜は、間違いなくおいしい。海を渡ってくる化学肥料と農薬漬けの野菜とは別物と感じられるほどだ。

彼女は 2年前から肉を食べるのを止めたと書かれている。卵や牛乳などに至るまで動物性の食品を完全に避ける「ヴィーガニズム」ではなく、魚介系は食べる「ペスカテリアニズム」を実践しているとのことで、この点は私も同様にペスカテリアンなので、ますます共感をもって読んでしまった。

今回の記事は彼女の連載の内容をそのまま紹介することが目的ではないので、興味のある方はリンク先に飛んで読んでいただきたいが、1点だけここでも強調するとすれば、「人間が肉を食べる行為を減らし、肉の生産量を減らせば、急速に進む温暖化の緩和に貢献できる」ということだ。どうしてそうなるのかも、リンク先を読んで戴ければ理解できる。

私が肉を食べない理由はこうした環境倫理的なものなので、この点でも彼女に共感する。このように、世界では好き嫌いではなくエシカル(倫理的)な理由で「肉を食わない」というポリシーの人が増えているのである。

ところが日本では肉食が花盛りで、肉を食わない人間が外食しようとすると、本当に選択肢が狭まるのである。それについては 3年前の「ノーミートのメニューは選択肢が極端に少ない」、昨年の「何でもかんでも肉が入ってしまう時代」という記事で触れた通りで、私なんか最近は「蕎麦屋以外にはアブなくて入れない」と思っているほどだ。

ここで心配になるのが、来年の東京オリンピックである。外国からかなり多くの「肉を食わない人」が入ってくるだろうが、彼らの需要にきちんと対応できるレストランは本当に限られる。

外国人に「毎日蕎麦を食え」というわけにもいかないし、さらに厳格なヴィーガンとなると魚の削り節で出汁を取る蕎麦汁も御法度だから、本当に食うものがなくなってしまう。彼らが困らないような対応ができてこそ、文化国家というものだろうが、この点では日本はお寒い限りだ。

日本は無闇に「皆と一緒」が尊重される画一主義の国で、多様なライフスタイルが受け入れられない。宗教的、倫理的な理由で食にこだわるのはややもすると「変人」「わがまま」という扱いにされてしまい、きちんとした対応がほとんど期待できない。

私は「真夏の東京でのオリンピック」なんて、ある意味狂気の沙汰と思っているほどだが、日本で肉を食わない者のためのメニューが豊富な外食店が増えるきっかけになってくれるとすれば、少しは意味があるかもしれないと思う。

【付記】

魚介は食べるが肉は食べない「魚菜食主義」は英語では "pescetarianism" と言われるが、外来語として入ってきてから日が浅いためカタカナ表記が定まっておらず、魚菜食主義者は「ペスカタリアン」「ペスクタリアン」などと表記されている。

ただ、これは魚介系スパゲティなどの「ペスカトーレ」とローマ字読みの折衷みたいなもので、実際の英語の発音から離れすぎなので、ここでは佐久間さんに倣って、「ペスカテリアニズム/ペスカテリアン」と表記した。

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2019/08/16

奈良の ”Engli sh Guides"(あるいは Engrish Goodwil Guides)というもの

昨日は台風 10号の影響で予約していた新幹線「のぞみ」が運休となり、1本後の便に振り替えてなんとか無事に奈良に着いた。そして JR 奈良駅前の観光案内所のカウンターに、下のような案内表示のスタンドがあるのにちょっと驚いて、思わず tweet したのだった。(参照)、

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"FREE! Engli sh Guides EGG Nara YMCA" と表示されていて、「”Engli" って何じゃいな?」と思ってよく見たら、”Engliish” とミススペル("i" を 2つ重ねてしまった)して、1個塗りつぶしてあるんだったよ。スタンドを裏返してあるからいいと思ってるのかもしれないが、その裏返しの面の方が正面を向いているのだ。

さらに、下の方に表示されている  "EGG" というのは何の卵だろうと調べてみると、「奈良YMCA善意通訳協会(EGG)」という任意団体だった。それにしても、どういう英語表現すると略称 "EGG" になるのだろうと気になってしまい、さらに調べてみると、この団体の Facebook Page が見つかった。

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このページの左上にあるクレジットによると、何と【Engrish Goodwill Guides "EGG"】なのだそうだ。うっかり見逃すと何だから、ちょっとクドく書かせてもらうが、"English" じゃなく "Engrish" である。この国の中学生がよくやっちまうやつだ。

さらに気になってしまうのは、カッコが「入れ子」になってしまっていることである。ことのついでにもっと細かく言うと、同じカッコでも半角と全角が不細工に混在しちゃってるし、これ作った人、自分で気持ち悪くならなかったかなあ。

エンブレムには "Since 1970" とあるから、あの大阪万博から半世紀もやってるのだね。なかなか立派なものだ。ということは、この団体のメンバーは年配の方が多くて、Facebook Page 作りなんて他人任せにしているんだと思う。「何か、ホームページがあるらしいね」ってなぐらいのもので、自分で覗いてみたこともないに違いない。

うむ、敢えてそう思うことにしよう。そう思わないことにはちょっと悲しすぎるものがあって、この団体に英語ガイドを頼む者なんていなくなってしまうだろう。救いと言えば、英語版のトップページには、少なくともミススペルは見当たらないことだ。(表現としての疑問点はいくつかあるけど、キリがないから触れない)

というわけで、私はこの団体にわざわざ「修正した方がいいですよ」なんてメールするほどお節介じゃないし、この国の英語レベルのありのままの指標として、このままに放っておく方がいいんじゃないかとまで思ったりもする

あるいは心ある親切な方が気になって気になって、見るに堪えなくなってしまったら、一言知らせてあげるという goodwill を発揮してもいいかも。

 

続きを読む "奈良の ”Engli sh Guides"(あるいは Engrish Goodwil Guides)というもの"

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2019/08/15

香港の自由を守る運動と、ベルサーチの Tシャツ

8月 12日付の FNN PRIME に "Tシャツの「香港」が... ベルサーチ謝罪 アンバサダー女優も批判" という記事がある。

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どういうことかというと、ベルサーチの Tシャツの背中に世界の大都市と国名を記したプリントがあり、その中で "Hong Kong - HONG KONG" "Macau - MACAO" (「香港 - 香港」「マカオ - マカオ」)と記されていたというのである。なるほど、写真を拡大して見ると明らかだ。

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このため、香港とマカオの領有権を主張する中国では批判が相次いでおり、ベルサーチの「アンバサダー」(海外セールス・プロモーションのキャラクター?)を務める中国女優まで「中国の主権と領土保全を侵害した疑いがあり、非常に憤りを感じる」と、契約を解除する声明を出すまでになっているという。

この記事を読んで私は思わず、「その Tシャツ、欲しい!」と画像入りで tweet しちゃったよ(参照)。できればこれを来て街を歩き、香港の自由を守る運動を展開している香港人(私の知り合いも参加しているはずだ)を及ばずながら応援する姿勢を示したい気持からである。

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ところがその真意が伝わらなかったようで、この tweet には「いいね」が 1個も付かなかった。こうした話はくどくど書いたら粋じゃないと思ったのだが、どうやらいくら何でも説明不足だったようだね。というわけで、今さらのようにこうして野暮な記事を書いている。

実際にはベルサーチの Tシャツなんてやたら高いし、ベルサーチも大市場の中国を失うことを恐れて市場から回収しているだろうから、もう入手できないと思う。こうなったら誰かコピーを作って安く売ってくれないかなあ。"Versace" の文字さえ入れなかったらデザイン侵害じゃないと言い張れるだろうし。

香港の民主化運動については、4年近く前にも「香港の自由を守る運動に心の底から共感」というタイトルで書いている。その時から、というか 30年以上前から私の気持ちは変わらない。

というわけで、この記事のことは Twitter に載せるので、賛同する方は思いっきり「いいね」を付けたりリツィートしたりして広めていただきたいものである。

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2019/08/14

「高齢化社会」を実感する

昭和 27年(1952年)生まれの私は先月の誕生日で何と 67歳になってしまった。ちょっと前までの感覚ならすっかり「お爺さん」の年で、40年前に死んだ明治生まれの祖父なんか、65歳頃には足腰がめっきり弱ってヨイヨイになり、頭の方も恍惚状態で孫の私の顔さえわからなくなっていた。それと比べたら私なんかまだまだイケる。

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そして私より少し上の世代、つまり「団塊の世代」は 1947年〜1949年生まれとされているから、その先頭は今年既に 72歳になったか、なろうとしており、東京オリンピックの翌々年には、「後期高齢者」の範疇に入ってしまう。これを判で押したように「イヤな呼称」と反発する向きが多いが、別にいいじゃないか。「末期高齢者」じゃないんだから。

話を戻すと、上の画像で示されるように日本で最も人口の多い世代が、既に相当な「高齢者」になってしまっているのである。ざっと見ただけで、20〜21歳の連中の倍近くはいるよね。「じいさん/ばあさん」が、若者を数で圧倒しているのだ。すごいなあ。

近所の同世代のオッサンたちもほとんど定年を過ぎてブラブラしており、一様に頭が白くなるか薄くなるかしてしまっている。白髪のない私は妙に若く見えてしまうのだが(参照= 約 2年半前の写真だが、今もほとんど変わらない)、実は似たような年なんだよね。

世間でいう定年の前に独立して「フリーランス」になり、贅沢に好きな仕事だけ選んでこなしているので老け込まないのかもしれない。イヤなことを強いられるか、ヒマ過ぎたりすると老けるのだよ、きっと。

ところで最近、近所の道路のクルマの流れが妙に遅くなったと感じている。私が茨城県に移転してきた 40年前は、クルマの流れの速いのに驚いた。制限速度 40km/h の道路を 60km/h ぐらいで走っていても、後ろからやたら煽られる。その頃の茨城県は交通マナーの乱暴なことで名を馳せていて、巷では「制限速度の倍までは出していい」なんて言われていた。

ところが最近はまるで別の土地を走っているみたいに、クルマの流れが妙に「おとなしい」のである。さしもの茨城県民も、多くが 70歳を過ぎると運転が穏やかになるようなのだ。

団塊の世代がさらに年を取って「免許返上」なんてし始めると、その次に多い世代の「団塊の世代ジュニア」が 還暦前後になる。そうなると、さしもの茨城県民も昔のような乱暴な運転には戻らないのだろうなあ。時代は確実に変わるのである。

 

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2019/08/13

超大型の台風10号が近付いている

気象庁によると、南海上の台風 10号は「超大型」に発達して、明日 14日夜から 15日頃にかけて西日本に接近・上陸の恐れがあるという。実は私は 15日に京都に行く用があるので、新幹線がきちんと動いてくれるかどうか、ちょっと心配だ。

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いっそ台風がさっさと北上して 14日のうちに通り過ぎてくれればいいのだが、このところの熱波をもたらしている太平洋高気圧の勢力が強くて、動きが遅いのが癪である。

14〜15日といえば、世間一般は「Uターンラッシュ」ということで、私とは逆方向の、関西から東京に向かう新幹線が満員になる。満員の上に遅れが出たら、京都に向かう私以上の影響を受けるだろう。

台風の進路を告げる地図をみると、「超大型」というだけにその勢力は日本列島をすっぽり覆うぐらいの範囲をもっている。多少の時間差があっても、影響は免れないだろう。さすがの晴れ男の私も、かなりのストレスになるものと覚悟して出かけることにする。

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2019/08/12

「命に関わる暑さ」が当たり前になっている

「Goo 天気」のデータによると、東京では今年 8月に入ってから昨日までの 11日間のうち、最高気温が 35℃ 以上の「猛暑日」が 6割を超す 7日になっていて、残りの 4日もすべて 30℃ 以上の「真夏日」。しかもそのうち 3日が真夏日すれすれの 34℃台だ(参照)。

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東京では 7月 24日以来 8月 11日まで、連続 19日間の真夏日となっている。その前までは雨が続いて気温が低めだったから、突然の暑さに体調を崩す人が続出した。本当に天気が極端になっている。

私も年齢だけは「前期高齢者」ということになっているから昔の話をさせてもらうが、昔は「猛暑日」(といっても、2007年以前はそんな言い方すらなかったが)がこんなには頻発しなかった。私が大学に入って上京した 1971年は、一番暑かったのが 8月 11日の 34.4℃ で、今で言う「猛暑日」なんて 1日もなかった(参照)。

その 10年後の 1981年の 8月も、30℃ 以上の「真夏日」は月のうち約半分の 16日だった。その 5年後の 1986年の 8月も、「真夏日」は 3分の 2 足らずの 20日間。そしていずれも 「猛暑日」は記録されていない。そして 1991年 8月は、11日間が「真夏日」で、そのうち 8月 1日だけが最高気温 35.2度の、今で言う「猛暑日」である。

ところが「猛暑日」という言い方が定められた 2007年の 8月になると、「真夏日」が月のうち 8割以上の 26日で、そのうち「猛暑日」が7日ある。ちょっと世界が変わったというイメージだが、今年は8月の 3分の 1 を過ぎただけで、猛暑日が同じ 7日に達した。世界が変わって、またさらに変わってしまった感がある。

そもそも昔の夏は、時々は雨が降って地面が冷やされるから、「真夏日」だってそんなに長くは続かなかった。それだけに「死ぬほど暑い」という言い方は「大袈裟な表現」だったが、近頃では「リアルな表現」になってしまっている。東京都内では 8月に入ってからの 1週間で、45人が熱中症の疑いで死亡しているというから、「リアル」としか言いようがない。

近頃は本当に天気が極端になっていて、「命に関わる暑さ」も当たり前になっている。

 

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2019/08/11

社会の暗部を無意識の領域から掘り出す

あいちトリエンナーレに関して、昨日の記事の続きである。昨日の記事は柄にもなく細かい客観的事実の積み上げという形になったので、読んでいてつまらないと思われた方が多かったと思う。書いている当人もそれほど楽しくなくて、やや気が滅入っちゃったりもしたし。

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で、今日は「細かい事実」をちまちま積み上げるのではなく、私らしく直観的な話にする。話の入り口は、内田樹氏の 8月 4日付の tweet (参照)だ。彼は次のように述べている。

ふだん隠蔽されている社会の暗部を可視化するのはすぐれて批評的な行為です。今回の愛知の出来事で、日本の暗部が深くかつ広範囲に可視化されました。

「よくぞ言ってくださった!」と拍手を送りたいところである。実は私も「次はフロイトの精神分析的なロジックを借りて今回の企画展を語ろう」なんて思っていた矢先で、その結論は内田氏の tweet とほぼ同じようなところに持っていこうと思っていた。見事に先を越されてしまったけど、相手が内田樹さんだから、まあ、いいか。

フロイト精神分析は詳細に語り出したらキリがなくて、なかなか私如きの手には負えないが、要するに「無意識の領域にある抑圧的記憶を意識化させることで、神経症的症状を消すことができる」というメソッドであると、極々単純に理解している。アメリカ映画なんか見ていると、米国のインテリはみんな精神分析医にかかってるんじゃないかと思うほどで、「彼らも大変なのね」と同情するのだが、実は日本も大変なのだ。

要するに神経症的症候の多くは、意識化することに苦痛を憶えてしまうような記憶を、無意識の奥に抑圧して閉じ込めておくことから生じる。なにしろ閉じ込めた先は「無意識」というところで、当の本人すら気付いていない心の領域だから、合理的な「意識」でどうあがいても解決できない。

仕方がないから、治療の過程ではある程度の心理的苦痛を感じてまでも、それまで無意識の底に抑圧していた(要するに隠蔽していた)記憶を呼び覚まして、きちんと「意識化」することで解決する。

というわけで、私としては「美しい日本精神」を謳い上げているだけでは、意識的に生きようとすればするほど日本人は神経症的になってしまうほかないと思っている。本当に「美しい日本人」として生きようとするなら、認めたくない「歴史の暗部」の要素も、無視したり無理矢理に「国民的無意識の奥底」(と言えるかなあ)に閉じ込めて「なき物」とするよりも、きちんと意識化して「落とし前」を付けておかなければならない。

こんなことを言うと、「いつまでも韓国に屈辱的な『謝罪外交』を続けろというのか」と攻撃したがる人が、ネットの世界にも多く見られるが、そんな意味で言っているのではない。「あったことは事実として客観的に認めて、その上できちんと客観的議論をしなければならない」ということである。

いわゆる「謝罪外交」とは、「一応謝った形にしたんだから、もういいじゃないか」とばかりに再び無意識の中に封じ返し、表面的には「なかったことにしてしまおう」という行為である。そんなことをしているからご覧の通り、日本社会は「社会的神経症」の様相を呈している。

 

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2019/08/10

あいちトリエンナーレの企画展中止に関して、原則的な一言

一昨日の "「表現の自由」と「自己責任」についてのエクストリームなご意見” という記事に basara10 さんが付けてくれたレスに、結構長文の返事を書いた。書くのに結構いろいろ調べたので、単なるレスにしておくのはもったいないということで、もうちょっと付け加えて本日の記事にさせていただく。

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basara10 さんは「やはり許可した知事や芸術監督を選んだ委員は批判されても仕方ないと思う」と述べておいでだが、「表現の自由」もあれば「批判の自由」もあるので、それは当然だと思う。ただ批判するのは OK だが、行政側が「中止してしまえ」と言うのはほとんど「検閲」に等しく、「表現の自由」の否定につながる。

というわけで、愛知県としては企画展中止に関する検証委員会を立ち上げる方針と発表された(参照)。これはいいことだと思う。このまま「あれって、中止になっちゃったんだよね」だけで済ませるわけにはいかない。

ただ、私が今イチ腑に落ちないのは、河村たかし市長の「展示中止」を求めた発言に対し、「憲法 21条違反の疑いがある」と主張した大村秀章愛知県知事自身が、実はこの展示会の実行委員長を務めていて、展示中止を決めた当事者であるということだ。それほど表現の自由を大切に思うなら、中止以外の選択もあっただろうにと思うのである。

で、今回の問題を整理すると、「表現の不自由展・その後」の企画実行に関しては、芸術監督の津田大介氏の力が大きい。そして誰が彼を芸術監督にしたのかということについては、愛知県のサイトの「あいちトリエンナーレ2019の芸術監督が決定しました」というページに、次のようにある。

学識経験者7名から構成される「あいちトリエンナーレ芸術監督選考委員会」を設置し、2回の議論を経て、芸術監督の選考を行い、同委員会の推薦を受けて、あいちトリエンナーレ実行委員会運営会議において芸術監督を選任した。

その「芸術監督選考委員会」なるもののメンバーは、同じページに五十嵐太郎、加須屋明子、建畠晢、中井康之、藤川哲、水野みか子、港千尋の各氏であると紹介されている。このメンバーによる会議は平成 29年の 5月 1日と 6月 4日の 2度開かれており、ここでの議論の結果に基づき、7月 18日開催の実行委員会運営会議の席上で津田大介氏を推薦。そしてこの会議においてそのまま正式決定され、8月 1日には彼の就任が発表された。

つまり、2年以上前から芸術監督の人選は議論されており、開催のちょうど 2年前に津田大介氏と発表された。津田氏はこの芸術監督の依頼には「思わず二度見しましたが」と Twitter に書いている(参照)ほどだから、先立っての「生臭い話」はあまりなかったのだろうと思われる。そして企画展にはほぼ 2年の準備期間があったわけだ。

で、コトの成り行き上「あいちトリエンナーレ実行委員会運営会議」ってどんなのかと調べると、今から約 1年半前の「平成 30年 3月 22日(木)」の会議に関する情報が、やはり愛知県のサイトにある(参照)。「今年度 3回目」とされているが、3月のことなので、「平成 29年度の 3回目」ということだろう。年度末になって「3回目」というのだから、ずいぶんのんびりしたペースである。

この回の議題は「あいちトリエンナーレ 2019 の開催概要について」「平成 30年度事業計画及び収支予算について」ということなので、多分、これが実質的なスタートラインになったのだっただろう。ただし開催時間は「午後 1時 30分から午後 2時 10分まで」のたかだか 40分間なので、かなり形式的なものと思われる。主催者側のお約束通りのご挨拶と原案の読み上げをしたら、あとは「シャンシャンシャン」で承認するぐらいの時間しかない。

過去のリリースを見ても毎回この程度の時間なので、突っ込んだ議論など行われるはずもない。実行委員の名簿を見ても、大村秀章知事自身を委員長として、以下、お役人/地元財界/団体代表と学識経験者が選ばれていて、いかにも「無難なメンバー」という感じだ。

というわけで、「芸術監督選考委員会」の「かなり『攻め攻め』の案」を、「実行委員会」が、「まあ、いいんじゃないの、知らんけど」と簡単に承認してしまったものと想像される。その後の企画の進展にしても、あまり関知していなかったんだろうね。そして実際に蓋を開けてからびっくりしてしまったというわけだ。

ただ、「蓋を開けてみてびっくり」とはいえ、そこには公費を使って正式な会議を開いて芸術監督を選任した当事者としての責任というものがある。そこでこの記事を「かなり原則的な一言」で締めようと思う。

それは「実行委員会としては、形式的な会議とはいえ、仮にも正式に依頼した芸術監督の企画なんだから、きちんと全うさせてやるのが当事者責任というものじゃなかったのかなあ」ということだ。

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2019/08/09

オネーチャンのいる店が大好きな幸手市長の踏んだドジ

埼玉県幸手市の渡辺邦夫社長が暴行罪で逮捕されたというニュースを聞いて、「世の中って、よくよくわからんことってあるものなのだ」と思った。私としては「コトの真偽」よりも、この「わけのわからなさ」の方に興味をもってしまったよ。

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まず基本的事実を確認したいのだが、はっきりしているのは、渡辺市長は広島の原爆記念日の式典に参加して、その夜は幸手市職員とともに飲酒に出かけた。それで足りずに夜中にまた 1人で飲みに出て、新天地の雑居ビルでママが 1人でやっているバーで飲み直したということだ。この出張に同行していた幸手市職員としては「酒呑み市長には付き合いきれんわ」と放っといて、こんなことになったんだろうと想像する。

それ以後の話が錯綜している。8月 8日 17:45 の日テレ News 24 (参照)では、「捜査関係者によると、その際、6万円を請求され、怒って料金を支払わずに店を出たという」とされている。

ところが Livedoor ニュースの記事(参照、元媒体はスポーツ報知のようだ)に紹介されている市長側の言い分では、「ビールを 1〜2本」飲み(そもそも、1本なのか 2本なのか、憶えてないらしい)その後にそのママに誘われてさらに別の店に行った。そして 2人で一緒にビールを飲んだ後にホテルに戻ろうとしたところで、警官から同行を求められたということになっている。

逮捕容疑は被害者とされる女性の店での料金トラブルで、その女性の顔を数回殴ったという「暴行」(「暴行傷害」じゃないから、怪我してないのは決定項目)であるらしい。ところが渡辺市長はその容疑を真っ向から否定している。

上の写真からリンクされる ANN ニュースの動画では、渡辺市長は記者会見で「余裕をもって 1万円払い、喜ばれた」と言っている。そうした店が 1万円ぽっちで喜ぶわけないじゃんと思うし、私のような貧乏人からすると、例え1万円でも 「ビール 1〜2本」の料金としては十分に「ぼったくり」である。

さらに言えば、顔をぶん殴られた女性が殴った相手をそのまま「別の店」に誘って一緒に酒を飲み交わすというのも「奇々怪々」の領域だ。そして「別の店」で飲み終わるまで警察が待っていたというのも不自然な話で、渡辺市長の話はにわかには信じにくいところがある。話が錯綜しているが、この被害者のママ、案外な食わせ者である。

そして渡辺市長自身も、オネーチャンのいる店で酒を飲むのがお好きなようだ。62歳というから私より 5つも年下のくせに滅茶苦茶「オッサン」ぽい。要するにこれは「食わせ者のママとオッサンの事件」としか言いようがない。

そう言えば去年、文科省幹部が頻繁に高級クラブで接待を受けていたと発覚して逮捕されている。現役官僚だから 60歳以下なんだろうにと呆れてしまった私は、「そんなに綺麗なオネーチャンのいる店で酒を飲みたいか」という記事を書いた。

この記事で私は、若い頃に宮仕えをしていた頃、エラいさんに強引に二次会に誘われて高級クラブに連れて行かれ、ヒラヒラしたドレスのオネーチャンに隣に座られて、ゴルフとか宝石とかの話を振られるのが「死ぬほどイヤ」だったと書いている。しまいには「放っといてもらうのが一番ありがたい。いいから、向こうのオジサンたちをかまってあげてて」なんて言ってたものだ。

私が 1年に 30回以上も日本中あちこちに出張しながら「ぼったくり」の被害に 1度も遭わずに済んでいるのは、ただひたすら「オネーチャンのいる店で酒を飲むのが死ぬほどイヤ」だからにほかならない。

いずれにしても「広島市中区新天地の雑居ビルにあるバー」はヤバい。今後しばらく敬遠されて閑古鳥が鳴くだろう。この件の「被害者」ということになっているママは、「しまった! 相手がどっかの市長で全国ニュースになって騒がれるとわかってたら、下手に警察沙汰になんかしなかったのに」と後悔しているかもしれない。

それにしても、こんなにも言い分が違うのに 7日未明の逮捕で翌 8日にスピード送検され、地検が即釈放というのも訳がわからない。扱いに困って「処分保留」というのだから、このままウヤムヤにしちゃうつもりなのかもしれない。広島って、警察、地検までヤバそうだ。

 

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2019/08/08

「表現の自由」と「自己責任」についてのエクストリームなご意見

Twitter で MASA さんという方が表現の自由ということについてとても共感できる tweet をしておいでで、かなり活発なスレッドになっている (参照)。その中に shunsuke_m さんという方の tweet がある。

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まず、スレッド主の MASA さんの最初の tweet は次のようなものだ。

表現の自由については、イタリアの地震で家屋が崩壊して人が下敷きになった時、仏の雑誌が「ラザニアの具になったイタリア人」の風刺画を掲載した時、「私は表現の自由を尊重する。そしてこの風刺画が最低だと発言する自由が私にもある」と言ったイタリア上院議長が正しいと思います。

けだし名言である。これに対して共感・賛同のレスが多く付いているが、その中に shunsuke_m さんという方の次のような発言がある。

表現するのは自由です。ただその表現の結果あなたがどうなるかは自己責任です。てことでもあるんだけどな。

これに関してはちょっと聞き捨てならないと感じた。自分の表現について自己責任を負うというのは、別に shunsuke_m さんに言われるまでもなく当たり前のことである。ただし「その表現の結果あなたがどうなるかは自己責任です」というのは、エクストリームすぎる見解だ。聞きようによっては脅迫とも受け止められかねない。

そこで私はほんの短く「表現して殺されても自己責任ですか?」というレスを書いた。するとそれに対して「でしょwその覚悟ないなら黙ってなて話ですよ」と、大きなフォントで返事があった。

この段に及んで私は、「ああ、この人と議論しても無駄だな」と思った。放っておこうと思ったが、一応けりをつけるために、次のようなレスを書いた。

ということは、死ぬ覚悟のない者には表現の自由がないと解釈されても仕方がないということですね。あなたの言う『自己責任』において

「その覚悟ないなら黙ってな」と言うのだから、文脈上、「殺される覚悟のない者には表現の自由がない」と言っているものと受け取るのが自然である。あるいはもう少し控えめに言っても、「殺される覚悟のない者にも表現の自由はあるが、その自由を行使せずに黙っていなければならない」ということだ。「行使できない自由」なんて、自由の名に値しないから、結局それは「表現の自由」の否定に変わりはない。

自分の発言にまともに責任を負うには、まず自分で自分が何を言ってるのかをわかっていなければならない。

ちなみに、多くの芸術家は「自分の表現において死ぬ覚悟」ぐらいは持っている。芸術とは本来、そのくらいの厳しさがある。ただ、一般論としてすべての発言者に「死ぬ覚悟」を求めるのは行きすぎだ。スレッドではこの後にもいろいろゴチャゴチャ続きがあるようだが、私はこのレベルの議論にこれ以上関わるほど暇じゃない。 

よって、このスレッドへの書き込みはこれでおしまい。

 

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2019/08/07

手の甲の汗 2

このブログの右サイドバーのずっと下の方に「人気記事ランキング」という項目があって、このブログで多く読まれている記事のベスト 10 が表示されている。そしてここ最近、14年以上も前に書いた「手の甲の汗」という記事がずっと最上位にランクされている。

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これは、私が手の甲に異常に汗をかいてしまうということを書いただけの記事なのだが、こんなに長期間にわたってアクセスが集中するというのは、世の中には私同様に手の甲の汗に悩む人が少なくないということを表していると思う。試しに「手の甲の汗」でググってみると、私の記事は 4番目にランクされている。

しかし上位 3つのページを読んでみると、総じて「汗」一般についての記述になっていて、決して「手の甲の汗」について論じられたものではないとわかる。5番目以下のページにしても、「手汗」すなわち「掌の汗」についての記述が多く、「手掌多汗症」なんていう症例が紹介されていたりするだけだ。

つまり「手の甲の汗」に絞って記述されたインターネット・ページというのは世の中でかなりレアな存在のようなのだ。つまり決して一般的な例とは言えないということである。ただ、一般的ではないにしても私の「手の甲の汗」という記事に連日少なくない一定のアクセスが記録されるというのは、「レア・ケースではあるが、無視できるほどのものでもない」ということなのだと思う。

つまり「手の甲に汗かき過ぎちゃうんだよね」という人は、人知れず結構存在しているってわけだ。

私のケースで言えば、真夏の炎天下を歩くと、すぐに上の写真のように汗をかく。手の甲の汗腺から大粒の汗が盛り上がるように噴き出すのだ。ハンカチで拭いても、1〜2分ですぐにこんな状態になる。冷房の効いた電車や部屋に入っても、体が冷えて落ち着くまでは汗が噴き出し続ける。

手の甲にはこんなに汗をかくのに、掌の方は案外さらさらなのが我ながら不思議だ。妻は「あなたの『汗腺最多地帯』が手の甲ってことなのよね」とあっさり言うが、当人にとってはかなり不愉快な現象で、そんなにあっさりとは済まされるようなものではない。

ただ、私の汗はまだマシな方のようで、14年前の記事には「酷いふやけ方をします。まるで水死体です」というレスが付いている。私の場合は「水死体」と見まごうほどのふやけ方はしない。ただ、このま死ぬまで真夏になると手の甲の汗を拭き拭き過ごすことになるのだろう。

 

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2019/08/06

「あいちトリエンナーレ」のすったもんだに、敢えてもう一言

「あいちトリエンナーレ」の「慰安婦少女像」についてのすったもんだに関しては、3日前に面白くもなんともない原則的な考えを書かせてもらった(参照)が、世間ではあれからますますすったもんだの度合いを増している。この展示会の実行委員長はほかならぬ大村秀章・愛知県知事のようなのだが、この人が 5日になってから記者会見で、展示の中止を求めた河村たかし名古屋市長らを「憲法違反の疑いが濃厚と思う」と批判した。

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私としても 3日前の記事で "「表現の自由」は最大限に尊重されなければならない" と書いた通り、行政側の人間が展示中止を求めるなんて、あってはならないことと考えている。その意味で、河村たかし名古屋市長にはかなり幻滅だ。

こんなことを書くと、「お前は売国的輩に与するのか」なんて批判されるのがお約束みたいになっているが、そんなことではないというのは、3日前の私の記事を読めばわかるはずだ。わからないとすれば、それはヒステリックになりすぎているからだ。

正直なことを言えば、私だってあの「慰安婦少女像」を見れば多少不愉快な気分になる。それは否定しない。あの作品は芸術的なレベル以上に政治的な観点で話題になりすぎているきらいがあると思う。しかし、だからと言って「展示を中止しろ」などと迫るのは自分として「倫理的敗北」だから、そんなことは決して言わないのである。

展示する側にはそれなりの考えがあるのだから、それは尊重されなければならない。そしてその「展示者側の考え」は、この展示会の芸術監督を務めた津田大介氏によって既にきちんと説明されている。「個々の作品の意味」に加えて、「展示中止に追い込まれた作品の集合」としての、二重の意味を持たせた展示なのである。

問題はその説明を文字通りに受け取る前に、「態度がチャラチャラしている」などという表面的な理由ではねつける側の感情的な反応だ。そこからいろいろな中傷が発生する。津田大介氏のあの一見「チャラい」態度は彼自身のスタイルなのだから、それはそれとして「好き嫌い」を越えて受け止めればいいのだ。

展示を見る者としては、展示者の発信する意図と展示そのものをきちんと受信した上で自分の態度を決めればいい。そのためには、展示が中止されてはならない。受信する前に潰してしまっては、元も子もない。

本日のネット・ニュースには、"74%が反対「慰安婦少女像」の芸術祭展示問題アンケート結果発表" というタイトルの文春オンラインの記事がある。「『慰安婦』少女像の展示に賛成ですか? 反対ですか?」というアンケートを行った結果、「回答者の 74.9%が『反対』と答えた」という内容だ。

私はこのアンケートそのものに、大きな違和感を抱いている。これについては本来、「賛成」も「反対」もないではないか。出品者が展示するというのだから、それはそれとして認めるほかない。認めた上で自分のまともな考えを発信すればいいのである。問われるべきなのはむしろ「展示中止に賛成か反対か」ということだろう。

文春オンラインの記事には「反対」と答えた 40歳女性の次のような意見が紹介されている。

「表現の自由は勿論認められるべきだが、芸術祭なのだから芸術性の欠片も感じられず政治性しか伝わらない表現はお門違い。この慰安婦像に何らかの芸術性は全く感じられないという人が大多数だからこそ問題になっているのでは。そもそもこれのどこが芸術作品なのか説明して欲しい」

「この慰安婦像に何らかの芸術性は全く感じられないという人が大多数だからこそ問題になっているのでは」という言い方は、それこそ私の言うところの「敗北」である。そもそも前衛的芸術作品の多くは、発表当初は「あんなの芸術じゃない」と非難されてきたのである。40歳にもなって「どこが芸術作品なのか説明して欲しい」なんて言うようでは、そもそも芸術には関わらない方がいい。

というわけで、私はこの展示会の参加アーティスト 72人の抗議声明(参照)を、強く支持する。

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2019/08/05

本日大笑いさせていただいた Twitter ネタ 2つ

今日は Twitter がらみの 2つのネタで大笑いさせていただいた。まず 1つめは HUFFPOST の "ピザハットの「ハット」は帽子じゃなかった。イエローハットがフラれたついでに衝撃の事実が判明" という記事である。

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発端としてはカー用品大手のイエローハットが、8月 10日の語呂合わせで「ハットの日」という記念日を作りたいと思いつき、Twitter 上でピザハットに共同キャンペーンを申し入れた。そして上の画像のような記念日ロゴマークまで作ってしまった。

ところが当初は「お声がけありがとうございます! いいですね!!ぜひぜひ、やりましょう~♪」と好意的に応じていたピザハットが、このロゴマークを示されたところ、「大変申し上げにくいのですが、弊社の『ハット』は小屋の “hut” で帽子の “hat” じゃないんです....」と言い始めた。

単に「ハットの日」というだけなら「面白い!」とノリかけていたピザハット側も、このロゴマークのようにモロに「帽子のハット」ということにされてしまっては、「ちょっと待った」となるのも道理である。始めから ”Pizza Hut" というスペルをちゃんと読んでいればこんんな勘違いは起きなかったのだろうが、ついカタカナだけで判断してしまったのだね。

ちなみに英語の ”hut" は、ドイツ語で言えば "hütte" (ヒュッテ)で、こう言えば「山小屋」というイメージが喚起されるだろう。カタカナ名称もいっそ「ピザヒュッテ」ぐらいにしとけばよかったのにね。(元々は米国の会社だから、そういうわけにいかないか)

さらに言えば、ピザハット側の赤いロゴマークの上の白い部分が、いかにも「帽子のハット」に見えてしまうのも痛恨である。これ、元々は「小屋のハット」の屋根の部分の図案化らしいのだが、ちょっと紛らわしすぎるよね。

さて、大笑いした 2つめのネタは、ミヤイリ GUY さんという関西の精神病医の方の tweet である。こんなのだ(画像クリックで Twitter の元 tweet に飛ぶ)。

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これはもう、説明の必要はないだろう。嘔吐で苦しんだ患者さんには申し訳ないが、妻と 2人で大笑いさせていただいた。

 

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2019/08/04

「かぶる日傘」と「省エネルック」

東京五輪・パラリンピックの暑さ対策として小池百合子都知事が提案した(とされる)「頭にかぶるタイプの傘」が妙な形で話題になっている。日射しを遮る素材が使われていて、内側のベルトで頭に固定するのだそうだ。

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まあ、はっきり言って「ダサい」の一言で済んでしまうと思うのだが、小池都知事は「男性で日傘を差すのは恥ずかしく、気が引けるという方は、思い切ってここまでいったらいかがでしょうか」と呼びかけたという。これ、「同じ恥ずかしいなら、思いっきり恥ずかしい方がいっそ開き直れるでしょ!」ってこととしか解釈できない。

私はこれで "The more extreme, the less embarrassed." (極端なほど恥ずかしくない)という格言を思いついてしまったよ。

これに関して、Twitter でぬえさんが、"暑さ対策に「被る傘」提唱・製作しときながらご自分は被らない小池百合子東京都知事閣下、全然普及しなくても省エネルック着用していた大平正芳首相・羽田孜首相を見習ってほしい" と tweet しておいでだ(参照)。実にもっともな話である。

で、大平正芳首相・羽田孜首相の「省エネルック」というのを唐突に思い出してしまったわけだ。ぬえさんが tweet で紹介しているのは、こんな写真だ。

190804時代を感じさせるのどかな写真である。「のどか」というのは、この「省エネルック」というものが提案された時代(1979年といえば 40年も前だ)は、今ほどの「猛暑」じゃなかったからだ。それでも当時の私は大学院生の気楽さもあって、これを見てちっとも「涼しげ」とは思わなかった。

「うわ! 暑苦しい! 俺はポロシャツ 1枚でいくわ!」と呟いたのを記憶している。これ、先見の明があったとは言わないが、今の世の中で大平さんみたいにネクタイしてジャケット着て直射日光の下に出たら、下手したら死んでしまう。

というわけで、この省エネルックはちっとも定着しなかった。少なくとも私は、こんな格好で街を歩く人を 1人も見たことがない。

そりゃそうだ。当時、いくらオイルショックとはいえ、冷房の効いた室内でなら、必要とあらばフツーに背広とネクタイで通せばよかったし、暑い戸外に出るなら背広を脱いでシャツ 1枚になれば済んだ。わざわざ金を出してまで、こんなおかしなジャケットを買う必然性はなかったのである。お役人の考えることなんて、昔からこんな程度のナンセンスが多いのだよね。

で、今回の「かぶる日傘」だが、これはナンセンス以上のもので「異様」の域に達している。まともには普及しようがないから、税金の無駄遣いに落とし込めないためには、ジョーク・グッズとして売るしかないだろう。

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2019/08/03

あいちトリエンナーレの「二重、三重の敗北」

HUFFPOST が、「あいちトリエンナーレ」を視察した河村たかし・名古屋市長が「平和の少女像」の展示中止を要請したと、8月 2日付で伝えている(参照)。その結果として、本日限りでの展示中止が決まった (参照)。

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「トリエンナーレ」とはイタリア語で「3年に 1度」という意味だそうで、あちこちに「なんちゃらトリエンナーレ」といういろいろなイベントがあり、「あいちトリエンナーレ」は 2010年から国際芸術展として開催されているらしい。ちなみに「2年に 1度」の「ビエンナーレ」ってのもあるよね。

今回のすったもんだは「表現の不自由展・その後」という企画展の一環として「平和の少女像」が展示されたことに端を発している。この像に関しては Wikipedia の「慰安婦像」という項目に詳しく述べられていて、世界各地にいろいろなバージョンが設置されて、論議を呼んでいるようだ。それが今回の「表現の不自由展・その後」につながったわけで、趣旨が趣旨だけにいろいろややこしいことになっている。

この企画のタイトルの「その後」というのは、2015年に東京練馬区のギャラリーで開催された「表現の不自由展」を受けたものとの意味が込められているらしい。

この展示会は、芸術展での展示が中止になったり、雑誌などへの掲載を拒否されたりして「消された」作品を集めたものだった。そしてその「消された理由」は、「美術館などが抗議や嫌がらせにおびえて『自主的に』取りやめた」というのが多いという。

最近の京アニ放火事件のような例もあるので、「安全確保」の意味から「消された」というより、主催者自らが「取り下げた」という例が増えているのだろう。まさに「表現の不自由」とは複雑な問題である。

個人的には、「表現の自由」は最大限に尊重されなければならないと思っている。たとえ不愉快な表現があったとしても、それを「消してしまう」のではなく、「批判と議論」によって深い意味を探る契機にすべきだと思う。それが嫌だというなら、無視するほかない。

問題は「無視するだけじゃ、けったくそ悪い」という心理で、そこから「中傷/嫌がらせ/脅迫」みたいなことにつながってしまう。私としてはそんなことをするのは実は「敗北」に他ならないと思ってしまうのだが、「まっとうな批判と議論」というのは難易度が高いので、現実は安易な「中傷/嫌がらせ/脅迫」の方に走りがちだ。

そこで主催者側も「自主的に展示中止」ということになってしまうのだが、これではお互いに「敗北」だ。じゃあ、この「敗北」に対する「勝利」ってどんなことなんだと問われそうだが、こうした問題に関して「勝利」なんてなかろう。ただ「当たり前」があるのみだ。

この「当たり前」ができなかったという意味で、今回は明らかな「敗北」なのである。さらに今回の「あいちトリエンナーレ」の展示中止は、「行政の関与」で決定されたということもあるので、「二重、三重の敗北」として象徴的に示されていると思う。

 

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2019/08/02

例の吉本興業社長の 5時間超の記者会見ビデオ

吉本興業所属のお笑いタレントの「闇営業」問題については、ほとんど関心がないのでこのブログでも完全無視の態度だったのだが、急にちょっとだけ興味が湧いた。いや、興味が湧いたというのは「闇営業」の経緯とその後のお笑いタレントの動向についてではなく、例の 5時間以上に及んだという記者会見そのものについてである。

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というのは、知り合いのフリーカメラマンがその 5時間超の記者会見にずっと張り付いていたというので、「それはそれは、ご苦労さんでした」という話になってしまったからである。彼は結構芸能ネタの撮影取材をしているとは聞いていたが、そんな記者会見の撮影までしているとは知らなかった。

「うんざりした?」と聞くと、「いやはや、疲れましたね。いくら何でも長すぎですよ」と言っていた、しかしカメラマンというのは記者とは違って、意識が話の内容なんかより「憔悴しきった様子」とか「どぎまぎした表情」とかにフォーカスしているので、それはそれで集中してシャッターを押しまくっていたようではある。

で、「どんなような会見だったんだろう」とググってみると、記者会見の始めから終わりまで 5時間以上を中継した動画が見つかった。

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YouTube にアップされていたビデオ(参照)を覗いてみると、上の写真のように、中継時にビデオ画面の右側にリアルタイムで書き込まれたチャットが、延々と同時進行で流れている。ということは、かなりの人数がずっと中継を見ながら茶々を入れていたわけだ。すごいなあ。何だかんだ言っても、日本は平和な国である。

こちらは 5時間以上もこんなビデオを眺めている暇がないから、飛ばしに飛ばして見ただけだが、印象に残ったのはこう言っちゃナンだけど、芸能マスコミというものの質の低さだ。記者は吉本側に遠慮しいしい核心から外れた質問ばかりしているし、吉本側はそれらの質問に対してちっとも的確な答えになんかなっていないが、岡本社長がとにかく延々としゃべりまくっている。

「遠慮しいしい」の東京マスコミと「内容はともかくしゃべりまくる」大阪のオッちゃんの対決なのだから、かみ合わないのは当然で、結局は大阪のオッちゃんの方のペースで進んでしまっている。記者側は「無駄に疲れさせられた」だけで、それは吉本側の「無駄に疲れて帰ってもらう」という目的通りだったと言えるだろう。

カメラマンたちが「正直言って、ジャニーズと吉本にはいい印象なんてない」と口を揃えるのも道理という気がしてしまった。

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2019/08/01

NHK の受診料問題

「N国」効果と言っていいのかどうかわからないが、NHK 受信料についての論議が盛んになっている。確かに私も、NHK の受信料聴取制度はおかしところが満載だと思う。

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最近では東横インの受信料に関する裁判結果が話題になった。19億円以上もの未払い分を支払えとの訴訟の結果、東横インが側の支払い義務が認められたというのである。ホテルの部屋ごとに設置されたテレビについて、それぞれに受信料支払い義務が付きまとうのだそうだ。同じ事業者の同じ建物内のテレビでも、部屋が違えば別の支払い義務が生じるのというのは、なんだかアコギ過ぎる話ではあるよね。

もっとも、ホテル内に 100台のテレビがあれば 100台分払えというわけではなく、2009年からは全てのテレビを契約すれば 2台目からは受信料が半額になるという措置を講じていて、多数のテレビを設置していても受信料総額はほぼ半額になる。東横インは既にきちんと契約しているが、今回の請求分は 2009年以前の金額なのだそうだ。

ただ、いくら 「2台目からは半額」とは言っても、アコギ過ぎという印象はそれほど変わらない。「とにかく取れるところからは取りまくる」という姿勢が目立ちすぎる。

ここで問題になるのは、NHK が「公共放送」ということだ。「国営放送」とは違って、国からの独立性は、一応謳われているわけだが、一方で NHK の予算決定には国会のチェックが入る。つまり NHK としては与党の意向に逆らえない構造があるわけだ。建前としては「不偏不党、中立」を謳っても、「NHK って、結局のところは体制側だよね」という印象が付きまとう。

しかしながら政治的立場がちょっと違うと、そうとも限らない。右翼側には「NHK は左翼に牛耳られている」などと騒ぐ人がいくらでもいて、Twitter などでもそんなような書き込みが後を絶たない。昨日の記事で取り上げた昨年の丸山議員の「いい子ぶりっ子」tweet も、そうした「NHK の偏向報道」という書き込みの一環としてのスレッドで書かれたもののようなのだ。

とにかく、NHK というところは「本音と建前」が違いすぎるし、その建前にもブレがあって、概ねは体制的なのだが、内部でせめぎ合いがあるらしく、時として妙に左翼的な姿勢を見せたりもする。実際にはちっとも「不偏不党」じゃないのだが、「公共放送」という建前は堅持しなければならない。なにしろ受診料が入らないと職員に給料も払えないのだから、もうゴチャゴチャである。

端的に言えば、NHK の受信料コンセプトは「テレビは一家に一台」がフツーのことだった時代から時代即応に進化していないからこんなことになるのだ。ラジオは何台あっても受信料がかからないが、テレビだと台数分だけ払わなければならないというのは、どう見ても時代錯誤である。

今や「一家に 2〜3台のテレビ」なんて珍しくないし、さらにワンセグ放送を受信するカーナビにも受信料の支払い義務が生じるとの判例が出てしまっている。こんなことで一家に数台分の受信料を要求するというのは、フツーの感覚からかけ離れすぎているだろう。

なるべく早いうちにこうした問題をクリアした制度に移行しないと、NHK 自体が「国民の敵」みたいなことになってしまう。あまりアコギに取り立てず、ある程度「日本的なあなあ運用」を認めてしまうのが最も面倒のない方法だと思うのだが、実際には NHK 自身がそうした「面倒のない方法」からどんどん逸脱してしまっているのが問題だ。これって、ある意味「自殺行為」だよね。

【追記】

らむねさんから 「事実誤認」を指摘するコメントがあったので、追記させていただく。"NHKの受信料は世帯単位なので、1世帯に何台テレビやカーナビやスマホがあっても1軒分の受信料です" ということで、さらに ”「スマホからも受信料を!?」と言われるのは、単身若者世帯(大学生独り暮らしなど)に多い、テレビを持たずスマホのみでワンセグが見れる人から徴収していることです” ということだ。

確かに、私の書き方はそのあたりをごっちゃにしてしまったようで、らむねさんのご指摘に感謝である。

ただ、そうだとしても、あるいはそうであるなら、どうしてホテルなどは「台数分だけ払え」ということになるのだという問題が、必然的に生じる。一般家庭と企業との基準が違いすぎだ。やはりアコギだよね。

 

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