カタカナ英語を巡る冒険 その 4: 発音記号というもの
「カタカナ英語を巡る冒険」というタイトルで書き始めたらなぜかハマってしまって、せいぜい 2回で終わるつもりだったのに 4回目になってしまった。今回は一応の締めくくりとして、「発音記号」というものについて触れておこうと思う。
「発音記号」という言葉でググってみると、"英語の発音をよくしたいなら「発音記号」を覚えよう” といった類いのページがどっさり検索され、私もそれについては基本的に賛成だ。とくに中学校時代は新しく学ぶ単語の発音はほとんど発音記号で覚えたので、「とても便利でありがたいもの」というイメージがある。
こんなにも便利な発音記号なのだが、中学校の英語教育では驚くほど軽視されているようで、昔から今に至るまで、誰に聞いても「授業でまともに教わった覚えがない」と言う。実際、私の知り合いでもほとんどが発音記号なんてチンプンカンプンのようなのだ。実にもったいない話である。
確かに私も、昨日の記事で触れた「上野先生の英語塾」以外ではまともに教わった記憶がない。中学校の英語教師は「カタカナ発音」よりひどい「ひらがな発音」だったから、発音記号は「タブー扱い」でほとんど触れなかった。下手に触れたりしたら、自分の発音がいかにデタラメかをさらけ出すことになる。
というわけで同級生の多くが、英語の教科書にカタカナで振り仮名を振っていた。私は「カタカナで単語を覚えたりしたら、英語じゃなくなっちゃう」と認識していたので、決してそんなことはしなかったが、多くの場面で「カタカナ」は英語を覚える際の簡便な道具となっていたようなのだ。
で、当然にも、こうした悪循環に陥る。
まともな発音ができる英語教師が少ない
⇩
教師は教育現場で発音記号に触れたがらない
⇩
生徒が発音記号を覚えない
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仕方がないのでカタカナに頼る
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発音がカタカナ式で固定される
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英語をカタカナで覚えた生徒でも教師になれてしまう
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(最初に戻る)
こんな感じで、日本の「カタカナ英語」は「抜きがたいもの」として固定化されてしまったのだろう。古代においてモロコシの漢文をそのまま理解しようとせず、読み下すのに「返り点」なんかを駆使して言葉の順序をひっくり返したりした結果、中国語とは別物になってしまったような現象が、近代において英語でも発生してしまったのだ。
というわけで、日本人の多くが "read" も "lead" もカタカナで「リード」としか認識しないカラダになったので、「日本人は "R" と ”L” が区別できない」というのが国際常識となり、"Apple" が 「アップル」、"McDonald's" が 「マクドナルド」という、似ても似つかない発音に固定された。
当時の英語の試験で、「次の単語のうち、下線部の発音が他と異なるものはどれか」なんて問題がよく出た。「次の単語のうち」というのは、例えば
"1. urban, 2, arm, 3, earth, 4. early" なんていうようなものだ。
私は「自分では 4つともまったく同じように『アー』としか発音できない教師が、どうしてこんなのをいけしゃあしゃあと出題できるんだろう? 」と、不思議でしょうがなかった。教師は「自分でできないこと」を、平気で生徒に要求するのである。
あまりにも腑に落ちなかったので、ある時「先生はどうやって区別しているの?」と聞くと、「発音記号を見ればわかる」なんて言うのだった。ということは、発音記号に【ǝ:】と【ɑ:】という違いがあると認識しても、その違いが自分自身の発音にまったく反映されていないことに、いささかの気持ち悪さも感じないで済んでいるらしい。
「本音と建前」を使い分ける、ある意味「便利な」日本流文化というのは、英語試験にまでしっかりと浸透している。
ちなみに私はつい最近まで、「発音記号」というのは日本独特のものなのかもしれないと思っていた。というのは、英英辞書や米国の辞書を見ると、見慣れた発音記号とは別のシステムで発音が示されているのである。例えば、こんな感じだ。(写真は "Oxford English Dictionary")
改めてググってみると、Wikipedia の「発音記号」の項に次のようにある。
既存のアルファベット(通常はラテン・アルファベット)を基本にして、不足する字は文字の変形やダイアクリティカルマークの付加によって補うもの。この方法は現在もっともよく行われており、なかでも国際音声記号 (IPA) が広く用いられている。
(中略)
日本で出版される英語辞典は国際音声記号またはそれを多少変更・簡易化した記号を用いるのが普通だが、アメリカの英語辞典はそれとは大きく異なる発音記号を用いることが多い。
へえ、そうだったのか。英語の発音記号にもいろいろなバージョンがあるのだね。それでもまるっと覚えちゃえば、カタカナ英語にはならずに済むのだが。
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コメント
さてさて、教育業界からひと言(笑)。
takさんの言は至極尤もで、発音記号は重要です。
では学校教育で、発音記号を十分に教えることができるか・・・
答えはNoと言わざるを得ません。カリキュラム的にも生徒のキャパシティ的にも。
中1スタートと同時にアルファベット52文字を覚えるところからスタートする、これが意外とハードルになる子は多いです。
「それは小学校で習うだろう」はその通りなんですが、小学校で宿題や定期テストといった形で”叩き込む”なんてことはしないのです。
その結果、例えばplayをライクと読むような子は(つまりpの文字を見てパ行の発音から始まるということが理解できない)中1の時点で下位層1割ほどはいるのです(!)。
これは極端な例ですが、大人から見て「そんなことはいくらなんでも普通にできるだろう」ということができない子というのは、思っている以上に多いです。無論私もこの業界に入るまでわかっていませんでした。「教科書理解の七五三」という言葉もあります。教科書レベルの(入試ではなく教科書の)内容がそれなりに理解できているのは、小学生の7割、中学生の5割、高校生の3割である、という意味です。
長々と書いてしまいましたが、つまりクラスの大部分が吸収できるような授業をするという前提がある以上、発音や発音記号に十分な時間を割くことは不可能だろうな、と思います。ただ最近は小学校の英語授業が始まったり、大学入試で4技能重視の方針が打ち出されたり(民間試験は頓挫しましたが)と、改善の方向ではあると思いますけどね。
投稿: らむね | 2019年12月10日 03:59
らむね さん:
実際問題として、中学 1年生のほとんどが、入学後 1〜2ヶ月で発音記号をしっかり理解して、自らの発音にバッチリ反映できるようになるなんてことは、無理難題ですね。それはいくら何でもわかります。
ただ、少なくとも英語の教師たるものは、「縫い目」と「主題」(”seam" と "theme" )の違いを自らの発音でごく当たり前に表現できて、質問されたらそのメカニズムをシステマティックに説明できる程度には、発音記号を理解しておいてもらいたいと思うわけなのであります。
そうでないと、発音に関してはまともな指導ができません。
現状では、「発音記号が違うというのは見ればわかるけど、先生の発音を聞くと、どっちも同じじゃん!」ってことになるケースが多いですね ^^;)
つまり、発音記号はあくまでも見た目の字面の違いでしかなく、実際の発音とは無関係のものだから、どうでもいいと理解するしかない現状が問題だと言いたいわけです。
少なくとも、「しっかり覚えるのは大変かもしれないけど、一度理解してしまえば、こんな風にちゃんとした発音で行けちゃうのだよ」というお手本を示すことができればいいのですが。
でもまあ、ムリですね ^^;)
ただ少なくとも、正しい発音の生徒が教師のレベルに合わせて、心ならずも強いてカタカナ英語でリーディングしないと雰囲気悪くなっちゃうというのは、大問題です。今どきの世の中とも思われません。
投稿: tak | 2019年12月10日 22:05
そうですね。小学校ならいざ知らず、中学の英語教師というのは英語しか教えない、英語のスペシャリストであるわけで、そこにはその水準を要求したいところです。
投稿: らむね | 2019年12月10日 22:35
らむね さん:
教師の知見がそのまま生徒全員に伝わることはもとより不可能ですが、それは教師側が伝えるべきものを持っていなくてもいいということを意味しません。
とりあえず 3割の生徒に伝わるだけでいいから、それを大切にしてもらいたいと思うわけです。
少なくとも 3割ほどの生徒は受け入れる準備があるのに、その貴重な 3割に対して、教師の側がまともなことを伝えられないというのは、悲しい事実です。
その結果が、JR のお寒い限りの英語アナウンスに象徴されています。
投稿: tak | 2019年12月11日 09:10