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2019年10月に作成された投稿

2019/10/31

浦島伝説発祥の地とも言われる「荘内半島」

我が故郷の山形県庄内地方は、時として「荘内」と標記されることもあり、地元の銀行の正式名称が「荘内銀行」だったりする。そして今日、四国からの特急列車での帰り道、「荘内半島」という半島があることを知って驚いた。

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iPhone のカメラで看板を撮影してから、すぐに Wikipedia で検索してみると、香川県から瀬戸内海に突き出した半島だという。写真に「オートキャンプ場 浦島」とあることからもうかがわれるように、なんとあの「浦島伝説」発祥の地という説があり、数々の浦島太郎にまつわる伝説が残されているらしい。

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私としては、浦島太郎の浦島伝説は『丹後国風土記』が発祥とばかり思っていたが、似たような話はそればかりではないようなのだね。

この荘内半島はかつて「浦島」と呼ばれる島だったが、後に地殻変動で陸続きになったもののようだ。Wikipedia の「浦島太郎」の項には、浦島伝説の伝わる地として丹波国のほかに、神奈川県横浜市神奈川区、長野県木曽と並んで、香川県三豊市宅間町が挙げられており、この三つの中ではこの荘内半島が最も長文の解説がある(参照)。

なにしろ「足利義満が浦島の三崎神社に参拝した際に "へだてゆく 八重の汐路の浦島や 箱の三崎の 名こそしるけれ" と詠んでいる」とあるぐらいだから、結構本格的だ。

フォークロアというのは、なかなかおもしろいものである。

 

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2019/10/30

愛媛でも Suica が使えないのだね

今月 27日に "「Suica 最強説」は、三重県では幻想だった" という記事を書いたが、Suica も PASMO も通用しない地域にまたしても出張してしまった。それは愛媛県である。

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愛媛県と言っても、私の住む茨城県には愛知県と区別の付かない人もいるので、一応断っておくが、四国の愛媛県、愛媛ミカンで有名な愛媛県である。私の好きな道後温泉のある愛媛県だ。

道後温泉には 2011年 9月に初めて行って、「ああ、あこがれの道後温泉本館」という記事を書いており、さらに今年の 4月にも行っている。二度目とあって、さすがにこちらのブログには書かなかったが、「和歌ログ」の方でちょっと触れている(参照)。

これまで愛媛県で Suica が通用しないことに気付かなかったのは、松山空港からリムジンバスで松山市内に向かっており、鉄道を使わなかったからだろう。しかし今回は岡山から瀬戸大橋を渡って四国入りしたので、伊予西条という駅(上の写真)で降りて、カードとは無縁の光景に驚いたのである。

三重県の津駅では、近鉄線用に "PITAPA" というカードの読み取り機が辛うじてあったが、こちらではそれすらない。完全に「紙の切符」の世界である。

わずかに、伊予鉄道(松山市内電車などを運営)が 「IC い〜カード」というのを発行しているというのだが、小規模な私鉄なので、西条市はほとんど無関係である。システムとしては Suica と同じ方式を採用しているらしいが、なぜか他のカードとの汎用性は取られておらず、あまりやる気がないみたいなのだ。

そんなこんなで、愛媛県は交通系カードに関しては孤立状態にあるわけだ。こうしてみると、日本も案外広い、

ただ、こちらの人は移動にはほとんどクルマを使うので、Suica が使えないことなんてほとんど気にしていないようだ。こうなると「この方が呑気でいいかも」なんて気分になるのが、人間の感覚の不思議なところである。

 

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2019/10/29

慣用句の意味を誤解する傾向

文化庁の 2018年度国語に関する世論調査の結果が発表された、それによると、「ぶぜん」「砂をかむよう」という慣用句を半分以上の人が本来と違う意味でとらえていたという(参照)。文化庁のこの調査に関しては、過去にも何度かいちゃもんを付けたが、今回もちょっと書かせていただく。

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記事によると、「ぶぜん(憮然)」という言葉は本来は「失望してぼんやりする様子」を表しているのだが、正解率は 28.1%に留まり、「腹を立てている様子」という解答が 56.7%と、半数以上になった。ただし 07年調査との比較では、「失望してぼんやり」という正解率が 11ポイント増加し、「原を立てている様子」という解答は 14ポイント減っている。

ということは、11年前は「ぶぜん」という言葉の誤解傾向はより強かったが、最近は少しはマシになってきたというわけだ。ただしこれは、以前は「腹を立てている」という意味で「ぶぜん」という言葉を使う人が多かったので誤解が広まっていたが、最近はこの言葉自体があまり使われなくなったたということのようにも思われる。

ただ、「ぶぜん」の意味として「失望してぼんやりする様子」というのは、ややニュアンス的に違和感があるような気がする。『大辞林』で調べると「ぶぜん」は次のように出てくる。

① 思い通りにならなくて不満なさま
② 落胆するさま
③ 事の意外さに驚くさま

第一義の 「不満なさま」というのが、ややもすると「腹を立てている様子」と誤解されてしまう元になっていたのではなかろうか。つまりちょっと「むっとしている」といったような感覚が、立腹状態とそれほど遠くないと思われていたのだと思う。

「砂をかむよう」というのは、60年代末に流行った『受験生ブルース』(中川五郎・作詞)に出てくる。

おいで皆さん 聞いとくれ
ボクは悲しい 受験生
砂を噛むよな 味気ない
ボクの話を 聞いとくれ

(ただし、オリジナル・バージョンはこちら

これを知っていれば、正しい意味が理解されるはずだが、砂を嚙んでジャリジャリ歯ぎしりするみたいな感覚が、「口惜しくてたまらない様子」という誤解につながっているのだろう。

そして「御の字」というのは、元は遊里言葉で「御」の字を付けたくなるなるほど結構な人や物ということなので、「大いにありがたい」になるのだろうが、これも単純にそう言ってしまうと、ニュアンス的にどうかという場合がある。今の時代では、この言葉の裏に元々潜んでいたやや皮肉っぽい感覚が見え隠れすることがある。

時代とともに少しずつ言葉のニュアンスが変わってくるというのは、あってもいいことだと思う。文化庁の解釈がちょっと公式的すぎて、この調査自体が「少々古くさい」ものと受け取られることになってしまうかもしれない。

ちなみに、以下は私が文科省のこの調査に関して、過去につけたいちゃもんの代表的な記事である。

文化庁こそ言葉の意味を取り違えてるぞ!
「申される」 をめぐる冒険
「疲 (つか) らす」 だなんてねぇ

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2019/10/28

セイタカアワダチソウが、クズに負け始めているらしい

一時は空き地という空き地はセイタカアワダチソウで覆われていたが、最近はその勢いが衰え始めているらしい。

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セイタカアワダチソウはアメリカを原産地とする外来植物で、いつの頃からか猛烈な繁殖力で増え続けてきた。これには理由があって、この植物は根から周囲の植物を枯らす毒として作用する「アレロパシー物質」というのを出しているらしい。それで自分だけがどんどん生息範囲を広げてこれたのだ。

しかしこれは実は「両刃の剣」で、このアレロパシー物質はセイタカアワダチソウ自身にも作用してしまい、自分を枯らす毒ともなってしまうという。このために一時ほどの勢いがなくなりつつあるセイタカアワダチソウに代わって勢力を拡大しているのが、日本古来の野草であるクズ(葛 - 上の写真)である。

クズは蔓性の植物で、地面を這って伸び、他のものに巻き付いてどんどん成長する。葉っぱは結構大きくて、他の植物を覆い隠してしまうから、自分だけが増えていってしまう。

アメリカ辺りでは日本から入ったクズが圧倒的に広まって、ケンタッキーなどは家や畑を覆い尽くしてしまった地域があり、人間が土地を捨てて脱出してしまうという事態にまでなっている。外来植物というのは恐ろしいものである。

日本では古来、根を乾燥させてデンプンを取り、「葛粉」として食用にしたり、生薬に用いたりしてきた。「葛根湯」というのはその代表である。しかし最近では、葛粉や生薬の需要が減って放りっぱなしにすることが多くなったため、とにかく伸び放題の「悪役」と化しつつある。

いずれにしても、野草の世界とはいえ人間がしっかりと手を入れて付き合っていかないと、多様性が損なわれて始末に負えない事態になってしまうようなのである。

 

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2019/10/27

「Suica 最強説」は、三重県では幻想だった

今年 9月 22日に「電子マネーは "Suica" があれば十分だろうよ」という記事を書いていて、日本国内では Suica が最強の電子マネーだと思っていたが、今回の三重出張で、それは幻想だと思い知らされた。三重県庁のある津市は、堂々と 「Suica 適用範囲外」の世界だったのである。

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名古屋から伊勢方面行きの 2両編成「快速みえ」に乗り換え、おもむろに出発すると、エンジン音がやたらと大きい。「なんじゃ、こりゃ?」と思うと、関西本線の川原田駅から先は非電化区間となるので、気動車(ディーゼル車)だったのである。

そして車内アナウンスは「川原田駅より先は Suica などの IC カードが使えませんので...」などと、衝撃的なことを言っている。私のその日の目的地である津市は河原田駅より先なので、Suica が使えないというのだ。

「JR 東海の営業エリアだから、"TOICA" なら使えるだろう」というかもしれないが、実際にはそれももダメだ。さらに「関西本線なのだから JR 西日本の ”ICOCA” なら...」という淡い希望も素っ気なく撥ねつけられる。

津駅で下車すると、そもそも改札口に Suica などを読み取るための設備がない。ただ、津駅に乗り入れている近鉄線乗車の場合に限り "PiTaPa" とかいう聞き慣れないカードなら辛うじて使えるらしい。

令和どころか平成的な印象すら薄く、どことなく時代離れした感覚である。「ここは昭和かいな?」と思いながら駅の外に出ると、目の前にまさに「昭和食堂」という食堂があった。上の写真である。「快速みえ」という気動車は、タイムマシンだったのだ。

とはいえこの地に一泊二日滞在した印象は、「なかなかいい街じゃないか」というものだった。効率のみを追い求める現代から失われた「呑気さ」が感じられ、なんとなく生き返ったような気がしたものである。

 

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2019/10/26

ラグビーをダシにして「ほかの何か」を観るメンタリティ

ふゆひー9 さんが、石原慎太郎氏の「ラグビーの世界選手権で久しぶりに民族意識の高揚を見て嬉しかった」云々という tweet を、「あなたが観ているのはラグビーではない」と、痛烈に突き放している(参照)。「(そもそも世界選手権なんてやっていないしね・笑)」とダメ押し付きだ。

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石原氏の tweet で気になるのは、意識的にか無意識的にか知らないが、「民族意識」と「国家意識」をごっちゃにしている点である。「久しぶりに民族意識の高揚を見て嬉しかった」と言った直後に「良い意味での国家意識の一体感は必要」なんてことにしてしまっている。

「民族」という視点では、言うまでもなく今回のワールドカップ(「世界選手権」という名称ではない)の日本代表チームは単一民族での構成ではないし、国籍すら日本とは限らない。だから「あれは日本代表チームとは言えない」なんて妙にカタすぎることを言っている人までいる。

石原氏の心の中では、「純血の日本民族」でも「日本人」でもないながらも「日本代表」とされている「ナショナルチーム」の活躍を見ることで、どういうわけか「民族意識が高揚」されてしまったようなのだ。そんなことを恥ずかしげもなく言い放つためには、彼なりのチョー独善的かつ予定調和的な意識操作が伴わなければならなかっただろう。

こう考えると、ふゆひー9 さんの言うように、石原氏はラグビーをダシにして無理矢理に「ラグビーではない、ほかの何か」を観ていたようなのである。彼なりに「予定調和的なほかの何か」が見えるものなら、別にラグビーでなくても何でもいいわけで、今回はたまたまラグビーが絶好の材料になってしまっただけだ。

気持ち悪いことに、石原氏の tweet によるスレッドは、「よくぞ言ってくれました!」的なコメントのオンパレードになってしまっている。世の中にはラグビー(だけじゃなく、都合のいいものなら何でも)を透かして自分の好きなことのみを観たがる人たちが、やたら多いのだろう。

ワセダに通っていた学生時代、野球の早慶戦とかラグビーの早明戦なんかになると、とくに野球やラグビーが好きなわけでもないのにやたらアツくなって「ワセダ、サイコー!」と叫びたがるヤツがいた。彼らは内輪で「ワセダ・ナショナリスト」と揶揄されていたのを思い出してしまったよ。

今回のラグビーへの熱狂現象に関して、個人的には「日本人の共同体意識が、純血主義を超えた自由で新しいレベルに移行するきっかけになったかもしれない」程度には思っている

 

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2019/10/25

「またか!」の大雨

台風 21号は本州の東海上を通り過ぎるから、大きな影響はないと思われていたが、実際には「直接の影響」ではないものの、台風の呼び込んだ湿った空気のためにとんでもない大雨になった。私は昼前に出発して、今は三重県のホテルに入っている。

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こんな大雨になるとは知らなかったので、軽い気持ちで東京駅まで来たが、構内でやたら多くの外国人旅行客がウロウロしている。何事かと思っていると、房総方面の大雨の影響で成田エクスプレスを含む千葉方面への特急がすべて運休となり、成田空港に行けなくなった外国人客がどうしたらいいかわからなくなっていたらしい。

ありがたいことに東海道新幹線はダイヤ通りに運行していて、予定通りに乗り込むことができた。上の写真は大井川を渡る時に撮影したビデオの 1シーンで、画像をクリックすると YouTube に飛べる。

初めはスロー、途中からオリジナルのスピードで再生されるが、窓に打ち付ける雨粒がつながって幾筋もの流れとなってしまっている。こんなの、初めて見た。

スマホの情報では茨城県のあちこちで避難勧告が出ているというので、さすがに心配になって家に電話すると、「まだ大丈夫そう」というビミョーな返事だった。雨は夕方過ぎには止んだはずだが、洪水というのは雨の止んでからが本番になるから、油断がならない。

台風の水害は年中行事みたいになっているが、それにしても今年はひどすぎて、短期間のうちに「またか!」と言いたくなるほどだ。近年の温暖化が災いしているというのは、専門家の一致した見解である。こんなにまで大雨災害の相次いでいる日本で、環境問題への取り組みがなまくらすぎるのは大問題だ。

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2019/10/24

「コールスロー」という食い物について

私はカタカナ名前の食い物にからきし疎くて、「ラーメンとカレーとハンバーグぐらいしかわからないよ」と言っているぐらいである。まあ、実際には英語の食い物ならまだなんとかわかるが、フランス語とかイタリア語とかが由来の食い物となると、本当にチンプンカンプンである。

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最近、ようやくイタリア語由来らしい「ペスカトーレ」(魚介系スパゲティということらしい)というものの正体がわかった。これは、自分が魚介類は食べるが肉は食べない「ペスカテリアン」であることから、自然に理解できた(参照)もので、ほかの「何とかーレ」系はさっぱりわからない。

ただ、英語由来の食い物でも「何それ?」というのが少なからずあって、その代表格が「コールスロー」というものだ。これ、細かく切ったキャベツがベースで、時に人参も入るというものだが、どうしてまた「ゆっくり呼べ(call slow)」なんて名前なんだろうと、ずっと不思議に思っていた。

で、今日ようやくその気になって Wikipadia で調べてみたところ、「コールスロー」は "call slow" ではなく、"coleslaw" なんだそうだ(参照)。元々はオランダ語の ”koolsla" から来ているらしい。ほぅらね、やっぱり英語そのものっぽい名前でないとさっぱりわからないのだよ。フランス語、イタリア語でもわからないのだから、オランダ語となったらお手上げだ。

Wikipadia には次のように説明されている。

英語の「コールスロー (coleslaw)」という名前は 18世紀ごろにオランダ語の "koolsalade"(キャベツサラダ)を短縮した「コールスラ (koolsla)」から生まれたものだが、1860年ごろまでのアメリカ合衆国とイギリスでは誤って "cold slaw"(冷たいスロー)と呼ばれており、ホットスローという温サラダが作られることもあった。

米国や英国でも変てこに誤解されていたというのだから、日本人の私がわからなくて当然だ。ちなみに、オランダ語でキャベツを意味する "kool" はラテン語由来らしく、同じ言葉が英語では "cole" になっているとあるのだが、それでも "cold slaw" なんて誤解されるのだから、そもそもあまり一般的な言葉じゃないんだろう。

いずれにしても、私はこの「コールスロー」という食い物が好きだから、言葉の由来がわかってすっきりした。

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2019/10/23

Apple Watch を付けたまま入浴しちゃえるようなのだ

私は Apple Watch を愛用しているのだが、自分のブログで検索してみると、2017年 11月 2日に 「Apple Watch を買ってしまった」という記事を書いている。下手するともうずっと使い続けてきたような感覚になってしまうのだが、実際にはまだ 2年足らずでしかないのだね。

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で、最近 Apple Watch の「ワークアウト」というアプリの中に「プールスイミング」「オープンウォータースイミング」というメニューがあることに気付いた。「サイクリング」「ランニング」「ウォーキング」「室内ランニング」というメニューはよく使うのだが、水泳というメニューがあることにはつい最近まで気付いていなかった。

私はこれまで、風呂に入る時には Apple Watch を外していた。しかし腕に付けたままで水泳できるというなら、防水機能が備わっているもののようだ。

念のためにググってみると、「Apple Watch の防水/耐水性能はお風呂OK! 防水ロック機能や海での使用について解説!」というページが見つかった。これによれば、最初に発売された第1世代からある程度の耐水性能が備わっているらしい。公式に推奨はされていないが、短時間の風呂やシャワーなら大丈夫のようなのだ。

そして私の使っているのは第 3世代なので、水泳のワークアウトができるまでになり、これを始めると自動的に「防水ロック」されるらしい。おもしろいのは、水泳を終えて防水ロックを解除すると、時計の中に入り込んだ水分が排除されるというのだ。ずっと防水されたままというより、確かにこの方が信頼できるよね。

というわけで、これからは Apple Watch をしたまま入浴しちゃおうと思っている。

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2019/10/22

一膳の箸で片方は浮き、片方は沈むことに関するメンタリティの違い

昔から不思議に思っていたことだが、箸、とくに塗り箸は、同じ一膳の箸でも片方が水に浮き、片方が沈む場合が多い。我が家の場合はもっぱら白木のままか、薄塗りで白木の風情を残した箸を使っているのであまり気にならないのけれど、最近頂いた塗り箸は、やはり片方が水に浮き、片方が沈む。

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というわけで、私は「塗り箸の職人は、一膳の箸でも片方が沈み、もう片方は浮くように細工しているのだ」と思っていた。どういう理由か知らないが、何かフォークロア的な謂われでもあるのだろうと。「箸というのは、陰と陽の組み合わせである」みたいなね。

何しろ細かいところまでこだわり抜く日本の職人のことだから、フツーに考えれば一揃いの箸の片方が水に浮き、他方は沈むというような、一見「不細工」に見えるようなままで世に出すとは思われない。そこには何かの意図があると思うのが自然ではないか。

ついさっき、ふと思いついてこれに関して調べてみようと、「箸/片方が沈む」というキーワードでググって見ると、数は少ないが同じ疑問を持つ人がいるようだ。Q&A のサイトに「なぜ片方だけ浮いて片方は沈むのでしょうか?」というような質問がいくつか挙げられている。(参照

それらの質問への解答を見ると、言い方は少しずつ違うものの、煎じ詰めればことごとく「比重の違いです」ということに集約されるのである。私はこうした解答者のあまりにもシンプルなメンタリティに、啞然としてしまった。

水に浮くか沈むかというのが「比重の違い」であるというのは、当たり前すぎて言うまでもないことである。それは「理由」というよりは「浮き沈み」を「比重の違い」と言い換えたに過ぎない。

「どうして木は水に浮いて、石は沈むんですか?」という質問になら、単純物理で「比重の違い」という答え方をしてもいいだろうが、この場合は違う。質問者はあくまで「箸」という特定のモノに関して聞いているのだから、そこに質問のキモがあるはずだ。

「比重の違いです」というのは例えて言えば、「どうして信号の色は、赤、緑、黄なんですか?」という質問に「光の波長の違いです」と答えるようなものだ。「どうして信号はこの 3色に決められたんですか?」と聞きたがっている質問者に単純物理で答えたら、「お前は何もわかっとらんな!」と言いたくなる。

で、こうした「何もわかっとらんな!」というような解答で、質問者自身も何だか納得してしまったような気になって御礼を述べているということにも、私はモヤモヤした気分になってしまう。自分が何について聞いたのか、明確にわかっていないようなのだ。

で、インターネットをざっと見た結果では、箸の浮き沈みに特別な意図や謂われがあるというような記述は見当たらなかった。たまたま比重の違う箸の組み合わせになっている場合が多いだけということのようなのである。

どうやら私は深読みしすぎていたようだ。「だったら、『比重の違い』という単純な説明でいいではないか」と言われそうだが、そこはそれ、「作成過程では特別な意図はなく、たまたまそうなっているだけに過ぎない」というような説明も、念のため入れてもらいたいところである。

 

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2019/10/21

新幹線や飛行機内の Wifi は遅くてかなわん

今月 16日の記事(参照)で書いたように、今月末から来月にかけて北海道と四国に 2度ずつ出張することが決まっていて、このうち 3度は飛行機を利用する。飛行機の旅で昔と変わったのは、飛行中もケータイの電源を切らなくてもよくなったことだ。

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昔は飛行機に乗り込むと離陸の前に「携帯電話のスイッチはお切りください」みたいなアナウンスがあったものだが、最近は「機内モード」などにすればいいようだ。おかげでフライトの間は iTunes に登録してある音楽を聴いていることもできる。

さらに無料で提供される機内 Wifi でインターネットに接続することもできる。ただ、この Wifi がやたら遅くて、経験上言えるのはテキスト・ベースのメールぐらいなら受け取れるが、ちょっと重めの添付ファイルが付いていたりすると、ダウンロードするのに滅茶苦茶時間がかかるし、画像データもなかなか表示されない。

Google 検索ですら時間がかかって途中で嫌になってしまうことが多い。要するに使い物にならないのである。

Free Wifi が遅いのは、新幹線も同様である。そしてこの新幹線 Wifi というのは、過去に 1度でも接続したことがあると、次は自動でつながってしまうからやっかいだ。気付かぬうちに Wifi 接続になってしまうと、突然接続スピードが落ちてしまい、イライラすることがある。

ただ新幹線に乗っている時なら「設定」画面を出して Wifi 接続をオフにしてしまえば、通常の 4G 回線で接続できるからいいが、飛行機ではそうはいかない。機内モードにしているので、いつものケータイの回線につなげないのである。

JAL と ANA が無料の機内 Wifi を始めた当初は、「機内で地図アプリにつなげば、窓から見下ろせる街や島の名前を容易に確認できる」などと言われていたが、実際にはそんなことは全然無理だ。ようやく地図が表示された頃にはとっくにその地点を過ぎ去ってしまっているのだからどうしようもない。

というわけで、飛行機内でまともにインターネットを使えるようになるまでには、残念ながらもう少し時間がかかるようなのである。

 

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2019/10/20

台風 20号が日本に近付いているらしい

台風 20号が、火曜日には本州に接近するおそれがあるという。進路予想図を見ると 19号と似たコースを辿るようで、「もう勘弁しておくれ」と言いたくなってしまう。

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この台風は発生した時点ではすぐに消滅するだろうなどと言われていたが、予想に反してしっかりと成長してしまい、日本にまともに向かってきていいる。火曜日に紀伊半島に近付く頃には温帯低気圧に変わるとみられるが、活発な雨雲を伴っているので、またしても東日本で大雨が警戒されるという。

さらに台風 21号まで発生している。これは日本の東海上に抜けていくとみられるが、今年は台風の当たり年とみていいだろう。

私が出張ラッシュに突入するのは今月 25日からなので、台風の影響は受けずに済みそうだ。我ながら見事な晴れ男ぶりだが、台風 22号なんてものが発生しないように祈るのみである。

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2019/10/19

スーパー「ロピア」の CM ソングがほとんど魔法の呪文

私はクルマを運転している時はほとんど TBS ラジオを聞いている。で、この TBS ラジオでしょっちゅう流れるものに、「ロピア」という名のスーパーの CM ソングがあるのだが、この歌の歌詞がなかなか聴き取りづらくて、何を歌っているのかわからないのだ。191019ロピアというのは、神奈川県藤沢市に本拠を置く食品スーパーらしく、関東一円で受信される TBS ラジオでしょっちゅう CM を流している。その CM ソングがどのくらいわからないかといえば、上の画像クリックでリンクされる YouTube のページの歌を再生してみれば察することができる。

「いただきます、おいしいね 〇〇×× ロピアで始まる △▼〇〇 ロピア」って感じで、全体を通すと何が何だかさっぱりわからない。ほとんど魔法の呪文だ。これがモヤモヤして、ずっと長い間気になっていた。

で、ふと思いついて「ロピア CM 歌詞」でググって見ると、同じように気にかかっていた人が何人もいて、その中に 「ロピアのテーマソング歌詞を福岡在住のおれが解明したぞ!!」という 2年も前に書かれた あく道さんという方の記事が見つかった。

この方は福岡在住なので、TBS ラジオの CM なんてフツーなら耳にすることもないのだが、Radiko プラミアムの会員になっていて、TBS ラジオの放送をしょっちゅう聞いているのだそうだ。

で、彼が解読(いや、「解聞 か)されたところによると、この不思議な呪文みたいな歌詞は、こういうことなのだという。

いたただきます♪
おいしいね♪
ごちそうさま♪
ありがとう♪ロピアで~♪始まる暮らし♪
ロープライス、ユートピア、ロピア♪
食生活、♥(ラブ)♥(ラブ)、ロピア♪

そう言われて YouTube の音声を聞き直してみると、うむ、確かにそのように聞こえる。ふむふむ、これで間違いなかろう。

それにしても、曲の小節の分かれ目と歌詞の切れ目が一致しないので、本当にわかりにくい。「こんなんでいいのかいな」と、マジに思ってしまうが、ひとまずは長年の懸案事項が解決されてすっきりしたのであった。

 

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2019/10/18

「感情が先走る体育会系教師」は、組み体操が大好き

多くの小学校の運動会で「組み体操」が実施され、骨折などの事故が相次いでいることが話題となっている。私としては「まだそんなことやってたのか」と、驚くばかりである。191018

組み体操が危険なのは、データで見ても実際に事故が多いのだから明白である。それでも実施する学校が多いのは、声の大きな体育会系教師が「組み体操大好き」で、どうしてもやりたがるからだ。端的に言えば、保守的な体育会系教師は、理窟より感情が先走るのである。

で、「感情が先走るから、見栄えがする組み体操が大好き」−「どんどん感情が先走るから、『生徒たちも組み体操が大好き』と思い込む」 −「さらに感情が先走るから、『怪我が多い』なんて指摘は『唾棄すべき軟弱思想』としか思えない」と発展する。

要するに、声の大きな教師たちは理窟ではなく感情でものを考えるから、当たり前の理窟が通らないのだ。だから私は昔から「声の大きな教師」というのをまったく信用していない。

今でも思い出すのは、中学校時代に生活指導の「声の大きな体育会系教師」が、「変速機付き自転車は、3段変速まで許可する。それ以上はスピードが出すぎて危険だから禁止」と言い出した。それまで自転車と言えば「重たい実用車」しかなかったが、ようやく「変速機付き自転車」というのが出始めた頃だった。

ところがこれには、街の自転車販売業者から異論が出たらしい。当時、地方都市の自転車屋さんというのは隠然たる力をもっていたから、学校にも圧力をかけたようなのである。

で、暫くするとその教師が「自転車の変速機というのは、いくらギアの数が多くても最高スピードは変わらないらしい。だから『三段変速まで許可』というのは取り消す」と言い出した。朝令暮改もいいところである。私は「あの教師、多段階変速だといくらでも無制限にスピードが出せるとでも思ってたのか?」と、呆れてしまった。

何度も言うが、声の大きな体育会系教師は理窟ではなく感情でものを考えるので、「3段変速の自転車で 20km/h のスピードを出せるヤツが 10段変速に乗ると、苦もなく 60km/h 以上出せるから危険」と単純に思ってしまったようなのだ。自転車のスピードを出すのは脚力だという当たり前のことに思い至らなかったのである。

ところが感情でモノを考える彼らは、日頃懇意にして一緒に酒飲んだりしている自転車屋のオヤジさんたちに圧力をかけられると、つい言うことを聞いてしまうのである。純粋に理窟で説明されても聞く耳を持たないが、情に絡めて言い含められると弱いのだ。

そんなわけで、彼らは「多段階変速の自転車はスピードが出すぎて危険」なんて根拠のないことを言い出すくせに、「組み体操は危険」というデータ的にも明らかなことに関してはなぜか無視するのである。不思議なメンタリティだよね。

だから、組み体操の危険性をいくら理窟で説明しても止めさせることはできない。こういうことは、裏表にわたって隠然たる権力をもったオッサンが情に絡めて説得しないと、一向に効果がないのである。

 

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2019/10/17

ソフトバンクからの緊急連絡を装ったフィッシング・メール

ソフトバンクからの緊急連絡を装ったフィッシング・メールが頻発しているようで、今朝、私のところにも届いた。引っかかってしまわないように注意を呼びかける意味で、今日の記事とさせていただく。

191017

メールの内容は、こんなようなものだ。

現在、公式有料サービスにおいて無料体験が本日終了し定額サービスがスタートしました。

本日キャンセルすれば、料金が請求されることはありません。

継続を希望されない場合、下記【キャンセルはこちら】よりお手続きをいただけますようお願いいたします。

私は有料サービスの無料体験なんて申し込んだことがないし、差出人のメルアドを晒しちゃうと "masusrsr@gmail.com" というもので、ソフトバンクの公式窓口がどうしてフリーメールのアドレス使わなきゃいけないんだ。

【キャンセルはこちら】とされたリンク先にしても URL がわけのわからない文字の羅列で、ソフトバンクがこんなアヤシいページ作るわけがなく、フィッシング・サイトであることがバレバレだ。それでも「早くキャンセルしないと料金が請求されちゃう」とばかりに、あせってクリックしちゃう人もいるんだろう。

そもそも「無料体験サービス」なんてのは、フツーは一定の期間が終了したら改めて継続の申込みをしない限り自動的に利用できなくなるものだ。キャンセルしなければ料金が発生するなんてのは、よほどの悪徳サイトでなければあり得ない。

ソフトバンクとしてもこうしたフィッシング・メールが横行していることは十分認識しているようで、「ソフトバンクを装う電子メールに関するご注意」というページを作っているので、詳細はそちらをご覧頂きたい。

というわけで、くれぐれもご注意のほどを。

 

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2019/10/16

久しぶりで「暇な週末」になると思ったが

実は今週末に甲府に出張する予定があったのだが、台風 19号による土砂崩れの影響で JR 中央本線が運休している上に、高速道路の中央道は通行止めが続いている。JR は 明後日の 18日に運行を再開すると発表したが、特急は当面運休になるらしい。

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そんなことなら自力でクルマを運転して行こうかと覚悟を決めたものの、それも思うに任せないようだ。山梨日日新聞のサイトから拝借した上の図をみたところ、中央道の復旧は間に合わず、一般道を行こうにも国道 20号が大月市で通行止めで復旧の目処が立っていない。

静岡から甲府まで北上する国道 52号は 18日の復旧を目指すというので、東名で静岡まで行けば何とかなるかもしれないが、例え開通したところで交通が集中して大渋滞になるだろう。正直言って、そんなに遠回りしてまで大渋滞のルートを辿りたくはない。

結局は中央本線の各駅停車でえっちらおっちら行くしかないと覚悟を決め直したところで、そもそもの出張目的であるイベント自体が中止という連絡が入った。台風被害でそれどころじゃないらしい。

というわけで、久しぶりで暇な週末ができてのんびり過ごせると思ったのだが、「それならば」と、急に臨時の仕事を押しつけられてしまった。結局のところ、「貧乏暇なし」である。

そして今月下旬は関西に出張してすぐに戻り、地元での仕事をこなして、またすぐに四国に出張となる。関西から戻らずにそのまま四国に行けたら楽なのに、我ながらスケジュールの組み方が下手である。

さらに来月前半は北海道に 2度飛ぶことになる。1度の出張で 2つの仕事をこなせばいいのに、それがスケジュール的にどうしても無理なので仕方がない。そもそも北海道は 11月に入ってからなんかじゃなく、夏のうちに行っておけばよかったなあ。

【10月 18日追記】

来月はさらに、2度の北海道出張の間に、土佐にも行かなければならなくなってしまった。まさに「貧乏暇なし」である。

 

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2019/10/15

眠いといったらとにかく眠い

「春眠暁を覚えず」なんていうが、春でもないのに最近やたらと眠い。10年前の 11月には「季節の変わり目は眠い」なんて記事を書いているほどで、今の季節は眠いといったらとにかく眠い。

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一節によると、季節の変わり目は「睡眠の質」が落ちてしまうのだそうだ。夏と秋の境目で季節が行ったり来たりして、タオルケット 1枚で十分なこともあれば、毛布だけでは足りない夜もある。宵の口は暑苦しいほどでも、夜明け前頃は冷え込んだりすることも多い。「質のいい睡眠」を十分に取るのが難しい季節である。

というわけで、夕方ソファに横になって、スマホでメールのチェックなんかしていると、いつの間にか眠りに落ちてしまうこともある。こんなのを私は「気絶の如き眠り」と称している。時々妻に「あなた、また気絶してるわよ!」と起こされて、啞然とすることも珍しくない。

先日、ラジオで恐ろしい話を聞いた。聴取者からの投稿で、夜中に高速道路を運転していて眠くて堪らなくなったのだそうだ。無理せずに仮眠を取ろうと思ううちに、ほどなくパーキングに辿り着いた。左のウィンカーを出して入ってしっかりと駐車し、リクライニングシートを倒すとすぐに眠りに落ちた。

しばらく寝ていると、後ろからけたたましいクラクションが聞こえる。「何だよ、人がせっかく寝ているのに」と思って目を覚ますと、何と、自分のクルマは高速道路上を蛇行運転しているではないか。

左ウィンカーを出してパーキングに入ったというのは、一瞬の間に見た夢で、実はそのまま居眠り運転してしまっていたのだという。なんとも恐ろしい話である。

一炊の夢」というのは人生の栄華のはかなさを喩えた故事だが、飯が炊き上がる前に一生に渡る夢を見たというのだから、夢の中の時間というのは現実と連動しない。よくよく眠くなってしまうと、あっという間に気絶してしまうのだから油断がならない。

「ちょっと眠いな」と思った時点で、無理せず仮眠を取らないと、命を失うことにもなりかねない。一人でひっそりと命を落とすのはいいが、他人に面倒をかけるような死に方は避けたいものだ。

 

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2019/10/14

ウシガエルと恐竜、そして人類

先月 14日に、「ウシガエルの声が、先日の今週の月曜日の台風 15号襲来以後、ぱったりと聞こえなくなってしまった」と書いた(参照)。それまで裏の川土手で毎日「モウ、モウ」と鳴いていたウシガエルが、台風による増水で流されてしまったらしく、一匹もいなくなってしまったのである。

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それまで昼となく夜となく聞こえていた威勢のいい大音響が聞こえなくなると、なんとなく淋しい気がする。もしかしたら、どこかに産み付けられた卵が来年春に孵化し、夏過ぎにはカエルになって鳴き始めるかもしれないが、成体が流されたのだから、卵だって流されてしまっただろうと悲観的になってしまう。

ここに引っ越してきて以来 40年近くも親しんだあの鳴き声の主たちが、たった一度の猛烈な台風でいなくなってしまったのだから、地球温暖化に伴う気候の変化というのは本当にばかにできないものだと思う。ちょっと大袈裟すぎる連想かもしれないが、私は恐竜の絶滅という事実にまで思いを馳せてしまったよ。

恐竜は約 6,600万年前の白亜紀と新生代との境に多くが絶滅したと言われている。「多くが」と言うのは、小型のものは現在の鳥類として生き残っているとも言われるからだが、いずれにしても「いわゆる恐竜」という生物はほとんど絶滅してしまったわけだ。

その絶滅の要因は、巨大隕石衝突によって地球の気候が大きく変わってしまったことだとも言われる。いずれにしても、気候の変動は生態系に大きな影響を与えるのだ。

恐竜の絶滅が巨大隕石衝突による気候変動だったとすれば、最近の気候変動は CO2 の増加による温暖化である。この温暖化が気候を極端なものとし、大型で強い台風の頻発にもつながっているとみられる。

今回の台風 19号では、47人の死者が出たという。60年前の伊勢湾台風では 4,000人以上が犠牲になったが、当時は天気予報の精度が低く、情報伝達も今ほど発達していなかったし、さらに堤防整備などの社会インフラも整っていなかったので、これほどの被害規模になったのだろう。

それを思えば、これほどまでに情報が発達し社会インフラの整備も進んだ現代において、47人もの死者が出たというのはある意味大変なことだ。今後、このくらいの規模の台風が当たり前に襲来するとなると、常にかなりの被害を覚悟しなければならない。

恐竜が巨大隕石衝突による気候変動で絶滅したとすると、人類は CO2 増加による気候変動で絶滅するかもしれない。絶滅を免れるとしても、住みにくくてしょうがない環境になってしまうのは確実だろう。

そんなことまで思いが飛んでしまうと、我が家の裏の川のウシガエルに戻ってきてもらい、気休めでもいいから少し安心させてもらいたいものなのである。

 

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2019/10/13

台風 19号が去って

台風 19号が去って、慌ただしい 1日が暮れようとしている。我が家の裏の川は、川幅がいつもの倍ぐらいに広がっているが、どうやら氾濫はせずに済みそうだ。

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昭和 61年(1986年)、台風 10号崩れの低気圧で関東が大雨になった時には、この川が氾濫して、私は 3番目の子を身ごもっていた妻、2人の幼子、そして犬 1匹を連れて、高台の中学校に避難したのだった(参照)。あの頃と比べればこの地域も治水対策が進み、今回のような台風でも避難しなくて済むようになったことはありがたい。

さて、今回の台風 19号の報告である。早く言ってしまえば、我が家では大した被害は出なかった。先月の台風 15号では屋外のいろいろな設備がぶっ飛んでちょっとした被害があったが、今回は対策をしっかりしたためか、あるいはぶっ飛ぶべきものは既にぶっ飛んでしまったからか、ほとんど無事だった。

ただ、最寄りの浄水場が停電したため、夜中から断水してしまった。インターネットで市の防災情報を見ると、停電箇所が多いので復旧には時間を要するとある。水と保存食料はきちんと確保してあるので焦りはしなかったが、もしかしたら 2日間ぐらいは風呂に入れないかもしれないと覚悟した。

しかし復旧は思いのほか早く、朝の 9時頃には水道がゴボゴボいって水が出始めた。水インフラは重要なので、浄水場の停電対策には優先的に取り組んでくれたらしい。ありがたいことである。

お笑いはこの後で、断水が復旧して 1時間近く経った 10時頃に、市の広報車がやってきた。何ごとかとスピーカーの音声に耳を傾けると、「只今、断水しております。ご迷惑をおかけしております。復旧には全力で取り組んでおりますので・・・」みたいな、寝ぼけたことを言っている。

市役所内部の情報伝達は、物理的な水の巡りよりもずっと手間がかかるらしい。混乱していたのは理解できるが、あれはちょっとお粗末だったよね。我が家よりちょっと手前で「水はもう出てるよ」と教えてあげた人がいたようで、広報車はスピーカーの音声を消してすごすごと帰って行ったのだった。

ただ、我が家の被害はこの程度のものだったが、今回は大雨のために河川の氾濫が多く伝えられている。私も自分の避難経験でわかっているが、実は水害というのは台風が去って 1日後ぐらいが本番だ。水害に見舞われている地域の方々には、心からお見舞い申し上げる。

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2019/10/12

台風情報と正常性バイアス

今、12日の昼過ぎ。台風 19号が刻々関東に近付きつつあり、つくばの里も朝から風が強い。ただ、これはまだ序の口のようで、夜中にかけてはかなりの大荒れになりそうだ。

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先ほど TBS ラジオを聞いていたところ、キャスターの女性が新宿駅に出向いて、そこにいる人たちに話を聞くというプログラムがあった。既に新宿駅周辺は断続的に大雨が降り、風も強いようだ。何しろ茨城県より台風に近いのだから、インタビュアーも大変だろう。

そこでインタビューに応じてくれた中に、昨日新潟から出てきたという若い男性がいた。昨夜は妹のところで一泊させてもらい、今日は帰りたいのだが、交通機関に運休が多いので途方に暮れているという。「もう一晩、妹さんのところに止めてもらえば?」と言うと、それは難しいらしい。どうやら彼氏がいるみたいなのだ。

まったく気の毒なことだが、冷静に考えると「非常に強い台風が 12日に関東直撃の見込み」とか「交通機関も計画運休の予定」とか、あれだけ事前情報が流されていたのに、なんでまたわざわざよりによって、昨日東京に出てきたりなんかしたんだろうと思ってしまう。フツーの感覚なら、旅行計画を中止だよね。

情報というのはなかなか難しいもので、いくらきちんと提供されても、受け取る側がまともに受け取らないと役に立たない。下手に「正常性バイアス(normalcy bias 参照 1参照 2)」が働いて、「どうやら台風が来るらしいけど、何とかなるだろう」なんて、軽い気持ちで受け流していると、気の毒なことになってしまう。

とまあ、こんなことを書いているうちに、つくばの里の風雨もますます強くなってきた。風の音がゴォっと強まると、少し家が揺れる。被害があまりひどくならないように祈るほかない。

 

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2019/10/11

台風 19号に戦々恐々の関東

テレビやラジオは台風 19号の話題で持ちきりだ。とにかく先月の 15号でかなり懲りているのに、今度のはさらに大きくて強いというのだから、関東は戦々恐々である。

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昨日の夜、通常の給油のためにガソリンスタンドに寄ったら、順番待ちの列ができていた。何事かと思ったら、台風に備えて満タンにしておきたいという心理が働いているのだそうだ。台風だからといってクルマで遠くまで避難するわけじゃあるまいと思ったが、話を聞くとガソリン満タンならケータイの充電もできるというのである。

そんなのは充電用携帯バッテリーがあればいいと思うのだが、3日も 4日も停電したというニュースを見せつけられると、「念のため」という気になるようなのだ。そんな集団心理が働いて、我も我もとガソリンスタンドに押し寄せたらしい。

それだけじゃない。昨日の夜から近所のスーパーの駐車場が常に満車状態に近くなっている。多くの人が非常食の買い溜めに走っているのだそうだ。一体何を買っているのかと思い、ちょっとのぞいてみるとカップ麺の棚がすっかり空になっている。ふぅん、いざという時にはカップ麺で凌ごうという人が多いのだね。

こう言っちゃナンだが、我が家は非常用の食料備蓄は水も含めて常に割としっかりしてある。だから 8年前の東日本大震災の時もそれほどあせらずに済んだ。

先月の台風 15号では、我が家のある地域は停電を免れた。今回も無事にやり過ごしたいものだと思っているが、こればかりは備えをしっかりしたら、後は祈っているしかなかろう。

 

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2019/10/10

「旗」と「幟(のぼり)」の違いと、「旗」の語源

昨日は「裏返し幟」のイライラ感について述べたが、ところで「旗」と「幟(のぼり)」の違いをご存じだろうか。調べてみると、「旗」というのは下の左側の万国旗のように、風がなければしなだれ、風が吹いた時にパタパタとはためくものなのだ。

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一方、「幟(一応「幟旗(のぼりばた)ともいう)」というのは、上の右側の写真のように、逆 L 字型に組まれた棹に上辺と片側が固定されていて、風がなくてもしなだれないようになっている。なるほどね。で、街中の店頭などでよく見かけるのは「幟」が圧倒的に多い。

ところで「旗がはためく」で思い出したが、「旗」の語源は風ではためく際の「パタパタ」という擬音語だというのが最も有力な説である。「はた」と「パタパタ」じゃ違う音だろうと思われるかも知れないが、奈良時代以前の日本語では「ハ行」の音は「P 音」で発音されていたということが、音韻学の研究で明らかにされている。

要するに「旗」という言葉の成立時点では、「パタパタ」いうから「ぱた(pata)」という名詞になって、動詞は「ぱためく(patameku)」だったわけね。大昔のことだけに、大らかで単純な発想だったのだ。

後に「ハ行」は「F 音」に変わり、今は 「H 音」に変化した。ただ、「ふ」だけは例外的に「F 音」のまま残っている(英語の F とは発音のメカニズムが違うが)わけだが。

まあ、最近は「旗が『はたはたと』はためく」なんていう言い方も一般的になってきたが、これは「旗」を「はた」と発音することが定着してからのつじつま合わせみたいなものだろう。あれってどう聞いても「はたはた」というよりは「ぱたぱた」という方がリアルでしっくりくるよね。

ついでに言うと、「か」も奈良時代頃までは「くゎ」と発音されていた。庄内の田舎で生まれて死んだ私の祖母などは、奈良時代の発音を昭和の御代にまで残していた人で、「『くゎじ』出さねよ、『ふぃ』 さ、気ぃ付けれ」 (火事を出さないよう、火に気をつけろ)と言っていたものだ。

これについては 14年近くも前に「現代の奥に潜む古代」という記事で詳しく触れているので、ご一読いただきたい。要するに私は幼い頃、日常生活の中で「生きたフォークロア」と家族として濃密に接していたのである。

ちなみに、棹に固定するために幟に付けられた輪の形の布は、「乳」と言って、昔は幟のことを「乳付き旗(ちつきばた)」と言ったらしい。なんでまたこれが「乳」なのかは、「犬の乳のように一定間隔で並んでいるから」なんて言われているが、ちょっと無理があるような気もする。

旗とか幟とかにこだわると、そこはかとなく日本文化の「闇」を見る思いがしてしまうなあ。

 

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2019/10/09

「裏返し幟」が気になってしょうがない

日本人は旗とか幟(のぼり)とかが大好きなようだ。とにかくこんなにも街頭で旗や幟(とくに幟が多い)を見かける国を、私はほかに知らない。写真の上の方は、先月 22日の記事で「ペイペイ」が裏返って「ペトペト」に錯覚してしまうと言ったヤツだ。

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それから、近くの農協ショップではこんなのも見かける。

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どちらも気になってしょうがないのは、店の前の通りから見た面が裏返しになってしまっていることだ。この 2つの例だけじゃなく、「裏返し幟」は枚挙にいとまがない。上述の 9月 22日の記事の末尾も次のようなものだ。

「本日 大売り出し中」(「本日」という 2文字のみが横書き)という幟が裏返っていて、「日本 大売り出し中」に見えて驚いてしまったし。

店のスタッフたちは気にならないのだろうか。あるいは「日本人は親切だから、ちゃんと頭の中で変換して読んでくれている」と思って安心しちゃってるのだろうか。

かくいう私も「文字さえあればとにかく読んでみる」という習性だから、ちゃんと脳内変換して読んでいる。読んではいるが、それでいいというわけではなく、やはり気になってしょうがないのである。

もしかしたら朝の開店時にはまともな向きで設置した幟が、途中で風向きが変わったせいで裏返ってしまったのかもしれない。しかし、それならそれで気付いた時にもう一度まともな面が通りに向くように設置し直せばいいではないか。

とはいえ、上の 2枚の写真を撮った日は朝からほとんど無風状態だったから、最初の設置の仕方があまりにもおざなりだったとしか思われない。これではいくらなんでも、言葉や文字に関して無神経すぎる。

これって、何とかならないものなのだろうか。それとも裏返った文字を読まされる妙な感覚も含めて、幟というものの醍醐味なのだろうか。このあたりは、日本文化の「闇」の部分である。

 

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2019/10/08

アオサギの鳴き声 2

アオサギという鳥がいる。この鳥、姿形は結構美しいのに、その鳴き声たるやかなり「がっかりもの」であることについては、8年も前に書いたことがある(参照)。そのがっかり加減は、下の画像をクリックして YouTube に飛ぶと確認できる。

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ただ、鳥の鳴き声にも少しは個体差があるようで、我が家の裏手の川に来て鳴くアオサギの声は、この動画のものよりさらに興醒めだ。「ギャア!」と書き表せばいいのか、あるいは「ギョエ!」、「グエ!」とでも表記すべきか、とにかく「どうしてここまでひどい声に生まれついたかなあ」と思うほどである。

なんでまた今さら再びこのアオサギの鳴き声について書こうという気になったのかというと、この地に越してきて 40年近くにもなるのに、ごく最近になって私の妻が「あの『ギャア!』っていうスゴい鳴き声、何なの?」なんて言い出したからである。

アオサギという鳥は朝夕も活動するが、夜行性の傾向が強い。そして闇の中を飛びながらでも盛大に「ギョエ! グエ!」と鳴くので、妻としては、夜になるとよほど恐ろしげな鳥がこの辺りに出没するのだと思っていたらしい。

「知らなかったの? あれってアオサギの鳴き声だよ」
「え、そうなの? アオサギって結構きれいな鳥じゃないの」
「鳥って、見た目と鳴き声はほとんど関係ないみたいだよね」
「そうなんだ。今まで『ヌエ』みたいなのがいるのかと思ってた」

ちょっと待った。「ヌエ(鵺)」というのは、あの源頼光によって退治されたと伝えられる伝説上の妖怪である。猿の顔、狸の胴体、虎の手足、蛇の尾を持つと伝えられるので、少なくとも鳥ではなく、下の絵のようなものということになっている。

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それにヌエの鳴き声はトラツグミのようだと伝えられており、「ギャア!」とか「ギョエ!」とか「グエ!」とかじゃない。Wikipedia には次のように記されている。(参照

「ヒョーヒョー」という、鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴いた、とされる。映画『悪霊島』(原作 横溝正史)のキャッチフレーズ、「鵺の鳴く夜は恐ろしい」とはこのことである。

そんなわけで、トラツグミを「ヌエ」という別称で呼ぶこともあるらしいのだね。最近は便利な世の中になったもので、このトラツグミの鳴き声も YouTube で確認でき、下の画像クリックで聞ける。

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ちょっと寂しげな鳴き声で、確かに「気味の悪い声」と感じられるかもしれないが、逆に「可愛らしい」と思う人もいると思う。少なくともアオサギほどひどいものじゃない。

 

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2019/10/07

オンワードの赤字決算に思うこと

アパレル大手、オンワードホールディングスの 3〜8月期の中間決算が 244億円の赤字になったと発表された。2020年 2月期の通期決算は、240億円の赤字になるという見通しらしい。

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最近になってからこのブログを読み始めた人はご存じないだろうが、私は 16年前の 2003年春までは、アパレル業界でメシを食っていた。もっともアパレル・メーカーに勤務していたというわけではなく、その関連分野で仕事をしていたので、アパレル業界の全体的動向に関しては今でも結構注目している。

16年前といえば、オンワードは我が世の春みたいな勢いだった。それまでアパレル業界の 4大メーカーはオンワード、レナウン、三陽商会、ワールドと言われていたが、この中で最も鼻息の荒いのがオンワードだった。

レナウンは、一時は 2,000億円以上の売上高を誇っていたが、百貨店に頼りすぎてまともなマーケティングをしなかったために、今は 3分の 1以下の 600億円台まで落ちぶれている。三陽商会はライセンス・ブランドの「バーバリー」に頼りっぱなしだったので、その契約が切れてからはガタガタになり、今は最盛期の半分以下の 500億円台である。

この両社は百貨店の没落と歩調を合わせて低迷してきたが、専門店が主力販路のワールドは百貨店とは別の世界でマーケティングしているので、小回りがきく。さらに直営店も比較的上手に運営しているので、2,500億円台の売上高を維持している。

オンワードは百貨店を主力販路としつつも、体育会系的な攻めのマーケティングで成長してきた。しかしそれは、レナウン、三陽商会とともに、3社でシェアしていたも同然の市場で他の 2社が勝手にコケたのだから、うまく行って当然とみるべきだろう。

ところが最近は百貨店市場そのものがガタガタなので、「もはやこれまで」というところまできてしまった。今回の赤字決算は、不採算店舗の閉鎖、縮小を一挙に行ったためとされている。無理矢理あてがっていた「つっかえ棒」がどんどん外れ始めたといえよう。

というわけで、一昨年の 3月に書いているように、"百貨店という業態は、既に「オワコン」” と思う方がよさそうだ。今やアパレル市場は、ユニクロのマーケットになってしまったのである。

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2019/10/06

麻雀と同質化圧力

同年代の知人から「最近、麻雀やらなくなったよね」と言われ、「最近どころか、生まれてから一度もやったことない。ルールも知らない」と言うと、「へえ! まるで最近の若者みたいだね」と驚かれた。

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麻雀が廃れているらしい。そういえば私が学生時代はみんな麻雀をしていたもので、私のようにルールも知らないというのは、まったく珍しい存在だった。

学生時代、学習塾の講師のバイトをしていたことがあり、正月にはこの塾の経営者の家にバイト講師が全員集まって食事をする新年会みたいなことをしていた。そしてこの新年会の恒例行事が麻雀で、食事会が終わるとみんな嬉々として麻雀卓を囲んでいたのである。

一人だけ麻雀をしない私は、食事が済むとさっさと帰っていたのを思い出す。あのまま残っていたら、かなり遅くまでやることになっていただろう。そんなのには到底付き合いきれない。

「麻雀/廃れた」という 2語でググってみると、麻雀が廃れた理由は「教える人がいなくなった」ことだとする指摘が多い。「ギャンブル依存症克服支援サイトSAGS」というサイトの「麻雀が廃れた理由とは」という記事には次のようにある。

私は麻雀が廃れた理由として一番大きいのは、麻雀を教える人が居なくなっていったからではないかと考える。教える人が居なくなる大きな理由とは、学生達のライフスタイルの変化が大きい。冷暖房の整った部屋にこたつは必要で無く、こたつが無ければ遊戯場所は雀荘しか無くなる。雀荘は、それなりのお金がかかる……。

さらに「真面目に脱線話@リンガランド英語塾」というブログの「なぜ麻雀は廃れたか」という記事にも、大学の先生からこんなような話を聞いたと書かれている。

「これは僕の推測なんだけれども、大学から麻雀が廃れたのは、教養と専門でキャンパスが分かれてからじゃないかと思うんだ。1、2年と3、4年が接触する機会がなければ、結局、麻雀を教える場所も機会もなくなっちゃうよね」

私は麻雀という遊びは、日本人の「同質化圧力」の象徴だったと思っている。私が学生の頃、麻雀はやって当たり前で、「麻雀しません」とはとても言いにくい雰囲気だった。その「言いにくさ」に負けてしまうと、麻雀を教えたがるやつに付き合うほかなく、ルールを覚えて徹夜麻雀になだれ込むことになっていた。

私はその点、かなり図々しくて、「みんなと一緒である必要なんか、さらさらないよね」と思っていたので、「麻雀やらないよ。ルールを覚える気もない」と平気で言えた。「同質化圧力」に対する抵抗力は昔から強かったようなのだ。

学生時代に麻雀をやらなかった分、ほかのいろいろなことに首を突っ込むことができて、今の私のキャラが形成されたというわけだね。

 

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2019/10/05

「長生きする」というストレス

ちょっと古いが、東京新聞の 2012年 9月 2日付「健康寿命と平均寿命(No.418) 人生最後の10年 日常生活に支障も?」というちょっと気にかかるニュースを見つけてしまった。ここには「健康寿命と呼ばれる、自立して健康に生活できる期間は、平均で男性約七十年、女性で約七十四年です(二〇一〇年)」と書かれている。

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私は今 67歳だから、男の平均的健康寿命を全うするまであと 3年しか残されていないらしい。平成 29年の時点での男の平均寿命は 81.09歳というデータがある(参照)ので、「平均的」には、残り 10年以上「不健康」に、下手したら介護してもらいつつ生きなければならないようなのだ。

私の場合は毎日結構な運動量をこなしていて、今日も自転車で 30km 以上走ってピンピンしているので、70歳を越えたとたんに急にヤバいことになるという可能性は低いだろう。それでもさすがに若い頃よりは疲れやすくなっているし、自転車で 25km/h のスピードを維持して延々と走り続けるのもしんどくなってきた。

いつかは死ななければならないのだし、ここまでこんなにも元気でやりたい放題のことをしてきたのだから、はっきりいって未練はない。突然医者に 「あと半年の命です」なんて宣言されたとしても、「ああ、そうですか。どうも」で済みそうだ。

世の中の人の多くは「長生きしたい」と願望しつつ、いろいろな健康法を試したりしているように見受けられるが、私の場合はフツーに健康すぎるほど健康なので、どちらかと言えば「一体いつまで生きたらいいんだろう」と考える方がストレスになる。無理矢理に早死にしたいというわけでもないのだが。

今の仕事は 70歳ぐらいまでは勝手に止めるわけにいかないだろうし、その先もさらに 2〜3年ぐらいは続けることになる可能性の方が高い。ということは、少なくともあと 5年ぐらいは突然死んだり動けなくなったりするわけにいかない。

はっきり言って、あと 5年程度ならまったくお安いご用である。しかしそこから先もなかなか死にそうな気がしないので、「あんまり長生きするのも面倒くさいし」なんて思ってしまうのだ。

このまま元気でピンピンし続けるようだと、一体どうしたらいいのだろう。

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2019/10/04

ココログのコメントが表示されにくくなっている不具合

近頃、ココログのシステムに不具合が生じていて、新規のコメントが表示されにくくなっている。当ブログの 9月 30日のコメント欄でも、ひろゆき王子さんのコメント表示ができなくて、「あれ?コメントしたのに消えてしまいました…」といういうコメントが生きてしまったりしている (参照

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この不具合は確かに 9月下旬あたりから生じていて、私自身もコメントのレスが表示されなくて困っていたところだ。ココログのサポート/ヘルプのページでも、9月 26日付で「新規コメントが急に反映され難くなりました」という質問がある。

ムッときてしまうのは、この質問に関して「解決」という表示がついていることだ。「おい待てよ、ちっとも解決なんかされてないぞ」と言いたくなってしまうではないか。

これはココログに限ったことではないが、いろいろなシステムで定期的にアップデートをするにあたり、これまでうまく行っていた部分に余計な手を入れてしまったために不具合を生じてしまうというのは、ままあることだ。今回のコメント表示の不具合もこれに類するものなのだろう。

このページでは、kaki さんという方からの投稿に次のように書かれている。

早急に改善されると良いですね。
それまでは、ブログ管理画面の
「設定」→「基本情報」→「最新の情報に更新」で
手動で反映させながら凌ぐしかないかと思っています。

確かに当ブログでも、私がこの手順で「最新の情報に更新」という作業をすると、それまで反映されていなかったコメントが表示されるようだ。

ココログがしっかりと根本的に改善してくれるまでは、1日に 1度以上はこの作業を行って凌いでいこうと思っているので、読者の方々には嫌気を起こさずにコメントし続けていただけるとありがたい。

それにしても、ココログのスタッフ諸氏にはさっさと改善してもらいたいものだ。

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2019/10/03

佐賀はほとんど肉食の街のようだったが

今日は九州の佐賀市に出張で来ている。この地は今朝までは台風の影響で雨だったようだが、夕方前に着いた時には雲が切れかかって日が射し始めていた。我ながらありがたい晴れ男である。

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ところが問題はここからだ。何度も書いているように私は肉を食わなくなって久しいというのに、JR 佐賀駅の周辺で食えるものと言ったら、ステーキ、トンカツ、焼き鳥、ジンギスカン、豚骨ラーメン、その他もろもろ、上の写真のようなメニューのオンパレードなのである。とにかくここは肉食の街のようなのだ。

「これじゃあ、今夜はまともなメシは食えそうにない。コンビニでおにぎりでも買って食うしかないのか」と諦めかけたところで、駅ナカに下のようなトンカツ、牛丼主力の店ながら、「海老フライ丼」なるメニューを提供している店が見つかった。こうなったら、ここで食うしかなかろう。

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というわけで「海老フライ丼」というものを生まれて初めて食ったわけだが、これが案外おいしくて、不満は残らなかった。 佐賀駅構内の "SUGOKA" という店である。次に佐賀に出張したら、迷わず直接ここに来ることにしよう。いずれにしても食うのはこの「海老フライ丼」一択だが。

それにしても、最近は地方都市ほど肉以外の選択肢がない時代になってきたような気がするなあ。

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2019/10/02

フラストレイティングなトラック

下の写真は、今日の午前 9時半頃、私の運転するクルマの前を走っていたトラックである。かなり長い間、この大型トラックのすぐ後ろだったので、視界が遮られてちょっとフラストレーションが溜まってしまった。

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フラストレーションの元は、視界が遮られてしまったことだけではない。私は「文字を見れば、何はなくとも読んでしまう習性」を持つ人間なのだが、このトラックの後ろに書いてある文字は、ちょっとやそっとで読めるようなものじゃない。どちらかと言えば、この「読めない文字」によるフラストレーションの方が大きいほどだった。

文字の部分を拡大して見よう。こんな具合である。

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4本の縦のバーが邪魔しているせいもあって、これはもう、人に読ませるための「文字」というよりは「模様」に近い。とはいえ、私はこういうことになると案外しつこい。「あおり運転」になる一歩手前ぐらいまで近付いて、ついに解読に成功した。

これは「茨城県東茨城郡茨城町」と書いてあるのである。うむ、ほぼ間違いない。茨城県には確かにこの名称の町が存在することだし。(参照

というわけでようやく解読に成功し、一息ついたわけだが、そこでさらなるフラストレーション要因に気付いた。このトラック、ナンバープレートがバンパーで隠されて見えなくなっているのだ。下に拡大写真を示す。

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これはないよね。どう見ても意図的なナンバー隠しだ。

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2019/10/01

私が肉食を止めた理由を代弁してくれる動画を見つけた

私は牛や豚などの肉を食うのを極力控えるようになって 5年以上、完全に止めてからでも 2年ほどになる。そして下の画像クリックで飛べるたった 2分 30秒の動画を見れば、あなたも私同様に肉を食べたくなくなるかもしれない。ただ、どうしても肉を食い続けたいという人には、ジレンマの種を提供してしまうことになるだろうが。

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私は肉食忌避について、今年になってから少なくとも 5本の記事を書いている。ざっと挙げると、こんな具合だ。平均すると 2ヶ月に 1度以上書いていることになる。

肉食をすっかり止める前、つまり「極力避ける」という段階からの記事も含めれば 30本近くになる。ただ私は「肉は食わない」と書きながらも、その理由を具体的にあまり多く述べていない。それをするとくどくどした文章になってしまうような気がして、あまり気が進まなかったのだ。それに、調べれば誰でもわかることだしね。

わずかに、肉食を完全に止める前の 2006年 1月 25日付「肉を食わされるのは、かなわんね」という記事に、「びんちょうたんコム」というサイトの「肉食は私たちをどこに導くのか?」という記事から引用して次のように書いている。

NHK の番組によると、世界のトウモロコシ年間生産量約六億トンのうち、約四億トンまでが穀物飼料に使われています。その穀物飼料の一割でも人の食用に回せば、世界から餓えはなくなるというのです。もしそうした場合、肉の生産量は減りますが、それは米国人と日本人が五回に一回、肉料理を減らすだけでしかありません。

当時、この記事があちこちで紹介される際に「米国人と日本人が 5回に 1回肉料理を減らすと、世界から飢餓がなくなる」なんて短絡的なタイトルを付けられてしまった。そして「そんなのウソだ」とか「不可能だ」とかいう、感情的としか思えない反論があちこちに見られたのである。

引用文をよく読んでもらえばわかるが、その主旨は「穀物用資料の一割でも人の食用に回した場合の肉の生産量の減少は、米国人と日本人が五回に一回、肉料理を減らすだけでしかない」という客観的なものだ。感情的に反論した人は、よほど肉を食いたいのだろう。

ただ私としては、そこまで言われながら肉食を続けるのはあまりにも夢見が悪いので、純粋に「倫理的な理由」で肉食を止めたのである。決して「嫌いだから食べない」というのではないのだ。ただ長らく止めているうちに、肉を見ても食い物とは思われず、むしろ気持ち悪いものに感じるカラダになってしまったが。

ここで紹介した動画は、私が肉を食わない理由を的確に、しかも手短に代弁してくれるものだ。音声は英語だが、日本語字幕付きで理解しやすい。

 

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