ラグビーのワールドカップが開幕した。私としては、「ラグビーって見てると興奮しすぎて疲れるから、できれば卒業したい」なんて思っていたのだが、始まってみるとついテレビの前でアツくなってしまった。初戦はロシアに勝って万々歳である。

写真は前半 11分に松島が決めた日本の最初のトライ。テレビの液晶画面って、写真に撮るとこんな感じになってしまうのだということを初めて知った。
実は私は決してラグビーの「にわかファン」というわけじゃなく、黄金時代のワセダに長く在籍していたから(何しろ大学院まで行っちゃったもので)、時には秩父宮ラグビー場まで行って観戦するほどだった。実況放送でアナウンサーが説明してくれなくても、少なくとも「今、どういう状況なのか」ぐらいは理解できる。
で、今日はワールドカップ関連ではあるが、ラグビーそのものの話じゃない。試合前の「国歌」に関する話題である。昨日は平原綾香が『君が代』独唱を行った。彼女の低音は独特の迫力があって、とくに最初の「きみがー」の部分はゾクゾクするほどだった。NHK で聞き慣れているバージョンの 4度も下に移調して歌っていたからね。
そして次にロシア国歌の番になり、独唱歌手(ごめん、名前わからない)に合わせて選手やロシア人の観客たちも一緒に歌っていたのだが、これがどういうわけか、音痴揃いなのである。とにかくそれぞれが勝手に音程外れまくりでわめいたりつぶやいたりするだけで、悪いけど聞いていて啞然とするほどだった。
そして申し訳ないけど、「やっぱりロシア人って、歌の下手なのが多いんだ」と再認識してしまったのである。
ここで「再認識」と言うには、それなりのわけがある。20代の頃だから 40年も前の話だが、私の田舎でよく「フォーク・コンサート」なんてものがやられていて、私も帰郷の際には出演して歌ったりしていた。そんな時、地元の酒田港に入港していたロシア船の船員たちも聞きに来ることがあった。
とにかく自由なコンサートだったから、出演者も観客も酒瓶抱えてほろ酔い加減で、「飛び入り」も歓迎である。すると観客の中からロシア人が、「俺にも歌わせろ」と飛び入りすることになる。ロシア語はさっぱりわからないが酒のせいもあり、その場の「ノリ」で、「おぉ、どんどんやってくれ!『カチューシャ』聞かせろ!」とばかりに、ギターを貸してステージに上げる。
そしてロシア人はおもむろにロシアの歌(らしい)を始めるのだが、これが呆れるほど下手というか、もっと言えば「音痴」なのである。ギターもただかき鳴らすだけで、まともには弾けていない。ロシア人仲間の歌もひたすらバラバラで、本来どんなメロディの曲なのかすら想像がつかない。
というわけで、私は自然に「フツーのロシア人って、歌がムチャクチャ下手なのに、なぜか音楽は好きみたいだよね。ロシアのクラシック歌手が見事に朗々と歌うのは、あくまでも特殊ケースなんだろうね」と思うようになった。昨夜は図らずもそれを思い出してしまったのである。
昨日のゲームで日本チームがとくに前半、ボールが手に付かなくてノッコン(正式の日本語では「ノックオン」というみたいだが)しまくりだったのは、あの超絶調子っぱずれの歌をすぐ近くで聴かされて体の中の軸がズレてしまったからに違いないと、勝手に思っている。
そう言えば昔、ワセダの試合を見るために秩父宮に行くと、その前の試合の「東大 vs 立教」の後半なんかに居合わせてしまうことがあった。仕方がないから、お付き合いで観戦してしまう。
こう言っちゃなんだが、この 2校のゲームと言うのは、(当時は)互いに意図もなくハイ・パントを上げては落下地点にわーっと群がり、まともに捕れなくて落としまくるわ、あげくはタッチに蹴り出そうとしても届かないわという「目の腐るような試合」だった。お目当てのワセダの試合を前に、「いざ決戦」の士気が萎えてしまうほどだったのを覚えている。
昨日のロシア国歌を聞いた時の感覚は、どこかあの「萎え感」に似ていると思ってしまった。
最近のコメント