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2019年8月 8日

「表現の自由」と「自己責任」についてのエクストリームなご意見

Twitter で MASA さんという方が表現の自由ということについてとても共感できる tweet をしておいでで、かなり活発なスレッドになっている (参照)。その中に shunsuke_m さんという方の tweet がある。

190808

まず、スレッド主の MASA さんの最初の tweet は次のようなものだ。

表現の自由については、イタリアの地震で家屋が崩壊して人が下敷きになった時、仏の雑誌が「ラザニアの具になったイタリア人」の風刺画を掲載した時、「私は表現の自由を尊重する。そしてこの風刺画が最低だと発言する自由が私にもある」と言ったイタリア上院議長が正しいと思います。

けだし名言である。これに対して共感・賛同のレスが多く付いているが、その中に shunsuke_m さんという方の次のような発言がある。

表現するのは自由です。ただその表現の結果あなたがどうなるかは自己責任です。てことでもあるんだけどな。

これに関してはちょっと聞き捨てならないと感じた。自分の表現について自己責任を負うというのは、別に shunsuke_m さんに言われるまでもなく当たり前のことである。ただし「その表現の結果あなたがどうなるかは自己責任です」というのは、エクストリームすぎる見解だ。聞きようによっては脅迫とも受け止められかねない。

そこで私はほんの短く「表現して殺されても自己責任ですか?」というレスを書いた。するとそれに対して「でしょwその覚悟ないなら黙ってなて話ですよ」と、大きなフォントで返事があった。

この段に及んで私は、「ああ、この人と議論しても無駄だな」と思った。放っておこうと思ったが、一応けりをつけるために、次のようなレスを書いた。

ということは、死ぬ覚悟のない者には表現の自由がないと解釈されても仕方がないということですね。あなたの言う『自己責任』において

「その覚悟ないなら黙ってな」と言うのだから、文脈上、「殺される覚悟のない者には表現の自由がない」と言っているものと受け取るのが自然である。あるいはもう少し控えめに言っても、「殺される覚悟のない者にも表現の自由はあるが、その自由を行使せずに黙っていなければならない」ということだ。「行使できない自由」なんて、自由の名に値しないから、結局それは「表現の自由」の否定に変わりはない。

自分の発言にまともに責任を負うには、まず自分で自分が何を言ってるのかをわかっていなければならない。

ちなみに、多くの芸術家は「自分の表現において死ぬ覚悟」ぐらいは持っている。芸術とは本来、そのくらいの厳しさがある。ただ、一般論としてすべての発言者に「死ぬ覚悟」を求めるのは行きすぎだ。スレッドではこの後にもいろいろゴチャゴチャ続きがあるようだが、私はこのレベルの議論にこれ以上関わるほど暇じゃない。 

よって、このスレッドへの書き込みはこれでおしまい。

 

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文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

「表現が誰かの気に食わないものならば、殺されても仕方がない」というのは、果たして「表現の自由がある」と言うのですかね・・・。それって「表現の自由が無い」のと同じでは?と思います。
「徴兵を拒否するのは自由である。ただし特高が拷問にかける」に近い、屁理屈を感じるのですが。

投稿: らむね | 2019年8月 9日 02:46

らむね さん:

まさに。

また、shunsuke_m さんは「自分の発言に責任を取る」という意味で、大阪弁で言う「知らんけど」というのを批判していますが、私としては「知らんけど」というただし書き (ただし言い?)付きで気軽なことを言えるのも、「表現の自由」の大切な要素だと思っています。

実際、「知らんけど」で表明されたことのうちには、とても有益な提案があったりしますし。

ただ、「知らんけど」で人を傷つけたり差別的なことを言ったりしては、当然批判の対象になりますが。

投稿: tak | 2019年8月 9日 09:20

今回の名古屋の件なら,イタリアの上院議長も自国の公的展覧会に国や自治体の補助金をつけて「ラザニアになったイタリア人」の絵を展示することに賛成はしないだろうから、やはり許可した知事や芸術監督を選んだ委員は批判されても仕方ないと思う。まあ、殺すことはないが、ただあの程度の批判で、すぐ中止にした芸術監督の覚悟のなさは、表現の自由を貶めたに過ぎなかったのは間違いないと思う。

投稿: basara10 | 2019年8月10日 00:48

basara10 さん:(長文レス お許しください)

>やはり許可した知事や芸術監督を選んだ委員は批判されても仕方ないと思う。

今回の芸術監督選任に関しては、愛知県の公式サイトに次のようにあります。

>学識経験者7名から構成される「あいちトリエンナーレ芸術監督選考委員会」を設置し、2回の議論を経て、芸術監督の選考を行い、同委員会の推薦を受けて、あいちトリエンナーレ実行委員会運営会議において芸術監督を選任した。

https://www.pref.aichi.jp/soshiki/bunka/2017071801.html

このページによると、芸術監督選考委員会のメンバーは五十嵐太郎、加須屋明子、建畠晢、中井康之、藤川哲、水野みか子、港千尋の各氏。選任の理由についても上述のページにざっと述べられています。

さらに「あいちトリエンナーレ実行委員会運営会議」ってどんなのかと調べると、約 1年半前の「平成30年3月22日(木)」に開かれています。議題は「あいちトリエンナーレ2019の開催概要について」「平成30年度事業計画及び収支予算について」というのですから、多分これがスタートとなる会議だったのでしょう。

https://www.pref.aichi.jp/soshiki/bunka/20180314.html

時間は「午後1時30分から午後2時10分まで」の、たかだか 40分間で、かなり形式的なものと思われます。

過去のリリースを見ても毎回この程度の時間ですから、突っ込んだ議論など行われるはずもなく、委員の名簿を見ても、大村秀章知事自身を委員長として、以下お役人/地元財界/団体代表と学識経験者が選ばれていて、「無難なメンバー」という感じです。

https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/190223_445551_misc.pdf

というわけで、「芸術監督選考委員会」の「かなり『攻め攻め』の案」を、「実行委員会」が、「まあ、いいんじゃないの、知らんけど」と簡単に承認してしまったものと想像されます。

投稿: tak | 2019年8月10日 09:42

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