説明責任を果たさずに、政権に居座り続けられる世の中
この期に及んで、政府は「反社会的勢力の定義は困難」と言い出しているらしい。今回の「桜を見る会」問題で追求されているのは、「反社会的勢力の定義って何ですか?」ということではないのだから、こんな答弁で逃げ切ろうというのでは、オツムの中身を疑う必要があると言わなければならない。
ちょっと前までは、閣僚たちはスキャンダルが報じられるとすぐに辞任したものだ。それに対して、大新聞などは「辞めるより説明責任を果たすことの方が大事だ」なんて、お約束のように批判していた。
実際には説明責任なんかまともには果たせないから、深く追求される前に辞める方がマシと判断していたのである。つまり、「説明できなければ辞めるしかない」というのが政治の世界の一応の常識だったのだ。
もう 10年以上も前の話でだいぶ風化しかけているのだが、小沢一郎の「陸山会事件」というのがあった。これに関して小沢は結果的には 2012年に「無罪」となったのだが、私はこの判決が出るだいぶ前の 2010年 10月に、"「推定無罪」と「本当に潔白」とのビミョーな差" という記事を書いている。
記事の中身は、"「有罪」が証明されなければ何人も「推定無罪」となる権利があり、小沢も「無罪」となるだろう。しかしこの場合、判決としての「無罪」は必ずしも「本当に潔白」ということを意味しない" というものだ。実際、小沢は形式的には「無罪」となりながら根本的な疑惑を払拭できず、実質的な政治生命を絶たれている。
このことを思い出すにつけ今の安倍政治は、あの疑惑にまみれた小沢時代よりずっとひどくなっていると考えざるを得ない。まともな説明なんか全然できないくせに、なぜか政権に居座り続けることができるているのだから。
つまり 10年前の常識が通用せず、権力者はその座に「居座り放題」の政治風土になりかけているのだ。この「なりかけ状態」が、完了形の「なってしまった状態」に固定化される前に、安倍首相を退陣に追い込まなければ、この先どんなひどい状態になるか知れたものではない。
こうしてみると、政府が「反社会的勢力の定義は困難」と言いたくなるのも道理である。まともに定義したら、自分たち自身がその中に含まれてしまうからね。
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コメント
まともに機能するしないに関わらず、そもそも「丁寧に説明する」って発した以上は、説明してもらわないと困惑します。
ところが「繰り返し説明していく」以下、「問われれば丁寧に…」、「繰り返しになるが…」、「何度も説明している通り」、「説明責任を果たしている」、「答弁した通り(new!)」と、彼らの中では「説明責任を果たした」ことになってて、現代用語で表現すると「草生えるww」状態です。
トドメが、「特に問題ないと思っている」って記者会見ですから、麻痺なのか健忘症なのか、「反社会的集団」からクレームが付きそうなほどのオオボケ集団ですねぇ。
「烏合の衆」って言うと、カラスに「失礼な!」ってつつかれそう。
投稿: 乙痴庵 | 2019年12月12日 18:06
乙痴庵 さん:
こういうことって野良犬と同じで、逃げれば逃げるほど追いかけられるんですよね。
どこかで立ち止まってしっかり向かい合わないと。
投稿: tak | 2019年12月13日 16:26