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2019年12月 8日

カタカナ英語を巡る冒険 その 3: 中学校の英語教育

「カタカナ英語を巡る冒険」シリーズ 3回目として、自分自身がカタカナ英語にならずに済んだという幸運に感謝しつつ、その経緯をまとめたいと思う。

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今から 15年も前の 2004年 10月 25日に、"「地震」「英会話」「プラモデル」の三題噺" という記事を書いている。一昨日の記事でも書いたように、私は 1964年、小学校 6年生の時に「新潟地震」に遭っている。その地震の救援物資としてもらったのが、なぜかその年の東京オリンピックを当て込んだ英会話教材の「ソノシート」ってやつだった。

どうして「地震の救援物資」が英語教材なんだかさっぱりわからないが、ともあれたまたま巡り会ったソノシート教材のおかげで、私は小学校 6年生で録音されたネイティブの発音を真似て、英語の初歩は身に付けてしまったのだった。そして中学校時代は上野先生という素晴らしい先生の英語塾に通い、さらに磨きをかけることになる。

その頃には、ビートルズやボブ・ディラン、ピーター・ポール&マリーなどの英語の歌を、それぞれの歌真似(訛りまで再現して)で歌えるようになっていた。帰国子女ってわけじゃないが、耳が良かったのか英語の歌はスルリと真似できたのである。

中学校 3年の修学旅行の際には東京タワーで出会ったアメリカのオバチャンと、割とスラスラ会話ができてしまった。この辺りのことは、11年前に "英語の授業と東京タワー"という記事に書いている。

そのオバチャンが後日、米国からプラモデルを送ってくれたので、15年前の記事のタイトルになったわけだ。そして何と、最近ふと思いついてググってみたら、あの時のソノシートと同じもの(上の写真)が オークションにかけられ、500円で落札されているのを発見してしまった(参照)。

この懐かしいデザインのソノシートが、英語を学ぶそもそものきっかけとなったのだから、個人的には 500円では「安過ぎ」と思うほかない。ただ「オリンピック・レコード集」というタイトルでは、「オリンピック記録集」ってことになっちゃうのが痛恨だよね。

こうして小学校 6年でネイティブの発音を身に付けてしまった私は、中学校に入学すると英語教師のムチャクチャな「カタカナ発音」に仰天してしまった。いや、あれは「ひらがな発音」と言う方がいいかもしれない。実際の英語を知らないからこそ、あれで恥ずかしげもなく英語教師でございますと言っていられたのだろう。

中学校時代に英語で苦労したのは、試験で 100点を取ることではなく(100点以外取ったことがない)、授業のリーディングの際に「(心ならずも)なるべくカタカナ発音で読む」ということだった。

ともすれば自然に英語らしい発音になってしまうのだが、それだと教師の不興を買って、妙な言いがかりを付けられるのだからたまらない。こともあろうに自分のひらがな発音を棚に上げて、私の英語が訛ってる(強いて言えば、ニューヨーク訛りかもしれないけどね)とかブロークンだとか難癖をつけてくるのである。

その教師がある日の授業で動名詞と不定詞の用法に関し、あろうことか「"I stopped reading." と "I stopped to read." は同じ意味」と言い出した(記事末尾参照)。これにはさすがに堪忍袋の緒が切れてしまい、「英語の教師のくせにデタラメを言うもんじゃない!」と、猛然と抗議した。

彼は授業の最後まで自分の間違いを認めず、「お前は生徒のくせに生意気だ」なんてことまで言い出した。これで完全にブチ切れた私は生意気ついでに、「職員室に戻って『指導要領』の『不定詞の副詞的用法』という項目を読んで出直さないと、このまま一生恥かくことになるぞ!」と言ってやったのだった。

2〜3日後に彼は「よく調べたら、お前の方が正しかった」と、こっそり内緒話のように言ってきた。当日中には理解できず、そのくらい時間がかかったようなのだ。「それは授業中にみんなの前で言ってくれ」と申し入れたのだが、それについてはトボけ通されてしまった。彼は人生で出会った中で、最も尊敬に値しない教師の一人である。

というわけで、私にとって「カタカナ英語」というのは田舎の中学校の英語の授業を蘇らせる「悪夢」でしかなく、耳にするだけでストレスなのである。


【言うまでもないことながら、念のため】

I stopped reading the book.  (私は本を読むのを止めた)

I stopped to read the book.  (私は本を読むために立ち止まった)

"Stop" という動詞では、動名詞と不定詞が同じ意味にならない。

 

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コメント

中一時代の英語の先生はひどかったです。完全にカタカナ英語でした。発音に関しての講義は全くなかったです。
勉強熱心なアオヤギ君はネイティヴに近い発音で教科書を読み上げているのに恥ずかしそうに顔を赤くしていました。
その時クラス全体には“アオヤギ君はええかっこしている″と言う雰囲気に。(アオヤギ君は英語のソノシートを聞いたかもしれない)

先生が一言“今の発音はとてもよかったですね”といってあげればアオヤギ君の努力も報われたと思いますが、教師がカタカナ英語なんだから誉めると言う発想はなかったんでしょう。

発音に関しては現在はALTという制度があるのでそこまでひどくはないのでしょうが、一方中学の英語教師として英検準一級以上が望ましいとされているようですが、実際は準一級は30%程度のようです。たまたまいい先生に当たれば英語の授業が好きになりますが、逆のケースでは中学生がかわいそうです。

中一の時の英語の教師は「The」は「その」と訳せばいいのよ、の一言でおしまいでした。そりゃないだろと後から思ったのは言うまでもありません。彼らが日本人の英語力の向上を妨害している。

投稿: ハマッコー | 2019年12月 8日 23:59

ハマッコー さん:

>勉強熱心なアオヤギ君はネイティヴに近い発音で教科書を読み上げているのに恥ずかしそうに顔を赤くしていました。
>その時クラス全体には“アオヤギ君はええかっこしている″と言う雰囲気に。

私は決して勉強熱心というわけではありませんでしたが、アオヤギ君の気持ち、痛いほどわかります。

(私の場合、英語の発音をしっかりモノにしようと思った最大のインセンティブは、「ビートルズやボブ・ディランのように歌いたい」ということでしたから)

ちなみに当時はなぜか、ロック・ミュージックは堂々と(?)カタカナ発音で歌われてましたが、フォークソング系はきれいな発音の人が多かったようです。森山良子みたいな、お育ちのいい子女たちがフォークソングに走ったせいだと思います。

私の場合、AFS で米国留学していたコズエちゃんが、高校 3年の時にきれいなネイティブ発音で戻ってきて、全校生徒の前で英語スピーチ・コンテストのリハーサルなんかしたことでホンモノの発音が認知されたため、ようやく安心して(フツーにリエゾンなんかもして)まともに英語を読める環境ができました。

周囲としては、「なんで、あいつは急に発音がよくなったんだ?」と思ったに違いありません。

大金使って留学なんかしなくても、遊びのつもりでやってるうちに、まともな発音になれるんですね。

当時、英語らしい英語で発音できたのは、全校で(教師も含めて)コズエちゃんと私の 2人しかいなかったと思います。

ただ、私のお手本はビートルズとボブ・ディランでしたから、上品な発音にはなりませんでしたが (^o^)

ちなみに、ビートルズはロックンロールから音楽に入っただけに、歌う場合はアメリカ発音の影響を強く受けてましたので、私は英国式発音は身につきませんでした。

そのせいで、後に英国に本部のある団体で仕事をした時に、周囲の日本人スタッフからちょっと白い目で見られました。米国式発音は下品と思われていたようです。ただ私としては内心で、「お前らのカタカナ英語よりずっとマシだろうが!」と開き直ってました (^o^)

投稿: tak | 2019年12月 9日 10:57

私、いちおう翻訳でメシ食っているんですが、四半世紀ちょっとのキャリアのなかで、このstop to 不定詞とstop ...ingを取り違えて誤訳したことが1回だけあります…。

編集者に指摘されたので幸い世に出る前に直せたのですが、冷や汗かいたなぁ…。まぁ恥ずかしい誤訳は他にもたくさんあるんですけどね。

投稿: 山辺響 | 2019年12月12日 16:38

山辺響 さん:

プロでもそんなことがあるんですねえ。

私も一時、毎日 A4 サイズで2〜3枚ぐらいの英文プレスリリースを 3本ぐらい翻訳していたことがあるんですが、細かい誤訳は数限りなくあったと思います ^^;)

投稿: tak | 2019年12月13日 16:23

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