大阪の小学校 6年生の女の子と、安倍政権のいい年したオッサンの、共通した不条理
大阪で行方不明になっていた小学校 6年生の女の子が栃木県で保護されたというニュースは、いろいろと考えさせるものがある。まるで「神隠し」みたいな事件だったが、そこに至った要因はやっぱり「神の仕業」なんかじゃなく、「人間心理の不条理さ」だった。
フツーに考えたら、「その女の子、なんでまた、そんなアヤシいオッちゃんにノコノコ付いてったん?」ってなことになる。確かにマトモには理解しにくい事件だ。これに関して、Ameba TIMES に「大阪小6女児誘拐、SNSで知り合って 1週間の短期間でなぜ? 臨床心理士が指摘する 3つの要素」というニュースがある。
このニュースで臨床心理士で心理カウンセラーも務める明星大学准教授の藤井靖氏は、次の 3つの要素を指摘する。
(1)話をきちんと聞くこと(受容)
(2)褒める・認めること
(3)居場所の存在を示すこと
具体的には次のようなことだという。
まず、加害者が子どもの価値観を否定せずに話を聞いてくれた、という体験を持つことが多い。また、伊藤容疑者が『半年前に来た女の子の話し相手になってほしい』と言っているのは、『あなたならできるからお願いしたい』と認め、褒めているようなもの。そして、家に来て見て欲しいものがあるとか、共通の趣味としてゲームのコミュニティがあるとか、自由に使える部屋が空いているなどと伝え、居場所があることを示す。
「そんなことで、フラフラと付いていってしまうのか?」と驚く人も多いだろうが、大いにあり得ることだ。人間って誰しもそんなような不条理さを抱え込んでいて、ふとした拍子にそれが現実の行動原理と化してしまう。
さらに付け加えれば、ここに挙げられた 3つの「甘言」に巧妙な「脅し」がセットになると、より完璧になる。今回保護された女の子も、「鉄砲の弾のようなものを見せられて、怖くて逃げ出せなかった」と言っている。
それは女児誘拐事件の話に限ったことじゃない。例えば学校の部活などで、強権的な指導者のムチャクチャなシゴキや体罰が問題になったりすることがある。
一般には「部活なんていつでも止められるのに、なんでまた、そんな理不尽に甘んじて耐えていたのか?」なんて思われてしまうが、それも「甘言と脅し」のセットの賜物である。言い換えれば「飴と鞭」は人間を強権的に支配するのに最強のシステムなのだ。
ことのついでに言ってしまえば、安倍首相のムチャクチャな政治手法に自民党員や官僚の多くが逆らえなくなっているのも、同じ構造だろう。要するに「飴と鞭」のなせるワザである。
彼らは「桜を見る会」とやらの招待者名簿をやれ廃棄しただの、廃棄に時間がかかったのは「シュレッダーの空き待ち」のためだっただの、電子データが復元できないだのと、馬鹿馬鹿しいにもほどがあるようなことを言っている。要するに「政府が主催した行事」の出席者が誰だったのか「永遠にわからなくなりました」と、驚くべき無責任なことを言っているわけだ。
いい年したオッサンが恥ずかしげもなくほざく不条理は、小学校 6年生の女の子とほとんど変わらない。
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