日本中の小学校に忘れ去られたタイムカプセルが埋められているんじゃあるまいか
私の居住する市の広報誌に「30年の歳月を超え集まった懐かしい顔 タイムカプセルがつないだ絆」という記事がある。市内の小学校で 30年前に埋めたタイムカプセルを掘り出して、今はいいオッサン、オバサンになった卒業生がとても懐かしい気持ちになったという話だ。
ところがこの記事を読んでみると、おおらかというか、テキトーというか、なかなか茨城県の田舎らしいエピソードなのだ。
タイムカプセルはこの小学校の創立 30周年の記念事業として、当時の児童全員、先生、PTA が思い出の品を集め、「30年後に開封しよう」と埋設したものであるらしい。しかしこの「開封事業」に携わった人の証言によると「実は誰も覚えていなかったんです」というお笑い草になってしまっていたようなのだ。
埋設した当時も親からは「30年後にお前たちが掘り出すんだよ、とは言われなかった」とか「埋めたことはなんとなく思い出したんですけど、カプセルの大きさや材質、穴の深さとか、同級生や当時の先生に聞いても誰も覚えていなくて」等々、実にのどかな証言が報告されている。それで「まずは掘ってみよう」ということになったらしい。
地元の工事会社に応援を頼み、重機まで提供してもらって掘ったところ、白いスーツケースのようなものが見つかった。中には懐かしい作文や絵、写真などが入っていたという。この開封作業を主導した実行委員としては、「本音を言えば参加した皆さんを泣かせたかった」というのだが、あまりの呆気なさにそこまでいかず、単に「懐かしいねえ」で終わったらしい。
そういえば大分前、ラジオの番組でも似たような話が紹介されていた記憶がある。その時も、「誰もまともに覚えていなくて、半信半疑で掘ってみた」ということだった。学校の先生なんてどんどん代わるし、親も忙しさに紛れて忘れてしまう。こうした話のほとんどは、「そんなようなものを埋めたような気がするよね」程度の記憶を頼りに掘ってみたら出てきたというようなことらしい。
一時の「ノリ」で皆でやってはみるものの、継続性がないというかこだわらないというか、誰もきちんと伝えないというか、すぐに水に流したがるというか、いずれにしても平均的日本人のメンタリティをみる思いのするエピソードである。それどころか、この問題を下手に突き詰めると深刻な歴史問題にまでつながってしまいそうだ。
日本中の小学校の敷地内の地下には、忘れ去られたまま悲しく眠っているタイムカプセルがいくらでもあるような気がしてきた。
| 固定リンク
「世間話」カテゴリの記事
- 「ふてほど」には、「ふてくされるにもほどがある」かも(2024.12.02)
- 「透析しないと死ぬ」は「透析しないと死ぬ」という意味(2024.11.26)
- 「スマホでカフェの場所取り」よりスゴい光景(2024.11.21)
- 寒空の下でひまわり満開という奇妙な光景(2024.11.20)
- 「同人誌」を本気でやると、大変なことになるようだ(2024.11.13)
コメント
宇宙探査機に乗っけた宇宙人への手紙といっしょで、埋めたところで完結しているのだからそうもなるでしょうね。
どうせならそのまま埋めておいて未来の考古学者にでも発掘してもらったほうがまだ存在意義はあるんじゃないでしょうか。
投稿: 柘榴 | 2019年8月27日 04:21
柘榴 さん:
「埋めたところで完結」とは、鋭い指摘ですね。
100年後ぐらいの考古学者が、「何かと思ったら、また大昔の小学校のタイムカプセルかよ!」と嘆いたりして (^o^)
投稿: tak | 2019年8月27日 07:02
「この時代に、こんな文字が使われていたのか!歴史的発見だ!」
「考古学史上、もっとも意義深い発見である。」
と、未来の新聞said。
投稿: 乙痴庵 | 2019年8月27日 19:54
乙痴庵 さん:
何かの拍子に地上の文献が全て失われたら、そうならないとも限りませんけどね (^o^)
投稿: tak | 2019年8月27日 19:57