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2019年12月 7日

カタカナ英語を巡る冒険 その 2: 「英語アナウンス」と言っても

下の写真は昨日京都から帰ってきた際の、新幹線特急券である。今どきは特急券も自動販売機で購入できて座席だって自由に選べるから、いつも「4号車 13番 A席」にしている。

191207

4号車はいつも比較的空いていて、13番はとくにガラガラ。隣の B席(3列シートの真ん中)なんてさらに埋まりにくいから、余裕たっぷりに乗車できるのだ。数字で縁起を担ぐ人って少なくないので、JR の窓口でも「4号車 13番」は積極的には売りにくいのだろう。

おっと、昨日の「英語を巡る冒険」の続編を書くつもりだったのに、いきなり横道に逸れかけた。今日は新幹線のナマ英語アナウンスの中身が、いかに「どーでもいい」ものかを考察する。

英語アナウンスは、例えば次は京都に停車するケースだったら、お約束の日本語アナウンスに続いてすぐに、次のように流れる。

We are stopping at Kyoto station.  The doors on the left side will open.(次は京都駅に停まります。左側のドアが開きます)

要するにこれだけ。たった二言なのだよ。しかも外国人には英語と気付いてすらもらえないレベルのカタカナ英語なのだから、昨日の記事の画像として使用させてもらった朝日新聞のビデオニュースの「新幹線で肉声英語のアナウンス」なんて見出しさえおこがましい程度のお話だ。

次の停車駅なんて、昔からドアの上の電光掲示板に日英 2カ国語で何度も表示されるし、どちらのドアが開くかなんて、少なくとも私は気にしたことがない。停車したら開いた方のドアから降りればいいだけの話なのだから。

上述のビデオニュースのタイトルは "新幹線で肉声英語のアナウンス” に続いて ”流暢でなくても好評" となっているが、こういうのを世間では「提灯記事」というのだ。ある意味、流暢じゃないからこそ、必要以上に大きな変化に見えているだけなのだろう。フツーにしゃべればフツーの話でしかないのに。

一方、昨日の記事の最後で紹介した文春オンラインの記事は "東海道新幹線の英語アナウンスは逆効果? 問われる「英語の質」" と疑問を投げかけている。ただ、サブタイトルで "グローバル化に向けて歓迎すべき流れだが……" と、半分は矛を収めているのだが。

実際のところは昨日の記事で次のように書いた通りと思うほかないのである。

この "英語アナウンス" は、国内向けに「JR、一応国際化努力してます」とアピールする効果しか果たしていないと言っても、あながち極論じゃない。

「英語アナウンス」が実際に外国人に通じてるかどうかなんてのはどうでもいいことで、要するに「グローバル化と見せかけるための稚拙なアリバイ作り」なのだ。

文春が言うような「英語の質」が問われているわけですらない。だって仮にものすごく流暢な英語でアナウンスしたとしても、内容なんて上述の通り「言わずもがな」のことでしかないのだから。

 

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