「モノ」を持つことの負担
5年前の 10月に 「父の物欲」という記事を書いている。こうした書き出しだと、父は物欲の強い人だったと思われるかもしれないが、その逆で、本当に「モノ」を持ちたくない人だった。
誕生日などでプレゼントを贈る際に、何か欲しいものがあるかと聞くと、晩年は「くれるなら、食べ物にしてくれないか。食べ物なら、口に入ったら消えてなくなる」と言い出した。身の回りに余計なものを置くことを、よほど負担に思ってしまう性分だったのだろう。
それで「フルーツギフト・セット」みたいな物を送ったりすると、もらった手前、嬉しそうにするのだが、ご大層なものを食べることすら面倒に思ったりしているフシがあった。妹などは「何がいいかと聞くと、『食ったらなくなるもの』なんて言うんだから、愛想がないよね」なんて言っていたが、私も最近、さすがに父の血を引いているだけあって、「もらうなら、食ったらなくなるものがいい」と心から思い始めた。
何しろ私ももう 67歳である。まだまだ元気で、ちょっとやそっとでは死にそうにないが、これから先は年齢の半分も生きられないだろう。ということは、人生は逆算した方が早いということだ。
これまでの人生で使い切れないほどのモノを身の回りに所有してしまったのだから、あとは減らしていくほかない。これ以上モノを増やすなんて、とんでもないことだ。
というわけで、昨日の記事の「5年ぶりにデジカメを買った」なんていうのは、いくら仕事のためとはいえ実は「痛恨事」なのである。だからこれまで持っていた小さめのデジカメは、どうせ使うこともないのだから、処分しなければならない。1つ増やしたら、2つ以上減らさなければならないのである。
ということは、これまでのカメラは誰かにあげてしまおうと思っている。とはいえ、もらうことを負担に思わない人を選ばなければならないが。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- くるまったまま腕を出してスマホを眺められる毛布(2024.10.06)
- 「カフェでお仕事」・・・ ムチャクチャな長居は禁物(2024.09.26)
- 乗務員の水分補給にクレームを入れるやつ(2024.09.21)
- エアコンって、もはや「必需品」なのだね(2024.09.05)
- 日本人の「酒離れ」を、ちょっとだけ深読み(2024.08.28)
コメント
一番良いのは人にモノを上げないこと。モノを上げて全ての人が喜ぶことにならないのは身をもって知っているからです。
押し入れには未使用のネクタイが五本、ゴルフウェアが7着眠ってます。他にもいろいろあります。全て誕生日のプレゼントです。今では周囲には「誕生日のプレゼントはいらない、何もしてくれなくて構わない、無視してくれ」と言ってあり何も来なくなりました。
どうしても人にお礼の贈り物をしなければならない時には「消えもの」に徹してます。花なら数日で消えます。食べ物は保存ができ、まず好き嫌いのないものにしてます。
投稿: ハマッコー | 2019年9月 8日 00:05
ハマッコー さん:
>押し入れには未使用のネクタイが五本、ゴルフウェアが7着眠ってます。
それはまた、うっとうしいことですね。
私はワードローブの大整理をしまして、昨年 3月 17日に 「近頃ネクタイは 2本しか持っていない」という記事を書きました。
https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2018/03/2-2b76.html
しかしあれからもらい物が 2本増えてしまい、仕方なく上述の記事の写真にある左側のものを処分して、今は 3本になっています。
さすがに、もらったばかりのものを捨てるわけにもいかなくて ^^;)
>花なら数日で消えます。食べ物は保存ができ、まず好き嫌いのないものにしてます。
なるほど。これはいいですね。
投稿: tak | 2019年9月 8日 19:31